威張る

威張る=マウンティング という行為、

より偉い人がやりそうなイメージですが、

そうではありません。

威張るという行為は 自己承認が出来ていない人がします。

自分自身が自分の価値を認められていない時に

他者の承認を必要とするため、わざわざ自分が他者より優れているというアピールを外側に対してするのです。

なので

「俺様を誰だと思っているんだ!?」という心の声には

実に小物感を感じてしまいますね。 coldsweats01

そう オコチャマなのですよ、精神的に。

本物の立派な方はそんなことしないですね。

成熟した大人ほど謙虚なんです

だって、自分がどんな者かを知っているから。

自分自身を他者の評価に頼らなくても知っているので

誇大評価も過小評価も 単なる表面的な見え方に過ぎない ということを知っています。

外側の評価は 必ずしも過小とは限りません。

逆に過大に評価される場合は 本人はけっこう苦しんだりします。

そう プレッシャー です

そんな力はあるかどうかわからないのだけれど、世論が

「優勝しろ」「金メダル!」と言う場合

オリンピックの選手とかスポーツ選手などに求められるソレです

自分の失敗が多くの人々を落胆させると分かっている時

なかなか大きな怖れを体験するでしょう。

応援している人はそれを理解して応援しているとは限りませんので

失敗してしまった時に落胆と怒りに任せてひどい罵声をあびせたり

なんてことが起こったりしますが、

本当にその罵声に残念な気がしますね。

日本ではまだ思いやりのある人の割合が多いようですが、日本以外では大変な話をたまに聞きます。

これは精神的、魂的に成長が未熟であることなのでしょう。

 

威張る という行動

エゴの意識がやります。

誰でも持っている自我です。

それは子供の意識 みたいなものです。

大人になってからもあります。

悟っていても エゴはいます。

悟っている人はそれがエゴだとわかるので外には出しません。

人間の身体の意識なので共存しているだけです。

自我の意識も 自分が承認してあげれば

わざわざ外に主張したがることはしません。

言ったとしても 微笑ましいものです。

あなたは あなたのそのままを愛してください

それ以上でもそれ以下でもないし

そのままで十分尊い存在です。

他者に評価させなくても

あなたの存在はいつも輝いています。

命がある ということが輝きなのです。

ハナカマキリ