瞑想教師研修から帰って

久しぶりのブログです。

8月6日から13日まで 瞑想教師の研修に参加してきました

研修中、ブログの編集ができなかったためご無沙汰してしまいました。

 

14日の朝の便で福岡に戻り、15日は下関の表具の師匠のところへ行ってきました。

けっこうハードなスケジュールでした。今週は詰めて表具の制作です。

その合間に

瞑想研修のお話をしたいと思います。

 

ここ2年近く研修に参加する機会を逃してきましたので 久しぶりの参加でした。

瞑想研修に参加すると 

とてもとても深いところを見つめなおします。

 

そしていくつかの深い気づきを得ました。

 

私たちは 日常では表面的なところで現実という波に翻弄されながら

また 日常のルーティンワークに埋没しながら生きていたりします。

多くの方々は特に カルマやダルマのことも意識されることも少ないかもしれません。

 

でも、瞑想に出会い、瞑想に親しみ、内なる世界に触れあうほどに

我々は命の声を感じ始めるようになります。

 

意識にあがるものもあれば、無意識のエネルギーが拡がっていくもの、

いずれの現れにせよ それらの生命エネルギーは我々の中で 広がり続けます。 

 

そして 命を生きる意識そのものに目覚め始めるのです。

 

今回、私の得たものは とても言葉では表現しにくいと感じています。

これを どうやって皆様にお伝えするのか 

それはもう 体感していただくしかないかもしれません。

 

余分な意識や念が消えたとき それはクリアに現れます。

そして それは 誰にでも感じることができるものなのです。

 

エゴとカルマと観念が心に充満しているうちは かき消されて感じ取れないかもしれません。

でも、心の雑音が掃除され 空っぽになる時、我々は命そのものになるのです。

 

この境地は難しいものや高度なものではありません。

ただ、瞑想を続け、心が掃除された後に現れます。

一朝一夕にとはいきませんが 今多くの瞑想者や 啓発した人々がこの時代に多く現れてきたことも事実です。

啓発は別世界の話ではありません。

心の根底にある優しさや温かさを思い出すようなものです。

 

身に着けてきた何層ものいろんな鎧を脱いでいくことです。

そして 子供のような柔らかな 命の芽や葉を伸ばすことです。

年齢は関係ありません。

 

芽ぶく