降参

竹内結子さんが亡くなられたニュース、衝撃でした。

ついこの前三浦春馬さんが亡くなった時もショックでしたけど、

あんなに美しく、あんなに実力も名誉も才能もお持ちの方が亡くなるのは

どうしてだろう? という疑問が湧きあがってきます。

美貌も社会的地位も才能も 絶望を引き留める力にはならない ってことでしょうか。

人生を謳歌されているように見える人でも 死にたいほど悩んでいたりするのか

と 驚きと衝撃を感じます。

でも、なぜ?死ぬことを選んだのか

真実は当事者しかわからないでしょうけど、

思いを馳せてみますと、

三浦さんの時は、彼の表面の笑顔や態度と 本当の自分が違い過ぎた と感じました。

そういう生き方を変えられないと思ってしまったのか

ずっとそのままで生きていくことに絶望を感じたのか と 私は思いました。

あくまでも私の予測ですが。

真実にはもっと色々あるかもしれません。

 

竹内さんの場合は 「育児ノイローゼ」と言って炎上してたコメンテーターがいらっしゃいましたが、

私も竹内さんは産後鬱だったのではないか と 思いました。

赤ちゃんは、育てやすい子と、反対にとても手がかかる子と それぞれ個性があって、お母さんの苦労の度合いも違います。

新生児の間は、3時間おきの授乳とおしめ替え、意識がもうろうとするほど寝不足になるし、コロナ自粛でずっと家に閉じこもったまま、家族の世話をして、赤ちゃんの世話もして 外にも行けない それだけの毎日だったとしたら、

産後鬱になるのは難しくないと思いました。

上のお子さんがお嬢さんだったら もっと手伝ってもらいやすかったかもしれませんが、お兄ちゃんだし、旦那さんも子育てしたことない人だったら、

よっぽど「よっしゃー、夫にも息子にもガンガン手伝ってもらいますよ~~」なんて思ってるお母さんでなければ

なかなかお手伝いしてもらいにくかったかも。

真実を見たわけじゃないので憶測の域を出ませんが、

寝不足でくったくたになった時、頭がおかしくなりそう という経験は

私もしたことがあるので、竹内さんが精神的にくたびれ果てていた ということは大いにありそう と思いました。

体が疲れ果てると 身体の病気になる人と、心を病む人と、タイプがあると思います。

私は後者だったのですが、「頑張らなきゃ!」と思っている時は 糸が切れるまで頑張りを張り詰めさせてしまって、自分でも疲れていることを認めない なんてことがありましたので、

どんなに頑張りたいと思っても、身体が動かない時や 涙が止まらない なんて時は

休まなきゃいけない と 思うようになりました。(自覚できるまでだいぶかかった)

頑張りたいを欲張りすぎると いけません。

自分に甘いくらいでいいと 私は思っています。

頑張って得られるものの代償が大きすぎることもままあります。

 

そんな、頑張らなくていいですよ。

ほんとに。

得なくてもいいじゃないですか。

世界は 何なりと与えてもくれますから。

欲張らなくても 幸せでいることは可能なんです。

命まで取られません。

あるがままに生きる自由は幸福です。

理想を手放しても死ぬことはありません。

辛すぎることの方を手放せばいいだけです。

 

そんなことを言っても、実は自分も

死にたくなった経験は何回かあるんですよね。(かなりヘタレ?)

でも、死ぬってすごい大変。

身体が全力で抵抗します。怖すぎて実行できません。

あんなに恐ろしい事 (自分を殺す) を出来てしまうなんて

よっぽど現実の方が恐ろしいのかな?と思います。

そんなとこで頑張っちゃって ホントにキツかったんだろうな。

誰かの憧れの存在でいるということは、それだけ、自分を甘やかせないってことだろうか?

 

三浦さんも竹内さんも 開き直れなかった あるいは 苦悩に降参できなかったことは

とても残念だったと思います。

たぶん、ご本人たちが もっと自由になれた と気付けば、死なずに済んだか、

気付くのが死後であれば、もう一度生まれ直して それをやり直すのかな と思ったりします。

 

自分自身の経験なんですが、

私は昔は人に指図されたりとやかく言われるのが大嫌いだったので、できるだけ目立たない存在でいたかった と過去の自分を記憶しています。

芸能人になんて99.9% ならないですから 彼らの葛藤は理解しきれないとは思います。

今はとやかく言われること自体、どうでもいいので、何か言われたとしても気にしない。

そんな自由が手に入っています。

何か出来ても出来なくても、良くても悪くても、それぞれの尺度で 言う人は言うし

それも何の責任を負う発言でもないし、言うだけ言えば言ってる本人もそのことを忘れます。

そんなものに 振り回されることはバカバカしいと思っています。

自分自身の真実を知るのは神様だけだし。

神様は人間にダメ出ししないので、

私は生きている間は自由な選択をし続けます。

その時々に 本当に必要な事を選ぶ勇気さえあれば

どこに行ってもプラスの循環が起こります。

早くそのことに気付いた者から

自由な人生を掴んでいくのだろうと 確信しています。

「できなかったから、なんだ!」 と言いたい。

どっちでもいいんです。

そんなことで苦しまないで。

あるがままでいさせてください

手に負えないことは神に委ねます。

チェンマイのお庭

降参出来た時、悟りが輝きます。

何もない自分

ただの命になって輝きます。