あるがままの私 って どんな私だと思いますか?
自分に無理をさせられない というあなたは
かなりあるがまま かもしれません。
理想があっても理想でない自分
そんな自分に無理をさせて理想的な自分でいるのは
かなりあるがまま ではない でしょうね。
でもそうじゃない自分は嫌い
そんな風に思っている方は
なぜ理想でなければならないのか?
その理由をよく見てみてください。
いつの間にか 理由なんて分からなくなっていると思うけど、
そこには理由があるのです。
「そうでないと愛されないから」 というのが 大きな理由の一つかと思います。
そうでなくても そうであっても、
他者からは、愛される時は愛されるし 愛されない時は愛されません。
自分が この人 と思った相手から
それが 異性であろうと 同性であろうと 親であろうと、
相手の愛が大きければ愛されますし、そうでなければ愛してくれないかもしれません。
愛することが苦手な人から愛されようとするのは すごく難しいことです。
更に、
愛されたいと願うあまり、愛されている事と、執着や依存されていることを混同してしまいます。
本当は 他者から愛されるかどうか というのは、そんなに大きな問題ではないんです。
というのも、愛を求める というのは、自分自身を愛せていないことを
他者からの愛で補いたいという心理からくるのです。
自分のことを愛せている人は 他者からの愛はそれほど重要ではありません。
あれば嬉しいけど なくても大丈夫 なのです。
必須 ではなくなります。
そして、あるがままの自分を愛することができるようになると、
他者のあるがままにも愛を向けることができるようになります。
みんな 自分自身を大事にしていい ということがわかるからです。
いえ、みな、すべての存在は そのままで尊い ということを
全身全霊で感じることができると
この世界中の全てを愛をとらえることができます。
私も私以外のすべても 区別することなく すべてが尊く、
ありとあらゆる自由が与えられていることを知ります。
良く見えることもそうでないことも
本当は良いも悪いも無いということも。
ただ、存在が いろんな体験をしているだけだ と。
あなたも これまでの人生で いろんなことを体験して
そしてこれからも いろんなことを体験するでしょう。
そのあらゆる時を あなたは自由に選択していくのです。
何かにとらわれていても とらわれていなくても
もし何か(の思い込み)にとらわれていたとしたら、
それをやってみて 結果を体験するでしょう。
そして、今度はどんなことを体験してみたいかを また選ぶのです。
あるがままの自分を愛する ということを
やってみたいと思いませんか?
とてもハッピーになれます。
あるがままの世界を愛するようになると
不幸を体験できなくなってしまいます。
やってみたい と 思う方は
ぜひ 瞑想を始めてください。
瞑想と意識の愛の変容 サポートさせていただきます。
あなたの中のとらわれが瞑想で外れて行きます。
何がとらわれだったか に 気付く体験も なかなか醍醐味です。
瞑想者 という生き方 なかなか楽しいものです。
すごく奥が深いですからね