責めない

私たちの周りで起きている事は、常に私たちを試しています。

それを試しているのは 私たち自身の魂である とも言えます。

どういうことか? と言いますと、

この世界で起きていることは 私たちが起こしていることも多く、

起きたことに反応している人間がいる という以前に、

人間の活動が現象を起こし、そのことに無自覚な人は、意味が解らず、現象に腹立ててしまう といったことが起きるんですね。

これ、自覚する時があります。

例えば、自分がヘマをやってしまった時、

「うえぇぇ~!腹立つ~!やってしもたやん~!」なんて自分の失敗に腹立つ時、

忌々しいのは自分の上手にやれなかった行動です。

自分以外に怒りを向けたくなって、ひとしきり関係ないギャラリーに奴当たりする自分に、「理不尽だな」なんて思いつつ、

「八つ当たりしてる自分」にちょっと恥ずかしくなりながら 怒りが尻すぼみになる なんて経験はありますでしょうか?

私は、これが非常に多かったですね。
 

瞑想をする前から、その自覚があった記憶があります。

「人を指さす時、中指、薬指、小指の三本は自分を指してますよ」なんてことを聞いた時も、

「もっともだ」と思いました。

誰かの愚痴や批判をしていると、頭の中で「オマエモナー」って言葉が聞こえてくるんです。

批判してるその行動に なぜか身に覚えあるな と思考の片隅でムクムクと「私もやん」が出てきて

批判の言葉の勢力が落ちてしまう。

「人の事、言われへんやん」(関西弁で)言うてきます。

私のハイヤーセルフ関西弁ですねん。(笑)

 

周りのだれかのせい ではないんです。

あなたの目の前で起きていることは、あなた自身が、

私の目の前で起きていることは、私自身が起こしている。

それになぜ 文句を言えるでしょうか?

 

これにすっかり納得した時、

他者に文句を言う気が失せました。

 

何と思うのか?

「起きることが起きているのだな」と。

何らかの必然でそのことは起きている。

自覚があろうとなかろうと、

意図しようとしまいと、

望もうと拒否ろうと、

私の思いが関与してます。

 

まぁ、起きてしまったものはしょうがない のです。

 

後は、それをどう処理するか

それは今の私次第です。

人のせいにして、更にネガティブループを重ねるなんて 失敗

もうしませんよ~。

誰かが片づける必要があるなら、私がすればいいんです。

地球をお掃除する人には マザーアースのご加護があります

なーんてね。(笑)

でも、それも本当だと感じています。

ネガティブなエネルギーはとっととお掃除しましょう。

爽やかな日々をお過ごしください。

泣いても笑っても、

悩んでも開き直っても

ただ、起きることが起き、私たちはそれを処理します。

とっととお掃除。

することはただそれだけです。

澄み渡った心地よさを体験するために。

雑味を排除すれば 爽やかさのみ残ります。

 

断捨離した~い  wave

浜辺の石積み