波動と共鳴

人はそれぞれ 自覚のあるなしに関わらず 波動 があります

その波動の具合(周波数)によって 感じ方が違うのだなぁ と実感することがありました。

人は、自分の波動に近いものを好みます。

これは良い悪い とは関係がありません。

持っている波動が違うだけのことです。

音楽などは分かりやすいですよね。

瞑想をするような人はヘビメタなどのロックは大変苦手

でもそれに強く惹かれる人たちもいます。

彼らは癒しではなく、感情の解放を求めています。

必要とすることが違っているだけのことです

それ以外の行動に関しても同じ。

人がすることが理解できなくても責めないでください。

自分と違うものを求める人たちもいます。

 

以前、よく集まっていたスピリチュアルグループの中では

波動が違うと 一緒に居られなくなる と言われることがありました。

好みが違うのですから しょうがないですが、

好みの許容範囲は、広い人と狭い人がいます。

 

瞑想をするような 新しい時代の人々(真我で生きる人)は

エゴのとらわれを手放していくので

許容範囲が大きくなっていきます。

そばにあるものが不快だと感じることは少なくなるんですね。

じゃあ、不快ではなくてどうなのか というと、

ただ、なんでもなく見ている対象にすぎなくなるのです。

(究極?の)悟りは 世界そのもののあるがままを受け止めています

波動が高いものは好ましく、 低いものは 「そうなんだ」という感じ。

キライなものに反応する感じが カルマ と呼ばれるものでもありますが。

 

今日 意外だったので印象に残った出来事があったので、ちょっとお話をすすめてみます。

波動が高いはずのものをに 不快な反応をする人がいるということでした。

「え?これ?気持ち悪い?」 どうとっても、不調和は無い。。。のになぜ?

 

なぜこれを気持ち悪く感じるのだろう?

と とても不思議でした。

そっちの波動が低いから? なーんて。

 

たぶん ただ心地悪いのだと思います。

理由は後ほど分析します。

 

それも非難する事ではないんです。

ただ あるがままにさせておいてください。

 

あなたが もし 心地悪いと感じることがあったら、

心地悪いと感じている自分を観察してみてください。

そこから逃げるのではなく、

ただ、嫌っている自分を受け止め それもただ眺めます。

そして 手放すようにしてください。

あなた感じ方は 無理に変える必要はありません。

そのままのあなたで構いません。

あなたの中のカルマが反応していたら

そのカルマは 抜けていきます。

出て行く瞬間が心地悪いだけです。

出て行ってなくなります。

 

瞑想をしていると。

そうしたプロセスを経て ただ純粋な意識へと変容していきます。

そのあなたの真我は 高い波動に純化されていきます。

真我は純粋なのです

 

古い意識 エゴとマインドに支配されているうちは その世界観しか見えませんので、この状態の時は説得してもしょうがないんですね。

旧世界観の外側は未知の世界としてとらえられ、恐れを持ってしまいます。
いまはまだ、世界の流れ(ダルマ)を信頼できていない文化が終わっていませんから 当然です。

意識の浄化が起きること は これまでの価値観を奪われるようなものなので

不安な感じになるのでしょう。

そういう時、抵抗の怒りが生じます。余計に旧世界観にしがみついてしまいます。

このような方々を責めないようにしてください。

 

いずれは 調和していきます。

間違っていると無理に鎧を剥ぎ取って 

彼らの怖れを煽らないようにしてくださいね。

あなたが変えさせる必要は無いのです。

しがみついている時に引き剥がされる恐怖はトラウマになっちゃいます

あなたは 愛で見守るだけで十分です。

助けを求められた時だけ 手を差し伸べてください。

神さまも同じ、望まれないことはしません。

人々はただ、流れに導かれるのです

あるがままにさせるのが愛

 

しがみつくと言えば、、、

この画像はツボでした(笑) やってみようかな!(笑)

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