正義感

規範意識や正義観というものは 社会生活をしていく上で大切な観念です。

多くの様々な感性の人々が集う場では 価値観の相違や感じ方の相違、

気付かずにしたことが起こす 心の摩擦や軋轢などが生じます。

どこまで譲ってどこまで守るか

ある程度合意した基準がないと 揉めるからです。

一生懸命ルールを守ろうとすることは決して間違ったことではありません。

 

ただ、ルールにとらわれると、一番大事な本質を見失うことにもなりがちです。

宝箱を死守しって 中身が腐っていくことに気付かない ようなものです。

 

時代は変化し、ライフスタイルが変化し、生き方が変化し、価値観が変化します。

その中で、旧態依然の規範を頑なに手放さないと、それはとても違和感のある存在になってしまいます。

 

あなたの信じている世界が流動していることに気付かねばなりません。

エゴは 握りしめた自分の基準を手放すことに抵抗があります。

それを固持するあまり

人は ついつい 他人の行いを批判したくなります。

 

でも、ちょっと立ち止まって今を見つめる必要があります。

正義とは何か? 何が正義か?

正義と愛は 似て非なるものです。

 

自分の正義と他者の正義が戦うことが戦争なのですから。。

 

あなたは自分の正義のために戦って 多くの血を流すことを良しとしますか?

 

他者と共存するためには エゴを手放し、

支配・コントロール欲を手放し、

断罪を神に預け

愛として生きようとしてください。

 

そんなことはできるものか、あれほどのことをされて許さない。。。

 

許さないということはあなた自身がその苦しみを終わらせない ということです。

そしてそのエネルギーをこの世界に残し、再びあなたが生まれてくる地上を 

恨みのエネルギーで汚したまま あの世に帰る ということでもあります。

 

全ての苦悩を浄化するのは愛です。

 

もちろん、言っても聞かないエゴは傲慢に他者を傷つけ続け、

薄ら笑いを浮かべながら人々から搾取し続けるかもしれません。

 

その時は あなたの中に 不動明王が出てきちゃいます

不動明王

その怒りは純粋です。

あなたが怒るエネルギーを無理に押さえないでください。

もちろんそれで 相手をやっつけようと思わなくていいってことです。

怒り = 攻撃 ではありません。  ただ、怒ればいいんです。

自分の怒りを感じて受け止めて 抱きしめる 

 

このことで 周囲はそのエネルギーを感知します。

あなたは怒るだけで充分

しっかり怒って そして 手放してください。

そしてこのことで

あなたのカルマが落ち、真実を見る目が芽生えます。

 

世界に良い悪いがあるのではない

あなたの中にカルマの怒りのエネルギーがあったのです。

どうにかしないといけないのではありません。

ただそれを手放した時、解放は終わって

あなたの真我が目覚めます。