執着は外した方がいい ってことはわかりきっているのに
何かに執着してしまう時 ってありますよね。
どうやって執着を外したらいいのかわからず、苦しむこともあることでしょう。
執着を持ってしまっているために そのことが気になって気になってしょうがない とか
なんとかしたくてじっとしていられない とか
失うのが怖くて そのことに一喜一憂し 不安に襲われ
いざ 失った時は 死にそうな気分。
私からそれを奪ったのは誰か? と恨みの気持ち だったり
私から去ってこんな思いをさせるあの人を許せない と 怒り だったり
いやいや、私にはそんなブラックな思いはありません。
ただ、それが好きなだけ。今は諦められないだけ。
と 思ったり・・・
私たち人間は いろんなものへ絡まる思いを持っていたりします。
そう、執着を外すまで 執着の思いはそこにあります。
何かに意識を集中させることは 人間にとって 悪い事ばかりではありません。
何か 困難なことを成し遂げる時、その執着心は役に立つかもしれません。
あなたは それを手放すか まだ手放さないか 選ぶことができます。
ただ、何かがあなたから離れる流れが来ているのに 手放さないでおこうとしがみつくと
葛藤や 苦悩を味わうことになります。
また、人に対して執着心を持ってしまうと、そのエネルギーは相手に伝わりますので
その波動が居心地が悪いと相手に感じさせてしまうかもしれませんし
執着心を強く持つことで 同じような執着心の強い人を周りに集めてしまいます。
これは 波動が同じなので 最初、居心地がいいと感じるかもしれませんが、
じきに 摩擦を起こしはじめます。
自分がこだわっているものを 執着だと気づいてすぐに手放せるなら それは執着というまでもありません。
どうしても どうしても、どうしても それだけは譲れない 譲りたくない
と 思いだしたら、その執着心は緩めた方がよさそうです。
強くなってしまった執着は手放すことが難しく あなたを苦しめるかもしれないからです。
調和 とは 圧をかけずに自然に在ることです。
圧が必要になってくることが 全体の波動に緊張感をもたらします。
それは真の安らぎではありません。
神は あなたに 選択する自由を与えてくれています
あなたは何を体験してもいいのです。
「好きにしなさい」と言ってくれています
ただ、その結果を受け止める責任は自分自身にあります。
やりたいことは 気が済むまでやってみると 未練はなくなります。
そのために必要な体験もあります。
味わい尽くさねば カルマは終わりません。
感情と向き合い、受け止める ということです。
どんな体験も 失敗なのではありません。
あらゆる体験があなたにこの世界の事を教えてくれます。
苦しむことをやってみたら 苦しむ人の気持ちがわかるようになるし、
ひどいことをしてしまったら ひどいことをしてしまった人の気持ちがわかります。
愚かなことをしてしまったら、愚かなことをした人たちの事情と気持ちが理解できるようになったりするのです。
あなたの体験に無駄はありません。
魂はこの世界の事全てを知りたいと思っているので あなたにそれをすることを許しているのです。
他者を通して感じることもできますし、自分自身で実体験することも可能です。
カルマの体験は 生まれた時から一定の量のカルマを持って生まれてきている と言われます。
それらの体験は避けることはできないようで、ある種宿命のようなものでもあります。
いつかどこかで その辛さや悲しさを感じきって終わらせねばならないのです。
今回の機会を避ければ、また別の機会が与えられます。
ですから 今回の思いにも 向き合って 受け止めて終わらせていくことで あなたのカルマが終わっていくのです。
何度も繰り返し言いますが
辛い体験は必要があればやらねばなりません。流れとしてやってくるのです
自我の意識が それを避けたいと思っていても、あなたの中にカルマがあれば体験は引き寄せてしまいます。
その時はガッカリしないでください。
カルマの体験は悪い事ばかりではないのです。
試練に向き合って、何が愛か を学んで 意識が成長する機会となります。
この世界はあなたの魂が成長することを望んでいるのです。
その方法は穏やかな方法ばかりではないのです。
大きな解放ほど、大きな成長へと繋がります。
未消化の体験は 本当に大事なことが何かをわからないまま流れてしまいます。
あなたの中にある摩擦の感覚に向き合ってください。
もし ただ手放すことを望んでいて それが終わる確信が持てずに苦しんでいるとしたら
終ることを信じて 速やかに終了していくことを祈ってください。
終らない試練はないのです。
抵抗すればするほど 逆に時間がかかってしまいます。
それはいつかは終わります。
あなたが毎日の瞑想を続けていくと それらは速やかに整っていくでしょう。
無理にはやめようとしない方がいいんです。
必要なだけ時が過ぎ、それらは過ぎ去っていきます。
台風を早く過ぎ去らせることが困難であるのと同じなのです。
私たち人間の感情もまた 自然物なのです。
あるがままの流れに委ねて 流れと共にあってください。
大いなるダルマの流れは 全てを調和の方向に向かわせます。
コントロールや支配の エゴの意向を手放すこともまた真我への近道なのです。
今 何をするかは あなたのハートにしか知りえないのです。
あなたの生きたい方向とは あなたの幸福を感じる方向です。
人生は長く、短い。 道は険しく優しい。
あなたが あなたに優しくあることは他者への愛にもつながり、
あなたが他者に愛であることは あなた自身の愛にもなります。
一つだけの答えがあるのではありません。
ただ、愛であることとはどういうことかを 長い時間をかけて学んでいます。
頭の理解でなく 真の理解へと導かれています。
真の理解は 体感です。
あなたの体験と気付きが あなたを愛にしていくのです。
正しさばかり追う必要はありません。
形を追うことが正解というわけではないのです
愛は限りなく自由です。
愛でない体験が 愛を教えてくれることもあります。
手放して 感じてください。