記憶 

心に焼き付いた記憶は 辛かったことほど鮮やかに残っているものだと言います。

 

手放す ということをするようになって 過去は温かい靄の中に薄れていくようになって

トゲのある記憶はもう手の中にありません。

 

心が傷付く という経験は 衝撃的なものですが

その時に傷ついたシチュエーションは 果たして真実なのか? ということは甚だ疑問なのです。

 

確かに そのことで私は傷付いた。 大きな衝撃と悲しみに痛みを感じていた。

でも、傷ついた原因は 本当に傷つくような内容だったのか?  と 確かめてみたことがあるでしょうか?

 

例えば、子供の頃 

お母さんに 何かをしてもらいたくて  それはそのことを通して愛を感じたかったのですが

とっても、してもらいたいことがあって

こんな風にしてくれてら、私はとっても満たされるだろうと感じていて

お母さんの所に行った時、 お母さんは他の問題に気を取られていて

いいから、ちょっとあっちに行ってなさい なんて 言われた時

子供はとても傷ついたりします。

 

これは大人でも同じです。

 

夫と仲良くしたい。仲良く会話したい。私の話を聞いて欲しい。

毎日外に出かけていく夫に対して 子育て中の妻は 家に缶詰めになって夫が帰るのを待つだけの生活になると

返ってきた夫が疲れて話を嫌がっただけで 傷ついてしまいます。

これはどちらかが悪い というわけではなく、ただ、いろんなことがすこしずつずれてしまって起きる摩擦です。

 

友達が近くにいない とか その時誰も相談できる人がみつからなかった とか

たまたま決算期で残業続きで くたくたになっているにもかかわらず

疲れた疲れたなんて愚痴をこぼすのは妻に悪いと思って 黙っていただけかもしれません。

話が苦手 とか なんて返事をしたらいいかわからない とか 

うまく思いやりを表現できないもどかしさ とか

そんな 根底に流れる 愛が見えなくなっている時

 

表面が乾いて 摩擦が起きるんです。

 

お母さんがついたため息

夫が見せる暗い表情や 不服そうな表情

友人の一瞥

事情を話せないまま叱られたこと 怒らせたこと

 

上手く説明できない私

 

罪悪感

 

そんなものが 乾いて擦れて 摩擦の痛みになります。

 

本当は誰も悪くないんです。

 

何か誤解して腹を立てている人は 真実でないものに腹を立てています。

 

私がムカついたそれは 果たして真実なのでしょうか?

 

脳の中の記憶は あなたの日常にストーリーを与え、あなたと周囲の人たちを

キャスティングして ドラマを作ります。

 

ふと覗いた家族のドラマに出演している自分の役割を垣間見て

衝撃を受けたりします。

家族がついたため息は あなたの存在への落胆などではありません。

あなたのやり取りの中であなたに憤慨したりため息をつかれたりした時

相手は 自分の思い通りにならない現実に対して ため息をついています。

 

理想のイメージとは違う真実を受け止めきれていない だけなのです。

 

あなたは 自分を歪めて人の理想を生きる必要はありません。

それをすると とても息苦しい人生になってしまうからです。

 

家族や友人や いろんな関わりの中で

自分と相手のパワーバランスをとって 双方の居心地のよい関係にするには コミュニケーションが必要です

 

自分の気持ちを話すことを恐れないでください。

相手の理想に合わせられないことに 罪悪感を持たないでください。

あなたが あなた自身でいることに自信をもってください。

 

愛のエネルギーは 摩擦を潤し、痛みを消します。

悪者がいるわけではありません。

恐れている者が威嚇や攻撃をしてしまいます。

 

荒れた感情の根底には痛みがあります。

 

それを見ることが 観音菩薩の慈悲です。

 

人間の心の底の痛みを癒すのは 愛のエネルギーです。

愛のエネルギーは 行動に変わる前から効果を持ちます。

あなたは ただ 愛を持っていてください。

あなたの愛が すべてを癒していきます。

あなたの中に観音菩薩がいるのです。

観音菩薩 顔 淡彩