エゴが欲しがる価値と特別さ

自我は 自分自身に価値を感じたいと思っています。

満たされるというイメージが欲しいんですね。

これはどの人の自我にもあります。

真我が満たされている時、

生きていることそのものが幸福と充実感に満たされている時 

それ以上に何か欲しがる必要はありません。

でも、何かしら物足らなさのイメージを持ち始めると 何か満たすもの を探し始めます。

これは、マインドが常に何かをプラスしたい という働きを持っているためです。

欲 ですね。 欲すること。 欲

肉体に備わった機能です。

満たされてる時のただの退屈であれば、楽しめる事や刺激があれば楽しくなりますが、

心の内に 愛に満たされない不満や 乗り越えられない苦しみを持っていますと 他のものでは補えない欠乏感を持ったままになってしまいます。トラウマ カルマ です

怖れや不安が伴います。

 

この世界の多くの魂は いろんな欠乏感というカルマを持っています。

いろんなことにこだわっていますが 本質が求めているものは 愛なんです。

満たされない愛の代わりに 何かでそれを埋めようとしてしまいます。

このことは無意識の領域で起こります。

 

ただ、

今、困難に直面している時は、それどころじゃないですし、目の前に取り組むことでエネルギーを使っているので そのようなことは考えません。

ただ集中して目の前の問題に取り組むことに没頭します。

 

それが一段落して 障害がなくなった時、最初に満たされなかった感覚だけが解決せずに残ってしまうと 空虚感を持て余してしまいます。

 

何をしても充実感を得られない時、自我は困ってしまって、何か集中するもの または

見失ってしまった 自分探し を始めるのです

 

自分探し

その一つが アイデンティティです。

自分は 人から認められるからOK  とか

自分は こんな特技があるからOK  とか

自分は 人の役に立っているからOK とか

自分は 人より優れている とか 地位が高い とか 価値がある という

価値のイメージを持っていたいのが 自我(エゴ)です。

 

真実 というのは ただ、真実しかありません。けっこうシンプルなんです。

でも 人間は装飾された好ましいイメージを欲しがります。

 

真実とは

命は 生まれて生を体験して そしてその一生を終えて魂の故郷に戻ります。

その繰り返しで命が紡がれている。全ての命は 一つの命の流れなのです

それが命ですから 一つの肉体は命の一部にすぎません。

そこで特別さがあろうがなかろうが 世界はただ笑って見守っていることでしょう。

 

悟る   真実を知る  真実を観る ということですが

本当に悟ると特別さを崇高したり自分が特別な存在という表現をしません 全ては一つで分けられないもの だからです。

 

人間のエゴ という意識は 争ってまで特別さを手に入れようとしたり、豊かさをむさぼることに夢中になってしまったりします。

 

過ぎたるは及ばざるがごとし と言いますが、

取りすぎて過剰になったり、周りとのエネルギーバランスが崩れてしまうと

世界が調和できなくなって とても不安定な状態になるんですね。

 

欲望に目がくらんだり、欠乏感というカルマを握りしめたままでいきているのは

自分自身が癌細胞のように周りのエネルギーを奪って全体の調和を壊してしまう ということなんですね。

 

本当に真我が目覚めること は 全体と調和する平安、 エゴの暴力や執着が消えていく ということです。

もし、コントロール欲のエネルギーを感じたら 一度手放してみてくださいね。

 

あなたの中が愛になれば 世界は調和するしかなくなるのです。

そう、あなたの周りから。

 

サボテンの花 白

ただ あるがままを咲いてください。