暑い暑いと言っていたら、今日はずいぶんと涼しい風が吹き抜けています。(´∀`*)
ここアトリエ霽月は前後の見通しが良い4Fなので風の通りがいいんですよ。
さて、今日はカルマの解放について書いてみます。
これは ある意味 一説ではあるのですが、私自身生きていく上で、あるいは体験を通して
このようなものであると 感じているものです。
古代からの知恵としてのお話もありますので 人間の感じるところの真理として 伝えられてきたもの として扱っています。
このお話が納得できないと感じられる方は それはそれで自由だとおもいますので、
お気に召さない場合はどうぞスルーなさってくださいね。
カルマは それぞれが一生のうちに解放する量が決まっていて
それを解放しきると終わるもの というお話を以前にも書きました。
カルマの量は個人差があって人によって持っているカルマの量が違います。
沢山の前世に多くのカルマを終わらせてきた人はすでに少なく、
まだまだこれから成長したい若い魂は多くのカルマという課題を設定して生まれてきます。
今生の年齢は関係なく魂の年齢と経験によって その人の持つ課題は違うのです。
カルマの量は押し付けられたものではなく、本人が選んで引きうけてくるのだそうです。
引き受けた記憶は消えています。 覚えていては新鮮な体験ができないから だそうです。
全てを忘れて無垢な意識でこの世に生れ落ち、宿命によってテーマが発動し始めます。
現実にカルマを体験すると こんなにキツイなら辞めときゃよかった(´;ω;`)
と 思ってるかもしれません (;^△^)
酷い出来事を引き受ける魂は 多くのカルマを一気に終わらせる役目を負う魂だそうで、
全体のカルマまで終わらせていく勇気ある魂とも言えます。 多くの苦しみを背負います。
一族のカルマを終わらせるため とは言え、 問題を抱えて生まれたり、早く亡くなったり、周りを悩ませたりします。
でもそれで周りの魂に成長の課題を与え、たくさんの成長を促すのです。
我々がしなければならないことは、ひどいことを排除することではないんです。
出来事を受け止め、自分の感情を受け止め、
その出来事を癒し、愛(真我)に目覚め、真我に生きることにあります。
この世の波に巻き込まれ ドラマを生きることから離れて
真我の意識が自分自身であったことを思い出す
それは人生観が大きく変わることです。
環境や状況が思い通りにいかないことや 人が良くしてくれないことに憤るのではなく、
誰がどうしようが 自分が愛を生きる と 私たちは愛の波動に満たされるようになります。
これをできるようになるためには、まず 自分のカルマを速やかに解放して終わらせるのが先決です。
出来事や感情に抵抗してしまうと 終わりません。
抵抗し続ける限り、そのハードルは越えられません。強制的な試練の出来事(波)は次々にやって来てしまいます。
でも、一度、越えるということを決めることができたり、越えるということを覚えた人は
いとも簡単にカルマを終わらせていくことができます。
ただ 意識がそれを越えればいいだけだからです。
手放して 越える。
私たちの課題とは 出来事、感情を受け止めて 次に進める ということです。
カルマは感情と共に外に出て行き、私たちから抜けてしまいます。
苦しみを受け止められなくて 誰かのせいにする必要もないのです。
それらの出来事は過ぎ去って終わっていくだけなのです。
あなたが それを終わらせた時、あなたの魂が磨かれて 美しく大きくなっていくのです。
過去を手放して 何物でもない 一つの魂であってください。
魂が本当に望む喜びを求めてください。
溜まっていた涙をすべて流し、気負っていた重荷を下ろし、
あなたをとらえていた観念から自由になり、あるがままにくつろぎます。
私たちの心を閉じ込めることはもうできないのです。