思い

今日のお話は 変わりたいと願っている人に伝えたいお話です

 

スピリチュアルの法則で 私たちの思いが現象を作っている というものがあります。

私たちそれぞれが信じている状態を この世界が体現してくれている というものです。

 

なので、自分たちが信じているものを変えると、世界の現象は変わってしまいます。

 

そんなことは信じられない と 最初は誰もが思います。

すでにこうなっている世界をどう変えるのか?  

 

現実が先か思いが先か  ニワトリと玉子 のような議論になってしまいますが、

 

この法則を利用して現象を変えたいと思ったとしても 一朝一夕には変わらないですね。

それは 思いを変えても現象は変わらない のではなく、

一朝一夕に 信じてしまっているものを変えることが難しいからです。

 

常識を変える どころではない この世の原理を変えることですから 脳は混乱してしまいます。

 

信じているもの というのは、

この世はこういうものである  とか

私たちはこういうものである  とか

こうすればこうなる  とか

そういう認識のことです。

 

もしこれらの思いが一晩で変わってしまったら、あなたの身に起こる現象もその瞬間から本当に変わります。

 

これは半信半疑でやっても、口先の言葉に出すだけでも ダメなんです。

それが本当なんだ という確信を持っていなければなりません。

 

ちょっと違ったことが起こったくらいで 考えが揺らぐようではいけません。

確信は揺らがないのです。

 

その思いが現象化しだして、それが確信になったとき、

あなたはそのことが本当の事だと知るでしょう。

 

あなたは あなたの当たり前 を 生きるのです。

自分の中の当たり前を書き換えることは 実はそれほど難しい事ではありません。

自分のルールや、自分の思い込みを手放して自由になることです

いままで育ってきた価値観がそうそう変わることはない と 思っている人はそういう自分やそういう他人を見るでしょう。

 

でも、私は違います。 かつて私自身を追い詰めていた思い込みは素晴らしく取れてしまいましたし、私の周りではすっかり大人になってしまってから 次々に考え方を変えていく方々が何人もいらしゃいます。

こういう性質は一生治るものじゃないよ なんて評価された人も 私の前では変わりました。私はその人が変われると確信していたからです。

最初は本人の方がそれを信じられずにいましたが、私はその人に毎日 変われないわけがない と言い続けました。

そして 本当に変わりました。周りの人々はそれを奇跡と思ったかもしれません。

でも、それは私にとっては確信でした。

 

ネガティブ思考は一種の考え方の癖です。

その癖を手放せば 考え方もとらえ方も変わります。

もし変わりたければ変わるようにすればいいのですが、

変わるのに必要なことをしないまま できない という人がいます。

 

今までの観念や思い、行動パターンにしがみついたまま 変われないのは 当然です。

 

自我は観念を手放すことを恐れます。

怖れを手放すことができないでしがみついているのです。

それを手放すと深い闇に落っこちてしまうかのように・・・

 

でも、実際はどんな観念を手放したところで 酷いことが起きるわけではないのです。

ただ、思いを変える ということはあなたの意識の中だけで起きます。

外側を触ることはどうでもよいのです。

そして手放した観念と共に それにまつわる苦しみが消えていきます。

 

まだ 恐ろしいと思っているうちは この話は信じられないでしょう。

でも、実際に実行してみると 

「あれ?」 っと。

溺れることができない浅瀬で死ぬかもしれないと悶絶していた自分を発見します。

 

自我が絶望することが自我の死です。

自我=エゴ

エゴの死は

真我の再生の時です。 それを 悟り体験 と言います。

 

流れに運ばれる先を見てみませんか?

 

瞑想が あなたの抵抗するカルマをどんどん消して あなたを静かで研ぎ澄まされた意識に変化させます。

 

これらの大きな変化が一夜で起こることを望まないでください。

カルマを一度に終わらす ということは 相当な山を越えないといけないということです。

最初は じっくり時間をかけて 一歩一歩確実に進みましょう

要らないものは過ぎ去り、そぎ落とされてシンプルなあなたが残ります。

それがあなたの真我です。

 

日々の瞑想があなたをクリアリングして 緩やかに変化させます。

ただ、手放して 委ねてみませんか?

まだ見ぬ世界に羽ばたいてください。意識の世界は無限大です。

ロータステンプル