日大アメフト部反則問題の関係者が 注目の的になっている今日この頃ですが
この問題は ずっと私も注目しておりました。
少し前に 某青少年スポーツクラブの監督やコーチの方針に どこまで従うか
という問題で 近しい人が悩んでいたので ちょっと他人ごとではありませんでした。
私は文科系 しかも体育会系とは対極の 芸術畑の人間なので
元々体制に強調する というか 従う という意識が薄い人間です。
体制に従えない ということは つまり
団体に所属しない という立ち位置です。
わざと所属しなかったのではなくて 流れ的にも所属する機会がとても少なかったんですが
少なくとも ルールだらけの場所は無意識に避けてきたのかもしれません。
ルーティンワーク というものが 非常に苦手だったりしました。
なので 体育会系の人間関係は 私たち芸術系からしますと 意味が分からない世界
という感じだったのですが、 向こうも同じことを思っていたことでしょう。
文化が違うと 価値観は全く違うのです。
外国人レベルです。
これは自分たちの価値観が正しいと思っているわけではなく、
それに慣れているだけで 異文化の場では生きにくさを感じていたにすぎません。
社会に出て ルールに従って暮らしている人々の中では 習慣が分からず困ったことも多々ありました。
会社勤めなどしていると まただんだんと鍛えられて適応していく人もあります。
どんな生き方をするか とか 価値観が違うこと というのは
ただ単に 過ごしてきた場所が違った ということでしかないことかもしれません。
自分の持っている常識というのは 過ごしてきた場所でのスタンダード なのです。
監督が神様のように偉い人で逆らってはいけない と思っていたり、
逆らったらこの世界で生きていけない
自分のライフワークを奪われる事は自分の価値が死ぬこと のように感じていたりします。
自我のアイデンティティは そのアイデンティティを失うことを死ぬことのように恐れています。
アイデンティティへの執着です。
で、執着と怖れから 正常な判断を失ってしまうのです。
日大のアメフト部は
選手も コーチも 監督も アイデンティティへの執着から 正常な判断を失ってしまったのです。
それを揺り戻す出来事が起きます。
執着の対象は 剥ぎ取られてしまうのです。
これがカルマの学びなんです。
この学びは とてもショッキングで エゴは死んで(消滅して)しまいます。
それを見た周囲の多くの同類たちも 震撼として 同時に学びます。
それはもしかしたら自分だったかもしれない 他人事ではない事件 なのです
大きなトラブルは 多くの魂を学ばせます。
学ばない魂は更にエゴを発達させ やがて トラブルに到達するほどのエネルギーのアンバランスを作り出します。
エゴは速やかに手放すことが 平和の第一歩です。
急転直下にエゴが死ぬと 人は急に悟ったりします。
ずっと手放さないままだと 逃げたり自殺したりします。
自分自身から逃げられないので死を選ぶのですが
それは人生の学びにおいては落第なので
来世それをやり直します。
自分の2,3世代下に再度生まれて 同じ経験をやり直します。
今度はもう少し過酷に 学びが分かりやすいようにして。。
行き詰ったら 悟るチャンスですよ!
それはラッキーチャンスです。
反則しちゃった宮川選手は 勇気を出したので 悟るんじゃないかと思っています。
彼が誠実な行動を起こしたので 多くの人が目覚めました。
素晴らしい役割を果たしました。
監督は 卑怯に徹して 反面教師として 同類の多くの人を目覚めさせました
見事に役目を果たしてくれました。
この世は面白くできています。
被害者でいないでください。
あなたが あなたに恥じない生き方をしてください。
そうすれば あなたは 幸せを掴むのです。