瞑想の目的の一つは 啓発 = enlightment = 悟り です。
まず、それが何か ということを知らなければいけないのですが、
これは今まで自我というフィルターを通して物事を見ていたのが そのフィルターの存在に気付いて手放すことで成就します。
そのあとどう生きるかは 本人の意思次第 なのですが、
戦うことが無意味に思えるので戦わずに本人が自由に幸福のために物事を選択し行動するようになります。
自我の持つ敵意が 意味を成さなくなるのです。
でも、こういうことは説明をすると 自我のフィルターを通した状態ででとらえられると、またちょっと違ったイメージに解釈してしまわれることも多いので 未知の状態は 体験してみないとよくわからない というのが本当のところです。
食べたことのない かの国の果物の味はどんなでしょうか?
どれだけ想像しても本物の味はわかりません。
興味深いことは それを理解したいのがマインド(自我の思考)だということです。
思考は自我の一部ですが、 本人が啓発すると マインドも啓発を理解した思考 に変わります。
啓発は 瞬間的体験です。
その瞬間に自我のとらわれから解放され とらわれない新たなエリアを見ます。
そう、見て味わってしまう のです。 その体験はなかったことにはできません。
ですが、自我の思考の癖もまだ残っていますので、気が付くと 自我の思考のループに戻っていたりもします。
それはおかしい事でも間違ったことでもありません。
ただ、ネガティブループになっていることに気付いたら、ちょっと立ち止まり、方向修正して 自分を解放するのです。
そんなことを何度も繰り返しながら 自我のループの癖は治って行くでしょう。
啓発は、新たなものを得るのではなく 自我の呪縛からの解放です。
愛と癒しで溶け(解け)ます。瞑想は癒しです。