カルマが去ると 愛が開く

私が『悟り』に興味を持ったのは

気が付くと人生がとても生きづらい状態だったから なのですが、

その時の自分 というのは 悩みごとだらけで苦しい事だらけで

何をやってもうまくいかない (ある意味自分で壊してしまう)という感じで

どうしたらいいものやら、しばしば途方に暮れていました。

たぶん極端にネガティブ思考だったんじゃないか と思います。

今はその片鱗もありませんが・・・ (≧▽≦)♪

当時はなんとか苦しまない人生を送りたかったんですよね。

何をそんなに? と 思われるかもしれませんが、

(今の自分でもそう思う)

当時は、不安だらけで この先々どうなるのか と思うだけで苦しかったように思います。

そういうのがカルマ なんでしょうね。

世代連鎖で受け継ぐものも多いです。気がつけばいっぱいくっついてるカルマ。
 

でも、カルマは手放すことができて、無くなれば 何の影響も残さないんですよ。

面白いほどに。

もう、以前の自分とはほぼ別人なんじゃないかと思うほど 楽天的に生きてます。

これは 元の自分と変わってしまう のではなくて、

カルマが発動する以前の 子供の時の本来の自分の性格に戻る 感じです。

屈託なく笑って 特に怖いものものもなく 好きなもの楽しいものに真っ直ぐ向かう自分です。

深く考え込む必要もなく ただ、勘は鋭いんです。

違和感のあるものに対しては 感覚で察知する と言いますか、 分かるんです。

子供もそういうのに敏感ですよね。

そんな感じ。

本来の『生きる』 ということは 理屈じゃない。

命の向かう方向に真っ直ぐ向く ということ

それはとても自然なことなんじゃないかと思います。

そこに良い悪いはありません。

誰かの都合にとっては好都合不都合はあるかもしれませんが、

そんなエゴの都合に押し込められる命は 窮屈でしょう。

少なくとも 自分はそういうところに収まれない質だったりしますので

自由を選んでいます。

もちろん、自由より 小さな安全が好きな人もいるでしょう

それは自由に選んでいいと思うのです。

他者の選択を邪魔しないで それぞれが丁度良いポジションに生きられると

無駄な摩擦が起きないですよね。

摩擦を感じやすい敏感な方の

摩擦へ対処は スルーする能力と 距離の取り方にあると思います。

他者を無理に抑え込もうとしても余計に疲れるだけだったりしますが、

気が付かずに影響を被っている場合は 相手がそれに気づいていないことも多いですから

どう伝えるかが大事になってきます

いきなり 「あなたは迷惑なのよ!いい加減にしてよ」と言われて

平気な人はほとんどいません。

あなたの必要とすることを相手に伝える場合は、できるだけ 丁寧に相手を立てて

相手を悪者にしないで伝えてみてください。。

悪者扱いされないと 受け入れやすいんです。

それでもこちらの否定的エネルギーや非難したい雰囲気が伝わる場合もありますので

でこちらが相手を 悪者だと思わない ということは大事だったりします。

 

「迷惑かけてくるあの人は悪いじゃない」って思うかもしれませんが、

もし 逆の立場であなたが悪気もないのに相手の思いを察知できなくて相手が不快だと怒ってしまった場合

あなたはどう感じるでしょうか?

そんなに悪い事した?そこまで怒らなくてもいいじゃないの。 私を悪者にしてそちらの方こそ理不尽なのよ。 とか

逆に腹が立ってきたりしませんか?

悪者に扱われる というのは 暴力を振るわれるのと変わらないくらい傷ついたりします。

あなたは誰かを悪者にしてはいませんか?

たぶん、どんな人も 自分の欠点は後ろめたくて

人から批難などされたくないのです。 

だから 寛大な扱いをされたり 許してもらえると救われた気持ちになりますね。

 

自分を正当化したがる人ほど、自分に自信がない人なのです。

否定されることが怖いのでそれを受け入れたがりません。

なので、そういう人とお互いに恐怖で戦うというのは とても無益な戦いじゃないかと思うんですね。

それらは 本当はカルマの仕業なんですけども

やわらかく受け止めて 癒していく ということができれば、

カルマは去り、あなたのキャパは大きく成長していきます。

 

これからの残りの人生を 豊かな愛を感じて生きていきませんか?

それは不可能な事ではありません。

あなたには 開くと豊かになる愛が 沢山備わっているのです。

ナズナ