いつのまにか・・・

それぞれの人がそれぞれの世界観で生きています。

どんな世界観を作ったのか 自覚はあったり 無かったり。。。

自覚があったとしても それは後付け というか そうなったことの経緯や理由付けをしているだけだったりして

最初からそれを目指していた と言う人は本当に稀有かもしれません。

そうなった背景は 選んでいたわけではなく、

気が付くともうそこにあった

つまり自分の生まれた場所とか関わる人々とか

それらは 意図せず ただ与えられたもの であるからです。

自分を取りまくすべての要素は 与えられたもので 

それが与えられるご縁は 自分の無意識の行動や意識から繋がって行ったりします。

このあたりのこの世界の仕組みは なかなか教えてもらえる機会は少なかったんです。

そう、これまでの時代は特に。

でも 最近の流れは どんどんそれを解き明かす方向に向かっています。

と言っても、 解明するのとはちょっと違いますよね。

突き詰めてイメージを具体化していくこれまでの解明の手段では見つからない答えなんです。

それは フォーカスして具体化したイメージの呪縛から 解放されることで見つかります。

それは 今まで現実だと信じていた世界観の崩壊 のような感じがすると思います。

なので自我はそれを嫌がることが多いのです。

自我の意識はこれまでのルールに頼って生きて来たので

自分を護るためのルールや理屈を手放したがりません。

自我の意識は得ることが大好きなので 手放すことに抵抗があります。

不安や怖れを抱くんですよね。

でも、怖がることなどありません。

だって、実際 何にもしないんですもの。

手放す というのは なにかを捨てる という行為 ではなく

ただ、意識でそれにこだわったり執着するのをやめる だけのことなのです。

それ以外は普段と何も変わりません。

ただ、思いつめることをやめて、起きるままのことをジャッジせずに淡々と観察するだけ

特に執拗に観察する必要もありません。

見てても見ていなくても構わない、

ただ起きることの先のことを見てやろう というような気持ちで

そこに意図や予想やジャッジメントを差し挟まないだけ のことです。

私たち人間は 観察した事柄を判断して善悪に分け 今後起きる出来事を色分けするのに夢中でした

そしてそれらのことをコントロール下に置きたかったんです。

でも、幸か不幸か この世界はコントロールできないんですよ。

ほんの一時くらいは コントロールは効くかもしれません。

ほんの何十年かくらい コントロールの利くこともあるかもしれません。

でも 永遠はありません。

物質にしろ意識にしろ、エネルギーは蓄積された挙句オーバーフローを起こします。

我慢にも限界がある とか ダムが決壊する という現象が起きてしまうんです。

そう言う事すら予見して更にコントロールしようと人間の頭脳はフル回転するかもしれません。

でも、人間が把握しきるほど、この宇宙は小さなものではない ということがわかります。

私たちが見ている対象の後ろに広大な宇宙がある

いえ、見ている自分自身も その宇宙の一部でしかない流動体なのだ ということを認識して

現れそのものの観察を始めると 人間という生き物は実に滑稽に見えてまいります。

そしてまた 愚かでもあり、健気でもある 愛おしい生き物なんでしょう

きっと 神様がいるとしたら そのように見えるかもしれません。

全ての人間が 幸せでいたい と願いながら

それぞれにあっちゃこっちゃの見当違いの方向に突き進んで 試行錯誤を繰り返して

徐々に  本当に微かにずつ 世代を超えて 本当の幸せを見つけようとしています。

だけど、実際は その答えは 遠い彼方ではなく

本当に目の前にあるんです。

それを色眼鏡をかけていると見つからない。

そんなものではない と 教えられてきたり、

あるいは すぐに手に入らなかったことに拗ねてしまって

意地でもそれを手にしない など 

人間って 案外 バカなのかもしれないな って 神様は思っているかもしれませんね。

このことに気付くのは今の大人の愚かさを見て気付く 次の世代なので

人類は ほんの少しづつ 賢くなっているかもしれません。

今はまだ そう見えなかったとしても そうなんだと思います。

ただ、次世代が生き延びられる環境を 今の大人が汚したり貪り尽くしたりするのは

ぜひとも避けたいことなので

やはりこれからはサステナブル、持続可能な生き方へと修正していくことは必須でしょう。

そして なかなか腰の重い人間たちを この世界が どっこらしょ とひっくり返して

意識の転換を図る 近年の様子は かなり興味深い現象なんですよね。

問題は外側でなく自分自身の中にある それらを そっと手放してみてください。

そうすると 本当に自然な流れと この世界(宇宙)を 体験できることでしょう。

私たちは 本当は何にも所有することはできません。

それらは 常に ただの借り物でしかない

そして この身体も 期間限定の借り物ですので

その間は沢山 楽しい事をしましょう。

楽しさを増やすためには

善い事を沢山すればいいだけ です。

撒いた種はやがて 実を結びますから。

純粋な種は 純粋な実になり

邪(よこしま)な種は邪な実が生ります

タイムラグはあるにしろ、

本当にこの世界はわかりやすいんですよ。

条件で測ろうとするのはやめましょう。

一番幸せを感じることをしてください。