しがらみからの解放

生きているといろんなしがらみができて、自由に生きられない なんて・・・

思っていた人々が沢山いました。

昭和の時代なんてすごかったですね。

その前はもっとそうだったかもしれません。

お侍に逆らったら切り殺されても当然 みたいな・・・

そんな人を殺してもいい権利とか持っている人がいることが当然の社会 とか

生きづらそうです。

ですが人は生きていました。

社会の意識は徐々に進化して 今は人権は平等なものになってきました。

まだ残っているのは、役割(役職)に縛られる事だったり

立場に縛られることだったり、人間関係に縛られる事だったり・・・

それも徐々に打ち破られつつあります。

なぜ そうしないといけないの?

人から責められることは 抑止力にはならなくなりつつあります。

若者はある時 こう思いました。

この行動の結果の責任を取ればいいんでしょ?

ペナルティごと受け止めれば文句ないでしょ。

そう、ルールに従っていても従っていなくても

その結果起きることは本人がうけとめなければならない。

結局責任取るのは自分かよ  ってことなんですよね。

周りがやいのやいの言うのはほんの一時期だけのことで

他者はとても無責任。口出ししても責任は取ってくれるわけで無し

選んだ本人が結果を受け止めることになる。

だったら 一番選びたいものを選ばないと 後悔しませんか?

誰かのせいにしたところで 何かしてくれるわけでなし。

私の人生は私にしか作れない。

 

と、ここまで書いて、あることが浮上してきます。

自我がとらえている人生という幻想も無意味なんじゃね?

そうなんですよ。自我のイメージに振り回されて 理想を追いかけて

不満足な今を生き続けることがどれだけ時間の無駄遣いか。

いや、今の無駄遣い。 今というミラクルなこの瞬間を 

つまらなく生きるなんて 本当に残念。

過去にどんなことがあろうとも、今を輝かせることは可能です。

今 あなたが全ての思いから解き放たれて リラックスする

目を瞑るだけでそれが可能になります。

何ものでもない存在そのものを体感してみてください。

意味などありません。

emotion 感動が存在します。

瞑想で 意識の世界にようこそ。

白い山

ゆるぎなくそびえたつ山のようにゆるぎなく

 拡大する意識