私たちはいつからか いつも向上しないといけない と思うようになっていました。
日本が戦後復興して 高度成長を遂げた時の名残でしょうか
頑張って 努力して もっと良くなろう
貧困と飢えから脱出したい(したかった 物資が何もなかった時代)
他者から見下されみじめな立場に留まらぬよう
頑張って人を見降ろせるようなところまで・・・
その当時はぐうたらのんびり過ごすことは 悪 と忌み嫌われていました
みんな生き残っていくことに必死だったのです。
日本人は努力の虜になっていました。
もっと もっと もっと・・・
お国のため が 己のため に すり替わって。
こんな風になったのは戦争のカルマです。
戦争で命の危機に晒され続けると 心は殺伐として
生存競争に必死になってしまいます。
背に腹は代えられぬ 非情でも生き残らねば
今、時代が変わり、誰も戦争は良くないことだ と普通に思える時代になって
そして更に新しい『全体調和の時代』へと進化していく アセンションに直面しています。
それは善悪で判断し 悪を排除する方法では成功しません。
悪とは何ぞや?
それはひとえに 自分に都合の悪い事 に他なりません。
自分に都合の悪い事 全体に都合の悪い事
支配者に都合の悪い事 それらは 悪 と呼ばれてきました。
かつての時代では 身分の高い者ものに逆らうと処罰されましたし
法律は権力者が作っていました。不公平なことが当たり前の正しさでした。そういう時代がありました。
今は民主主義社会ですが、完全に平等な世の中でしょうか?
答は言わずもがな いいえ です。
現代は 資本主義社会で お金のあるなしで権力を得ようとします。
まだ多くの人々が権力の奪い合いを続けています。
あるいは 表面化しない支配。経済による支配がなされていることも聞いたことがあるかと思います。
でも、そんなシステムから もう抜けようと思い始めた人々がいたるところに発生し、
新たなウェーブをおこしています。
温暖化阻止の運動をしているグレタさんは まだその域ではないと私は感じています・
彼女はとても戦っているので その姿勢は旧時代的に感じます。
この世界は あらたな基準が浮上しています。
それは全体調和 ワンネス 非二元 と呼ばれます
全体が 愛で繋がっている世界です。
個々に分かれていた魂は、
意識の中で いつでも全体と繋がります。
赦し 思い遣り 尊重 信頼 連帯感
それが次世代の高度文明の指針になってゆきます。
誰も否定されない世界
そこでは誰も戦う必要が無く
誰もが奪わなくても与えられるのです。
欲望を発揮する場合は この限りではありませんが、
愛の代償に何かを奪う必要はなくなってしまします
愛に満たされている人は人から奪おうと思わないからです。