お試しな出来事

今、身辺でとても大変な事が起きている というご相談

このコロナ禍の中 状況に揉まれておられる方は少なくありません

この大変な状況 というのは 一見とても不運なことに感じられるかもしれません。

でも それだけではない ということが少しずつわかってくるようになります。

 

スピリチュアルを学び始めた頃、こういった 『困難』と呼ばれるシチュエーションを

『お試し』を呼んでいました。

自分がこだわりをもっていることを最初は良い事のように思っていました。

でもそのうち手放した方がいいこだわりがあることに気付き始めます。

こだわりがあることで生きづらさを感じた時です。

それは自分自身を悩ませます。

こだわりから外れたことを受け入れられないようになってしまっているのです。

そんなこだわりと改めて向き合ってそれを手放すということに取り組み始めます。 

こだわりを一掃してなにも色付けしない目(意識)になるのです。

その手放す取り組みは 意識的に取り組んでいる人だけに起きるものではないのです。

困難や、不愉快なことに直面する時 それはあなたのこだわりや偏見に気付かされる学びの体験なのです。

自分がどう反応するか で 無意識のこだわりを見せられ、

それが何度も繰り返し試されているのです。
お試しが来る時は決まって 気が揉める出来事は抵抗することを手放すまで続きます。

 

摩擦を起こす原因は自分の方にあるので それが何回も自分の目の前で起きて自分自身を見せられます。

この場合、原因は 責任云々は関係ありません。自業自得というものでもなく

ただ それが起きる という運命(宿命)を持っているだけでそれは起きてくるのです。

理不尽だろうがなんだろうが流れが寄越してくる学びは容赦がありません。coldsweats02

出来事が起き始めた時は 途方に暮れたり、泣きたくなります。

でもどうしようもない。 

試されているのです。

自分の思い通りにコントロールしようとしたり、何かを攻撃したり、拒否したり、嫌ったり

していると、事態がどんどんこじれていきます。

「ああ、もう降参です」

「私にはどうしようもありません」

「コントロールを手放します」

「流れにお任せします」

「ごめんなさい」

「ありがとう」

「愛になります」

そんな風に 意識が変わってくると、

本当にしっかり意識が変わった時点で

流れがガラリと変わる というのを何度も体験しました。

もう不思議でなりませんでしたが、自分自身の波動の影響ってそんなにあるんだ と感心しきりでした。

腹を立てていた相手に 怒りをむけるのをやめて相手を理解して赦せた時

出来事を恨んで自分が不幸だと思うのをやめて ただ出来事を受け止めて

皆が幸せでありますように と祈った時

ひどいことをされたと思う相手を恨むのを止めた時

怒りを昇華で来た時

反発を愛に変えた時

流れは即座に方向を変えました。

そう、急に風向きが変わるように です。

それ以来 自分を愛にしておくこと以外のことは あまり考えなくなりました。

そして徐々に

他者の喜びは自分の喜びと同化するようになりました。

今まで嫌っていたものを嫌うのをやめました。

嫌うという事はただ自分を不快にさせる行為なのです。

私は自分や人を幸福にさせることに熱心になりました。

幸福である波動が居心地が良いのです。

瞑想の効果で自分の内側に不幸な感覚が無くなって以来

私は内側も外側も幸福な波動で満たすことに熱心です。

何か頑張って取り組むわけではありません。

何もしなくても幸福な気持ちであればそれでいい

動いて幸福なら動くし、動かないことが幸福なら動かない

でも、他者が幸福を感じてくれるためにうごくことは増えました。

それは自分を幸福にさせるのと同じ価値がありました。

人が喜ぶのをみると嬉しくなるからです。

もちろん嫌がることはしませんので、おせっかいなことはしません。

一方的に何かしてあげて喜んでくれなくても不満に思いません

だって 本当の幸福感しか要らないのですし、動いたことが効果的でなかったからと言って

落胆などしないのです。(ちょっとくらいテンションは落ちるかもですが)(笑)

私は私を機嫌よくさせておくことに熱心です。

世界がどんな様相であっても どんな状況に置かれても

その姿勢は変わりません。

地球家族