大丈夫

人生が幻である ということがわかって、安堵したり 落胆したり

人々の反応にも色々あるでしょう。

 

ただの幻だから 深刻になることもない、気楽にやろう と 思えたなら大いにOKです。

 

でも、思いつめて一生懸命幻想と戦ってきた自我は 幻想なんて そんな・・・

そんなこと受け入れられません。

じゃあ、いままでの人生はなんだったと言うんだ

自我は 存在意義を見失うと とたんに狼狽えてしまいます。

自我の死活問題なのです。

築き上げてきた自分自身の存在を肯定する理由を失ってしまうと 

どうしていいかわからなくなり、

自分にOKを出せなくなり 自我が自爆してしまいます。

誰かを悪者にするのも 自分をOKにするためにはやむを得ません。

自我は 存在意義のために いろんな言い訳をして意識を誤魔化してしまう という芸当をやってしまうのです。

 

でも、誤魔化せているのは自分自身の意識のみであることがほとんどです。

外側からみれば、 ほとんど 真実が見えています。

 

そういう方はよく見かけませんか?

でも、本人が指摘されたくないことは 大人たちは黙っています。

指摘すると自我が抵抗して荒れてしまいますから 余計に面倒なことになってくるからです。

でも、そこに摩擦や歪みがあるほど居心地が悪く周囲と揉めます。

 

また、自分さえ我慢すればという考えも 自分を犠牲にしてしまうので

押し込められた摩擦のエネルギーは 自分の身体を害しはじめます。

 

自分をダメだと思い込むのは一番もったいない。

ダメだと決めているのは自分ですし、 どの人間も足らない部分があるんです。

 

人間の価値は足りてる足りてない で測るものではありません。

どんなに苦手なことが多くても、得意なことは必ずあるのです。

 

 

歪みやストレスの少ない生き方 というのは より自然体で自然に寄り添った生き方なのですが

生まれた時から都会しかしらない世代は 自然に戻るのも簡単なことではありませんね。coldsweats01

私もずっとそうです。 

田舎には田舎の素晴らしいところがあり、

都会には都会のいいところがあります。

また どちらも 欠点もあります。 

 

何が良いか というのは 形では示せないんです。

どの程度ならよいのか は ケースバイケースで 

自分自身と環境とのバランスのとり方で決まります

 

自分自身もまた 個々に個性と持ち味が違っていますので 決定的な正解というのはなく

本人の中にしか正解がないものなのです。

 

もし、あなたの中に強く抵抗する自我がいて 真実を直視したくないなら

自我にこう言ってあげてください。

 

恐れなくていいんです。

あなたは そのままで価値があるんです。

意味付けに意味はありません 

あなたは そのままでOKなんです。 生きてるって素晴らしいことなんです。

あなたは どんな選択をしても 愛されています。

神は全ての存在を愛しています。

辛かった過去は もう過ぎ去って ここにはありません。

痛みのある感情は癒しましょう

そして

あなたが人を許すことができたなら あなたもまた 許されます

あなたが人を愛することができたなら あなたもまた 愛されるようになります。

桜

桜は 誰かが見ていても見ていなくても ただ 咲きます。

あなたもまた 咲くのです。