長くなりそうなので 次回に続きます
自分が嫌い!という方にお会いして、お伝えしたかったことを書きます。
そのお気持ち、私にもよくわかります。
かつて、私も自分が大嫌いだった時期がありました。
14歳くらいから35歳くらいまでがそうでした。
20年て!(笑)
しかもその後数年も 「さほどでも」 という程度でした。
スピリチュアルの宇宙の法則を知るまではね(苦笑
(ああ、なんともったいない年月!)(苦笑)
(いやいや、20年そこそこで済んでよかった!)(笑)
一生で終わらない人もいますからね
今生で終わらなければ来世持ち越しです。(持ち越し組、来世がんば!)
自分が嫌い
その中にはまり込んでいる時は、なかなか抜け出し方がわかりません。
ひたすら生きづらい。
一番近い存在で、離れようもなく、ずっとキライな人と一緒にいるなんて
幸せになるのはずごく難しそう・・・。
そんな大キライな自分自身のことを考えると心が千々に乱れますよね。
だんだん混乱してきて どうしたらいいかわからなくなってきます。
結論の出ない問答を繰り変えすような。
なぜこの人(自分)は理想の人になれないのだろうか?
ちゃんとやろうとしているのになかなかできなかったり、
制御不能のことが出てきたり、不本意な病気になったり、
運命を呪いたくなるばかりです。
自分が嫌いな時の心理は、
ほんとに息苦しい感じ。頭で処理しきれなくなって
なんだか とても狭い所に立っているような
隠れたいのに隠れる場所がないような
かなりやるせない気分の日々です。
そんなところに落ちこんでいる方、
本当におつかれさまでした。
もうそんな勘違いに苦しめられる日は終わりです。
自分を嫌っている理由が、
無意味なものだと知れば、嫌うことはやめる他ありません。
肉体は魂の乗り物 と言われますが、自分が乗っている車(乗り換え不可)が嫌いだと、旅がずっと嫌なものになってしまいます。
乗り換え不可な自分の乗り物がポンコツに思えて
他者の車はあんなにカッコイイのに
私のはなんでこんなのなの? とイライラ
そんな楽しくない日々にどうしてはまり込んでいるのか
解説してみます。
かつて、
否定された記憶は トラウマになっているものですね。
子供の頃、お母さんの期待に応えようと一生懸命がんばってみたものの、
お母さんは、他のことで頭がいっぱいで こちらを向いてくれなかった とか
お母さん自身もなにかとても高い要求水準で
自分に対しても 子供に大師っても 人並み以上の成果を得ないと満足できない方だった とか
理想形になることが幸せを掴む条件のように思っていたのかもしれません。
お母さんも何らかの強いコンプレックスがあってのことでしょう。
何か誇れるものに 飢えているんです。
コンプレックスが強い人ほど、必死になって 圧を強く出してきます。
弱さに比例して 恐れが攻撃的な反応を創り出します。
得られないことは自我のアイデンティティの死を意味しますから
必至にならざるを得ません。
これらのことが意識下で起こります。
必死な反応は衝動として起こり抵抗し難いほどの圧で噴き出して
自分を追い詰めます。
それは、お母さんの親、おばあさんやその先祖たちがずっと引き継いできたものかもしれません。
それ以外でも大人からのカルマの呪いに傷ついた過去があったかもしれません。
カルマはチェーンのようです。
これを家族連鎖と言います。
でも、その傷の縛りはあなたで終わりになります。
そもそも
条件をクリアすることがが幸せになる方法 ではないのです。
この体は、今生を過ごすのに自分で選んだ身体と宿命だったのです。
この体で幸せになる方法を見つけ出すのが今生の課題です。
多くの皆さんが、条件に満たないことが満足でない理由だと思い込んでいますが、違います。
みな、満足でない理由、幸せでない理由を 現在の条件のせいにすり替えてしまっているんです。
これは、条件をクリアしてしまうと、どうやらこれが原因じゃなかった と気付きます。
いくら条件を手に入れても、幸せが持続しません。
問題は次々に起きていくし、理想の状況はなかなか持続しません。
いとも簡単に手に入ってしまうほど、感動はそれほどでもなく
だから余計にクリアしにくい条件を取り込んで
幸せでないことに納得しようとしているのかもしれません。
条件は、手にいれたその瞬間としばらくの満足でしかないんです。
では、何が私たちを幸せにするか? ですが、
ここが悟りのポイントですね。