今年のお盆も終わろうとしています。
今日は奈良の大文字送り火で
明日は京都の五山送り火が行われます。
大学生2年生から4年間ほど、京都に下宿していて
当時 自閉症気味の私はあまり良い思い出を思いつかないその頃の記憶の中で
五山の送り火は幻想的で心が震えました。
大 妙 法 舟形 大 鳥居 が京都盆地を囲む山々にぐるりと浮き上がるのです。
これらは松明を持った人たちが 山をキャンバスに 一定間隔に立って火を灯すのですが、
京都の蒸した猛暑の中 山登りをして火の下に立っているのはさぞかし暑かろう と
開催してくださる皆様に感謝とねぎらいの言葉をお送りしたくなります。
これらの火の文字たちは一度に全部見える場所は御所だと聞きました。
天皇さまがご覧になった ということでしょうね。
お盆で生前の家族に会いに降りてきていた先祖の魂たちがお盆が終わってあの世に帰る時の送り火 なのです。
あの世では幸せにお過ごしくださいね という生きている人々の願いなのでしょう。
私が当時住んでいたのは、西京区の桂 という町だったので一番西の愛宕山に描かれる『大』の字を
桂川にかかる桂大橋から見た記憶は忘れられません。
今年は? と思い調べてみると
なんとコロナの影響で 縮小開催なのだとか。
大 という字は中心と線の末端の6か所のみの点灯だそうで 他の開催場所では1つの点だけになるのもあるそうな。
ちょっぴり寂しさを感じつつも 開催スタッフのご負担や健康を思うと
まぁ、そういう措置は妥当かもしれません。
(山は蚊も多いし大変そう)(^_^;)
楽しい事は 無理に辞めなくてもいいと思う私ですが
そういう判断はそれぞれの人の気持ち次第で したいようにすればいいとも思います。
やりたい人がやって、やりたくない人はやめる という自由さが選べれば
誰も嫌な思いが無いんじゃないか と。
自分の思いにみんなも合わせろ というのをやめて、
やりたい人は参加して やりたくない人はやめておく。
コロナは これまでの日本の価値観をものの半年で大きく書き換えつつありますが、
その中で大事なのは
自分の価値観がすべてではない、
正義は一つではない
というのも 私たちの学びの一つかな と思う今日この頃です。
違いを認め合う
それが出来たらいいですね。
自分と違う人達の存在を認め、思いやり合えたらきっとできると思います。
人の幸せも願えば、少し譲ることは苦にはならないものです。
明日は 1日瞑想会の日です
これからもう少し準備が残っています。
オンライン参加もぜひご利用ください。