外出自粛がしばらく続きそうですね。
コロナウイルスは 健康な若者にとってはさほど怖がる必要はない病気なのですが、
ウイルスを持ち運んで 弱った人に移してしまうと発症した人の中には重症化して絶命してしまう方もいる という問題があるので
やはり好き勝手に動き回るわけにはいきません。
情報を見ていると、イギリスなどは 一回かかって免疫をつけてしまおう という考え があるとかないとか。
これは犠牲になる人々にとってはとても不安でしょうね。
でも、本当に誰が重症化して誰が平気なのか というのは まだはっきりはしていません。
私などは、大丈夫か?というと、引っかかる要素もあるので そんなに大丈夫と思っているわけでもないのですが(笑)
まずそこそこ年齢が高い 元々体質的に肺が丈夫ではない
2年以上前から原因不明の肺の炎症を持っている などがありますので、
それは今のところ全く良くも悪くもなっていないのですが
肺炎に対する耐性はあまり高いとは言えません。
ただ、不安か? というとそれはないんですね。
どう思っているのか? と言いますと、
どう防御してもなる時にはなるだろうし、なったらなったで、死ぬなら死ぬでしょうがない と思っているんです。
命が尽きる時、それが宿命ならば きっと避けられないでしょう。宿命は粛々と受け止めるまでです(実際直面してしまったらショックだったり泣いたりはあるかもしれません)
でも、どうなるかわからない今、死を恐れて 今の時間をネガティブに過ごすことの方がずっと時間がもったいない と思っているんですね。
それに、もし、とても必要だと感じたら ちょっと危ないと思うことでもたぶんしそうだと思うんです。
他人に迷惑をかけるという意味ではありません。
多くの人々や、この世界に 役立つこと と確信することならば、やりたいと思うでしょうし、チャレンジしてしまいそう。(^_^;) そういう性格
死に関することは もうだいぶ前から ほとんど恐れがありません。
あえてビビる?ものがあるとしたら、
死ぬ瞬間が苦しいのかどうか、痛いのかどうか ということでしょうか。
でも、それもなってしまったらジタバタしたところで自分にはどうしようもなく、ただ、お医者様などにサポートしてもらって少しでも身体や気持ちを楽に過ごすことをするしかないですもんね。
嫌だとか言ってもしょうがないことはしょうがないし、
それは普段どれだけ身体に良い生活をしているかどうかの結果だったり、(不摂生の部分は自己責任かな)
元々の宿命(カルマ)次第だったり、神仏の御意思だったり…
人間は必ず死ぬ生き物ですから、それが早いか遅いかの違いだけですし、
今となっては 生きているうちに絶対しなければ悔やんでも悔やみきれないような思い というものも もうありません。
これはずっと望んでたことが叶っているのだと思いますが、今は何も執着がない ですね。
執着がないと、苦しみがありません。
今 生きている。ただ体験しに来たこの命です。
それと、
魂そのものが死なない ということも もう知っています。
私が死んでも 私は世界を見ていると思いますし、
今、その感覚が分かっているようでもあります。
ただ、静かに見つめる目と この世界と生きとし生けるものへの静かな愛が そこにあります。
私が この体にいるうちは、この体を使って、愛する世界に愛を放ちたい。
ただ そういう思いで毎日を過ごしています。
恐れるものは何もありません。
ただ輝く一つの魂でいるだけなのです。みなさんも同じ存在です。
花が枯れても 命は続きます。
葉であり根であり種であり、水であり気であります。