存在 その2

前回、稲盛和夫氏の記事、どう感じられましたか?

 

私たちの本質は 存在 の意識です。

それは、神 と呼ばれたり、高次元の存在 と呼ばれたり、

ハイヤーセルフ と呼ばれたり、大いなる源 と呼ばれたりもしています。

 

私たちの意識の故郷で一つにつながっているものです。

私たちはそこから 1滴のエッセンスとして 一塊の魂として この体に降りてきた意識です。

 

最初、生れ落ちてすぐは意識そのものでしたが

身体の成長と共に身体の意識、自我が発動し始めます。

そして自我と共にカルマの経験をします。

感情を味わい、いつの間にか自我の感情と同化した自分と

自分というストーリーに飲み込まれていきます。

 

このストーリを幻想と読んでいます。

別の言い方では  記憶

 

たまに 自我と真我の隙間が大きい人がいます。

刷り込まれる思い込みやルールに染まりきれない若者

また 自分の感情と意識に隙間というか 若干の違和感などを感じる方もありますね。

実はこれ、意識的にみるとかなり自覚できます。

でも、社会の中では それは余計な事 と片づけられがちです。

 

この自分自身の中の状態、意識の観察 は内観を極めることによって明らかにされてきましたが、
ELM瞑想は内側の雑音を取り除くことで内側を明るくしてゆくのです。

つまり、自発的に悟りが見え始めるのです。

雑音、カルマのエネルギー 社会通念による思い込み が真我を覆っていますが、それを取れば

真我の意識と輝きしか残りません。

 

悟りの意識には 不幸は介入できません。

なぜなら、不幸はただのストーリーにすぎないからです。

悟りにあるのは今この瞬間の汚れのない純粋な意識です。

 

あなたも見てませんか?  空の世界。 純粋な意識で。

現象界は実に美しいものであふれています。

それを汚す必要はありません。

青い星地球