先日、大阪の父のところに行ってきました。
先月末、父は転倒して額を7針縫う怪我をしていました。
すぐに行きたかったのですが、都合がつかなかったので
19日の病院の診察日に合わせて日程をとっていました。
父は85歳ですがまだお店に出て働いています。怪我をした時は3日ほど店を休んだようですが、
完全に治らなくてもすぐに出勤していました。どうしても店に行きたいみたいです。
父はバーを経営しているのですが、コロナの影響で大変でした。
経営的には、まだまだ客数も回復せず、給付金も出なくなってきたので
もう限界かなぁ と 思うのですが、
60年続けてきた仕事が生き甲斐の人なので 辞めさせるのは忍びない。
せめて体力的に持つ間は 本人が希望するなら 少しでも長く店に行かせたてやりたいと思うのです。
近くに住んでいるならもうちょっとサポートのしようもあるかもですが、今は大阪と福岡・・・
それで、何か手立てはないかと思い、大阪に行って ケアマネージャーさんとも相談してきました。
今、父の所に次男の弟がいて 弟が思ってた以上に父のサポートをしてくれていたので
助かりました。彼は地方の仕事が入ると長期出てしまうので、ずっとは任せられませんが、今は頼りにできそう。
「僕がいる間は出来ることはするよ」と言ってくれました。
弟は以前から父とはあまり反りが合わなかった人なので、そんなことを言ってくれるなんて
ちょっと、かなり感激でした。
父の怪我の状態は順調な回復で 傷跡もほとんど目立たずホッとしました
ただ、足腰の弱りが目に付きます。歳だから仕方ないかなぁと思っていましたが、
脳神経外科の診察で、進行性核上性麻痺 という診断でした。
今はまだごく軽度。
進行性と言っても かなりゆっくり進むのだそう。
だんだん筋力が衰える ということでした。
パーキンソン病と似た症状だそうです。
父の姉がパーキンソンだったので、そうあるかもかなぁ と 思ったりしていました。
亡くなった母はまた別の病気でしたが、症状がほとんど同じな気がします。
そうか、そういう進み方をするのかもなぁ と思いました。
もう85歳なので弱っても当然 という気がします。
これは自分の将来の可能性でもあるのだな と感じていました。
本人は 症状的には大したことはないので 自分が病気だとは思っていません。
こちらもあまり病人扱せずに 進行しにくい生活習慣を促そうと思いました。
病院の帰り、一緒に歩きやすい仕事靴を買いに行きました。
途中、お腹が空いたというので 梅田三番街のフードコートで定食1人前を2人で分けて食べ(笑)(2人とも少食)
歳をとった父娘の時間はちょっと楽しくてハッピーでした。
父と一緒にいる間ずっと 何度も何度も 妹の病状はどうか? と聞いてくるので、
何度も何度も「だいぶ良くなってきたよ。心配ないよ。」と答えました。
父は妹のことをとても可愛がっていたので 心配なのでしょう。
ちょっと物忘れが多くなってる父はなんだか可愛いです(笑)
いろんなことを忘れていくのかもしれませんが、
幸せな記憶が沢山残るといいな と思うばかりです。
まだしばらく残されている親孝行できる時間を 大切にしたいと思います