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スタッフブログ

イベント終了

昨日2月11日、アゴーラ山の上ホテルにて

笑顔共和国30周年記念式典での仏画ライブペインティングをさせていただきました。

笑顔共和国は 福田純子さんが主宰される 意識集団で

笑顔で幸せを拡げる というポリシーを持った皆さんが集まる会です。

福田さんとお話していると 本当に悟りの意識を理解した方です

悟りの意識を言葉で伝えるのは大変むずかしいのですが、

笑顔に意識をむけることで 悟りを体験していく方法はすばらしいと思いました。

同じように福田さんに賛同される方々が全国から集まり、

いろんなアーティストさんがパフォーマンスをご披露されました。

前々日と前日に イベント前の気持ちをブログをあげようとしていて、

それがなぜかアップすると本文が消えてしまう という不思議なことが起きまして

終わるまでブログが出せませんでした。

それと、笑顔共和国のイベント中、オンライン配信のトラブルが起きまして

配信できない ということも起きていました。

これ、神事などでしばしば起きる現象なんですね。

個人的なレベルでは、

私は出さない方が良いメールや投稿で こういうことがよく起きていました。

そんなに変な事を書いているつもりはないのですが、

なにか誤解を生じる表現とかを回避しているみたいです。

誰が阻止してるんだろう?と 不思議ですが、

絶対に誰かが選んでる という気がします。というか

そうとしか思えない(笑)

オンライン配信の方は 参加費があったので事後処理が大変だろうと思うのですが

神様(大いなる意識)の都合は 人間が慌てる事もありますね。

でも、本当に必要な事はすぐにはわからないこともあります

そこには何らかの理由がありますので 流れを信頼する民としては

流れに沿うのみです。

これもまた必要があって起きている事。

 

そんなこんな中、笑顔共和国イベントはまさに笑顔いっぱいの楽しい会でした。

このような晴れやかな舞台でライブペインティングをさせて頂いて感謝です。

これまでにライブペインティングのきっかけを作って下さって大変お世話になった圓應寺さんと 今回機会を与えて頂いた笑顔共和国のみなさまに心より感謝申し上げます。

立弥勒

 

アート

3月に仏画展を控えて 準備作業が追い込み状態です。

生徒さんの作品の額装、表装、

そして自分の作品の表装。

昨年末にこの展覧会が終わるまでイベントに出るのはやめておこう と思っていたのに

うっかり2月にイベント出演を承諾してしまい(笑)

余裕をもってやるはずの準備が 

いつも通りバタバタになってしまいました(苦笑)

こういったウッカリ事件は 流れが作る偶然で、

自分の意思ではないけど、自分がしていて、

それは私の神様?か守護霊さんが私に与えた仕事だろうととらえています。

まぁ、出演を喜んでくださるなら 出演する甲斐がある というものです。

そう言うご縁は大事にしないと です。

昨年のコロナ自粛以降、仏画教室の人数を分散させる目的で

教室日数を増やしたら、

生徒さんが増えて 教室運営が安定してきました。

仏画教室は 私自身もとても楽しいので回数が増えても負担は感じません。

そのせいか、昨年末以降、仏画制作の依頼も2件入ってきました。

今年は絵を描く時間が増えそうです。

瞑想や心理セラピーのお仕事も楽しいので

仕事は概ねお楽しみ時間です。

量が増え過ぎない事を配慮すれば 最高です。

2015年の金銭トラブルに巻き込まれる事件以降のいろいろ大変だった頃はもうずいぶん昔な気がしていて、

今は仕事が安定して 気持ちに余裕ができました。

思えば いろいろあった困りごとも それがあったからこそ 真剣に仕事に取り組んだり、新しい事にチャレンジしたりしたので

本当に何が幸いするか 予想なんてできないものだ と つくづく思います。

これまでの人生の中でも 本当に辛いと思っていたことが

自分に必要な体験だったり、

困ったことに取り組んで 多くのことが改善されるなど、

悪い事と良い事はいつも一緒に、あるいは交互に来るので

人生は本当に塞翁が馬だな と思うのです。

今の自分は、

どんな試練も 必要があって起きている と思うことができるので

困ることでも 落ち込むことはほとんどありません。

これで気分を落とさなければ

たぶん、また 良い事や嬉しい事が起きてくるだろうと思っているからです。

それに問題を解決すべく取り組むのは嫌いじゃありません。

困難を克服したり、世界と調和する という実感を感じられることは

とても嬉しい体験だからです。

上手にできなくてもいい

生きていることを充実させて生きていれば

沢山の笑顔の花が咲きますから。

どうかみなさまも 沢山笑顔でいてください。

自分を大切にして。信じる道を行きましょう

私は 与えられた仕事を頑張りたいと思います。

今年のテーマは、

アート です art

人生も芸術的に面白く。

2021仏画展DM  

約束

約束というものは どれだけの拘束力があるんでしょう

人は約束したことを相手が破った時に怒ったりしますが

それは本来絶対のものではないと思うんですよね。

だから私自身は約束ほど不確かなものはない という気がしています。

ただ、社会生活においては そういうわけにもいかないので

法的に義務を作ったり拘束力を作ったりして 人は安心したいんでしょうね。

人間の作った法律 というものは 混乱や摩擦を嫌い秩序と安定を求める人間の思惑で作られるのですが、文章による拘束力というものはとても表面的になりがちです。

本来は その根底に愛がなければ、どれだけ法的に整備しても

本当の安定や調和は生まれない気がします。

最初は思いに沿ったものでも やがて形骸化したり、時代にずれが生じてしまうからです。

約束の拘束力が強ければ強いほど、それが守れなくなった時の破綻の程度も大きくなるような気がします。

約束は完全ではありません。

それを完全にしてはならないと思います。

人間は失敗する生き物だからです。

本当は 人がちゃんと愛や信頼で繋がることができれば

法的な拘束力など必要はないんですけどね。

これからの新しい世界が 愛で繋がることが基本になればいいな と思う今日この頃です。

自分の中にも 愛とエゴがいるので そのどちらを使うか

常に選択していますが

今の気持ちは愛を選択したいと願うばかりです。

エゴは常々 好き勝手に頭の中で発言しますが

それと同時に 自分の中にある愛や慈悲も いつも一緒に世界を見ているのです。

起きることが起きて 出来ていたこともできなくなることがあるでしょう

それも仕方のない流れなのだと思います。

何が起きたとしても

心を安らかにいたしましょう。

人は今できることしかできないのでございます

言い訳する必要もありません。

起きることはすべて必要があって起きているのですから。

忙しさ

コロナ自粛の影響で外出が減っている今日この頃ですが

3月の展覧会前で作業が立て込んでいます。

用事に追われる日々が続くと 気が付いたら月が替わっている みたいな

時が消えたような気がしたりします。

消えたのは記憶だけでしょうが(笑)

実際にあるのは今だけです。

過去も未来も今あるわけではないのです。

私たちは記憶で過去を 想像力で未来を持っています。

未来の方は こういった不安定な時期になりますと

読めなくなってしまいますので 未来が見えないことに不安を抱く方も多い事でしょう。

未来は、今の延長上にあります。

そこに希望が持てない場合は テンションは下がってしまうでしょうが、

実際に起きることは 私たちの予想を超えていますので

どれだけ不安に思ったり、今から準備していたとしても

未来はそれなりに様々な予想外のことを含みながら 起きていきます。

何が起きても 今が続いていきます。

肉体の終わりの死が訪れたとしても

それは終わりではないのです。

肉体を脱いだり、新しく生まれ変わることもまた

通過点に過ぎませんし、

その様々な変化と共に 私たちの今があります。

今を 懸命に生きることしか 必要ではないのかもしれません。

何にもとらわれる必要はありません。

過去の罪に対する罪悪感も必要ない とさえ思います。

過去の痛みを癒すには

真実を受け止めて 今を精一杯生きること

それでいいんです。

ご自身を赦して 精一杯幸福でいてください。

そうあろうとしてください。

幸せ以外に目的は必要ではないのです。本当は。

災いも転じて福となす

この世界にはいろんなことが起きまして、

これまでになかったことも新たに起きたり、

もう忘れていたようなすごいことも起きたり、

大波小波に煽られて嵐の中の木の葉のようになったりするものですね。

すごい流れの渦中にある時は、

もうこの世の終わりか!?と嘆いたり、

不安に溺れそうになったり、生きていることが嫌になったりもします。

でも、そう簡単に死ねはしないので 泣きながらでも生きていたりしますと

カルマの体験は過ぎ去り、いつの間にか静かな所に居たり、

温かな陽だまりに目覚めたりもするんです。

あなたの不幸は永遠ではありません。

誰の不幸も サレンダーして手放してしまった時に 過ぎ去っていきます。

これが不思議とサレンダー(降参)しないうちは終わってくれないのですね

エネルギー的にしがみついているんでしょうね。

嫌う というしがみつき方はほんと分かりにくいようでわかりやすい。

 

力尽きて、「南無三、もはやこれまで。」

降参して手放した時見るものは

「なるようになる」  です。

頑張り続けなければ維持できないものは いつか力尽きます。

あるがままでいいじゃないですか

何がいけないんでしょうか?

ダメだなんて 誰が決めたんでしょうか?

どんな時も どんな状態も 

ただあるがままを体験していいんです。

未知の世界も面白いものです。

移ろいゆく世界で生きる 醍醐味なのです。

始まりがあり、終わりがあり

そして

再生があるのです。

巡り続ける世界です。循環しつづけます。

あなたがこの世界そのものです。

何をすべきか

何をすべきか? という問いかけを聞いて思い浮かぶもの・・・

地球温暖化対策?

破壊した自然を修復すること

貪りつくそうとしている資源を大事にすること

エゴを緩め、貪りの心を鎮めるには 癒しが必要だ。

人間も他の生命たちも自然も生きとし生けるものたちの地球を大事にすること

思い通りにならないと腹を立て、怒りをあらわにして他者へ噛みつく者は

寂しいんだと理解し、

被害者という意識の根底にある悲しみを癒す

必要な事は

一つでも多くの意識が

この世界に愛という灯を灯すこと

ただあなたの意識が愛に満たされているだけで

世界は救われる方向に向かう。

何にも執着しない。

ねばならない すべき というものは

出来ればいいし、できなくてもそれはそれで なるようになっていく。

無理でもやらねばならぬことがあるとしたら、それは

一つの願望なのだろう。

こうあって欲しいと願う願望。

それは叶う時もあれば、叶わない時もある。

その結果が宿命ならば、それは避けられないことなのだろう。

何を手に入れたとしても それは束の間の夢でしかないのだ。

何億光年の宇宙の中では

どれも一瞬の塵のようなものなのだ。

私たちの人生は、星の瞬きのようなものだ。

このHumman Being 人間は どのくらいの時代 繁栄していられるのだろうか。

自ら滅びる愚かな生き物ではないならばいいな と 思う

それはどうだか わからないけれど。

次はどんな生命体を体験するのでしょうね。

この世界は限りなく未知のものに溢れてる。

常に新鮮な朝が来る

それを体験しにやって来たのでしょうね。

カモメ

人間はね、羽はないけど空を飛ぶんだよairplane

最近は、目だけ空を飛ばすの。

すごいよね~

ドローン

高千穂峡にこれ落としてた人がいた。

 

カルマの役目

ELM瞑想マスターのボブや、ダライ・ラマが言うんです。

カルマは教師です。

カルマはあなたを磨く経験ですよ って。

カルマの反応は籠って見えない間は、内側にありますが、

感じて表現されれば 外に出て行ってしまいます。

そして人間(自分)の黒い部分や醜い部分を見せられて、

ああ、人間って みんな同じかも ってわかって来る。

それを嫌っているうちは まだまだです。

それを苦悩して受け止めて 大きな赦しを持てたら

あなたの心の器は倍にも拡がります。

心の広い人、大きな魂の人になるんです。

 

諦め とかじゃないです。

暖かい気持ちでいるんです。

相手の幸せを願える者は幸いです。

 

目先の損得なんぞに心は揺らぎません。

心は大きな大海そのものになっています。

意識は神のように大きな世界を見ています。

移ろいゆくものに執着しません。

いずれ移ろいゆくものを留めることはできません。

変化を悲しむことなく

ただ受け止めて、

その時その時のハートのバイブレーションに感動し続けます。

心が外側に向く時、

自分と世界の窓をオープンにする時、

自分だけの感情ではなく、生きとし生けるものの波動を受けとります。

命の輝きに感動するのです。

刻々と形を変えながら流れゆく雲

でも、何も減らず、何も増えない

最初から最後まで同じ量の粒子が織りなす風景と流れ

世界の壮大さに感動しています。

それらは あなたが あらゆる体験を乗り越えた時、

あなたの目に飛び込んで来るものたちです。

心の窓を開いて 世界を感じてみてください。

絹雲

愛と執着

前回のブログに関連する話です。

愛する人、大好きな人と別れるのは大変辛いものです

こんな思いは耐えられない と思うでしょう。

身が引き裂かれるような心の痛み を体験するかもしれません。

そんな辛い別れ。

好きで好きでたまらない というのは、

本当は愛というより、執着なんですね。

恋愛の愛情がそれで、実は『愛』という漢字はこの愛情の執着のことを意味するものでした。

でも、Eternal love、神の愛、無償の愛 というような真我の愛は ちょっとこれとは別のものです。

 

この人がいないと生きていけない気がする というのは

愛ではなくて 依存なんですね。

本当の愛ってなんでしょう?

それは無償の愛。。。

相手の幸福を願う事?

いえ、あるがままをあるがままで受け止めること

何も望まず そのままで尊いんだよ と知ること。

否定のない 純粋な愛。

 

愛は いろんな面を持っているともいえます。

愛は形ではないので、

同じ行動でも愛なものとそうでないものがあります。

そこにあるのは 波動で それは出す人の無意識の心の波動。

エゴの雑味が消えれば消えるほど 純粋な愛になるように感じます。

良い悪いという問題じゃないんです。

純粋なものを嫌う人も中にはいますしね。

そこにはただ存在があるだけ。

そう、いろんな形で、いろんな状態で。

それを全部ひっくるめて 存在そのものを愛する。

 

この世界にはいろんなエネルギーが渦を巻いて対流しています

私たちはその中で生かされているに過ぎません

私は 純粋なエネルギーは好きですね。ぶっきらぼうでも です。(笑)

裏表がない感じが好きなんだと思います。

内側の黒いもの あったっていいじゃないですか

みんなそれなりにあるんです。

でもね、
手放せば無くなるんですよ(笑)

ありのまま って健気なんです。

キラキラした命です。

ピンクの光

 

欲と執着

ふと思ったんですが、物欲とか エゴとか

そういうものって 生きるモチベーションとかエネルギーをパワーアップさせるものなのかな?

いや、エネルギーが溢れかえってるので そちらに欲望が向くのかな?

と。(笑)

同じ状況にあって ある人は 愛するものを失ったことに大きなダメージを受け

悲しみに暮れ 生きる気力を失い

ある人は そんなことよりも生活や流行の冬物コートが気になる

これ、どっちが強いか? というと 後者だったりする。

たくましすぎる (^_^;)

いや、むしろ 「すごいよ君!」と賞賛したくなったりして。。

何が違うのか? 魂が若い、感受性の差

二人とも人間だけど、違う生き物みたいだ。

人の感受性は千差万別。

感受性に関しては、ハイセンシティブジャパニーズとしては前者の状態もよくわかる。

辛いね、痛いよな、可哀相、できれば助けたい。でも傷を癒せるのは結局本人。

でもね、傷付いた分だけ強くなり愛が深くなるよ。

弱いままでいちゃダメだ。

沢山泣いて浄化するしかない。

どんなに悲しんでも身体は生きようとするから。

エネルギーを持っていない人はそこで弱って死んでしまう人もいる。

昔の時代はそうやって 失恋とかで体調崩して死んじゃう人もいたんだよね。

平安時代とか。

現代は医療が発達しすぎて身体はなかなか死ねないけど。

 

頭の中のイメージは 実は頭の中にしかない世界

外で起きていることはいつも淡々と起きることが起き続けている

それが自分の都合に合わなくなった時

頭の中の世界のつじつまが合わなくなる

それを受け入れられないのが 大きなストレスであり、傷心。

でも、お釈迦様は言うんです

それは空の雲のようなものだよ

現れては消える 幻想

あなたの頭の中にあるあなたの世界の崩壊。

「ああ~、これでもう終わりだ!」と絶望して

自分の身体を殺せなかった者は

その後に 何事もない世界を見てしまう。

「なんだ、何も変わらないじゃないか」

「崩れたのは自分のアイデンティティだけ」

「それでも私は生きている」

「それでもここで生きている」

 

深い闇の世界というのは確かにあるにはあるのだろうけど、

そんな地獄は リアルには一般市民とは無縁。

起きやすいのは脳内の闇(病み)で それはただの幻想にしか過ぎないし、

悩みで病んで脳が委縮してしまったり、セロトニンが出なくなっちゃった状態

実際には起きていないことで 思いだけで病気になれるなんて 人間てすごいね

言葉だけで毒を盛ったみたいに殺せたり

情報だけで病気にできたりするなんて

面白い生き物だ。

でも、これは逆に 負の妄想を払拭すれば元気になれる という話で、

悟りはそこにあるんですよね。

それ、幻想だよ?

あなたが見てるリアル 社会の集団幻想。

みっともない とか カッコイイとか

誇らしいとか みじめ とかも。

だれが何を言おうが そんなイメージに振り回される必要は無く

依存するものを無くしていれば 恐怖すら起きなくなるのです。

 

あなたを陥れるのは執着を依存。

だから最初に書いた 落ち込む傷心の人と 物にしか興味のない人

どちらも大して変わらない。

もしあなたが幻想から目覚めて悟ったら

あなたはその命があるだけで幸せになれるから。

あなたは 愛というものを発信できる光だから。

だから 目覚めよう。

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アジアのアーティスト

久しぶりの投稿です

しばらく間が空いてしまいました。

制作が忙しくなってくると じっくりブログを書く余裕が無くなる みたいです。

頭の中の文章は その時に引っ張り出さないと雲のように消えて行く(笑)

 

書きたいことは しばしば 現れては消え しています。

フォーカスしてリーディングしていく感じで書いています。

 

今日は リンチェンを偲ぶ会でアジア美術館に行ってきました。

リンチェンゆかりの友人たちに経緯の詳細を話し、皆で思い出話をしました。

私がブータンにリンチェンに会いに行った時、

旅行者のディナーにリンチェンが同席してくれた時に話していたことを思い出しました。

物事は全て移ろいゆくものなんだよ

だから過ぎ去るものに執着してはいけないんだ。

物事、縁は やって来て そして過ぎ去る

ずっと変化して流れているんだよ。

何も持たずにこの世界にやって来て、そしていずれ 何も持たずにここを去るんだ

それは全て同じ皆の運命だよ。

そんなことを30歳くらいのリンチェンがイラストを描きながら話してくれました。

あのイラスト、昔持ってたクロッキー帳に残っているんだと思うけど、残っているのかしら? 今度探してみよう。。。

私たちが見ているこの世界で起きている事

それは空に浮かぶ雲のように

現れては消え 現れては消えして

それは一時も同じ状態ではなく

あるようで 無くて、でも最初から最後までずっとそこにあるものが形を変えているだけ

そういう万物の流れの中で この肉体も維持されながら 人生というものを体験している私達。

かつて やって来て そして いつか

全ての人がその肉体を離れ、また現れる

永遠に同じ状態を留めることなど不可能なんだ

そして エゴの欲や煩悩や願望通りにはならない。

ただ、自然の法則のままに流れる方向へと流れていくのがこの世界。

リンチェンはずっと前からそれを理解していました。

だから 死ぬことは怖くなかったろうと思うのです。

ただ、自分のために悲しむ人がいることに心を痛めていたに違いないですが。

 

本当に慈悲深い 誠実な人でした。

誰も苦しまなくていいんだよ。

怖れと執着を手放して運命を受け入れると

そこには愛しか残らない。

あなたが言いたかったことも 言葉を発することができる私たちが伝えます。

神の国 仏の国は作れる

ブータンみたいな幸せの国に 日本もなっていけると

私は思うのです。

リンチェンの水彩画

リンチェンの風景スケッチより

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