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意識

自分が嫌い と思ってしまう方へのメッセージ その1

自分が嫌い!という方にお会いして、お伝えしたかったことを書きます。
 
そのお気持ち、私にもよくわかります。
かつて、私も自分が大嫌いだった時期がありました。
14歳くらいから35歳くらいまでがそうでした。
 20年て!(笑)
しかもその後数年も 「さほどでも」 という程度でした。coldsweats01
スピリチュアルの宇宙の法則を知るまではね(苦笑
(ああ、なんともったいない年月!)(苦笑)
(いやいや、20年そこそこで済んでよかった!)(笑)
一生で終わらない人もいますからね coldsweats01
今生で終わらなければ来世持ち越しです。(持ち越し組、来世がんば!)
 
自分が嫌い
その中にはまり込んでいる時は、なかなか抜け出し方がわかりません。
ひたすら生きづらい。
一番近い存在で、離れようもなく、ずっとキライな人と一緒にいるなんて 
幸せになるのはずごく難しそう・・・。
 
そんな大キライな自分自身のことを考えると心が千々に乱れますよね。
だんだん混乱してきて どうしたらいいかわからなくなってきます。
結論の出ない問答を繰り変えすような。
なぜこの人(自分)は理想の人になれないのだろうか?
 
ちゃんとやろうとしているのになかなかできなかったり、
制御不能のことが出てきたり、不本意な病気になったり、
運命を呪いたくなるばかりです。
自分が嫌いな時の心理は、
ほんとに息苦しい感じ。頭で処理しきれなくなって
なんだか とても狭い所に立っているような
隠れたいのに隠れる場所がないような 
かなりやるせない気分の日々です。
 
そんなところに落ちこんでいる方、
本当におつかれさまでした。
もうそんな勘違いに苦しめられる日は終わりです。
 
自分を嫌っている理由が、
無意味なものだと知れば、嫌うことはやめる他ありません。
 
肉体は魂の乗り物  と言われますが、自分が乗っている車(乗り換え不可)が嫌いだと、旅がずっと嫌なものになってしまいます。 

 
乗り換え不可な自分の乗り物がポンコツに思えて
他者の車はあんなにカッコイイのに
私のはなんでこんなのなの? とイライラ
そんな楽しくない日々にどうしてはまり込んでいるのか
解説してみます。
 
かつて、
否定された記憶は トラウマになっているものですね。
 
子供の頃、お母さんの期待に応えようと一生懸命がんばってみたものの、
お母さんは、他のことで頭がいっぱいで こちらを向いてくれなかった とか
お母さん自身もなにかとても高い要求水準で 
自分に対しても 子供に大師っても 人並み以上の成果を得ないと満足できない方だった とか
理想形になることが幸せを掴む条件のように思っていたのかもしれません。
お母さんも何らかの強いコンプレックスがあってのことでしょう。
何か誇れるものに 飢えているんです。
コンプレックスが強い人ほど、必死になって 圧を強く出してきます。
弱さに比例して 恐れが攻撃的な反応を創り出します。
得られないことは自我のアイデンティティの死を意味しますから
必至にならざるを得ません。
これらのことが意識下で起こります。
必死な反応は衝動として起こり抵抗し難いほどの圧で噴き出して
自分を追い詰めます。
 
それは、お母さんの親、おばあさんやその先祖たちがずっと引き継いできたものかもしれません。
それ以外でも大人からのカルマの呪いに傷ついた過去があったかもしれません。
カルマはチェーンのようです。
これを家族連鎖と言います。
 
でも、その傷の縛りはあなたで終わりになります。
 
そもそも
条件をクリアすることがが幸せになる方法   ではないのです。
 
この体は、今生を過ごすのに自分で選んだ身体と宿命だったのです。
この体で幸せになる方法を見つけ出すのが今生の課題です。
 
多くの皆さんが、条件に満たないことが満足でない理由だと思い込んでいますが、違います。
みな、満足でない理由、幸せでない理由を 現在の条件のせいにすり替えてしまっているんです。
 
これは、条件をクリアしてしまうと、どうやらこれが原因じゃなかった  と気付きます。
いくら条件を手に入れても、幸せが持続しません。
問題は次々に起きていくし、理想の状況はなかなか持続しません。
いとも簡単に手に入ってしまうほど、感動はそれほどでもなく
だから余計にクリアしにくい条件を取り込んで
幸せでないことに納得しようとしているのかもしれません。
 
条件は、手にいれたその瞬間としばらくの満足でしかないんです。
 
では、何が私たちを幸せにするか?  ですが、
ここが悟りのポイントですね。

長くなりそうなので 次回に続きます
 

 

 

 

 

あるがままの私

あるがままの私 って どんな私だと思いますか?

自分に無理をさせられない というあなたは 

かなりあるがまま かもしれません。

理想があっても理想でない自分

そんな自分に無理をさせて理想的な自分でいるのは

かなりあるがまま ではない でしょうね。

でもそうじゃない自分は嫌い 

そんな風に思っている方は

なぜ理想でなければならないのか?

その理由をよく見てみてください。

いつの間にか 理由なんて分からなくなっていると思うけど、

そこには理由があるのです。

「そうでないと愛されないから」 というのが 大きな理由の一つかと思います。

そうでなくても そうであっても、

他者からは、愛される時は愛されるし 愛されない時は愛されません。

自分が この人 と思った相手から

それが 異性であろうと 同性であろうと 親であろうと、

相手の愛が大きければ愛されますし、そうでなければ愛してくれないかもしれません。

愛することが苦手な人から愛されようとするのは すごく難しいことです。

更に、

愛されたいと願うあまり、愛されている事と、執着や依存されていることを混同してしまいます。

 

本当は 他者から愛されるかどうか というのは、そんなに大きな問題ではないんです。

というのも、愛を求める というのは、自分自身を愛せていないことを

他者からの愛で補いたいという心理からくるのです。

自分のことを愛せている人は 他者からの愛はそれほど重要ではありません。

あれば嬉しいけど なくても大丈夫 なのです。

必須 ではなくなります。

そして、あるがままの自分を愛することができるようになると、

他者のあるがままにも愛を向けることができるようになります。

みんな 自分自身を大事にしていい ということがわかるからです。

いえ、みな、すべての存在は そのままで尊い ということを

全身全霊で感じることができると

この世界中の全てを愛をとらえることができます。

私も私以外のすべても 区別することなく すべてが尊く、

ありとあらゆる自由が与えられていることを知ります。

良く見えることもそうでないことも

本当は良いも悪いも無いということも。

ただ、存在が いろんな体験をしているだけだ と。

 

あなたも これまでの人生で いろんなことを体験して

そしてこれからも いろんなことを体験するでしょう。

そのあらゆる時を あなたは自由に選択していくのです。

何かにとらわれていても とらわれていなくても

 

もし何か(の思い込み)にとらわれていたとしたら、

それをやってみて 結果を体験するでしょう。

そして、今度はどんなことを体験してみたいかを また選ぶのです。

 

あるがままの自分を愛する ということを

やってみたいと思いませんか?

 

とてもハッピーになれます。heart04happy01

あるがままの世界を愛するようになると

不幸を体験できなくなってしまいます。

 

やってみたい と 思う方は

ぜひ 瞑想を始めてください。

瞑想と意識の愛の変容 サポートさせていただきます。

あなたの中のとらわれが瞑想で外れて行きます。

何がとらわれだったか に 気付く体験も なかなか醍醐味です。

 

瞑想者 という生き方 なかなか楽しいものです。 

すごく奥が深いですからね shine

精霊を送る

京都の五山送り火、今年の様子が京都新聞に大きく出ていたようで

動画も見ることができました。

写真をクリックすると動画ページを見ることができます

 

大文字2020

 

例年の華々しさはありませんが、京都の人々の精霊を送る思いが込められていて感動的です。

私達人間は 小さな自我の視点からは 物事の表面的な一面をとらえがちですが、

感じる ということを多く使うようになってくると 物事の本質や

内側、裏側にある波動やエネルギーを感じ取ることができるようになります。

内側で自分の体験や感覚を通して 共鳴できるようになるのです。

共鳴ですので、その波動を体験している方が同調しやすいですから

経験値の高い人の方が共鳴は楽です。

 

ただ、カルマの感情がいっぱい詰まっていたり、強烈なエネルギーを持っていたら、

内側の波動はその感情で一杯一杯になってしまうので、

外側の波動に共鳴どころではなくなってしまいます。

内側にあるカルマの強い波動だけが同じ波動に反応して

それに焦点を当ててしまいます。

強いカルマを持っているポイントだけが目に着くのです。

かつての可哀相な自分と結び付けて強く同情してしまう とか 感情移入 

してしまいます。

この世界にあるその部分しか目に入りません。

「なんてひどい世の中なんだ!」

「私やその人を苦しめるそれ(対象)が許せない」

「ひどいものを排除したい!」

という気持ちになります。

 

平和運動、例えば 反戦運動をされている人の中で この

過去の否定から来る 排除したい気持ち が アクションの原動力になっておられる方々の多くは

この 過去の苦しみを まだ手放すことが出来ていません。

この場合 強い否定感が常に伴い、戦いモードになってしまうので、

このタイプの人々の周辺には 怒りの感情 いさかいや摩擦が起こります

平和運動をしているのですが 心は平和ではありません。

「こんなひどいことがあるうちは、私の心は平和にはなれない」

と思っていますが

実はちょっと違っていて、心の内にある心の傷がある限りは 私は平和になれない というのが本当のところです。

もちろん、目的を達して問題が解決できた時は達成感があるし、満足します。

でも

目の前の問題が 解決して消えた時には 次の解決すべき問題を探して またそれに取り組み始めます。

「これがあるうちは 私の心は平和にはなれない」ポジションを取ります。

本当にキリがありません

このタイプのカルマを抱えている方によく見受けられるのが

同じ志の者 同志の間でも よく摩擦が起きます。

基本的に闘争的です。

怒りのエネルギーが常に同居しているので仕方ありません。

傷付きやすく 怒り易いのです。

活動家の方々の全員がそうだ とは言いませんが このタイプの方は多いです。

怒りのエネルギーや 闘争 が内側にある時は

常に環境が戦いの場 になっていきます。

反戦運動をしているのに、常に戦ってしまっています。

実際は 嫌悪する対象を排除しても 安心しません。

気になる問題は次から次へと現れて なかなかなくなりませんし、

現世はずっと不公平で平和ではない世の中が続きます

この世界は平和も平和でないことも沢山そんざいしています。 常に。

平和でない場面

これは そのご本人がフォーカスする世界観なのです。

これを見る時、(気になって仕方がない時)

ヒリヒリとした心の傷を癒すことが第一の課題です

 

本当の平和を 手にしてほしいと願ってやみません。

本当の平和は 外側にあるのではなく、

あなたの内側にあり、

その内側の平和が あなたの周囲に具現化するのです。

心を平和に。 

本当の平和運動をしてみませんか?

精霊も それを見守ってくれています。shine

幻想の終わり

私たちを苦しめていたのは、カルマの幻影なんです。

人生 という幻影

理想と現実のギャップ

自分が充分でない という判断

これらは 頭の中で起きている夢と同じです。

悟りは、その悪夢から覚めること。

 

実際に起きていること というのは、

私たちが頭で考えるよりもっとシンプルです。

いやいや、現実は小説よりも奇なり なんて言うでしょ と言いたくなるでしょうが、

理解や説明が難しいだけで、起きていることはシンプルなんです。

出来事を材料にしてストーリーや意味を持たせているのは 人間の頭の中のドラマです。

人間はドラマが大好きですからね。

 

人は理解するのに観念を使いますが、その観念では表現できないことを「難しい」って言います。

でも本当は ただエネルギーが流れたりぶつかったりしているだけ。
 

ストーリーを柱に世界を見ている観念の中では、この説明はなかなか通じません。

 

マインドは 無秩序を心配してルールを重んじますが

マインドは 自然のルールを熟知しているわけではないんです。

多くのマインドは 人間の都合しか見ていません。

自然のルールと衝突するわけですよね。

 

自然のルールを知るようになると

この世は奇跡に満ちています。

本当に法則通りだということもわかります。

自然のルール  つまりダルマを知ることが仏陀の叡智です。

仏教の儀式だけが重要なのではありません。

それはむしろ付属のもので、仏法に対する敬意のようなもの。

それは畏怖ではありません。

仏法は 本来自然のルールを説いているだけです。

自然は人間を支配しようとしません。

人間を支配したいのは 人間のエゴだけです。

エゴは未発達の原始的な意識だと 私は思います。

目先の欲や感情に任せて起きる衝動。

それが複雑で込み入った行動になればなるほど、

ほどけるのに時間がかかります。

 

なので、意識もシンプルなほどスムーズ。
頑張らなくていいです。脱力しましょう。

喜怒哀楽 素直に出してくださいね happy01note

あるがままでいんです。

言いたいことを言ってみないと

自分の気持ちに気付かないこともあります。

自分の内なる声を聞いて 自分と和解していきます。

二色の蓮

 

どう思われるかを気にする を手放す話

昨日の福岡地方、夏日でした。

33℃まで上がったとか? え? ホントかしら・・・ 本当なようです(;^ω^)

本日も30℃を越えるそうな。

アトリエは、南北の窓からの風通しが良いので 窓を開けていると けっこう快適で 今は最高に気持ちいい風を楽しんでいますが。

日が高くなって気温が上がってしまうと 暑いということよりも 眠気がやってきて仕事ができなくなってしまいますね(笑)

急ぎでなければお昼寝して 夜に作業します。

心地よい暑さを越えると エアコン様頼み となりますが。

晴耕雨読のように生活したい。(ん?昼寝は入ってない?かな?(笑))

 

今日の話題は 人からどう思われる というテーマ

この呪縛からすでに逃れた人は なんだそれ? って笑うかもしれませんが、

日本人の大多数の方は 人からどう思われるか をとても気にします。

自分が外側からどんな風に見えて どんな評価を得ているか がとても気になるのです。

それによって自分が得る利益も変わって来るから でしょうが

実際は 自分がどうしていようが、他者はそれぞれに好きな見方、好みの価値観で様々な見解を持ちます。

私が人からどう思われるか ということを機にするのを止めたのは あるきっかけからでした。

福岡に引っ越してきて 生まれて初めて知らない土地で暮らす ということになった時、そこで受け入れてもらえるかどうか とても大きな問題 と 感じていた頃でした。

ママ友さんたちの反応 をビクビクしながら伺っていました。

来て早々、あるご年配の方に「あんだ、福岡で関西弁で話さん方がいいよ。福岡の人間は関西の人間をあまりよく思っとらん。バブル期にあくどい商売をしたやつが沢山いたからな」と言われたのも長らく引っかかっていたからでしょうか。

とても気を使ってPTAにも参加して受け入れてもらえるよう一生懸命暮らしていた頃です。

親切にしてくれたり顔見知りのお母さんができて、ちょっと馴染んだ頃のことでしょうか。

親しくしていたママ友さんが私に 別の方が私の悪口を言っている と言って来られたんです。

内容は「自分の子供を自慢してる、なんて人なのかしら(笑)」とのこと

Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン ショック~  でした。

身に覚えが無い。 ママ友さんによると、

なんでも、私はお世辞を言われた時に褒め返すことが上手でないらしく、

実際 褒められ慣れていないので お世辞を言われると困惑しておったのですが(;^_^A

習慣としては 自分のことは謙遜して相手のことを倍ほど褒めると合格なんだそうで、 冗談で自分を上げて言う大阪文化はあり得ません。

住んでいる地域で大きく常識が違うんですね。同じ日本なのに。

その時、常に人の価値観に合わせる ということをしようとしていた私は、とても混乱しました。

ああすればこう言われ、こうすればああ言われ、

「どないせい、っちゅうねん~!」と 頭を抱えてしまいました。

ママ友さんは 「あなたは 人から批難されるようなことを全くしてないからそんなことを引き合いに出してケチをつけるのよね、あの人はあなたが良い人だから妬んでるんだと思うわ」

と私に言ってくれたのですが、電話を切った後、ひとしきり悶絶

良い人 というより、欠点だらけなのを隠してるだけなので「やばい~バレてもた~」という方が正確で

「どうすればいいんだ~。陰で言ってるその人の口をふさぐことも出来ないし、直接言われたわけでもないし、なんでそれを私に教えてくれちゃったの?」などなど、

しばらく悶絶していたわけですが、

丸1日くらい落ち込んでいたでしょうか、

急に あることに気付いたのです。

欠点で文句を言われることはもちろんだけど、上手に出来たことに対しても面白くなく感じる人がいて、

私がどんなふうにしていようと、それを良く言う人もあれば悪く言う人もある

全ての人に肯定的に評価されることは無い

全ての人にOKを出してもらうには正反対の要素を同時に持たなければ不可能でそんなの無理 

みんなの要求を聞き入れていたら、操り人形みたいにグダグダになっちゃう

それはそれでもっとイタい。

「こりゃ~、気にしたら負けだな、悩むのや~めた!」と なったのです。

他人にケチをつけたい人はどんな人にもケチをつけたがるし、

私自身は長短併せ持つ人間で、むしろ欠点の方が多いから

そんな私でもキライじゃないよ~ って言ってくれる人と友達になろう と思ったんです。

キライ って言う人は嫌っててくれていいので、迷惑をかけるかもしれないので あまり近づかないようにしてね。 という気持ち。

なので、自分の本質を隠さない方がいいだろう という結論に達しました。

「こんな私やけど、ええかなぁ~、ごめん~。」てへぺろ です。(困ったさんかもですがこんな生き方しかできません。上手?には生きられません。)

それ以降、自分がされて嫌な事は絶対しない という基本姿勢で、

ただ、自分が平気な事はしてしまって 人に嫌な思いをさせることもあるかもしれないので、その時は謝るから ちゃんと嫌な事は嫌 って言ってね。

と思って生きるようになりました。

後になってから ああ、あの時はやらかしてたな と思うことも多々ですが

やらかしてしまった時はもう、ただ謝るしかないです。

良いか悪いか なんて基準はそれぞれで曖昧だし、ただ、

「あなたのご期待や好みに合わせられなくて ごめんなさい」

なのです。あなたが簡単で黄出来ることでも私には簡単でないことも多々。

逆もまたしかり。

やらかすのが基本ですので、できるだけ人の失敗も許して、どんな人にも親切にしよう と思うようになりました。

自分が自分を好きでいられるには 自分が好きと思える行動を取る に限ります。

最初は試行錯誤ですが、自分がどう感じるかは 人それぞれですので 正解などありません。

なので人に文句を言うのをやめて、自分の生きたいように生きればよい と思われます。精神的自立が ネックです。

ただし、一緒に生活をしたり、協力が必要な関係の人とは、互いの違いを理解し合って 無駄な摩擦を回避する必要がありますので 

決して自分の正義を押し付けることなく、違いを認識したり、どうすり合わせたらうまくやっていけるか というコミュニケーション(穏やかな話し合い)が必要です。

自分の価値観だけに合う世界は存在しません。

自分の価値観に合わない要素もあるこの世界そのものを愛することを

真実の愛 と呼んでいます。

 

もしあなたが 真実の愛を掴むことができるようになれば

どんなことも受け止めることができるようになり、

摩擦の感情は消えていきます。

これが真の平和な心 です。

摩擦、価値は自分の内側にあるもので

外ではただ真実が存在するだけです。

あるがままにさせておく愛 に なってゆきます。

瞑想して気付きを得てくださいね。

 

意識は 進化すればするほど、自然と同化します。

良いことと悪いこと

良い知らせと悪い知らせがあるんだけど、どっちから聞く?

なんてセリフ たまにドラマで聞きますけど(笑)

面白い言い方だな~って思います。(笑)

これだと、悪い知らせもショックがちょっと減りそうですよね?

 

だけど、瞑想者的視点で聞きますと

どちらも まぁそうなんね・・・ で済んじゃうかも(笑)

良いも悪いも無いですもんね。(笑)

 

最近、いろんな方とあいさつする時に、

「大変な世の中ですが・・・」とか

「気が滅入りますね・・・」などと言われる方に

「そうなんですか?」と聞き返したくなることがしばしば。

何をそんなに? と聞きたいわけですが、

その人はコロナの影響の事をいっているのだと思います。

でも、コロナのおかげで、熱があるのに休めない ということはなくなりました。 風邪の症状が出たら、家で休まねばなりません。

これ、必要な事ですね。実は当然の権利かと。。。

早く快復するために必要な事なんです。

目先の混乱や減収を恐れて、もっとひどい状況にするのはとても愚かなやり方かと。。。

 

コロナの影響は、業務的に言うと、私のところは何にも影響がない というわけでもなくて、

お客さまや生徒さんが来られなくなったり、イベントが無くなっているので

収入的には ドキドキハラハラ・・・もいたいしますが、

不思議と なんとかつじつまだけは合います。。ほんとに不思議と。

これ、たぶん、私がそう設定してるんですよ。

そう、もうかなり昔から、そう思う癖があるんです。

もうちょっと高水準で辻褄合わせてくださーい と言いたいところですが、

自分の貧乏性のせいなので(;^ω^) 自業自得かと・・・。(苦笑)

もし、本当にな~んにも心配しなくなったら、たぶん、絶対に足らないなんてことは起きない。 と 妙な確信があります。

いや、足りてるんです。確かに。

変な心配とか起きていないことを心配するのはやめましょう。

それを心配して変なところに対策立てて、無駄な出費したり とかしてました。。。coldsweats01

何が起きるか、何を見るかは 自分が選んでますからね。

心配したところで、防げないなら 心配するのはやめて、現実になった時に全力で動いた方がいい。慌てない慌てない。

準備するにしても、心配の波動無しにできますからね。

備えあれば憂いなし。

憂いがあれば現実になっちゃいますし。

備えだけしとけばいいってことです。心配無しにね!(笑)

賢者はただ冷静に見通すんです。

臨機応変でもあります。

 

未来はどう転ぶかわかりませんし、予想だけしか起こらない なんてことありません。

今を100%生きていれば、なんとかできるものです。

余裕さえ持てますよ。

できることをしてあとは天に任せる。

人事を尽くして天命を待つ。

潔さは クリアなエネルギーです。

真実を見る勇気さえ持てばいいのです

 

あなたは どんな波動で生きようと思いますか?

笑顔と余裕を持ちましょう!

笑顔の子犬

ほら、笑顔のところには幸せがいっぱい集まりそうでしょ?(笑)

神様も同じことを思っていますheart04

 

感情というお天気

前日の話題の続き、自立と自信  

これは最初からあるものではありません。
小さな子供の頃、まだ自我が芽生えるまでは 怖れを持っていません。
警戒しないといけないものとそうでないものの区別もつかないので、怪我をすることもあるでしょう。

当の本人はそんな記憶も残っていないことも多く、苦労するのは親の方です。

親は子供を護りたいという本能がありますので必死で子供を保護しますね。

これは自然な親子の愛情ですが、行き過ぎてくるとちょっと質が変わってきます。

親たちは心配したり、フォローが大変なので、子供の行動を制限しようとし始めます。

子供が痛い思いをしないように と 思っていますが、キツく制限をかけて子供と摩擦を起こすことも。。。(反抗期は子供にとって自然な成長です)

実際は、自分がオロオロ あるいは イライラしたくないため という理由でコントロールしようとしてしまいます。

子供がオイタしないように、脅かしたり怖がらせて 行動を制限してコントロールを図ったりします。

これはあまりよろしくない方法です。

子供の無意識の怖れを助長してしまうのです。その後の人生を長く縛ってしまう恐れになってしまうことも多々。

小さいな子供は、大人のような反応ではないので、

その場では、手や足を引っ込めて良い子になったように見えますが、

実際は 心に大きな怖れを刻んでしまっていることも多いのです。

ですから、大人の都合でコントロールするのに 脅かすのはやめましょう。

本当にしてはいけないこと(命に関わること)以外は、制限しなくていいように、

環境の方を整えます。

子供が自由に暴れまわって大丈夫なところで子育てしてください。

特に幼児期、大切です。

怪我をするものを子供の手の届かないところに置く

壊されると困るものは触れないように仕舞う など。

子供がいけないことをする のではなく、

子供を制限しないといけない所に置くことが問題です。

制限は必要最小限に限ります。体験ができないことは とても残念なのです。

失敗して泣くのは 当人じゃないか!? と思われるとおもいます。

そうです。泣かせてください。

子供が泣くことを止めないで ください。

子供は泣くのが仕事です。あやすこともいいです。慰めることも。

一番いいのは泣き止むまでただ寄り添うことです。

わがままで泣いていたら 放っておいて大丈夫です。

思いっきり泣いて感情表現ができて育つと、分別(ふんべつ)のある人に育ちます。

充分泣けなかった人はちょっと気の毒です。

心の奥底に悲しみの残りがそのまま残ってしまいます。

 

上手に育ててもらえなかった という 大人の皆さん、

頭を抱えることはありません。

これは 大人になってからでも残りを出してしまうことは出来るのです。

瞑想(特にELM瞑想はパワフル)で、これらの感情は昇華されていきます。

さらに手放すには

子供も大人も カッコ悪いとか言わないで 泣きたい時は泣きましょう。

思いっきり泣いて 泣き疲れるまで泣いてしまえば、心は空(くう)になっていけるのです。

しっかり泣いてしまえば、

泣くことに気が済んだな という感じになって 凛とした気持ちが立ちます。

そして世界がクリアに見えてくるのです。

怒りは悲しみと同列にあります。無抵抗なら悲しみ、抵抗するパワーを持っていれば怒り となります。

それらのどちらも 自分が感情と向き合い、しっかり味わうと、抜けていくものです。(他者へはぶつけません)ただ、それがある ということを認めてしまえばいいのです。

 

あるがまま 自然体で生きることは

あなたの心を真っ直ぐにする ということです。

 

たとえ、自分の中に曲がった心を見つけても、自分を責める必要はありません。

それはこれまでにやり残してきた心の圧迫が作り出した歪みです

それがある ということを受け止め、自分の苦しさを受け止め

苦しい自分を労わりましょう。(いままでよくこの感情と一緒に頑張ってきたね、おつかれさま)

耐えられない感情の嵐も 過ぎ去れば静けさが戻ります。

止まない嵐はありません。

お天気は日々変わります。

 

自然体でいてください。

 

誰かが機嫌が悪いのは 誰かのせいではありません。

お天気は変わるものです。

天使の梯子

エゴ

エゴは、利己。 こちらの都合  です。

エゴは個体としての意識

欲、損得、優越感以外にも

正しさ、理念、信条、断罪 なども、エゴは好みます。

 

でも、意識が進化してくると エゴを客観的に見る視点ができます。

エゴは自分からの一方的な目線で 全体を見渡せていないことも多いことや
逆に多角的な視点や深いところの状態に 気付き始めます

この気付きが 真我の目線の力です

 

これまで自分自身と同化していたエゴを客観視し始め

この世界がただ1つのものであった という ワンネス という視点が開けます

私と世界の一体化、全ての共存 です。

 

私達生命体は 自然の中で その自然の循環システムに育まれており、

その生命活動は、また全体になんらかの影響を与えます。

全体をさらに豊かにする働きかけをして全体を活性化するか

あるいは全体から調和やエネルギーを奪って衰退させるか

そんなことに気付き始めます。

 

知っていても知らなくても

私たちは全体に影響を与え続けています。

 

一方、全体側は 不調和を起こすものに関しては免疫力や自己治癒力が働いていますから、自然体が健全であればあるほど 修復は早くパワフルです。

人間の身体も、自然の自浄作用も 同じですね。

弱っているところは 元にもどりにくい。

 

自然は調和の方向に流れる性質があります。

自然界の調和 のことです。

それを無視して人間が自然を加工し続けますと、

最終的には 自然界のパランスを壊すものは 淘汰される運命が待っています。

それに気づいた人々は、自然界との共存を訴えています。

 

都会の中で暮らしていると その文明社会にどっぷり依存して

自然との調和の方が絵空事のように感じたりしますが、

 

無駄を生み出して経済を回しているこの社会構造はそろそろやめる時期が来ているようですね。

今、代替手段がないからと諦めないでください。

意図があれば手段は見つけ出されます。 いえ、現れるのです。

高度な文明でありながら自然な生活。

そんな本当の豊かさは実現できます。

出来ないという思い込みを手放してみましょう。

 

学校で勉強している試験に合格する授業よりも

農業や瞑想を学校で教えてもらいたい

自然界で生きのびる智慧や技術を身につけたり

心が平和になる技術を 教育要領に加えて

かつて より高度な精神文明へと 進化していくといいな と思う憧れは、

もう実現の種を発芽させ始めた と感じています。

 

あなた一人が気付けばあなたの周囲の100人が影響を受けて目覚めます

 

何をしてもいいなら

あなたはどんな人生を生きたいですか?

 

そして あなたが残した世界に再び生まれる来世では

どんな人生を送りたいでしょうか?

私たちは今、その岐路に立たされているのです。

それはあなたが 選ぶものです。

未来の景色

観察

自宅で過ごす時間が多くなり、インターネットを使う時間も増えているのではないでしょうか。

テレビのニュースにしろ
いろんな情報が飛び交っていて ニュースで報道される事すらも 本当に真実なのか? わからない時代なようです。

例えば、アメリカの医療現場では混乱とパニックが起きているというニュースが報道されている中、市民が病院を訪れると病院は閑散としている様子を市民の投稿 として出ていました。

理解が出来ない時、頭(マインド)はフリーズします。

そういう時、マインドは理解しやすい事のみを採用してしまいます。

 

実際は誰の判断が正しいのか 真実はまだ見えないんですね。

混乱しているところも実際にはあるでしょうし、

危機が全くないわけでもない。確かにコロナは感染力が強いウイルスなのです。

死者も出ている。

未知数なので 最悪のケースを想定しての対処だと思いますが、

大切なのは早く真相を掴むことなんですね。

でも、まだ今はわからない。 時期を待ちましょう

嵐が来る時、落ち着いて空を見ます。

閉じこもるより、空は見上げてください。

一人で外気に触れることは悪い事ではありません。

 

情報は、あればいい というよりは 正しい情報が流れることが必要です。

でも、何らかの意図が他にあって、真実でない情報すらも真実のふりをして垂れ流されていることも事実のようです。

私が危惧することは、公的な発表が必ずしも正しいとは言い切れないこと。

今の日本の行政府はかなり利己的な要素が強いのです。(それだけとも言いませんが 先の震災ではいろんなことを隠しました。)

必ずしも国民が第一ではない ということは皆さんも少しずつ気付き始めていると思います。

民主主義国家である日本で暮らす私達国民は この国をどう修正していくか?

という課題に直面していると思います。

危機がやって来て、歪みが露呈します。

怒りではなく、愛とは何かを見てください。

従順ではなく、自分自身の愛の判断を見つけましょう。

何をすべきかはケースバイケース でもあり、100%の正義 というものは存在しません。

他者を責めることは無明である 

自らができることを内側に見つけていくことが求められています。

まだ、真実が見えないうちは 動かなくていいと思います。

多くの情報を ただ観察してください。

人々はそれぞれ、口々にいろんな意見を言います。誰かが言うことが真実なのではありません。

それぞれにその時点でそう思ってることを発信してます。

だけど、時は刻々と経過し、次第に真実は明らかになっていきます。

人々の見解も変化します。

この世界では裏側で情報を操作する人たちも存在します。

ただ鵜呑みにしないで、はっきりしないうちはよく観察してください。

偏見でなく 何が真実で何がフェイクなのか 観察します。

他者を批判するよりも、静かに自分を見つめる時ですから。

あなた自身の生命力と 生命力を信じてください。

そして生きていることの実感を感じてみてください

命として存在することは それだけですごい現象なんです。

硬さを緩めてみましょう。頭も体も

ただ、深刻さを手放す ということです。

深呼吸をしてあなたの魂を抱きしめてください。

徐々に落ち着いていきます。

そして、あなたに真実が見えてきた時、あなたがこれだ!と思う時は行動してください。

 

奪われて 空になったスペースには 新たにエネルギーが流れ込みます

流れを信じてください。

私たちはこの世界で 生かされているのですから。

困難の中に入る時ほど 静まります。

静かに観察する時 命の根が深まります。


樹の根


命は自由自在に柔軟なのです。

あなたの命もです。

 

 

世界観

アセンション と言われる意識のシフトアップ、

『悟り』という意識に目覚めることは 世界観が大きく変わります。

しかしながら、まだ悟りがこれから という方にとっては

これまでの物質重視の世界観から スピリチュアルの霊性、波動で成り立つ世界観に移行することは、まるで青天の霹靂 のようにショッキングなことだと思います。

現実の生活の中で、苦しさや生きづらさを感じて 悟りに憧れる方々の中で

なかなか『悟り』というものが掴み切れず、色々話を聞いたり実践したりしてもなお、なかなかわからない という方、

こういう方、実はとても頭の良い方が陥りやすいジレンマなのですが、

頭で考えるということが先行してしまうため、実践中にやはり色々考えてしまうんですね。

そして 「どうしてまだ自分は楽にならないんだろう? なぜ自分にはわからないんだろう?」と

答えを考えてしまう ということがよくあります。

このタイプの方は 感じる ということが苦手です。 

感じることは 嫌な気持ちや苦しさが先に来るので感じるのが苦手なんです。

それで 楽になることに憧れますが、感じることを考えることで紛らわすのが癖なので 感じるよりも先に考えばかり出てきてしまいます。

 

心は自分の苦しさから逃げたいので、逃げ道の方へ逃げ道の方へと思考が進みます。

何を考えているかは 意識しているわけではありません。無意識の自我がやっていますので、楽になろうと 原因を探したり、自分の罪悪感や否定から逃れようと、ものすごいスピードとエネルギーでMAXに思考が働いています。

言い訳が多い方と、自分のことを話したがる方によく見られます。

このタイプの方は 恥の意識が大変強く、プライドがとても高いです。

そして、ジャッジする識別が多く、自分も他人も裁いてしまうので

自分が許せない状態になっていることも多いです。

許せないけれども、否定すると生きにくいので

否定せずに済む理由を全身全霊で考え抜いているのです。

 

大変疲れます。

 

これは私もそうだった頃があったので どんな気持ちがよくわかります。

怖いのです。

自分の存在と、真実が怖い。

自分の基準では自分が生きていてOKにできないのです。

 

本当にお疲れ様です。

その判断、幻想です。 あなたが握りしめてしまった幻想が
あなたを生きづらくしてしまっているのです。
しかも、あまりにも無意識にそれが世界の基準だと思い込んでしまっているために、
その外側から物事を見ることができなくなってしまっています。

いえ、外側がある なんて考えられない状態かもです。

それで、自分の理解する範囲内で理解しようと思うので無理になってしまうのです。

 

まずは 自分が正しいと思っている事、価値基準、好み を

それは本当にそれがいいことなのか? と 疑問を投げかけ、

一度、価値とか判断をつけないで見る という新しい癖を作っていく必要があるのです。

そう、あるがままを ただ受け止める ということ。

こちらの胸の内にどんな感情が渦巻こうが、

ただ、あるがままを受け止める。 何もしない。そのままにさせる。

 

自我はしばらく悶絶するかもです。sad

 

でも、それができて初めて見えてくる景色があります。

 

まだこれから という方はぜひ チャレンジされてみてください。

それが悟りの入口ですから。

カモメ

 

clover

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やり方がわからない という方は アトリエ霽月のセッションをお受けください。

コロナ騒動で 外出禁止令?出てき始めたので、 オンラインセッションでも対応します。

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