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意識

手放してみる

苦しみを手放したいと思って 悟りを求めて

悟りとは何か?が徐々にわかって来ると

これまで自分が悩まされていた問題が問題だったのではなくて

その事柄を問題にしていた自分の方が苦しみを創り出して

苦しみを握りしめていた ということに気付いていきます。

でも、意識は出来事をすぐに問題視したがるし、

何かあれば感情的な反応は自然と湧いて出てくる。

「嫌な事はやっぱりあるじゃん」と 思うのですが、

悟りとそうでない意識の違いは

その嫌な事をどうにかしたいと思っているかそうでないか の 違いだけだったりします。

え?嫌な事を放っておくの?そんなのいいの? って思うかもしれませんが

そんなんでいいんです。

だって、どうにかできると思っているところが苦しみの始まりだから。

抵抗=カルマの感情 なんですね。

「あー、嫌だ。」「あー、苦手だ」「もう、あっち行ってよ。やめてよ!」って

排除したいものができないことが苦悩なんですが、

そのどうにかする という意図を手放した状態なんですね。

「そんな、やられっぱなし とか無理」と思った時点でもう違う所にいるんです。

でも、あれこれ、考える前に手を出してやり返してたとしたら、それは意図ではないので違わないかも。(笑)

事はただ起きてしまうのです。

怒りも悲しみも痛みも悔しさも ただ起きてしまうだけ。

笑いや喜びが勝手に起きるのと同じように。それらは意図して出て来るものではないんです。

「よーし、次やられたら悔しがってやろう」なんて思わないですよね。

人間は頭で考えて自分や世界をコントロールできるものだと思うようになると悟りからは離れてしまいます。

でも、社会の中での教育は コントロールできることが真っ当な社会人、真っ当な大人 ということになっていますから、悟りと社会での役割や意識はどんどんかけ離れてしまいます。

それの何がよろしくないのか?と言いますと、

よろしくない というわけではないのですが、

社会にとってはそれが都合がよいのでそれが良いということになっているだけなんですが、

その思考やマインド優位で生きていますと、素直な感情をそのまま感じていてはならない というようなことが起きたり、

感性よりも仕組みやルールを重視してコントロールの中で生きることになるので、

それにはまらない感情にダメだしすることになっちゃうんですよね。

その結果 こんな自分じゃダメだ とか、

あんな人じゃダメだ とか

こんな私は大嫌い とか 

思考と感情が足並みをそろえてくれないとかいう 葛藤とストレスが

どんどん大きくなってしまうのです。

 

適材適所 ではなくて

個性を殺したコマとして生きることを強いられたり、

感情を無視して 理想の形だけを生きようとする。

この型にはめる という歪みがストレスと生きづらさです。

型に合わす という行為はデメリットだけしかない というわけではありません。

メリットもあるからこそ 人間はそれをしたがる。

でも、限度を越えたらデメリットの方が大きくなるのですが

ややこしいのは、人によって 持っている個性が違うので 何が合ってて何が合わないかはそれぞれ違う ということですね。

つまり、一つの正しさや 一つの正義 なんてものは無いんですよ。

この世界の中では いろんな要素を持ち合わせた人間や グループ、国家たちが

それぞれの正しさと利権を争って喧嘩したり奪い合ったりしてますが、

自分が生きている世界にネガティブなものをまき散らかすと、自分自身も生きにくくなる ということには気が付いてないんですよね。

そういう状態を仏教なんかでは無明 (暗闇の中で光が見えず狼狽えさまよっている状態)と呼ぶようです。

自らを闇に落とす生き方。

それは得策ではないように思えるのですが、

その真っただ中にいる方々にそう伝えても なかなか響いてくれなかったりします。

それは 彼らの中で 彼らの世界観の正しさの方が大事に見えてしまうから。

皆、自分の世界観しか見えていないので なかなか他の世界観は見えないですよね。

 

世界は今、人間たちに大きな揺さぶりをかけて、

『本当に大事なものはなんだろうね?』という問いかけをしているところ なようで

そのなかなかはっきりしない問いかけ、テーマと向き合うのが

私達人間の大きな学びなのでしょうね。

 

そうそう、答えはすぐに出ないし、1個ではない。

 

ただ、瞑想をして、無の境地にいると、答えはただ一つだということが見えてくるのです。

私たちは 存在

私たちは生きている命。

その命に、本当は、境目も始まりも終わりも無かった ということにだんだん気付いてゆくのです。

私たちはただ生きているのだ 

生きる ということをするために生きているのです。

同じ肉体はタイムリミットが設けられているので、

いろんな形に変容しながら命を紡いでいるそういう存在なのですね。

世界観は自由。(幼少期やDNAにも組み込まれた反応は変えられるものもあれば変わらないものもある)

肉体を脱げは、肉体の癖は消える。

今生では、この(性質や能力の)制限内でどう生きてみるか 可能性を楽しんでみてくださいね。

私の好みは、若い時は「チャレンジ」や「創造」 でしたが、

今は「愛」「楽しい事を選ぶ」「自由」でしょうか。

皆さんも好きなテーマを生きてみてくださいね。

 

今日は とりとめもなく言葉を綴ってみました

蓮

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