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日々徒然

記憶

展覧会が終わって一週間、ようやく残務処理もほとんど片付きました。

なかなか大きなイベントです。

大変だけれど、作品を会場に並べた時は 感動しますね。

特に 生徒さんと一緒にする展覧会は喜びが大きいです。

自分の個展だと ついついこだわりが強すぎて楽しくできないのですが

私はこういうみんなと一緒にする ということが好きです。

みんなと一緒 ということを好まない方もおられますが、

私は 一人よりみんなと一緒に楽しむことが好きです。

それは なんだか楽しみが倍増するような感じです。

瞑想と同じ? 波動が増幅する感じです。

大勢で瞑想するとすごく深い瞑想になるんですよね。

 

今日、1日瞑想会でお話している時に 展覧会が終わった話から

私が仏画を描き始めた経緯をお話したのですが、

短い時間で話すと いろんな出来事を端折ってしまうので

それだと 本当のことを話した気がしないな と後から思得てくるんですよね

でも、それもまた 違う と また後から思ってしまいました。(笑)

出来事があって、記憶があって、認識があって

ストーリーが紡がれるのですが、

どれも全ては語れない。

だって、全てのことを言いつくすことは出来ないし、覚えていないこともあるし。

記憶なんてほんとに曖昧なものです

 

それに、 聞く側は

そんなことは 割とどうでもいい・・・かもしれない  と思います。

ちょっと興味をそそられるにしても

それは 正確だろうがそうでなかろうが そんなことは大した問題じゃない

記憶は 色んなことの断片を 納得したいように掴んでいるだけだったりします。

そう、自分自身ですらそうなのです。

アイデンティティにあまり意味がない と 感じるようになってからは

それまでの 「本当のことを知って欲しい」とか

「私のことを知って欲しい」というような思いがすっかり無くなってしまいました。

そんなものは 本当は無いからです。

いえ、真実はあったとしても 自分が信じたい真実と きっと違うのだろうと思う

過去は存在しない

ただ過ぎた時間と 今があるだけ。

今はその記憶 というか 感触が より幸せなものであれば

それで満足なような気がします。

だからなのか、 今は常に幸せでいようとします。

自分が幸せを感じることは何か?

それはたぶん、私に限ってのことかもしれないんですが、

それが良いのか悪いのかもわかりませんが

誰が何と言おうと 自分の好きなことしか選べなかった

その中には 間違っている と言われるようなこと?もあったかもしれないし

言うと恥ずかしいようなこともありましたが

その時の自分は やはり 選びたいものしか選べなくて

でも ずっと同じわけではなく

様々な自分を生きていたのでした。

それが何だったか 今となっては どうでも良いことのような気がします。

つまらないことなのかもしれないし、そうでないかもしれないし、

それがなんだったのかわかってやっていたとも思えない

多くは 後になってから それが何を意味するのか

ほんのりわかる気がする というようなものみたいです。

そして そういった経験は 他者の状態に重なって

その人の気持ちが 分かるようになっています。

自分が 被害者 という立場を取らなくなった時

全ての出来事の 本質が見えるようになったかもしれません。

出来事は 起きては消える 泡のようなもので

その時の感情もまた 泡のようなもの という気がしています。

内側から出て行ってしまった感情は 

泡の記憶のように儚い。

人生は うたかたの夢のようなもので

語り継がれたところで その夢さ加減はたいして変わりはしないでしょう。

楽しむにしても苦しむにしても

生きたいように生きなさい と この世に下ろされた存在が 私達 なのでしょうね。

一瞬の泡の体験 人生は長いようで 過ぎてみれば ほんの一瞬

最期に「ああ、楽しかった」 と言えれば本望です。

たぶん、そう言うと思います。

ちょっと 取り留めなくなってしまいましたが・・・

今日という日を楽しんでくださいね。

何か しても しなくても。confident heart04
 

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