2024年08月08日

普遍の答えはどこに。

本当の正解 つまり 真理とはなんぞや、

というところから始まった答え探し。50年くらいかかってようやく見つかったのは、

正解などという一定の答えは無い ということ

一人一人の人生で これだ と思えるものはそれぞれに違っていて

どれ一つ同じではない。

あなたらしく というのはそういうことだ。

貴方の答えはあなたの中にしかなく、他者の答えは本人の中にしかない。

社会のるーるや周囲の基準、家族の思惑など、良い悪いに分別するいろんな基準があるけれど、

それは正解なわけではない。

同じ事柄でも人が違えば違うように作用するし、違うように感じられるし、

うまくいくかどうかも、その人の状態によって変わって来る。

自分が納得のいく結果が欲しいと思うなら、己の求めているものをしっかりと見据えて行動したり、

全力で体験をして 思い通りにならないことを経験して、

自分の思い込みにすら思い違いがあったことに気付き、一つづつ

自分のあるがままとはなんだったのか を発見していく。

人生は長い旅だ。いや、終わってみれば短い旅かもだけど。

できることや時間に制限があり、その中で何をするかを決め、

闇雲に体験する という 妙な旅だ。

ヒントもなく、時には間違ったルールが最初にあったり、

不自由な制限からスタートすることもある。

この世界がそんなに広いことも知らず、目に見える目先の事だけを手掛かりに何かを探しているのである。

わけわかんねぇ世界。 

でも、そこに探すべきものがある ということにふと気づき、

手がかりの無いところから、あちこちさまよってヒントを探し、

結果的に何十世代も繰り返しながら、現代に到っているのだろう。

今もまだ過渡期かもしれないけど、

本当はヒントは何千年も前に見つけた人がいて、

ご丁寧にそれを世界に伝えるべく広報活動までくていれていたりする。

目の前の現実しかめていない人には理解不能だったり、その中でも何人かはそれを理解しようとし、

一定数の理解者が育って行った。

そして、なんとなくそれを掴み始め 理解したと言えなくもない所に来て思う事、言えること。

悟れば苦悩は消える。

全てが縁で繋がり、今の現実を展開させた自分 この世界は私の現われなのです。

何のために生きているのか? の答えは

生きるという事を体験するため。

何をしてもいいので、皆、自分の思うようにしている。

何かに縛られてそのように生かされていると思っている人は、

その立場をすることを選んでそこにいる。

それ以外のことをできないというルールを自分に当てはめ、そこから出ないことを選択し続ける。

そんなことも自由なのだ。

出れないのではない。出たくない のだ。

出たいという自分の本心を、マインドがストップをかけ、縛る。

マインドは形のない鎖である。目に見えない壁。

本率はそんな人間の性質を利用して作られた 目に見えない制限なのである。

「守らなきゃ罰(ペナルティー)ね~」という圧 と 怖れ。

人間の性質を利用したコントロール方法だ。

集団幻想の場合、それを実践しようとするマインドが多数発生するのでそういうものが同調圧力として働くし

ホンモノの物質の檻も出来上がる。

ジャングルに猛獣が生息するように、都会には目に見えない複雑な制限システムも存在する。

あなたは、都会で生きても、田舎で生きても、ジャングルで生きても、どれでもいいのだ。

ただ、慣れていない場所に恐怖を感じる。

マインドは未知の領域が大嫌いだ。

未知 というリスクを避けるために 居心地の悪い既知を選びたがる。

神様は言う。

どっちでもいいけんね。どっちゃでもええんやで。

さあ、あなたは自由です

好きなように生きてみなさい。

 

世界、不親切だよ~ って思ったんです。
わかんねぇよ、聞いてねえよ そんなの~ って。

でも、どうやら、人類発生の古代からそういうものらしい。

一生やそこらで見つけ切れないのが普通。昔は出会えることすら稀だった。

しかし、、、

インターネットなどというツールが出て来てから
一気に拡がった情報。 今はヒントもいくらでも見つけられる。
わかった人がどんどん発信するからね。

興味を持ちさえすればね。情報はある。

でも、けっこう複雑というか、いや、

元々のこちらのマインドの方が複雑にこじれているので
答側の超シンプルがどうにも掴めない。

こじれた複雑を掃除して取り払ってしまわないと
この世界のシンプルさは見えない。

面倒臭~ と嫌になってしまった人は、

何もかも放り出して、「幸せでいよう!」と 飛び出してください。

それが答えです。

 

余談ですが、
神への問いかけは、発信して そして、しばし待つ。
忘れた頃に答えが降ります。なので発信後はすぐ手放す。
願い事も同じ。

今日は九州地方、地震があって一時緊張感が走りました。
宮﨑のお友達が無事で胸を撫でおろしました。
福岡は震度2~3の微弱な揺れでした。

寅に翼の新キャラ

前回の朝ドラの話
もうちょっと書いてみたいと思います。😅

朝ドラのことが書きたくなったのは、

新潟編で登場した闇深キャラ女子高生 サイコパス美佐江ちゃんの登場で一気に緊張感が増しまして、

寅子が凍り付いておりましたねぇ 「うわぁ~、これどういう展開になるんやろ~」と
身を乗り出してしまいました。(ドラマを見ていない方ごめんなさい)

サイコパス美佐江ちゃんは、頭が良すぎて 体験は少ない 

どうして(悪い)人を殺したらいけないんでしょうか? という発言を出しちゃいまして、

思わず その答えは??? ってマジで考えたりして。。。

戦争で大切な家族を何人も失った寅子さんは 絶句ですよね。

人を殺しちゃいけないに決まってるだろ~ なんて叫んじゃいたい人も多いはず。
痛みを体験した人はそれがどんなに痛く、残酷な事なのか と思う訳ですが、
美佐江ちゃんは 痛みよりも正義とか合理性にウェイトが行っちゃうんでしょうね。

でも、考えてみたら
戦争では堂々と殺し合いするんです。人間は。

そこでは 正義 という大義名分で 免罪符持っちゃうんですよ。

何なら良くて何なら良くない という基準は意外といい加減に設定されているような気がする。

ううん、たぶん、最初に誰かの都合が先にあって、正義という理由すらも後付けかもしれない。

敵国の人間は殺してもいいと設定すると その対象は虫けらのように見えるんでしょうか、
婦女子でも欲望に任せて蹂躙したりなんかして。
どうせ殺すんだから何してもいい? そういう兵士たちは裁かれるわけではない。
戦争 という 特殊な環境下ではルールが変わる。

これはどこの国の人間がマトモでどこの国の人間が狂ってる ってことじゃなく、

どこの国の人間もそういうことしてきた歴史があるんですよね、殺し合いも強姦も。

我々日本も 身分制度のある時代では切り捨て御免もあったわけで、、

それなのに 今のルールがこの世界の全てのように思っているのは なんだか奇妙。。

美佐江ちゃんの質問はまんざら愚問でもないのだ。。今の価値観からは外れるけども。
(これは決してそれを容認するものではないのですが、人間のルールの矛盾と言いますか。。。)

法律は正義か? というと 実際そうでもないものもあるし、

徐々には変化していますけども、不平等な法律とか、一部の人間に都合のいい法律とかありますしね。

死刑というのは殺人ではないのか? とか 

答えの出ていない問題も未だにある。

こういう問題を考える時、私がいつも思い出すのは、殺してはいけないのは、人間だけなのか? ということ

人間以外の生き物は? 

人間のマインドって不思議なんです。

ここまでは〇、ここからは× なんて、線引きすると その境界線で罪の意識を完全に分けてしまえる。

貴族は殺したら大罪だけど、奴隷は不問 とか。
家畜は殺していいけど、ペットはダメ とか。
牛や豚は食べていいけど、人間はダメ とか。 
人間を食べたら狂気だけど、 牛や豚やそれ以外の動物は目を輝かせて食べちゃう とか。

もっと突っ込んでみると、食物連鎖というものがあるので、肉食は自然の摂理なのでそれ自体があってはならないこと というわけでもない。

人間は雑食性だし。お肉も食べるようにはできているし。

いちばん気持ち悪いのは、焼き肉屋さんの看板に牛や豚がコックの格好をしていたり、ナイフやフォークを持ってたりするもの。

どうしてそういう図になるわけ? とツッコミたくなる。

彼らにとっては殺戮に他ならないのになぁ。切り刻むなんて猟奇的~

映画の「マトリックス」で食肉用に生産されている人間が、最初は使役で仕事をあてがわれて奴隷状態なんだけど、

ある程度育つとそこを卒業して人肉分解して食用プロテインに加工する工場に送り込まれる、

そういうのは胸糞悪くなるのに、なんで現存する堵殺場はOKなんだろ?って思いますし。

かといってああだこうだ言ってる私はヴィーガンでもなくてお肉も食べます。

私、もしかしたらサイコパスかも~。堵殺場の事知っていてお肉食べれてる。

自分が生き物である以上、罪を犯していないことなど無いと思うのですね。
(だから余計に食べ物を無駄にすることに怒りを感じるのかもしれないのですが。)

動物もテリトリー争いで同族で殺し合いもしますが、人間は話し合いで解決できるのか?というと

未だに殺し合ってますよねぇ。

第三次世界大戦までやっちゃうんでしょうか?

そういう意味では 人間ってけっこうな下等動物じゃないか と。

本当に進化して高度な知能と意識を獲得したら、殺し合いをせずに、人口をコントロールしたり格差を縮めて

分配したりするようになるんでしょうかね。

そういえば、お釈迦様が前世に、自分の身を飢えた虎に捧げた話などもありますが、
それは自殺とは言わないんですかね とか

なんだか奇妙なことがいろいろとあるんですよ。

何がマトモで 何がマトモでないか

正しさとは何か? これはたぶん、未だに解明されていないのかもしれません。

自分が持つ正義というものに 何の疑いも持っていないという方が

実は恐ろしいのかもしれません。

本当は正しさなんてどこにもない。あるのはそれぞれの都合だけ。

他者に怒りを感じる時、それはあなたの都合なんです。

あなたの正義の都合

自分の都合と自分以外の都合を 両方考えられるようになった時、

バランスを取る という解決方法が使えるようになります。