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スタッフブログ

瞑想の先生

私の最初の瞑想の先生 阿部敏郎さん のことをご紹介します

瞑想者はご存じの方が多いことと思います。

悟りのことをお話しする方です。今はNIKE瞑想という瞑想指導と 禅サンガという悟りのスクールをされています。

以前はELM瞑想の前身のフルフィルメント瞑想の瞑想教師をされていてその時に私は阿部さんから瞑想の伝授を受けました。

今はフルフィルからより禅に近い考え方で瞑想指導をされていて沢山の瞑想者の指導をされておられます。

私は禅サンガには入っていないのでスクールの内容など詳しい事はわかりませんが、

最近拝見したYoutube動画で これは皆さんにも聞いてもらいたいなぁ とおもったものがありましたのでここでご紹介させていただきます。

どんなお話をされるかご興味のある方は 次の画像をクリックしてください

画像をクリックすると先日の阿部さんのブログに飛びますのでそのページからYoutube動画を見ることができます

202141411326.jpg

 

愛を探しておられる方がいらっしゃいますか?

愛はどこにあると思いますか?

幸せな家庭

幸せなパートナー関係

幸せな環境・・・

それらは私たちをとっても幸せな気持ちにしてくれます

でも、本当は それを作っているのは私達自身

無意識の意識の波動があなたの運命を連れてきます。

 

無意識ですから意識的にはどうしようもないものもあります

それで私たちは瞑想で無意識の波動を整えて

平和で幸福であることを選択していきます。

現実は、自分が手を下さなければ 良い方向に向かわないんじゃないか と思い込んでいると

くつろいで流れに任せる ということができません。

そこには 出来事に対する恐れがくっついています。

それこそがカルマの感覚です。

自分や先祖が体験した不幸な出来事の体感の記憶 

それがカルマの感覚です

内側に詰まっていた怖れや悲しみを手放すことができたら

あなたの中心にある愛が現れます

中心にある真我の愛を隠しているのはカルマです。

カルマが覆うと愛は隠されてしまうのです。

ELM瞑想はそういった無意識のエリアに潜むカルマを揺さぶり、解放してしまいます。

瞑想効果によってカルマが解放されていますと

内側に溜まっていたカルマは消え

あなたの内側には真我の感覚が拡がります

それは ただ 覆っていた悪夢のようなカルマが落ちるだけのことなのです。

もう怖れや不安は 存在しません。

そんな感覚を味わってみたい方は ELM瞑想の瞑想習慣を日常に取り入れてください。

あなたは命という愛でできています。

それは永遠になくならないものなのです。

地球

内側の静寂

6日ぶりの更新です

みなさまいかがお過ごしでしょうか?

4月から新しいステージが開けた という声をよくお聞きします。

アトリエ霽月は 仏画のイベントが一段落してからは静かな日常です。

面白いもので 頭の中のモードって 何をするかで使うところが違いますよね。

絵の制作時は 時間を意識するところが休んでいるようで

やはり瞑想と感覚が近いようです。

時間と同時に言葉も消えたりします。

不思議な感覚です。

先日から 合間に非二元の話題を書こうとしていましたが、

これもまた 言葉で説明するうちに何か焦点がずれてしまうので 

まとまらず難しいな と感じていました。

非二元は、自我が落ちた時、あるいは静まった時、自分がそのものと一致する感覚になります。

全ては元々 基本がが非二元 なのです。それを分離させているのは 自我の意識です。

自我は 身体の意識で、この体を守るために何かを感じたり、考えたりし続けます。

危機感が消えている時は それを使わなくても大丈夫なので、

リラックスすると現れるわけですね。

静かに目をつむり、今 ここに 平和に存在していることで 自分自身が世界と一致することができます。

瞑想時は 自覚があってもなくても 

意識が非二元のエリアまで拡がっています。

ELM瞑想の30分の間に 拡大して非二元(ワンネス)を体感する時間を体験していますが、その時間が長くなった時は 深い瞑想 という感じになります。

でも、瞑想で大事なのは 騒がしい感覚を外に解放する浄化作用ですから

騒がしい瞑想こそ 頑張って瞑想を続けますと

だんだん ヨギのように瞑想者 という実感をもてるようになっていきます。

私たちの意識は 自我の奥深く 最初からずっとあった 真我で

何とも隔ての無いこの世界そのものだ ということを実感するようになります

それは内側のお掃除(浄化)が進んだ時、

誰にでも現れる感覚で それに気付き始めるのが悟りの入口 なんですね。

悟りには、 瞑想の実践が大事です

仏像ディティール

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月までの

意識と思考

人間は地球上で一番 脳が発達した生き物です。

記憶力がすぐれ、イメージを取り扱うことができる唯一の生き物だそうです。

これほどに文明を発達させて すごいですよね。

ホモサピエンスが地球上に出てきて10万年ほどだそうですが、

動物だった祖先が知性を持つようになり言語を操ったり

農耕をするようになって 地球の主のように繁栄してしまった今があります。

でも この主?のような人間、あまり地球に優しくないんですね。

目先の欲にとらわれるものですから 同族で奪い合いとか殺し合いまでする始末

そんな愚かしい野蛮な文明が ここにきて進化しようとしています。

そう、こんなに大勢で貪り奪い合うことをしていたら 他の種族を巻き込んで絶滅まっしぐらですから。

絶滅回避に気付き始める時期 ですね。

で、ここで まだ気が付かない目先の欲に翻弄されている個体を叩いても

ダメなんですね。

いつ始まるか、まだなのかと長らくささやかれていましたが、

天変地異やコロナと共に来ましたよね。

ダルマのやり方って突拍子もなく効果的!(少々乱暴)

そもそも 喧嘩や争いしてる場合じゃない。

支配しようとしたら 堂々巡りです。個人の主張なんてのも無意味

正義の押し付けも 奪い合いや欠乏感も 愛の不足から発生してしまう ということに気付く必要があります。

そう、全ての一人一人が 己の中の欠乏感と向き合って 癒し 満たされて初めて

このアセンションという進化が進むのです。

批判は無用です。

愛 が 進化の鍵です。

己の内側の愛の扉を開けた人から アセンションが成就いたします。 

悟り ですね。

 

花まつりライブペインティング

4月4日 花まつり ライブペインティング 無事終了しました

雨天の中おいでくださった参拝者のみなさま、圓應寺のみなさま、法要イベントの関係者のみなさま 応援くださったみなさま ありがとうございましたshine

師走以降、展覧会準備からこちら、ずっと走ってきた感がありまして

ようやく一段落した心持です。

2021.4.4圓應寺花まつりライブ

20214601215.jpg

ライブで描いた誕生仏は、若干時間が足らない感じで

少々 未消化。coldsweats01

ライブは時間との闘いですが、

今回はちょっと内容を欲張ってしまいましたので

最後、走ってしまいました。
短時間で完璧な作品・・・ 次回の課題です。。。

しかし、ゆっくりもしている暇はなく、すぐに次の作品に取り掛からねばなのですが

疲れが取れないと集中力が発揮できず 逆に時間がかかってしまうので

無理は禁物。 休む と 描く は メリハリが必要です。

今 この瞬間を大切に生きよう

改めて そう思うのでした。

それと、、

本日の仏画教室で ずっとおしゃべりしていた生徒さんが

教室の終了時間に 「今日はすごく集中して描いたわ」と おっしゃったので

Σ(゚Д゚)マジで!? と 思った 面白い1日でした。 

実はワタクシ、自分が集中してる時は どんなに騒がしくても話しかけられても ほぼ無視できる(別名ウワノソラ) という特技があるのですが、

集中したいのに入れない という人にとっては騒がしいのはNGかも。

私もたまにお喋りが過ぎることがあるので 戒めにしたいと思います。

ちなみに 仏画を描く時は 最低限 人の悪口はNGですかね。

お釈迦様に申し訳ないですから。

仏画ライブペインティング

もう日が変わって 本日は圓應寺でのライブペインティングの日です。

瞑想の話題は終わってからゆっくりいたしますね

ライブ ですが、

4月8日の花まつりの法要イベントが前倒しで日曜日の4日に行われます。

描くのはもちろん誕生仏ですが、

昨年の誕生仏とちょっとデザインが違います。

どんなベビーブッダが出てくるか こうご期待

また終わりましたらご報告いたします。

写真は先日描いた誕生仏の日本画作品

昨年の花まつりの構図を少しアレンジしたものです

ベビーブッダ

全ての存在が一つ の 天上天下唯我独尊 

最近のおすすめ

3月が終わろうとしています。もう4月ですね。 happy02

暖かくなってまいりました。
今日は表装作業中 暑くなってきて、窓を開けました。

風が心地いいです confident cherryblossom

今日は初めて表装を習いに来た生徒さんがいて

表装講習。個人レッスンですが。

なんだか感動的shine

写真を撮っておけばよかった といつも後から思う のですが・・・coldsweats01

いつもながら何か熱中するとぶっ飛んでしまいますね catface

今年はすでに2件 仏画注文制作のお仕事を頂いておりまして、

瞑想教室と仏画教室の合間はもっぱら制作な日々です。

昔、仏教美術工房に勤めていた時は いつもFMラジオがかかっていたものですが、

最近はもっぱら Youtube

音楽動画にも飽き、人生相談カウンセリングも飽き、

中田あっちゃんのYoutube大学ブームが少し落ち着きまして、

このところハマっているのが 

雲黒斎さんの「うんちャンネル」 と

中村咲太さんの「宇宙くんの手紙」 というチャンネル

このお二方、悟り意識を生きていらっしゃる

それをまた 上手に言葉にするんです。

もう拍手喝采もの

ご興味がある方が何万人も集まっちゃってます。

質問攻めにあって嬉々としてお答えしてくださる様子がなかなか楽しいです(笑)

悟りが何なのか知りたい方はぜひ見てみてください happy01heart01

 

黒斎さんは理論派 男性向き

あの世に聞いたこの世の話

 

咲太さんは癒し系 女性向き

宇宙くん日めくり

画像をクリックしますとYoutubeのそれぞれの動画リストページに飛びます

 

ラジオ代わりのスピリチュアル

若い世代も悟りにまっしぐらですね!

楽しみだなぁheart04

期待を裏切られる

腹が立つ時ってありますよね。

なんだそれ!?

やめてよ

だめじゃん

失礼だな

ムカつく

ショック!

ひどい

このやろう!

 

などなど、いろんな反応があると思いますが、happy02

誰でもそういう怒りの感情 起きます

そういう時、相手に誰かに悪意があるようにとらえてしまうことがあります?

よくもそんなことができるな、ひどい奴にゃ 

なんて とらえていたりしませんか?

それは本当にそうなのでしょうか?

やってくれた本人は憤るあなたを見て

「クックック、ざまあみろ」って 言ってると思いますか?

相手はあなたを困らせて 怒らせて どう思って、どう感じていると思いますか?

もし逆の立場をあなたが経験したら、その時あなたはどんな気持ちでいるか 想像できますか?

 

 

・・・

こう聞いたら、ある友人は

「自分はそういうことしないからその人の気持ちなんかわからない」って言ったんですが、

その人は自分が意図したことじゃなくて、何かミスをしてよく上司を怒らせてはこう言いました

「わざとじゃないのに」

 

みんなわざとじゃないです

人が嫌がることをわざわざやって楽しむ人って幼稚園か小学校1年生の男子が好きな女の子にちょっかいするような感じでしょうか 心が幼いですよね。
そんな大人はそんなにいないです。

あなたが腹を立てているその人は なぜそれをしてしまったのか

あなたは同じ失敗をこれまでの人生でしたことが無いのか

そんなことを想像すると 誰も責められない ってことがだんだんわかってきます。

程度や材料こそ違え、やっていることは みな同じような事だったりします。

それがあなたはもう絶対しないミスだったとしても、

あなたは一人前になるまでそれをしたことがあるか

もしくは偶然がやってくれば 不可避なこともおおいのです。

誰かがする失敗は みんなでフォローすれば

すぐに挽回できることも多く、

元に戻らなくても なんとかなるものなのです。

みんなが誰かのフォローを協力すれば すぐに元通り以上の状況が

挽回していくものです。

 

理想よりも 今を大切に生きてくださいね。

思い通りにならない世界は面白がって楽しんで進みましょう

期待していると 期待以外の現実にガッカリします

期待がないと 純粋にエネルギーを楽しめますよ。

 

 

思考

このところ、思考につかまることが何度か起こりまして

居心地が悪いので思考する → 余計に居心地が悪くなって更に思考する

という沼にハマリ

あ、思考が原因か と我に返る → 笑う

というところに戻って参りました。(笑)

最初から笑ってていいんです (笑)

笑顔は世界平和 heart01

居心地が悪いと思考する というのは私の癖ですね。

何か思考で解決しようとする癖らしいです。

意図してやってません。

勝手にそうなるので 気が付いたら修正します。

瞑想をさぼっているとそうなりやすいので

やはり瞑想は大事です。

内側のホコリ(雑念)を お掃除するのが瞑想です

思考は 有意義なことを考えているつもりだったりしますが、

思考は短めに切り上げるのが良いように思います。

瞑想した方が 良いアイデアが閃きます。

今日も楽しく瞑想しましょう。

 

ちなみに、瞑想は 心地悪い瞑想の方が、瞑想のメリットが大きいです

心地悪さはカルマのエネルギーなので

それが沢山出てくれた方が浄化が進むからです。

カルマが少ない人は 出るものも少ないですが、

それはそれで 毎日お掃除をして玄関が綺麗、お部屋が綺麗

というのと同じように

丁寧に整えられたおうちは気持ちの良いものです。
散らかっていても 温かいおうちもありますから

無理にめざさなくても大丈夫です。

愛があって 更にスッキリした場所にいたら最高

shinehappy01shine
 

認識

目の前の出来事をどうとらえるかは 人によって様々です。

起きたことがひどいことなのかよかったことなのか

あなたはその出来事・その相手をどうとらえているでしょうか?

 

こんなにひどいのよ 

私はこんなにひどい目にあったのよ

というアピール

その昔、自分にも身に覚えがあるので

その行為を批判しようとは思いません。

人はそれをしてしまうこともあるのです。

 

出来事に自分がとても傷ついたり、辛いと思ったことに対して、

心の痛みを他者に分かって欲しいのですが

分かって やさしくしてもらいたい という意図が無意識にあるのでしょうが

私はこんなに辛い目に遭った 嫌だった という主張をけっこう必死にしていたりします。

無意識です。その主張は衝動から来ているので、あまり意図的ではないのです。

でも、聞く側は、そのアピールは 無意識の意図の方が見えるので

「この人、自分が被害者だと主張している」と感じてしまいます。

アピール にしか見えません。

言う側は (ほぼ無意識に)相手に納得して同情してもらいたかったりするので

裏を見透かしてる相手の冷ややかな反応に焦りを感じて

さらにアピールが過熱します。

延々と自分の不幸を語ってしまうのです。

伝わったという満足感が無いので終わりがありません。

それがいかに不可避でひどく、私は悪くなかった ということを話し始めます。

こういう時 聞いている側はとても居心地悪く感じています。

でも話している側は、自分がしている波動の低い行動に気付いていません。

無意識の意図に没頭してしまうからです。

「理解してほしい」・・・「どうしてわかってくれないの?」「どうして受け止めてくれないの?」

それは自我の視点

そこから見ている限りは 真実は見ることができません。

被害者というフィルターごしに見た世界を伝えようとしているので

そのフィルターを持っていない人には 違和感が伝わっています。

そういう人同士は繋がりや接点が薄れていきます。

波動が合わない という現象です。

疎遠になってしまいます。

 

この場合、話をする側に自覚がないことが多かったりします。

気が付いていれば自分で修正するので、

言い続けている間は自覚がないだけなのです。

ただ、起きたことを話しているだけです。

愚痴とも思っていない。

「だって、そうだったんだ」 と思っています

その記憶は カルマというフィルター越しに見た世界なので

その痛みは 誰かの悪意によって起きたものではありません。

ただ偶然に起きてしまった 摩擦 なのです

出会い頭に誰かとぶつかって

痛てててて (>_<)

面食らって (;´Д`)

すぐに「ごめんなさい、大丈夫?」とは 言えなかった

そのかわりに

「なんだこの野郎、痛てぇな!」と言ってしまった

そこからの展開なのです

「ごめんなさい」と言うか「なんだこの野郎」と言うかの違いは

とても大きいのです。

他者から大事に扱われているか と気にしているベースと

他者を大事に出来ているかを気がけているベースの

波動の違い

もちろん、誰かを傷つけることを恐れている波動と、大事に扱いたいと思う愛の波動も随分違います。

自分を責めすぎる人

そこには違うカルマがあります。

同じ行動で波動が違う これは大きな差が生じます。

どう違うのか?

外側から見た時の印象を想像してみれば

その違いはよくわかるんじゃないかな と 思います。

人間は 自分のことが一番わからない生き物だったりします。

他人のことはよくわかるのに。

 

己を知ることから始まります。

 

本当は良いも悪いもありません。

ただ出来事があるだけなのです。
それぞれの都合で 好ましい好ましくない が 発生します。

エゴの視点からの脱却

悟りのポイントです

ただ、事が起きているだけ

良いも悪いもない。

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