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スタッフブログ

意識と無意識

日中は暑いと感じる日もありますね。

アトリエ霽月は南北に窓があるので両方を空けると風が通って気持ちが良いです。

心地よい時は 思考が休憩して心地よいという体感を味わっている「いまここ」の状態です

 

最近、Youtubeで「神戸メンタルサービス」というチャンネルを見つけて

代表の平準司さんのお話が面白くて聞くことが多いのですが

「人間の意識と無意識の対比は、1:99です」と言われているのを聞いて へぇー coldsweats02 と驚きました。

ネットで検索してみると、何を基準にするかにもよるみたいですが、少なくとも90%以上が無意識だということは確かなようです。

人間は 自分が自分の意志でなんでも決めてコントロールしてるつもりなのですが、

実はほとんど全部(大部分)が自動的に起こっていたんですね。

ふむふむ、そうかもしれない。

私などは 何か決めてるようで全く決めてないかもしれない。

メニューを決める時などは どれも美味しそうで一つを選べなくて
その中のAを選ぼうと思って注文時に「C」と言ってみたり(笑)

食事の準備をしていて、ほうれん草はバター炒めにしようと思っていたのに出来たのはお浸し とか 
献立が全然違うものに仕上がったりして (笑)

自分が何をするのか ちょっとわからないんですよ。(爆

マジで、言ったことをするかどうかは してみないとわからない (笑)

すぐに忘れるしですね。。。 coldsweats01

あ、一貫性が無い というわけではございません。

行動が 自動なので 前もって聞かれても答えられないことが多い というだけで。

たびたび困惑するのがですね、調理中に 夫が手伝おうか と言ってくれる時

指示できないんですよ。動きながらじゃないと次にやることが見えて来なかったり、

3品くらい同時進行で作ってると、お喋り機能はOFFになるようで、

「う~ん、、、」しか言わなくなる  という・・・coldsweats01

これ、絵を描いてる時も同じ。

一体誰が料理やお絵かきしているのでしょうか・・・ coldsweats02

私じゃないかもしれないですね。。。

うんうん、職場で 上司の指示が悪い って 非難しないであげてくださいね~

いっぱいいっぱいで 出来ないのかもしれません。

仕事しながら教えるのは難易度高いですからねぇ。

あなたならできても、上司ができる人かどうかは わかりませんからね。coldsweats01

人間のやることは それほど 完璧なものではありません。

でもでも、

不完全ながら、なんとかなっていくものだ ということも

心に留め置いていただくと 世界は平和で温かいものになります。

そうはいかない職種もあるかとは思いますが、

そういった人命に係わる仕事の方以外は

どうか おおらかにお過ごしくださいね。

また、細かく厳密にこだわりたいタイプの方は、

大多数の人々の苦手とする部署の担当を担ってくださいませ。

社会に貢献される事と思います。

そのこだわりは もしかしたら 無意識に発生するもの かもしれません。

 

なにしろ、殆どの現われは無意識なのです。 そして 人間は完全な生き物ではないですから
それを大前提として適材適所をいしきすれば、もっと安全も確保できるのではないかと思われます。

元々完璧でない人間に 無理などさせないでしょう。

あなたは あなたが得意な事をしてくださいね。

それは珍しい特別な事でなくともいいのです。

ヴィーガンランチ 

いつのまにか・・・

それぞれの人がそれぞれの世界観で生きています。

どんな世界観を作ったのか 自覚はあったり 無かったり。。。

自覚があったとしても それは後付け というか そうなったことの経緯や理由付けをしているだけだったりして

最初からそれを目指していた と言う人は本当に稀有かもしれません。

そうなった背景は 選んでいたわけではなく、

気が付くともうそこにあった

つまり自分の生まれた場所とか関わる人々とか

それらは 意図せず ただ与えられたもの であるからです。

自分を取りまくすべての要素は 与えられたもので 

それが与えられるご縁は 自分の無意識の行動や意識から繋がって行ったりします。

このあたりのこの世界の仕組みは なかなか教えてもらえる機会は少なかったんです。

そう、これまでの時代は特に。

でも 最近の流れは どんどんそれを解き明かす方向に向かっています。

と言っても、 解明するのとはちょっと違いますよね。

突き詰めてイメージを具体化していくこれまでの解明の手段では見つからない答えなんです。

それは フォーカスして具体化したイメージの呪縛から 解放されることで見つかります。

それは 今まで現実だと信じていた世界観の崩壊 のような感じがすると思います。

なので自我はそれを嫌がることが多いのです。

自我の意識はこれまでのルールに頼って生きて来たので

自分を護るためのルールや理屈を手放したがりません。

自我の意識は得ることが大好きなので 手放すことに抵抗があります。

不安や怖れを抱くんですよね。

でも、怖がることなどありません。

だって、実際 何にもしないんですもの。

手放す というのは なにかを捨てる という行為 ではなく

ただ、意識でそれにこだわったり執着するのをやめる だけのことなのです。

それ以外は普段と何も変わりません。

ただ、思いつめることをやめて、起きるままのことをジャッジせずに淡々と観察するだけ

特に執拗に観察する必要もありません。

見てても見ていなくても構わない、

ただ起きることの先のことを見てやろう というような気持ちで

そこに意図や予想やジャッジメントを差し挟まないだけ のことです。

私たち人間は 観察した事柄を判断して善悪に分け 今後起きる出来事を色分けするのに夢中でした

そしてそれらのことをコントロール下に置きたかったんです。

でも、幸か不幸か この世界はコントロールできないんですよ。

ほんの一時くらいは コントロールは効くかもしれません。

ほんの何十年かくらい コントロールの利くこともあるかもしれません。

でも 永遠はありません。

物質にしろ意識にしろ、エネルギーは蓄積された挙句オーバーフローを起こします。

我慢にも限界がある とか ダムが決壊する という現象が起きてしまうんです。

そう言う事すら予見して更にコントロールしようと人間の頭脳はフル回転するかもしれません。

でも、人間が把握しきるほど、この宇宙は小さなものではない ということがわかります。

私たちが見ている対象の後ろに広大な宇宙がある

いえ、見ている自分自身も その宇宙の一部でしかない流動体なのだ ということを認識して

現れそのものの観察を始めると 人間という生き物は実に滑稽に見えてまいります。

そしてまた 愚かでもあり、健気でもある 愛おしい生き物なんでしょう

きっと 神様がいるとしたら そのように見えるかもしれません。

全ての人間が 幸せでいたい と願いながら

それぞれにあっちゃこっちゃの見当違いの方向に突き進んで 試行錯誤を繰り返して

徐々に  本当に微かにずつ 世代を超えて 本当の幸せを見つけようとしています。

だけど、実際は その答えは 遠い彼方ではなく

本当に目の前にあるんです。

それを色眼鏡をかけていると見つからない。

そんなものではない と 教えられてきたり、

あるいは すぐに手に入らなかったことに拗ねてしまって

意地でもそれを手にしない など 

人間って 案外 バカなのかもしれないな って 神様は思っているかもしれませんね。

このことに気付くのは今の大人の愚かさを見て気付く 次の世代なので

人類は ほんの少しづつ 賢くなっているかもしれません。

今はまだ そう見えなかったとしても そうなんだと思います。

ただ、次世代が生き延びられる環境を 今の大人が汚したり貪り尽くしたりするのは

ぜひとも避けたいことなので

やはりこれからはサステナブル、持続可能な生き方へと修正していくことは必須でしょう。

そして なかなか腰の重い人間たちを この世界が どっこらしょ とひっくり返して

意識の転換を図る 近年の様子は かなり興味深い現象なんですよね。

問題は外側でなく自分自身の中にある それらを そっと手放してみてください。

そうすると 本当に自然な流れと この世界(宇宙)を 体験できることでしょう。

私たちは 本当は何にも所有することはできません。

それらは 常に ただの借り物でしかない

そして この身体も 期間限定の借り物ですので

その間は沢山 楽しい事をしましょう。

楽しさを増やすためには

善い事を沢山すればいいだけ です。

撒いた種はやがて 実を結びますから。

純粋な種は 純粋な実になり

邪(よこしま)な種は邪な実が生ります

タイムラグはあるにしろ、

本当にこの世界はわかりやすいんですよ。

条件で測ろうとするのはやめましょう。

一番幸せを感じることをしてください。

流れのままに

人の願望って いろいろあると思うんですが

本当の所 みんな 幸せでいたいものですよね (例外はあるかも?)

幸せを味わいたくて

 〇〇だったら幸せだろう とか △△を持っていたら幸せな気持ちになれるに違いない とか

もっと美しければ・・・ とか もっと強ければ・・・ とか 

もっとお金持ちだったら・・・ とか

あの人が居なかったら・・・ とか これでなければ・・・ とか あの人みたいに・・・ とか

私だけの何か誇れるもの・・・ とか, etc. 

幸せになりたくて それぞれにいろんなものを欲しがったり、何かを取り除きたがったり、どうにかなることを望むんだろうと思うんですね。

だけど、ある時 気が付いちゃうんですよ。

「ありゃ? 幸せって条件で得られるものじゃないかも!?」

そう、何かをしたりしなかったりしたら幸せになれる と思っているうちは 行けども行けども

条件が揃わない  もしくは  条件がそろっても次の問題が出てきてしまう  ということになります。

「いやいや、それはもうわかってるんですよ。条件ではないということはわかってる ただ、」

「現実がどうこう じゃなくて ただ悟りたいんですよ。それさえ体験出来れば」 と

悟りを追い求めてしまったりするんですけど、 これがまた 見当違いだったりするんです。

だって、悟り って 得るもの じゃないから。

その全く逆の ただ 自我が取れる 自我が落ちる 自我が無力化する 自我が諦める 手放す  ということが起きた時に、

『真我』 つまり 悟り がそこにある ということに気付きます。

え? 今までの苦悩と葛藤と 努力と 時間の浪費は どうしてくれんのよ!  って自我がこれまでの努力が無駄だったことを認めたがらずに 諦めることを拒んでしまうと 悟りの感覚は起きません

失って惜しいものがあるうちは この世界観に執着してしまいます。

自我は 手放すことを恐れます。怖いから手放せないんです。

この世の終わりみたいに感じてしまったり。。。

怖すぎるうちは 無理に手放さなくてもいいと思います。

流れに任せておけば いずれ要らないものは勝手に無くなって行きます。

流れに対しては 抵抗も時間の問題ですね。

構えるのをやめて 自分の身の上を 流れに委ねて生きられるようになると、

要らないものは去ってしまいますが、その後にもっと必要なものが与えられる 経験もします。

無くなって悲しんでいると、しばらくして あきらめがついたころに もっと良いものが目の前に現れます。

ああ、このためにあの喪失体験があったのね  って 思えるんですよ。

失って終わりじゃない。 次の流れが来るんです。

これは ちゃんと前の物に諦めをつけた時に 次の流れが来ますよね。

次の流れが来ない って不服を言うのは 失ったものへの執着を外していないのと同じことなので

何かが無くなったり増えたりした時に 流れに文句を言わない方がいいんでしょうね。

いつどんな形が現れるか なんて 神様にも答えられないでしょう。

時間かかる時もありますしね。 また、期待したものが来ないこともある

期待したのと違うものが与えられる ってことも。

つまり その望みは あなたに丁度いいものではなかった ということ。

ここで 幸せは (頭で思い描いていた幸せの形)条件ではない と気付き 

流れのままに今を生きる というスタンスになった時

悟りとか本当の幸せはこれか  という実感を持つようになります。

 

手放す時は 今までの価値観や世界観は崩壊するんですよね。しばし混乱するかもです。

大事すぎるものがある人は その執着が薄まらないうちは なかなかわかりづらいですので、

これまでのものは 手放す(執着しない)ようにしていきます。

大きく何かを失った人は それを受け入れた時に悟りを体験されることも多いので

瞑想もしていないのに 大きな喪失体験で悟りが開いてしまう方もいらっしゃいます。

なのでネガティブ体験は あなたが悟って苦を手放すためのきっかけ(プレゼント)だと言えるんですよね。

自我の意識はもがきますが、何が起きていても本当は大丈夫なのです。

 

実際、この命さえ 自分のもの ではなく 

ただこの意識は この世界に起きているだけのことだったりするのですから。

そうそう、プライド なんてものも 限りなく幻想です。

誰のためにもならず、あなたのためにもなってないなら そんなプライドは無い方がずっと自由で快適ですね。

 

幸せになりたくて 不幸にまっしぐら なのは残念なことですよ。

あなたは 簡単に幸せになってください。

つまらないものも 一見そうでないものも そっと手放してしまえばよいのです。

あがいてもあがかなくてもどっちでもいいんです。

あとは 自然の流れが淘汰していきます。

金襴流水に桜

画像は京都西陣織の金襴緞子の流水に桜模様

日本の伝統紋様は 自然の流れゆく様を美しくとらえるんですね。

アイソレーションタンク体験

2月から参加している 悟りのオンラインサロン『禅サンガ』

そこで最近話題になっているアイソレーションタンク というものにチャレンジしました。

アイソレーションタンク というのは ヒーリングの一種みたいなもので、

その説明はちょっと ウィキペディア(Wikipedia)さんを拝見。

『アイソレーション・タンク(Isolation tank)は、感覚を遮断するための装置であり、光や音が遮られた空間で、皮膚の温度に保たれた高濃度のエプソムソルト(硫酸マグネシウム)の塩水に浮かぶことで、皮膚感覚や重力の感覚を大きく制限することができる。

リラックスを目的として、また心理療法や代替医療として使われている。1990年代以降はヨーロッパを中心にフローティング・タンク(floating tank)と呼ばれることが多い。遮断タンク、瞑想タンク、サマディ・タンクとも呼ばれる。

アメリカ国立精神衛生研究所(NIMH)にて研究していたジョン・C・リリー(John C.Lilly)が、1954年に感覚遮断の研究のためにタンクを考案した。1950年代には感覚遮断の研究から注目され、体験は次第に神秘体験と比較されるようになった。1980年代には、リリー博士をモデルとした映画『アルタード・ステーツ』を機に一般にも流行した[5]。また、スポーツ選手のイメージトレーニングや単に学習のためにも用いられている。近年再び注目が集まり、タンクを所有する施設が増加している。研究はタンクの体験によって、ストレスや不安を軽減し、線維筋痛症の痛みや睡眠を改善することを示しているが、その研究規模が小さいとも指摘されている。』

とのこと。

割と昔からあったんですね、知らなかったです。

お風呂?っぽい感じ?ドームになってるお風呂その中に浮かぶらしい。

真っ暗、無音、無臭、重力を感じない という感覚刺激が極端に少ないということで意識だけを体験できる

究極の瞑想状態になれるんだそう・・・ という話を聞いて体験してみたくなりました。

福岡のアイソレーションタンクサロンを探してみると、ありましたね。長浜サニーの裏手にありました。

Calm Float カームフロート

Facebook Calm Float

早速電話で申し込みます。1週間ほど先の日程が取れました。

初めてなので最初に入り方や注意条項など丁寧に説明してもらいます

タンクに張られているお湯は エプソムソルトという塩が溶かしてある塩水だそうです

塩水といってもナトリウムではないので ナトリウムのようなショッパイ塩味じゃありません。

にがり?に近いのかな とかしたお水を飲ませてもらいましたが薄いと普通の水とかわらず、濃くても ちょっとだけ渋いくらいです。

健康にいいそう。

それから、シャワー 洗顔 シャンプーして 裸でフロートタンクに入ります。

アイソレーションタンク ⇓ こんな形 でっかい繭のような形のポッドです

2022520111543.jpg

中にエプソムソルトの塩水が張ってあり、ぬる湯よりぬるめの温水にぷか~って浮かぶんです。(浮力半端ない)

塩水が濃いのでお湯もトロッとしてます。

フロートタンク

カプセルホテルよりもずっと広い感じです。

大きな男性が入ってもつっかえない大きさです。

入ってから自分で電気のスイッチをオフにするのですが 真っ暗だし壁にも触らないので閉じ込められている感じはしません。

 

もうすごい浮いちゃう。浮きすぎでバランスがとりにくいほど。

脱力するとぷか~って浮きます。

で、ここは瞑想者なので マントラを拡げてみる・・・

・・・・・

・・・・・thunder

⁉ Σ( ̄ロ ̄lll) thunderthunderイタタタタ

染みるところが出て来てしまいました

自覚してませんでしたが、小いさい傷 あったんですね イテテテテ

辛抱できなくなり タンクから脱出して シャワーで流すこと3度

後から聞くと、傷にはワセリンを塗っておけばよかったのだそう   coldsweats01

そんなこんなで 瞑想状態は細切れになってしまいまして、

痛みのためになかなか五感からの解放 までにはならず 中途半端な瞑想になってしまいました。coldsweats01

また 傷が無い時に再チャレンジした方がよさそうです。

ちょっと残念に思いながらも 帰宅して気付いたことが。。。

それは 肌がサラサラのスベスベな手触りで、

身体がホカホカしていて 温泉に行った後みたいな感じで

その日は早々と眠たくなって コテっと寝てしまったのでした。

リラクセーション効果恐るべし です。

また機会を作って体験してみたいです。

生活が変化する機会

久々のブログ再開です。

しばらくご心配いただいておりましたが、

妹も退院して徐々に落ち着いてきた今日この頃です。 

ありがとうございますshine

私は 少々停滞していた仏画制作にいそしむ今日この頃でございます。rock

妹が入院中、しばしのお母さん代理で高校生のお弁当作りの早起き生活

終わってみると ちょっぴり寂しいかも。(姪っ子は可愛すぎました)

さすがに3週間も早起きすると6時に目が開いてしまうようになりまして、

最初は元に戻そうとしたのですが、あんまりきちんと6時に目が覚めるので、

瞑想教師先輩のオンライン朝瞑想会に参加してみることにしました。

東京の村上浩樹先生が毎朝6時半からオンライン瞑想会をされているんです。

これまではその時間は起きれないと思って 諦めていたのですが、

丁度いい時間に朝起きできるようになっているではありませんか⁉(笑)

浩樹先生、久々に画面で拝見しましたが、変わらず浩樹先生で(笑) 朝から笑顔にさせてもらいました(笑)

浩樹先生ありがとうございますshine

この際、早起き生活維持してみます(笑) 

朝の瞑想モチベーションが上がらない方はこちら(zoom瞑想会)、覗いてみてください。

最近は50名以上の瞑想者が参加されているそうで なかなかパワフルな瞑想の場です

今朝は なんと五島列島の浜べからの配信で、現地で参加されている方もいらっしゃいました happy02イイナ‐

浩樹先生朝瞑想告知

浩樹先生のFacebookページはこちらです

瞑想の誘導はアトリエ霽月で伝授するものとは別なようですので、独自にマントラ瞑想で入られると良いと思います。

明日以降 いくつかのお役立ち情報、配信してまいります。

 

現れ

昨夜のブログを読んでLINEを下さった方がおられたので続けて投稿したくなりました。
 
 
解放が起きている方も多いようですね。
そういう時期のようです。
こういうことはシンクロして同時多発的に起きるのが常です。
解放は、
ただただ 手放して下さい。
 
表面的に慌てていても内側の中心に静けさがあれば大丈夫なんです
表面は何かと慌ただしいもので、その変化があるからこそ
生きている  という実感があるんでしょうね。
魂は積極的に味わい、イベントを楽しみます。
どんなドラマを見ていますか?
脚本家になれそう? happy01
そう、人生の脚本を書いているのはあなた。
あなたの身の回りにある材料を使い、想像力を働かせて味付け。
 
因果の因は無意識にも紡がれております。

だけど、
何が起きたとしても
全ては調和していきます。
あなたの思いは抵抗するかもしれませんけど。
ただ事象は置き続け、そして淘汰されます。
 
そういう世界なんです。
 
流れに何かを投じ、起きる現象を見ています。
何かを投じても 投じなくても
流れは流れの方向に流れています。
 
流れの速い時、遅い時 があります。
場所によっては急流、停滞も起きる。
地形の影響とかありますからね。
障害物が存在すれば 流れは変則的に。
それは物理現象です。
エネルギーも同じ。
 
因果も全てが完璧に調和する世界です。
増えも減りもしません。
地球上の成分(五元素・ファイブエレメント)は、姿を変えたとしても。ずっと同じ量なのです。
地球上にある要素としてはね。
 
世界は常に対流していますので
 たらい に張った水を ぐるりと回しているのと同じですね
向こう側に行った水は戻ってきますよ
 
そんなこんな。
もう静かに眺めているモードになりますね(笑)
 
流れの波立ち、喧騒を眺めるもよし
スルーするもよし
喧騒に参加するもよし
 
何でもアリなんです。
 
あなたの好きなように。起きるままに。
 
カルマン渦

 

ニューライフ

あ、 っという間に

5月になっていました(笑)

暑いな と思う日も増えてきましたね。

良い季節です。

いかがお過ごしでしょうか?

私の所は、妹が入院をしたので、

姪っ子ちゃんが我が家に泊まりに来ています。

今回はちょっと長めかも。いつが終わりなのか把握しておりませんが。

きっと 「もう終わり?」って思うんだと思います。

夜型の私には珍しく6時前に起きてお弁当を作ったりするので、

時差ボケが生じております(笑)

ま、なんとかなるでしょう。

勤め人ではないので なんとかなります。

何がどうなっても なんとかなるものです。

 

今日はなんとかなる と言うお話。

何とかしなければならない これはもう手放してください。

あなたがするのではありません。

流れがします。

あなたが望みを持っているなら、

それが叶うかどうかは運次第。

その願いは叶うかもしれないし叶わないかもしれない。

あなたが望みを持っていないなら、

あなたは充分になんとかなって行きます。

そんなわけないじゃん と思っているあなたは、

そんなわけないでしょう。

でも、「なんとかなるもんだね」と思っているあなたは

なんとかなる奇跡を見るでしょう。

なんとかなる奇跡とか見たことない! って思うあなたは、

「何とかなるんだね」と思って自力でどうにかするのを手放してみてください。

すごくおもしろい何とかなる流れを見ることになります。

その時の注意事項(流れを妨げない方法)は

物惜しみをしないで 流れに任せきってください。

要らないものが去り、必要なものだけが残されます。

あなたに丁度いい、あなたに相応しいものが残ります。

今は それが気にいらなくても、ちょっと待ってみてください。

この世界はずっと変化しつづけているんです。

必死にならなくても

いつだって ここにいる

 

幸せです。shine

スイレン

上を向いて、 開いて、 息をして shine

命を感じてみましょう heart01

 

コントロールは 必要ありません。

新しい生き方にようこそshine

成り行き次第

なりゆきに委ねてみよう。

 

私達人間は ついつい物事をコントロールしたくなる

「あらあら、そうじゃないでしょ?こうやってって言ってるでしょ?なぜ言う事を聞いてくれないの?」

「そんなこともできないの?」「そんなこともわからないの?」

 

と、言われたら

「なぜ言う事を聞かなきゃいけないの?」とか「わからねぇに決まってるだろ」的なことを思ってしまう?(笑)

若い時のそれは 生意気で反抗的と思われ、叩かれがちですが、

今の私は そういうことを思っても、ちょっと方向性が違います

「ああ、言う事を聞いて欲しかったのね」「みんな思うことはそれぞれなんで言わないとわからないですね」

「この世界は思い通りにならないものですよ」

でも、逆に自分がそんな風に(そうじゃないでしょと)思ったりすることもありますよね。

「え~、できないんだ」「ちょっとちょっと、そうじゃない」「あー、それヤバいやつ」「あーらら。」

みんなが最初からちゃんとできるなら揉め事なんて起きないでしょうけど、ちょっと待って。

揉め事作っているのは 責めてる方なんですよね。

 

この世界は 思い通りにならないからこそ面白い世界だ とも。

全部思い通りになったら、ドラマは生まれないですからね。

ドラマ、楽しんでください。ドキドキ ハラハラ

それはただのドラマです。

コントロールしようと思わなければ いろんな展開を楽しむことができます。

結果を「これがいい!」って 決めちゃうと そうでない展開が許せないじゃないですか。

どのみち 思い通りの展開にならないのが常ですので

予想外を楽しんでください。 

なんでもあり。

それはかなり面白い世界です。

こだわり? 

そんなものは あってもなくてもどっちでもいいんですよ。

無駄なこだわりは どのみち剥ぎ取られますから。(笑)

無くなっても 困りません。

 

手放してみる

苦しみを手放したいと思って 悟りを求めて

悟りとは何か?が徐々にわかって来ると

これまで自分が悩まされていた問題が問題だったのではなくて

その事柄を問題にしていた自分の方が苦しみを創り出して

苦しみを握りしめていた ということに気付いていきます。

でも、意識は出来事をすぐに問題視したがるし、

何かあれば感情的な反応は自然と湧いて出てくる。

「嫌な事はやっぱりあるじゃん」と 思うのですが、

悟りとそうでない意識の違いは

その嫌な事をどうにかしたいと思っているかそうでないか の 違いだけだったりします。

え?嫌な事を放っておくの?そんなのいいの? って思うかもしれませんが

そんなんでいいんです。

だって、どうにかできると思っているところが苦しみの始まりだから。

抵抗=カルマの感情 なんですね。

「あー、嫌だ。」「あー、苦手だ」「もう、あっち行ってよ。やめてよ!」って

排除したいものができないことが苦悩なんですが、

そのどうにかする という意図を手放した状態なんですね。

「そんな、やられっぱなし とか無理」と思った時点でもう違う所にいるんです。

でも、あれこれ、考える前に手を出してやり返してたとしたら、それは意図ではないので違わないかも。(笑)

事はただ起きてしまうのです。

怒りも悲しみも痛みも悔しさも ただ起きてしまうだけ。

笑いや喜びが勝手に起きるのと同じように。それらは意図して出て来るものではないんです。

「よーし、次やられたら悔しがってやろう」なんて思わないですよね。

人間は頭で考えて自分や世界をコントロールできるものだと思うようになると悟りからは離れてしまいます。

でも、社会の中での教育は コントロールできることが真っ当な社会人、真っ当な大人 ということになっていますから、悟りと社会での役割や意識はどんどんかけ離れてしまいます。

それの何がよろしくないのか?と言いますと、

よろしくない というわけではないのですが、

社会にとってはそれが都合がよいのでそれが良いということになっているだけなんですが、

その思考やマインド優位で生きていますと、素直な感情をそのまま感じていてはならない というようなことが起きたり、

感性よりも仕組みやルールを重視してコントロールの中で生きることになるので、

それにはまらない感情にダメだしすることになっちゃうんですよね。

その結果 こんな自分じゃダメだ とか、

あんな人じゃダメだ とか

こんな私は大嫌い とか 

思考と感情が足並みをそろえてくれないとかいう 葛藤とストレスが

どんどん大きくなってしまうのです。

 

適材適所 ではなくて

個性を殺したコマとして生きることを強いられたり、

感情を無視して 理想の形だけを生きようとする。

この型にはめる という歪みがストレスと生きづらさです。

型に合わす という行為はデメリットだけしかない というわけではありません。

メリットもあるからこそ 人間はそれをしたがる。

でも、限度を越えたらデメリットの方が大きくなるのですが

ややこしいのは、人によって 持っている個性が違うので 何が合ってて何が合わないかはそれぞれ違う ということですね。

つまり、一つの正しさや 一つの正義 なんてものは無いんですよ。

この世界の中では いろんな要素を持ち合わせた人間や グループ、国家たちが

それぞれの正しさと利権を争って喧嘩したり奪い合ったりしてますが、

自分が生きている世界にネガティブなものをまき散らかすと、自分自身も生きにくくなる ということには気が付いてないんですよね。

そういう状態を仏教なんかでは無明 (暗闇の中で光が見えず狼狽えさまよっている状態)と呼ぶようです。

自らを闇に落とす生き方。

それは得策ではないように思えるのですが、

その真っただ中にいる方々にそう伝えても なかなか響いてくれなかったりします。

それは 彼らの中で 彼らの世界観の正しさの方が大事に見えてしまうから。

皆、自分の世界観しか見えていないので なかなか他の世界観は見えないですよね。

 

世界は今、人間たちに大きな揺さぶりをかけて、

『本当に大事なものはなんだろうね?』という問いかけをしているところ なようで

そのなかなかはっきりしない問いかけ、テーマと向き合うのが

私達人間の大きな学びなのでしょうね。

 

そうそう、答えはすぐに出ないし、1個ではない。

 

ただ、瞑想をして、無の境地にいると、答えはただ一つだということが見えてくるのです。

私たちは 存在

私たちは生きている命。

その命に、本当は、境目も始まりも終わりも無かった ということにだんだん気付いてゆくのです。

私たちはただ生きているのだ 

生きる ということをするために生きているのです。

同じ肉体はタイムリミットが設けられているので、

いろんな形に変容しながら命を紡いでいるそういう存在なのですね。

世界観は自由。(幼少期やDNAにも組み込まれた反応は変えられるものもあれば変わらないものもある)

肉体を脱げは、肉体の癖は消える。

今生では、この(性質や能力の)制限内でどう生きてみるか 可能性を楽しんでみてくださいね。

私の好みは、若い時は「チャレンジ」や「創造」 でしたが、

今は「愛」「楽しい事を選ぶ」「自由」でしょうか。

皆さんも好きなテーマを生きてみてくださいね。

 

今日は とりとめもなく言葉を綴ってみました

蓮

世界観

すっかり春の温かさですね。皆さまお元気にお過ごしでしょうか?

しばらくご無沙汰してしまいました。 久々のブログです。

 

このところしばらく多忙にしておりました。忙しさはもうしばらく続きます。

ブログが更新されない理由は忙しさ だけではなかったですね。

私は元々 左脳型で思考優位なんですが、最近頭の中のお話がすぐ終わってしまうみたいです。

何か課題があると、それについてしばらくあれこれ分析とか、解析?のような思考が始まりますが、

しばらくすると、「そんなこんなの思考も幻想なんですが」とツッコミがはいりますと

必死で考え続ける というモチベーションが無くなってきます coldsweats01

(解説したい欲求?でブログなどは書きあげるものの、思考だけだと持続しない)

そう、頭の中で正しいとか間違ってるとか量る必要がないんですよね。

昔(若い頃)は よくしていたけど、今は ほとんどしないこと ・・・それは

自己弁護

自分をわかってもらいたい などという願望が 本当に必要なくなってしまいました。

共感してもらう とか 理解してもらう、承認してもらう、肯定してもらう という必要性が

無いんですね。

そもそも、なぜそれが必要だったのか・・・。。

自分で自分のことを承認したり愛せていなかったからかな。

 

今は たとえ誰かに批判されたとしても、「ああ、そうかもね」とか「そうなんだ~。そんな風に見えるのか」と思って

だからどうこうしないといけない というのもまた別の問題で、

自分がしようと思えばするし、しようと思わなければしない。

それは前からもそうだったのかもだけど、更に人の意見に左右されなくなってきました。

「だって必要ならするでしょ」 

批判とか非難 というのは 価値観の問題だし、

自己弁護はほんとに必要がない。

で、更に  

過ぎたことをほとんど思い返さない。(健忘か!?)(笑)

まわりで起きていることをコントロールしようという願望が皆無。

それは私がすることじゃないと思っているから。

すべてのことは ただ起きるように起きる。

私が起こしているのでも誰かが起こしているのでもない。

ただ起きて 過ぎ去っていく。

そんな日常。

嫌な事を思い返さない。 必要がないから。

どんなことも起きる時は起きる。

 

ああ、今日もいい一日だ。

日が差していい気候。

暑くても寒くても大した問題じゃない。

何かが起きたら起きたで なんとかするだけ。

地球の裏側も平和になりますように。

本当は争う必要なんてない。

みんな 自分の内側の幻想に駆り立てられて 恐怖を生きてカルマを解放しながら

新たなカルマを作って行くのですが。。。(他者に苦しみを与えること)

わざわざ不幸に生きなくていいんだよ。

何も持っていないことに不安を抱く必要は無い。

なるようになる。なるようにしかならない。

己の内の愛に気付けば なんとでも。

豊かな始まりに立ちましょう。

新しい生き方のスタートです。(ニューライフ)

今日はもう春。

阿蘇五岳

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