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ダルマ

見えない鎖を解き放つ

壱岐リトリートがもうすぐです。残席が3名になりました。

迷っておられる方は早めにお申し込みください。

 

さて、瞑想と悟りのお話、これまで1000件ものブログ記事を書いてきて、かなりのことを言いつくした感があり、

私自信としては何をどう書いたものか 少々マンネリ という気分になります。

ただ、日々お悩みの方々には 何がこじれてそのような状態になっているか

お伝えしたいことは沢山あります。

最近、こちらにアクセスし始めた方や 何か気付きが欲しい と言う方はこのブログの過去記事で参考になることもあると思いますので 

関係ない日々徒然の雑談はスキップしつつ過去記事を見て頂ければと思います。

(簡潔にまとめられるといいのですが、現在編集する時間が取れず保留中です。すみません)

真理に気付くというのは、真理が見えなくなっている(見ることを邪魔している)自分の思い込みが取れる ということで、

私達現代人の日常は様々な思い込みや常識と思われている世界観に縛られています。

努力しない人はダメだ とか

向上心が無い奴はダメだ とか もそうですし、

善良でなければだめだ というのも

お金が無いと生きていけない とか

お人好しは損をする とかいうのも 

あらゆる形の思い込みが 私たちの生き方を歪める原因になっています。

私たちの生きる基準に

〇〇せねばならない。 〇〇してはならない。 〇〇すべきだ。 という断定事項は

本当は無いのです。

「?」 と 思った方にご説明します

私たちを裁くルールは 法的にはあり、国家やコミュニティでは集団でそれを共有しているため、コミュニティ内ではしてはならないことをした場合のペナルティ(罰則)があります。

でも、私たちの真実の姿、魂レベルでは ルールというものは存在しません。

ルールは皆の頭の中のイメージでしか存在できません。

それによって縛られるも縛られないのも 自由に変えられます。

「どういう意味?」と思う方がおられると思います。

魂レベルでは 私たちは自由です。 何をするかを自由に選ぶことができる。

ただ、この世界の物理的現象には制限やエネルギー法則がありますので

望んだとおりの結果が出るとは限りません。 

望んで、それを選んでも、望んでいた結果が出ないことがある。

つまり思い通りになるとは限らない 世界です。

 

何かを得ようと必死にアプローチするも、この世界の法則を知らないまま闇雲にアプローチしても

成らないのです。

試行錯誤を繰り返して、どうすれば望んでいた結果を得られるのか 壮大なチャレンジをするのが人生なのでしょうが、

一生のうちに答えが出るとは限りません。

間違った方向に努力しつづけても 結果は出ないのです。

間違えた分だけ 間違えた結果が出てくるだけなのです。

 

では 何が間違いなのか。

そこが問題です。

間違いと言っても、人によって望むものは違うので一口に言いにくいですが

満たされる と言う感覚

空腹 のようなものの場合、空腹と言う状態があって 食べることで満たされます。

これは状態ですのでその都度満たすということを繰り返すわけですが、飢饉とか

食糧危機の時は 大変です。

愛を知らない意識は 分け合うということをしないので、独り占めしたり奪ったりしますので

全体の苦しみの量が増えます。一か所だけに満たすエネルギーを閉じ込めてしまうからですね。

それは確保した人が幸福かというと 実はそうでもなくて、いつ失うか という不安を奪われる恐れと共にいます。

エネルギー的に非常に不安定な状態です。

エゴの意識はこの全体の状態をなかなか見ることができません。

 

自分が他者に分け与える ということは、自分もまた他者から分け与えらる可能性を生み出す ということです。

それは種まきのようなものです。

そこには豊かさの芽が生じます。

豊かになりたいなら 自分がエネルギーを循環させることが必要で、

それは愛のエネルギーと共に流れ始めます。

仏教で、言うお布施もその一つですが、それは愛のエネルギーを乗せて回してこそ役立ちます。

お布施をしないと不幸になる などというネガティブなエネルギーは決して乗せないでください。

喜びのために使われるお金が豊かさの流れを作ります。

脅して取るお金に豊かさのエネルギーは伴いません。

あなたは選ぶことができます。

自分が出すもの、受け取るものを選ぶことができます。

 

現代人は、物質主義に偏っているので、エネルギーを無視しがちです

エネルギーの流れは循環するスパンがゆっくりなのと、心の中のいろんなものが反映されるので、

一部だけ豊かにしても効果が出ないことがあります。

私たちが本当の豊かさを知り、実感することが必要になってきます。

不足感に満ちた現代社会で 豊かさを見失ったのが都会に住む現代人の大多数です。

 

いろんな生き方があります。お金だけが豊かなものではありません。

お金を介さない豊かさは この世界に溢れていることに気付いた時、資本主義社会の枠組みから抜けて自由に生きることが可能になってきます。

例え、資本主義国家の中にいても 思い込みの牢屋に閉じ込められるのではなく

自由な選択で豊かさを受け取ることができるようになります。

 

生きづらい今がある方は

あなたを縛る不自由な思い込み 手放し始めるチャンスです 

違和感

狙撃事件に関するニュースを見ていて、事件の詳細が徐々に明らかになってますね。

警察の取り調べで 犯人が自供したのは「自分の母親が宗教団体に入信して家のお金をお布施に注ぎ込んでしまって

その宗教団体に恨みを持ち、安倍晋三さんがその団体に関わっているようなので安倍さんを狙って狙撃した。安部さんの政治信条とは関係がない」という内容

この自供内容を知っているのかいないのか、

政治家のコメントで

「このような言論を封じる蛮行は絶対に許せない」「許せない政治テロですよ」というものが多いのに

え?そうじゃないって言ってるやん?ニュース聞いてないの? て妙な感じがするわけです。

蛮行はたしかに蛮行です。暴力で解決しようとするのは野蛮以外の何ものでもありません。それが有効だとしてもそこには必ずカルマが残ります。

安倍さんは政治家なので資本や権力財力を持った人たちと関わることは多かったでしょうし、宗教団体の指導者と懇意にすることは組織票獲得のためにも必要だっただろうと思いますが、

この犯人は たぶん無敵の人で自分の人生が詰んじゃったような人だと思うんですね。実家が宗教問題でぐちゃぐちゃ とかで。

いくら自分の人生がぐちゃぐちゃでも誰かを恨みに思っても 復讐をするのは法的に認められてませんのでしちゃいけないんですけど、

彼はやり場のない怒りを持て余し、復讐の鬼になっちゃったわけです。

無差別殺人をするほどバカじゃなかったのかもだけど、ターゲット間違ってしまって、世界に激震を与えるほどの犯人になってしまった。

私は この男と、プーチン氏は大して変わらないように見えるんです。

怒りに任せて誰かを叩きつぶそうとしてる。先のことなんて知ったことか もう殺るしかない と思ってるような気がする。

で、それはまだ分かるんです。自我がそういう風に動くこと

大多数のルールとは違いますがそういう感情の流れは起きうる

気持ち悪いのは 話をすり替えて、安倍元総理が英雄のように表現して 政敵からの凶弾に散った被害者のように言って選挙を自民優位な流れに持って行きたい意図が露骨に見えてですね。

もちろん、死者に悪口を言う必要はありません。旅立つ人へのはなむけ というものはあるでしょう

でもね、そういうことすら利用する?

人々がそんな言葉に乗せられるほどバカだと思っているのかな? って

もしそうなら、浅はかだ と思うわけです。

これで安部さんに同情して自民に入れたら、無敵の人は増えるばかりじゃないのかな って思います。

国民は目先の事じゃなく 本質的に大事なことを見直す機会を与えられていると思います。

投票率 上がるといいですが、選択肢を間違えると 試練は繰り返しまた選択のチャンスが与えられる というわけです。

我々人間は犠牲を払って学んでいるのです。

賢く生きることは大事です。

うまく立ち回ることが賢さだなんて思わないでください。目先の事しか見えないのは盲目と同じなのです。

指針を間違えると犠牲は大きくなるばかり。

犠牲は少ないにこしたことはありません。でも、人々が学ぶまで必要な流れは起きます。

世界は辛抱強く 意識が進化することを待っているのです。

 

政治家は大変だと思いますよ。

数百万、数千万、億 の自我の声を相手にしなければならないのです。

振り回されるようではできません。

真理を知らずにそれができるのだろうか?とさえ思ってしまいます。

いつかは 自然淘汰が起きるので 放っておいてもいいのかもしれませんが、

私達に今できることは 愛とは何か

本当に大事なものは何かを見つけていくことなんだと思います。

それ以外に大事な事なんてないかもしれません。

あなたが気がつけば 政治家もふさわしい人が出てきますから。

事件

参議院選挙が近いこの頃ですが、今日は元総理が襲撃される事件が起き、全国的に衝撃が走りました。

私は自民党支持者ではありませんが、どういう方針であれ 日本を良くしたいという思いで総理大臣という大変な責務をこなしてこられた努力はいかばかりか と思いますし、

暴力で命を絶たれることはとても悲しい出来事です。

お亡くなりになられた安倍晋三さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

暴力でコントロールするというのは とても原始的なやり方で

日本も江戸時代まではそれが通用していましたし、外国では今でも武力や暴力や脅しで国をコントロールしているところがあります。

このやり方は 怖れに基づいている方法です。殺らなけれな殺られる という思いです。

暴力で世界をコントロールする方法はとても原始的です。

これまでの世界ではライバルを淘汰して生き残ることが大事だと思われてきました。生存競争ですね。

でも、そんな野性的な生き方から 文化や文明が発達して私達人間の意識は 次の段階に進化しようとしているのです。

この地球上の生命が一つの命として調和していく意識です。

そこに敵は存在しません。

人間の意識は 全体の連鎖を見渡せるほど発達・拡大する準備ができてきたのです。

場所と時を越えて繋がる意識へと。

 

この身体が私なのではありません。

この狭い肉体にとらわれているのが私の意識ではないのです。

私はどこにも閉じ込められてはいない。

肉体を越えた命に意識を馳せる時、

ライバルや小競り合い、いさかいや争い、カルマの感情も、霧のように消えて 命は永遠となるのです。

その時、苦しみは存在できません。

大いなる愛でしかない意識です。

私たちの本質は命であり永遠の愛です。

そこに不安は存在できません。

それは遠くの微かな残像に過ぎないのです。

たとえ、今のあなたの身体がそれを感じていたとしても

その幻は消えていくでしょう。

それらはただの残像で残ることができないのです。

本質である永遠の愛を自分の意識の中に見つけた時

そこには温かい愛しか存在しないことに気付くでしょう。

私たちは永遠の愛という命で出来ています。

100人に1人がこのことに気付くことができれば、

世界は一つになるでしょう。

政敵も暗殺者も存在する必要がなくなります。

そんな世界を見るのは この肉体に入る時なのか ここから出た時なのかはわかりませんが、

いずれそういう世界になるでしょう。

私たちは徐々に進化しているのですから。

 

何が起きても

2022年、今年は更なる試練がある という声 あちこちで聞きます。

南海トラフ地震が近いうちに起きるよ と言われるようになって久しいので そういうことはあっても全然不思議ではありません。

異常気象も毎年なにがしかの災害をもたらすので、いつどこで何があっても不思議ではないのです。

そんな出来事に見舞われたとしても 我々人間はたくましく乗り越えて生きていける生き物なんです。

もし あなたが 自分が運命を切り開く当事者だ という自覚さえあれば、

出来事を嘆くより 何ができるかを考えるでしょう。

もし、広範囲の災害などが起きれば 今まで援助してくれた行政でさえも 手が回らなくなります。

それは 自分が自分や自分のいるところを守ったり助けたりする人になることを意味します。

それぞれがみんなのために何ができるか という課題に直面させられます。

その時、何をすればいいのか は その時に初めてわかることなのでしょう。

これは

災害が起きていない時であっても 意識の在り方としてはこちら側が安定します。

外側の事象に振り回される自分ではなく、自分で流れの中を泳げる自分、

流れと共に流れを利用して舵取りをする自分

乗り物を見つけられる自分である方がずっと不安は少ないのです。

人々が不安を持つのは その経験が無い という要素も大きいでしょう

誰もが初めて出会うことには初体験なのですから したことがないことはしない というわけにもいきません。

みんなが初めての体験ならば、うまくできないと恥じることもありません。

あなた以外の誰かがうまくやれなかった と責めるのも本当はお門違いなのかも。。。

人が予想外の出来事に直面して不安を感じたり、イライラする時、

その感情を誰かにぶつけたりすることはよくあります。

でも、誰かを責めても幸せにはなれません。

 

これから先、何か起きても起きなくても

私たちはより良い世界を作れる と 信じられる人が 

この世界を天国のように生きるでしょう

不信感や不平不満に満ちていると、

どこへ行ってもそこは不穏に見えてしまいます。

でも、この状態でどうやって信頼を持てというのか?と思う方は、

まわりはともあれ、あなたが信頼できる人物になって生きてみてください。

あなたの周りはあなたの波動に合ったものへと変化します。

ひどい、波動が低い と 感じるものはあまり構う必要もありません

ただ、そこに関心を向けない方がいいのです。放っておきましょう。戦う必要もありません。

高レベルの対応としては、敵にも愛を向けるのですが、それは出来なければ無理にする必要はありません。

スルーで十分です。

この世界を作っているのは 自分自身であることを思い出してみてください。

あなたが人を思い遣る時、あなたは誰かから思い遣られるようにいなるのです。

このことに気付き始めた時、この世界は平和へと変容していきます。

 

キーワードは 愛

あっっ  という間にハロー7月

もう既に猛暑ですね。皆さまごきげんいかがでしょうか?

7月に切り替わるに当たって、ちょっと大きな流れの変化が入って来る という情報を耳にしました。

先に起きることなんて分からないものですから、何が起きるかは全くわからないのですが、

人間の意識が揺さぶられて愛になるか旧意識に留まるかの分かれ目になるようなことが起きる という話でもあります。

もう既に愛に目覚めている方は ただその方向に進んでください。

どの方向? というのは その時になればわかります。

わからないのは まだ時期じゃないということなので気にする必要はないでしょう。

たぶん ちょっと大きなことに直面した時に、さてどうする???という選択を迫られた時、

自己保全 守りの姿勢になるか、

世界のバランスを取る 愛の行動に出るか  のどちらかを選択する場面があるのでしょう。

それはきてみないとわからないので、それが何なのかは探す必要はありません。

ただ、事は起きて初めて明確になりますから 「これか~~」と思う時、

あなたはあなたが愛だと思える行動に出ればそれでよいのです。

それは形で決まるものではないので、あなた自身が判断するしかないでしょう。

事が起きてもいないうちから何か準備することはありません。

計画を立てる必要もありません。

ただ、その時になればわかるのです。

自分の意識や行動が 愛ではないな と思ったなら修正すればいいだけの話です。

これは人生において常にそうなのかもしれません。

大したことをしようとかおもわなくていいし、何か事を起こす必要もない。

ただあなたの思うように好きなように生きていればいい。

何かの選択を迫られる時は それを避けては通れないような状態でやってきます。

びっくりするようなことかもしれませんが、そういったものは宿命なので受け止めるしかない、

過去の失敗やうまくやれなかった事とかも全然関係ありません。そんなことはどうでもいい。

出来事は あなたに与えられたチャンスです。

その時、愛は地球を救うのです。ちっぽけな愛で構いません。

愛でないものには救えません。

慌てたり、目先のことが気になってると方向を見失いかけるかもしれません。

でも、大丈夫。モタモタしたってかまわない。

大きなことであるほど、基本の『愛に立ち戻る』 ということをしてください。

そこに根本的な救いがあるのです。

愛が key(鍵)になります

シンプルに 愛 ただそれだけでOK

愛が鍵

カルマが去ると 愛が開く

私が『悟り』に興味を持ったのは

気が付くと人生がとても生きづらい状態だったから なのですが、

その時の自分 というのは 悩みごとだらけで苦しい事だらけで

何をやってもうまくいかない (ある意味自分で壊してしまう)という感じで

どうしたらいいものやら、しばしば途方に暮れていました。

たぶん極端にネガティブ思考だったんじゃないか と思います。

今はその片鱗もありませんが・・・ (≧▽≦)♪

当時はなんとか苦しまない人生を送りたかったんですよね。

何をそんなに? と 思われるかもしれませんが、

(今の自分でもそう思う)

当時は、不安だらけで この先々どうなるのか と思うだけで苦しかったように思います。

そういうのがカルマ なんでしょうね。

世代連鎖で受け継ぐものも多いです。気がつけばいっぱいくっついてるカルマ。
 

でも、カルマは手放すことができて、無くなれば 何の影響も残さないんですよ。

面白いほどに。

もう、以前の自分とはほぼ別人なんじゃないかと思うほど 楽天的に生きてます。

これは 元の自分と変わってしまう のではなくて、

カルマが発動する以前の 子供の時の本来の自分の性格に戻る 感じです。

屈託なく笑って 特に怖いものものもなく 好きなもの楽しいものに真っ直ぐ向かう自分です。

深く考え込む必要もなく ただ、勘は鋭いんです。

違和感のあるものに対しては 感覚で察知する と言いますか、 分かるんです。

子供もそういうのに敏感ですよね。

そんな感じ。

本来の『生きる』 ということは 理屈じゃない。

命の向かう方向に真っ直ぐ向く ということ

それはとても自然なことなんじゃないかと思います。

そこに良い悪いはありません。

誰かの都合にとっては好都合不都合はあるかもしれませんが、

そんなエゴの都合に押し込められる命は 窮屈でしょう。

少なくとも 自分はそういうところに収まれない質だったりしますので

自由を選んでいます。

もちろん、自由より 小さな安全が好きな人もいるでしょう

それは自由に選んでいいと思うのです。

他者の選択を邪魔しないで それぞれが丁度良いポジションに生きられると

無駄な摩擦が起きないですよね。

摩擦を感じやすい敏感な方の

摩擦へ対処は スルーする能力と 距離の取り方にあると思います。

他者を無理に抑え込もうとしても余計に疲れるだけだったりしますが、

気が付かずに影響を被っている場合は 相手がそれに気づいていないことも多いですから

どう伝えるかが大事になってきます

いきなり 「あなたは迷惑なのよ!いい加減にしてよ」と言われて

平気な人はほとんどいません。

あなたの必要とすることを相手に伝える場合は、できるだけ 丁寧に相手を立てて

相手を悪者にしないで伝えてみてください。。

悪者扱いされないと 受け入れやすいんです。

それでもこちらの否定的エネルギーや非難したい雰囲気が伝わる場合もありますので

でこちらが相手を 悪者だと思わない ということは大事だったりします。

 

「迷惑かけてくるあの人は悪いじゃない」って思うかもしれませんが、

もし 逆の立場であなたが悪気もないのに相手の思いを察知できなくて相手が不快だと怒ってしまった場合

あなたはどう感じるでしょうか?

そんなに悪い事した?そこまで怒らなくてもいいじゃないの。 私を悪者にしてそちらの方こそ理不尽なのよ。 とか

逆に腹が立ってきたりしませんか?

悪者に扱われる というのは 暴力を振るわれるのと変わらないくらい傷ついたりします。

あなたは誰かを悪者にしてはいませんか?

たぶん、どんな人も 自分の欠点は後ろめたくて

人から批難などされたくないのです。 

だから 寛大な扱いをされたり 許してもらえると救われた気持ちになりますね。

 

自分を正当化したがる人ほど、自分に自信がない人なのです。

否定されることが怖いのでそれを受け入れたがりません。

なので、そういう人とお互いに恐怖で戦うというのは とても無益な戦いじゃないかと思うんですね。

それらは 本当はカルマの仕業なんですけども

やわらかく受け止めて 癒していく ということができれば、

カルマは去り、あなたのキャパは大きく成長していきます。

 

これからの残りの人生を 豊かな愛を感じて生きていきませんか?

それは不可能な事ではありません。

あなたには 開くと豊かになる愛が 沢山備わっているのです。

ナズナ

現れ

昨夜のブログを読んでLINEを下さった方がおられたので続けて投稿したくなりました。
 
 
解放が起きている方も多いようですね。
そういう時期のようです。
こういうことはシンクロして同時多発的に起きるのが常です。
解放は、
ただただ 手放して下さい。
 
表面的に慌てていても内側の中心に静けさがあれば大丈夫なんです
表面は何かと慌ただしいもので、その変化があるからこそ
生きている  という実感があるんでしょうね。
魂は積極的に味わい、イベントを楽しみます。
どんなドラマを見ていますか?
脚本家になれそう? happy01
そう、人生の脚本を書いているのはあなた。
あなたの身の回りにある材料を使い、想像力を働かせて味付け。
 
因果の因は無意識にも紡がれております。

だけど、
何が起きたとしても
全ては調和していきます。
あなたの思いは抵抗するかもしれませんけど。
ただ事象は置き続け、そして淘汰されます。
 
そういう世界なんです。
 
流れに何かを投じ、起きる現象を見ています。
何かを投じても 投じなくても
流れは流れの方向に流れています。
 
流れの速い時、遅い時 があります。
場所によっては急流、停滞も起きる。
地形の影響とかありますからね。
障害物が存在すれば 流れは変則的に。
それは物理現象です。
エネルギーも同じ。
 
因果も全てが完璧に調和する世界です。
増えも減りもしません。
地球上の成分(五元素・ファイブエレメント)は、姿を変えたとしても。ずっと同じ量なのです。
地球上にある要素としてはね。
 
世界は常に対流していますので
 たらい に張った水を ぐるりと回しているのと同じですね
向こう側に行った水は戻ってきますよ
 
そんなこんな。
もう静かに眺めているモードになりますね(笑)
 
流れの波立ち、喧騒を眺めるもよし
スルーするもよし
喧騒に参加するもよし
 
何でもアリなんです。
 
あなたの好きなように。起きるままに。
 
カルマン渦

 

ニューライフ

あ、 っという間に

5月になっていました(笑)

暑いな と思う日も増えてきましたね。

良い季節です。

いかがお過ごしでしょうか?

私の所は、妹が入院をしたので、

姪っ子ちゃんが我が家に泊まりに来ています。

今回はちょっと長めかも。いつが終わりなのか把握しておりませんが。

きっと 「もう終わり?」って思うんだと思います。

夜型の私には珍しく6時前に起きてお弁当を作ったりするので、

時差ボケが生じております(笑)

ま、なんとかなるでしょう。

勤め人ではないので なんとかなります。

何がどうなっても なんとかなるものです。

 

今日はなんとかなる と言うお話。

何とかしなければならない これはもう手放してください。

あなたがするのではありません。

流れがします。

あなたが望みを持っているなら、

それが叶うかどうかは運次第。

その願いは叶うかもしれないし叶わないかもしれない。

あなたが望みを持っていないなら、

あなたは充分になんとかなって行きます。

そんなわけないじゃん と思っているあなたは、

そんなわけないでしょう。

でも、「なんとかなるもんだね」と思っているあなたは

なんとかなる奇跡を見るでしょう。

なんとかなる奇跡とか見たことない! って思うあなたは、

「何とかなるんだね」と思って自力でどうにかするのを手放してみてください。

すごくおもしろい何とかなる流れを見ることになります。

その時の注意事項(流れを妨げない方法)は

物惜しみをしないで 流れに任せきってください。

要らないものが去り、必要なものだけが残されます。

あなたに丁度いい、あなたに相応しいものが残ります。

今は それが気にいらなくても、ちょっと待ってみてください。

この世界はずっと変化しつづけているんです。

必死にならなくても

いつだって ここにいる

 

幸せです。shine

スイレン

上を向いて、 開いて、 息をして shine

命を感じてみましょう heart01

 

コントロールは 必要ありません。

新しい生き方にようこそshine

悟り

悟りは、いろんなレベルがあるんだと思います。

何か 「わかった!」と思う事を 悟った って表現もしますので

それがお釈迦様やスピリチュアルが言う 悟り とは違うこともあります。

お釈迦様も長年いろんなところでいろんな人々にお説法してまわっておられたので

いろんな意識レベルの話をしていて それが必ずしも色即是空の話ではなかったりします。

それは 究極の悟り『色即是空』の体感を理解するには 体験が少なすぎる人々にとっては

その悟りは理解できないので 話を聞いても混乱するだけだったりするので

聴く人がわかるように心が穏やかになる話をされるんです。

スピリチュアルの世界でも同じです。

究極の悟り の話をしている方と、人間の意識、観念の世界において心が穏やかになる話、

あるいは善を説く話 をしている方々がいます。

仏教の僧侶も同じです。

究極の悟りを目指しているのは高僧か禅宗の僧侶 なのですが、(この目指しているという表現は微妙)

他宗の場合はそうでないことが多いです。

天国や地獄の話をして 良い事を行い、悪い事をしない という

自分自身が幸せになりやすい生き方を 説いています。

究極の悟りは あまりにも掴みどころが無くて・・・

というのも当然で、何も掴まないのが究極の悟り境地 ですので

それを体感するには「あれは?これは?」という質問そのものを全部手放して

瞑想状態に入るしか方法が無いように思います。

あまりにもひどい事が起きすぎて、世界観が壊れてしまった人も 何も掴めなくなって

いきなり悟ってしまったりすることがあるようですが、

それはなかなかの荒療治といいますか そこで手放せなかったら 
自殺か発狂?なんてことになりかねないので (^_^;)
瞑想して悟りたいところですね。

私自身は瞑想してましたが、荒療治的な出来事は起きていたので
私のようなエゴの強い人間は それが必要だったのだろうな と 思っています。

でも、それは必要で私にとっては良い体験でした。

ものすごく分かりやすかった。

強烈に恐れていたこと、強烈に手放せないものが無くなった 後、

それが全くの幻想の怖れだ ということを目の当たりにしたからです。

そう、皆さんの怖れも 幻想です。

この世界は必要な事しか起きません。

そこに抵抗してもあまり好い事は無いのです。

むしろ、コントロールをやめて 自然体にしていた方が

ずっと丁度良い具合に調和して愛が流れ込むようになっているのです。

諸行無常は 残念なことではありません。

無理な執着は維持できないので 自然な流れに任せて

自然を享受することがどれだけ幸福か。

それを体験するのが「さとり」の生き方です。

怖れ ではなく 愛を見つける日々です。

舞鶴公園桜

自然は 愛を歌っています。
 

手放すとは

色んな意味で 世界中が揺れ動いています。

一体どうなっちゃうのか?と心配になる方もいらっしゃることでしょう。

でも、未来には進化した世界、進化した社会、進化した人間たちがいます。

その進化とは 今の私たちが想像するような形ではないかもしれません。

でもこの世界は調和しようと流動していきます。

調和の法則がある世界で なんでこんな混乱が起きるのか?と思うかもしれません。

それは調和をくずしているのが人間だからです。

自然は いろんな要素が淘汰されて調和していきます。

人間がいなければ 自然は自然のままですが、人間もある意味自然の産物の一つなので

この事態は起きるべくして起きている とも言えます。

他の動物たちも群れが大きくなりすぎると 全員を養う食べ物が足りなくなって 数が減ります。

何かが増えると何かが減って それで増えすぎた種族は数を維持できなくなり減って、食べられていた種族はまた増えだします。

自然のサイクルです。

人間は 知能が高く いろんな知恵を働かせて数を増やし続けました。

自然と調和する方法を考え出すことができるのです。

今は、天然資源を取り合う状態で国と国が喧嘩しているのですが、

それは独り占めして 一人で豊かになろうとするから そういう争いが起きます。

富が一か所に集中するのは 全体のバランスが悪いのです。

貧困層は不満と言うカルマを持ち、負のエネルギーを貯め込みます。

怒りです。

欲望も飢餓感から生まれます。

もし、私たちが本当にいろんなものを分け合えば、

怒りや欲望や飢餓感はさほど起きません。

これは金持ちとか貧乏とかいう問題だけじゃなくて

人々が思いやり(愛)を分け合うことができるかどうか が大きな問題です。

お金持ちが持っているお金を一人じめしようとするのは、

心が貧しいからです。

愛を受けずに育った人がその傾向に傾きます。

飢餓感から来る欲望は、どれだけ所有しても 充分だ という気持ちになることがありません。

それが所有が充分でないからだと勘違いしているうちは 更に独り占めをしつづけようと

この世界のアンバランスを助長します。

そういう人は、愛を見失った人なのです。

愛の欠乏 というカルマを持っています。

その人は持っているものを手放さないために死にもの狂いで威嚇し暴力を振るい、戦い続けます。

たぶん、失うことは死ぬことのように感じているのでしょう。

そういう人から暴力で奪い変えす ということをすると、カルマがスパークして

多大な犠牲を作り出します。

そういった怒りや悲しみやカルマを消すことができるのは

愛と癒し なのです。

それは あなたが持っている愛を発動させることによって

この世界は変わり始めます。

私ごときが一人で変わっても??どうもならんでしょ  なんて思っている人、

いやいやいや、それがどうして。そうでもないんです。

リンクするんですよ。 あなたが変わろうと思った時、100人が変わろうとします。

あなたが変わった時、100人が変わります。

その100人が変わった時、100×100人が変わります。

ネズミ算式以上に変わります。じわじわとね。

ほら 世界は着々と変わり始めていますよ。

暴力的な権力はいずれ淘汰されていきます。

そんなものが 調和するはずもなく

暴力で奪ったものは 痛みをもって、取り上げられる。

執着は怖れです。

本当は執着しなくとも あなたの愛が目覚めていれば

充分すぎるほどの愛に恵まれるのが この世界の法則なのです。

どんな時も愛を忘れないことが あなたに豊かさをもたらします。

あなたの本当の豊かさは あなたの中に輝き続けています。

あなたを覆っている悲しみと怖れを天に預けてください。

そのカルマはあなたではありません。手放して天に預けます。

その時はじめて、ユニバースがあなたのために動き始めます。

大いなる流れと共に 愛の中に生きる

そこには愛でないものは存在できません。

大丈夫です。あなたは愛で出来ているのですから。

誕生仏
 

 

先日聞いて 心に響いた動画

斎藤一人さんの動画 よかったら見てみてください。

 

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