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ダルマ

真理と現実

この意識が 人間という肉体に宿っている今、

毎日の生活、衣食住、持ち物、生活レベル、環境、人間関係、アイデンティティ

などなど、いろんな問題や課題を持っていますね。

それが摩擦の感情(ネガティブ感情)に満ちていると、それに身体が反応して

具合が悪かったり、不快だったり、苦しかったり、痛かったり

生きづらい時間を過ごすことになります。

生きることは苦しい そんな人生観を持ってしまっている方も少なからず見受けます

でも、果たして人生は辛いものなのでしょうか?

こんな風に言うと、「辛いから辛いんだよ。何言ってんの?」と言いたくなるかも。

 

だけど、その辛さを作り出しているのは

自分自身の世界観や観念 つまり頭の中のイメージ なのです。

自分自身の生き方を固定して辛い生き方をさせているのが 自分自身のマインド。

こうあらねばならない。

こうすべきだ。

これはこういうものだ。

こうしなくちゃいけない。

常識だから。

これが普通。

これがカッコイイ

こうありたい。

カッコ悪い

恥ずかしい

嫌いだから

無理

嫌だ

 

理論的なものから

感情的なものまで

身体に拒否反応を起こさせる要素を沢山持っています。

この拒否反応は、最初はごくわずか。

赤ちゃんが恐れるものは、ただ単に大きな刺激だけかもしれません。

それも個性があるので 何も怖がらない子もいれば 刺激に弱い子も。

刺激に弱い子 というのは繊細な神経の持ち主で HSPの人達かな?

(※HSP・・・ハイセンシティブパーソン 神経の繊細な方たちのこと)

と 思いきや、

いや、ちょっと待てよ・・・

私の長女、HSPさんなんですが、よく思い出してみると、幼児期は怖がる子じゃなかった。何事にも全く物おじしないで人懐っこく、笑顔で沢山の大人を癒してた

のですが、いつからHSP要素が強くなったのか・・・

さらによく思い出してみると、

小学校に上がって、自分と他者の違いに摩擦を感じ出した時、

それで傷ついた時、

父親に大声を出されて怖かった時、

本人が生きづらいと感じ始めた時、

彼女は自分がHSPだと自覚し始めました。

これは、私自身にも覚えがあって、

私は小学校を卒業するまで この世で怖いものは蛾とゴキブリだけだったのですが、

(笑) それ以外は、暗闇も雷も崖っぷちも何にも一切怖いものがなかった。

中学校に上がって極度のいじめを体験してから 人が変わったように陰キャに転向

(陰気キャラ・根暗さん)

人間不信、対人恐怖症、拒食症、うつ   などなどを体験することになる

一定期間の過度のストレスで 脳内環境が一変してしまうのかもです。

育った環境や 過ごしたコミュニティでの 過度のストレスが

今生でのカルマを発動させるんでしょうね。

これは 偶然のように見えますが、宿命なので 避けることはできません。

そして 辛い体験を味わって

そこからネガティブ感情を昇華させて 愛になるのが 魂の学び

 

最初は カルマの被らない純粋な魂なら 最初からずっと純粋なままでいればいいのに

と思いたいですが、実際は肉体を持って生きていることで

他の肉体たち(他の生命体も含む)との関係において、それぞれの都合が相反する場合、必然的に摩擦が起きますので

私達肉体を持つ者たちは

摩擦を越えて 愛になる

共存という調和を目指すんでしょうね。

それは自然のシンフォニーとも呼べる

壮大な美しい調和なのです。

 

その感動を見た者は

我を消すことに 何の抵抗やまさつも持たなくなります。

その感動は 一瞥(いちべつ)と呼ばれる

最初の悟り

私は広大な自然の前に立った時、

視野に拡がる世界の生命と

広大な自然の息吹と自分の身体が同調して

この感覚になります。

この時、頭の中にカルマや別の考え事があると

それは入って来ませんが

無心で自然の前に立った時

私は世界と完全に同化します。

その感動と幸福感は 何物にも代えがたい 至福です

そして

その感動は 現在もこの体がしっかりと覚えていて

いつでもその波動へ チャンネルを合わせることができるのです。

 

まずは 内部のカルマのエネルギーを解放し、

内側の摩擦のエネルギーを減らしましょう。

その方法はもちろん日々の瞑想ですね。

そして

こうあるべき  という

あなたの牢獄をとっぱらってください。

あなたの周りには 檻は無いのです。

明るい所へ出て行って良いのです。

阿蘇五山

やりたいことをやりなさい

やりたいことをやりなさい 

人生をどう生きるか という問いに

よくこの答えが出てきます。

これまでは そんなことより現実 なーんて

やりたいことなんて淡い夢 みたいな扱いで

現実を生きる という人が多かったかもしれません。

思考はどうしたって出来ない理由ばかり考えます。

マインド(思考)は リスクを回避したがるから。

それで幸せになれたろうか?

回避、逃げ という姿勢で幸せになれた という話をほとんど聞きません。

それどころか、平安を追い求めている人ほど、平安でない人生を生きていらっしゃる

怖れや摩擦の回避に基づく波動は、怖れや摩擦を生み出してしまいます。

もっと喜んで生きたいなら あなたが幸せを感じることを積極的にしてください。

それをしないで、幸せでない と言い続けても幸せには繋がりません。

今 あなたがハッピーになることをするのです。

あなたが純粋に喜べば喜ぶほど 喜びは増え

あなたが純粋に愛すれば愛するほど、あなたの周りに愛が沢山集まってきます。

損得勘定を第一の基準にするのは やめて

あなたの喜びと感動を基準にしてみましょう。

新しい生き方で新しい時代を生きる

流れは本当に変わります。

災いも転じて福となす

この世界にはいろんなことが起きまして、

これまでになかったことも新たに起きたり、

もう忘れていたようなすごいことも起きたり、

大波小波に煽られて嵐の中の木の葉のようになったりするものですね。

すごい流れの渦中にある時は、

もうこの世の終わりか!?と嘆いたり、

不安に溺れそうになったり、生きていることが嫌になったりもします。

でも、そう簡単に死ねはしないので 泣きながらでも生きていたりしますと

カルマの体験は過ぎ去り、いつの間にか静かな所に居たり、

温かな陽だまりに目覚めたりもするんです。

あなたの不幸は永遠ではありません。

誰の不幸も サレンダーして手放してしまった時に 過ぎ去っていきます。

これが不思議とサレンダー(降参)しないうちは終わってくれないのですね

エネルギー的にしがみついているんでしょうね。

嫌う というしがみつき方はほんと分かりにくいようでわかりやすい。

 

力尽きて、「南無三、もはやこれまで。」

降参して手放した時見るものは

「なるようになる」  です。

頑張り続けなければ維持できないものは いつか力尽きます。

あるがままでいいじゃないですか

何がいけないんでしょうか?

ダメだなんて 誰が決めたんでしょうか?

どんな時も どんな状態も 

ただあるがままを体験していいんです。

未知の世界も面白いものです。

移ろいゆく世界で生きる 醍醐味なのです。

始まりがあり、終わりがあり

そして

再生があるのです。

巡り続ける世界です。循環しつづけます。

あなたがこの世界そのものです。

カルマの役目

ELM瞑想マスターのボブや、ダライ・ラマが言うんです。

カルマは教師です。

カルマはあなたを磨く経験ですよ って。

カルマの反応は籠って見えない間は、内側にありますが、

感じて表現されれば 外に出て行ってしまいます。

そして人間(自分)の黒い部分や醜い部分を見せられて、

ああ、人間って みんな同じかも ってわかって来る。

それを嫌っているうちは まだまだです。

それを苦悩して受け止めて 大きな赦しを持てたら

あなたの心の器は倍にも拡がります。

心の広い人、大きな魂の人になるんです。

 

諦め とかじゃないです。

暖かい気持ちでいるんです。

相手の幸せを願える者は幸いです。

 

目先の損得なんぞに心は揺らぎません。

心は大きな大海そのものになっています。

意識は神のように大きな世界を見ています。

移ろいゆくものに執着しません。

いずれ移ろいゆくものを留めることはできません。

変化を悲しむことなく

ただ受け止めて、

その時その時のハートのバイブレーションに感動し続けます。

心が外側に向く時、

自分と世界の窓をオープンにする時、

自分だけの感情ではなく、生きとし生けるものの波動を受けとります。

命の輝きに感動するのです。

刻々と形を変えながら流れゆく雲

でも、何も減らず、何も増えない

最初から最後まで同じ量の粒子が織りなす風景と流れ

世界の壮大さに感動しています。

それらは あなたが あらゆる体験を乗り越えた時、

あなたの目に飛び込んで来るものたちです。

心の窓を開いて 世界を感じてみてください。

絹雲

欲と執着

ふと思ったんですが、物欲とか エゴとか

そういうものって 生きるモチベーションとかエネルギーをパワーアップさせるものなのかな?

いや、エネルギーが溢れかえってるので そちらに欲望が向くのかな?

と。(笑)

同じ状況にあって ある人は 愛するものを失ったことに大きなダメージを受け

悲しみに暮れ 生きる気力を失い

ある人は そんなことよりも生活や流行の冬物コートが気になる

これ、どっちが強いか? というと 後者だったりする。

たくましすぎる (^_^;)

いや、むしろ 「すごいよ君!」と賞賛したくなったりして。。

何が違うのか? 魂が若い、感受性の差

二人とも人間だけど、違う生き物みたいだ。

人の感受性は千差万別。

感受性に関しては、ハイセンシティブジャパニーズとしては前者の状態もよくわかる。

辛いね、痛いよな、可哀相、できれば助けたい。でも傷を癒せるのは結局本人。

でもね、傷付いた分だけ強くなり愛が深くなるよ。

弱いままでいちゃダメだ。

沢山泣いて浄化するしかない。

どんなに悲しんでも身体は生きようとするから。

エネルギーを持っていない人はそこで弱って死んでしまう人もいる。

昔の時代はそうやって 失恋とかで体調崩して死んじゃう人もいたんだよね。

平安時代とか。

現代は医療が発達しすぎて身体はなかなか死ねないけど。

 

頭の中のイメージは 実は頭の中にしかない世界

外で起きていることはいつも淡々と起きることが起き続けている

それが自分の都合に合わなくなった時

頭の中の世界のつじつまが合わなくなる

それを受け入れられないのが 大きなストレスであり、傷心。

でも、お釈迦様は言うんです

それは空の雲のようなものだよ

現れては消える 幻想

あなたの頭の中にあるあなたの世界の崩壊。

「ああ~、これでもう終わりだ!」と絶望して

自分の身体を殺せなかった者は

その後に 何事もない世界を見てしまう。

「なんだ、何も変わらないじゃないか」

「崩れたのは自分のアイデンティティだけ」

「それでも私は生きている」

「それでもここで生きている」

 

深い闇の世界というのは確かにあるにはあるのだろうけど、

そんな地獄は リアルには一般市民とは無縁。

起きやすいのは脳内の闇(病み)で それはただの幻想にしか過ぎないし、

悩みで病んで脳が委縮してしまったり、セロトニンが出なくなっちゃった状態

実際には起きていないことで 思いだけで病気になれるなんて 人間てすごいね

言葉だけで毒を盛ったみたいに殺せたり

情報だけで病気にできたりするなんて

面白い生き物だ。

でも、これは逆に 負の妄想を払拭すれば元気になれる という話で、

悟りはそこにあるんですよね。

それ、幻想だよ?

あなたが見てるリアル 社会の集団幻想。

みっともない とか カッコイイとか

誇らしいとか みじめ とかも。

だれが何を言おうが そんなイメージに振り回される必要は無く

依存するものを無くしていれば 恐怖すら起きなくなるのです。

 

あなたを陥れるのは執着を依存。

だから最初に書いた 落ち込む傷心の人と 物にしか興味のない人

どちらも大して変わらない。

もしあなたが幻想から目覚めて悟ったら

あなたはその命があるだけで幸せになれるから。

あなたは 愛というものを発信できる光だから。

だから 目覚めよう。

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思考の癖

ネガティブがやめられない  というご相談をいただきました。

そのことについてちょっとお話しましょう。

ネガティブ、別にやめなくてもいいんです。

それにはどこか心地よさと救いがあるのでやってしまうのでしょうね。

え?心地よくない!って?

そう。もちろん心地よくないんですが、自我はそちらの方がまだマシなんです。

自我の意識が現実を受け止めたくない時にまだマシなシチュエーションを作り出す。

これが自己防衛機制のしくみ

これが癖になると、頭の中が思考だらけになります。

だって、いじらないといけないイメージが山盛りになってしまうでしょ?

どうしてこんなことになっているのか、自分の受け止められる範囲で納得したい

それが自我の思いです。

でも、受け止められる範囲を超えた現実に自我は悶絶します。

問題がなくなるまで、抵抗し続けてしまいます。

「いやだ、いやだ、排除したい」

あの人が悪いとかあんなことはダメだとか

正義を振りかざしてみても それは解決しない

相手には相手の事情がありますからね。

自我(エゴ)は自分の都合しか見えていませんから

ついつい相手が悪者に見えて 攻撃したくなってしまいます。

「私がこんなに困っているのに、なんで聞いてくれないの?ひどい人」

これ、相手からしてみたら、

この人、何を言っているんだろう? という感じになるんですね。

だって、その人は悪人として生きているわけじゃなく

その人なりに善良に生きたいと思っているので

悪気がないことを責められると ムカつきます。

相手が大人だったら、

「あらあら、そうだったの?気が付かなかったわ。ごめんなさい。これから気を付けるわね」って言ってくれますけど。

文句を言うこちらと同じレベルだと

イラッとされて、「おまえこそなんだよ」って売り言葉に買い言葉 なことになっちゃう。

誰が自分目線なのか・・・ 本当のことを知る必要があるのです。

感情を交えずにただおきたことをそのままに把握すれば

そこに悪意も意地悪も存在しないことに気付きます。

普通にしてるだけなのに相手に迷惑がかかるのは

お互い様のことなんですね。

それを責めるか責めないか の違い。

 

あなた酷い人ね! といわれて、素直にごめんなさい って言えるなら

あなたはすごく心優しい人でしょう。

私なんか、そういう風なエネルギーを向けられると

とっさにムカつきますけど、(笑)

もう大人なので すぐに怒りは手放します。

「ただ、起きていることが起きているだけ」

「良いも悪いもない」

必要があれば何かを改めますし、必要がないと思えば スルーします。

それは私の方針ですけども、

どんなやり方をしたって 構わないんです。

あなたの体験はあなた自身が決めること

いい方法が分からない場合は うまく行くやり方がある。

それが宇宙の法則、つまりダルマを知ってそれを利用してコヒーレンス(摩擦が無い状態)にすること。

摩擦を作り出しているのは あなたの意識ですからね。

 

摩擦を沢山作り出しながら 平和に生きていたいの と言っても

それはちょっと難しい。

水をかき混ぜながら 水面が鏡みたいにならないの と言っているのと同じなので。

あなたのどの手が流れをかき混ぜたり、流れに逆らっているのかを知る

悟りへの道ですね。

ただ あるがままをあるがままにさせておける時

心は平和です。

雄大な宇宙を思い通りにするのは無理

ただ、そこを楽しめばいいだけです。

どんなことも面白がって。

 

命は健気で愛おしい

雪景色

マザーテレサの言葉

今日は ドキュメンタリー映画の中で見たマザーテレサの言葉に揺さぶられましたので

それをシェアしたいと思います。

マザーテレサがノーベル平和賞を受けた時の言葉だと思います

 

マザーテレサスピーチ

祈りましょう

主よ私は平和を伝える道具になりたい
 
憎しみには愛で応えます
 
罪には赦しの心で接します
 
争いには和をもたらし
 
過ちには真理を与えます
 
疑念には信頼で応え
 
絶望には希望を与えます
 
闇には光をもたらし
 
悲しみには喜びで応えます
 
癒される事より癒すことを
 
求められるようになりますように
 
そして理解される事より理解することを
 
愛されるより愛することを
 
なぜなら人は忘れるからこそ気付くのです
 
赦すからこそ赦されるのです
 
死ぬからこそ永遠の命に目覚めるのです
 
 
 
一つずつ噛みしめています。
ワンネスの意識です。
この境地には真の幸福があります
内側に愛しかありません。
この世界は あなたです
あなたが あなた自身を愛するかどうか なのです

アセンション

新型ウイルスの影響で旧時代の世界は大混乱です。

これまでの消費社会に依存してきたシステムは崩壊寸前

旧時代を復興させようともがく動きもありますが、

それは無駄に時間と労力を奪うばかりです。

できるだけ速やかに新しい時代に適応していくことが

摩擦を最小限に抑える鍵となります。

これまでの社会では 消費と蓄財に明け暮れる人々で溢れていました。

それが幸せの鍵を握っている と信じられてきたからです。

多くの人間たちが自分たちが住む地球と自然を消費し貪ってお金に換え続けました

そうしないと生きていけない人々も確かにいたでしょう。

一部の人間が富を独り占めして分配しないために偏りが生じ極度の貧困も作り出します。

不安や恐怖に追い立てられた人々は自分の事しか考えられません。

食べられないことや失うことを恐れて 奪う事が正当な事だと思えてしまう事

それは悲しい事です。

力を持った人間の心が貧しいと 社会に歪みを作りだしてしまいます。

心が貧しい人間が力を持つと、エゴを増大させてしまいます。

危機に晒された時と 権力を持った時

人間は本性を隠せなくなります。

愛になるか エゴになるか

その人の心のベースが現れます。

自分を守ろうとするエゴが当然だと思いますか?

エゴから見るとそれは当然のように見えます

でも、一旦 神の目線を体験すると

エゴが自分の首を絞めている様子が見えてしまいます。

エゴは 自分を守るどころが 窮地へ追いやってしまいます。

自分が助けの手を伸ばさない ということは

自分も助けの手を切る ということになります。

芥川龍之介の 蜘蛛の糸 という小説の

カンダタという主人公が 自分だけ助かろうと

他の亡者を蹴落とそうとした時

自分の所から糸が切れてしまうように

あなたの愛の糸は 切れてしまうのです。

あなたが切ることで あなたを繋ぐ糸が切れてしまうのです。

不思議な事です

これが因果応報の理でもあります。

あなたが他人にしたことを あなたがされる番がやってきます。

今されたことは かつてしたことなのでしょう。

だから 今されたことを許してください。

そうすると あなたも許されます。

古い意識の方は何を言っているのか 理屈がわからないかもしれません。

でも、中途半端に古いとそうかもですが、もっと古代になると

そこには真理があります。

仏教は そのことを説いていますが、

近代の仏教は真理の本質が空洞化するので

専門科ですら 真理を正しく理解しない人も増えました。

でも、その揺り戻しは今やってきています。

再び 真理は明らかになっています。

 

それはどんな? と 聞きたいでしょうか?

それは本当は難しくありません。

 

愛を選んでください。

他者に ではなく 神に恥じない選択をしてください

そして自分が嫌いにならない選択をしてください。

他者を嫌わないでください。

愛を持ってこうどうしてください。

欲を手放してください

あるがままにさせてください。

裁かないでください。

手放してください

今 愛でいてください

それはあるがままにさせておく ということです。

他の人がどうであっても あなたは愛でいてください。

それだけでいいのです。

 

本当に出来たら あなたを取り巻く世界が変わります。

あなたのいる次元が変わるのです。

関わる人間が変わります。

 

あなたの周りの平和や喧騒を作っているのはあなたです。

もし違うと思ったら、間違った場所に留まる必要はありません。

あなたのハートの求めるように生きてみませんか。

古いものを手放すと 新しい世界が始まります。

 

抽象的な話と思うかもしれませんが、

これは新時代の常識になります。

知っている者は 頷きます。

あなたの意識が あなたの世界を作り上げているのです。

だから 何も掴む必要がないのです。

何にも執着する必要はありません。

未来を先に見ることはできません

だから今を生きます。

解放のプロセス

瞑想マスターのボブが言います

洞窟に光を持って入ると、

洞窟の中にいたコウモリが驚いて、

騒々しくで外へ出て行きます。

そして洞窟に本当の静けさが戻る

それはカルマの解放と同じです。

 

人々は皆、それぞれに一定量のカルマを持って生まれてきています。

自分の担当のカルマの量は決まっています。

それを全部出してしまえば、今生のカルマは終わり、悟りの意識で生きていくことになります。

でも、その解放に際して、(コウモリの大騒ぎのような)心地よくない体験があるので それを恐れて コウモリ(カルマ)を刺激しないように内圧(ストレス)を溜めてしまっています。この状況は重いですね。

カルマの解放無しに静かな境地悟りへ至ることはありません。

それは掃除なしに綺麗なお部屋にはならない ということです。

心の中にある摩擦のエネルギーが出て行くのに抵抗しないでください。

それは出て行きたがっているのです。

カルマが残っていれるうちは嫌が応にも摩擦は起きたがります。

通常の生活ではそれは自分で受け止めるよりも他者のせいにしたり自分自身が受け止めることを避けてしまいます。

自分の身の上に起きたことを受け止めず

自分以外のものを責めることでうっぷんを晴らそうとします。

この方法ではカルマは終わりません。

 

起きたことを否定せず、ただ終わらせていけば終わっていきます。

出来事は、ただ起きて 

そして終わっていきます。

そこにいろんな思いはあるでしょう。

でも出来事と共に手放してください。

今起きている事だけを見て、

今必要な事だけをすればいいのです。

あなたの今を整えること。

カルマの感情を 手放し、委ね、終わりが来るのを待つだけです。

解放が終われば それはあなたの中にはもうなくなります。

何も 突っつくものがない

ありのままのあなただけがそこにいます。

頭の中に渦巻く イメージを手放していきます。

今 この瞬間を感じる時

あなたは あなたの命を実感できるようになります。

何をしてもいいのです。

自分が何を感じているのか

なにをしたいのか 自分の気持ちに素直になります。

複雑なイメージは なくてもいい

むしろ 無い方がいい。

 

瞑想であなたの中をシンプルにしていきませんか?

ELM瞑想は あなたの内側 無意識層の浄化を進めます。

思い煩う事からの解放、真の自由を

あなたにも 経験してほしいのです。

悟りを得たと実感するまでには時間が必要かもしれません。

これまでの半生と、過去世の浄化をするのです。

一朝一夕には済みません。

でも、ELMのマントラたちは それを進めます。

あなたが想像もしない体験で あなたを浄化していきます。

とらわれの意識に さよならを言う時代が来ましたね。

そう、アセンションです。

多くの人々が自由な意識を手に入れる時代です。

天国の生き方をこの地上でします。

問題はありません。

どれだけ心を開きたいか が 鍵になります。

古代の人々がなぜ瞑想をしたか 分かるようになります。

真の叡智は

科学では及ばない領域です。

空の世界へ ようこそ。

宇宙意識という大きな意識へ

繋いでみませんか。

cosmos

年末年始のお休みで伝授を希望される方は 希望日時を添えてご相談ください。

1月は体験瞑想会の機会も増やしています。

瞑想者の方は木曜日21時からオンラインで瞑想会を配信しています

愛されキャラ

猫を飼い始めてちょうど3年になります。

猫って それぞれにいろんな性格があって 

人間と変わりません。

可愛がられ上手な子とそうでない子がいます。

元々持って生まれた気質と 生まれた環境による体験

どちらにもカルマがあり、それらによって更に自分の体験を作り出して行きます。

同じように育てていても 臆病な子と積極的な子は全く違った世界を経験します。

それは本人の資質でもありますが、そういう経験をするためのプログラムを持って生まれて来た ということかもしれません。

あなたもあなたの運命を生きるプログラムに従ってこれまでの体験を得て来たと言えます。

あいつのせいでも、あなたのせいでも、誰のせいでもない。

あなたの宿命がそこにあります。

ですから、あなたが瞑想に興味を持ったり、先生に出逢ったり

何かに取り組んだりすることも あなたの宿命に組み込まれた運命という事かもしれません。

あなたはそれを選んでもいいし選ばなくてもいい。

その選択をあなたは宿命に選ばされているだけかもしれません。

あなたは必要があって今の体験を得ているのです。

その体験をしたかった魂が あなたの身体に宿り、あなたを生きているのです。

満足がいかなかったら、満足が行くように生きてみてください。

環境は変えられませんが、あなたが何を選択するかで 流れは変わります。

今までが嫌ならば 選択するものや思いを変えてみてください。

一番 お薦めするのは とらわれを手放して自由に生きることです。

警戒したってしなくたって、運命はやってきます。

避けられないものから逃げるよりも

来るもの全部を乗り越えて行けばいいのです。

あなたが素直に あなた自身を生きた時

あなたはこの世界から愛され 守られます。

そして一人ではないことに気付くのです。

過去の傷は癒えます。失うことを恐れて愛から遠ざかることをやめて

愛し愛されることを拒まなければ

あなたの周りは愛で溢れます。

あなたを愛で包むのは あなた自身です。

素直に生きることや、貴方らしく生きることは

今の時代でも可能です。

あなたの価値は他人が決めるものではありません。

あなたが自分を否定しないことが

あなたに愛を与えるということです。

いかなることも 必要があって起きています。

この世界にとって 無駄なことなど 何一つないのです

たとえあなたや人間に都合が悪くても、

それは世界に必要なので起きているのです。

何も否定する必要がありません。

そのままのあなた自身を愛して あなたの中に愛を育ててください。

1人でする必要はありません。

他者と助け合うこともできます。

あなたが与えた分だけ あなたは受け取ることになるでしょう。

それがこの世界の循環です。

愛は 与えた分 与えられます。

愛でないものも与えた分、与えられます。

そういう世界で生きています。

投げたものが 別の方向から意表を突いて戻って来ます

意識をニュートラルにして感じ取れば 世界はギフトで溢れています。

自由に生き、視野を拡げてください。

自由に受け取り 豊かさを享受するのです。

一定のものしか受け取らないのはもったいない事です。

愛されることを信じている人は愛されやすいです。

経験は関係ありません。根拠も必要ありません。

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