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ダルマ

どうしようもない時

うまく行ってない時、自分が嫌になる時

辛い時、焦る時、もどかしい時

それは必要があって起きています

今の自分、いままでの自分と

私を取り巻いてきた世界のエネルギーバランスで

起きることが起きてきます

 

思い通りにならなくなった時

それは 全体のエネルギーバランスの圧に逆らうのが無理になったきた時

それでも思い通りの 理想通りの状況を作り出したいと思う時

流れに逆らってそれをやり遂げるか

疲れ果てて降参するか 

神はどちらをやってみてもいいよ とただ見守っています

正しいやり方 正解というのはありません

世界と調和するか 流れに逆らうか

あなたの自由です

 

こういう言い方をすると、太いものに巻かれるとか

寄らば大樹の陰 なんて言葉を思い浮かべてしまう人もいるかもしれませんが

世界と言うのはそんなにちっぽけなものではありません。

なにしろ宇宙相手ですから。

本来の流れに逆らっている人間たちホモサピエンスの集団は 

流れに逆らい続ける限り、やがて淘汰されていくでしょう。

時は永遠です

大きな波あり小さな波あり

でも、問題は、波ではありません。

海です。

意識の海 ユニバース

私達がこの海そのものだったことを思い出せば

目先の小さな波は問題ではない ということがわかります。

意識を拡げてください。

瞑想で空に入る時、あなたは宇宙と同化しています。

あなたが海だった経験をします。

それが何なのか 理解していない間も

あなたは大いなる意識の海と同化するのです。

大海原

流れに委ねてください

あなたは世界に生かされています

 

二極化

コロナ禍と言われてそろそろ1年近く経ちますね。

1年前にいた世界と今は随分世界観が違います。

こんな厄介な疫病が流行って経済不安もあって自分たちの未来が見えなくなったと途方に暮れている人々 あるいは

これからは人間が自然体に戻る時代 と 思っている人たち

もちろん私や多くの瞑想者たちは後者ですが

前者もまだまだ沢山いらっしゃるようです。

このところ寒くなって来て コロナの第3波がやってきている今

世間はまた不安にあふれてきます。

身体が丈夫でないと自覚のある方、持病のある方 は無理な生活をしないで心もストレスを抱えないように穏やかに過ごしてください。

宿命は ジタバタしても変わりません。なるものはなるし、ならないものはならないし、

なっても治るものは治るのです。

自分を大切にして あなたが愛の心で生きていると

あなたは世界に守られます。

綺麗な心でいてください。

怖れのために人に攻撃的な感情をづ漬けないでください

誰もが同じ状況です

弱者をいたわってください。

あなたの愛があなたも救います。

ウイルスの下で 攻撃は何の役にも立ちません。

むしろ怒りのエネルギーはウイルスの勢力を煽ります。

これは普通の病気でも同じです。

怒りやストレスを作り出しているのは あなたの環境やあなたの周りの人々ではなく

あなた自身なのです。

拒否する心 それがあなたのストレスです

敵はいません。

敵ではないのです。

共に癒されて 愛へと統合されていきます。

ただ一つの世界が存在しています。

自と他を分けることができない一つの世界です

地球

 

 

辛い体験をどうとらえるか

お悩み ありますか?

なんでこんなことが起きるんだろう

何でこんな思いをしないといけないんだろう?

どうして私が・・・?

私の人生ってなんのために?

な-んて思ったことがありますか?

その答えは 

『その経験をもとにあなたは何が出来るか』

という課題を与えられた ということなのです

そう、成長のチャンス です。

そこから あなたは プラス(ポジティブ)を生み出すか

マイナス(ネガティブ)を生み出すか 

あなたの意思に委ねられています。

 

最初はカルマの感情が出てきますからもちろんネガティブなものが噴き出します

「嫌だ」「ちくしょう!」「キライ!」「ムカつく!」「許せない!」

そう言う気持ちは出ても不思議じゃありません

だって、人間ですから。喜怒哀楽は常に起こります

でも問題はそれからです

ずっと腹の中にその怒りや憎しみを煮えたぎらせて沸々と醗酵させてどす黒いものにさせた時

あなたの心に悪魔が住みつきます。

そうならないためには、出てきた感情は手放して天へ預けてください。

あなたが仕返しをしてその恨みを晴らす必要はありません。

あなたを傷つけた人は いずれ あなたと同じ仕打ちを受けて それを受けとります。

したことをされる そういう因果応報が この世界にあります。

あいつはまだそうなってない! と怒らないでください。

因果応報は すぐに起きるとは限りません。

今生でおきなくても来世で起きますし、その因果を子孫が引き受ける場合も少なくありません。

沢山の人を不幸にした人は なかなか幸せになることができません。

まず 自分の引き受けたカルマの責任を負うからです。

ですから、他者への罰は あなたが与える必要はありません。

あなたは あなたの中に恨みの炎を飼うのをやめましょう。

その炎は恨んだ相手ではなく、あなたを焼きます。

全くもって利の無いことです。

あなた自身を憐れむことも同じです

あなたを幸せにできるのはあなた自身です

なのに あなたを幸せにしてくれない人を恨む というのはお門違いなのです。

辛い体験があなたを不幸にするのではありません

それによって何を生み出すかが あなたの幸せを左右するのです。

 

もし 辛い体験をしたことがあったなら その時の気持ちはよく知っているはずです

同じ苦しみを持った人の気持ちがよくわかる

どうなったらそういう人が発生するかも理解できるかもしれません。

あなたはあなたの体験を より幸せな世界を作るために役立てます。

自分に何ができるか どうすれば 自分と周りの人が幸福であるかを見つめてください。

何も行動を起こせなくとも

あなたの優しい心は 世界を幸せに導きます。

それだけで癒しは起きるのです。

頑張らなくてもいい 存在だけで世界は癒せます。

ネガティブな感情は 天へ預けて 手放してください。

ちなみに天界は浄化作用がありますので

あなたのネガティブは消滅します。

手放したネガティブはもう発動しません。

それが浄化です。

夕陽

魂の行方

これから書く世界観は、私の世界観です。

正解はわかりませんが私はこれを確信しています。

死後の世界のことです

肉体から離れた魂の世界のこと

私たちの魂の故郷は 魂の湖のようなところです

その魂の湖の水が 魂の集まりです 

そう、私たちの魂は形が無く、境目がありません

ただ一つの集まりなのです。個ではない。分かれていない

すなわち非二元の世界です。

その湖からコップ1杯分の水が一人の人間の魂として肉体に入ります

それは水とも表現できますが、もっと近いのは光です。重さがありませんから

私たちはコップ1杯の光。 それが私たちの本質です。

お母さんのお腹の中に居る時に入って、死ぬ時に肉体から出て行きます。

そしてまた 故郷の光の湖に戻ります

また、みんなと混ざるのです。

「おかえり、おつかれさま」 そんなやり取りがあるのでしょうか?

あの世では分離しようがないので 孤独はないですし、

みんなが一つなので摩擦しようもないです。

エゴはありません。

 

仏教の六道輪廻の世界では

天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄

という6つの世界がありますが、これは故郷の外側にあって 分離のある世界です。

自分と他者がある世界です。

ここではじめて 摩擦が起きることが可能になります。

人間界以下のエリアで激しい摩擦があります。

カルマの摩擦です

 

この6つの世界は 魂の故郷にはありません。

この世界にあります。

宗教の中では 死後の世界にそれらがあると言われたりしますが、

実際はこちらの世界にそれがあります。

私のイメージではこの世界に波動の違う別の世界が重なって存在しています

テレビの中にいくつものチャンネルがあるみたいに

「ドラマチャンネル」

「マネーゲームチャンネル」

「バトルチャンネル」

「オカルト・ホラーチャンネル」

「ミュージカルチャンネル」

「コメディチャンネル」

「サイエンスチャンネル」

などなど、多彩なテーマとそれぞれの波動のチャンネルが存在します。

もしかしたら、人間の数だけチャンネルはあるのかもしれない 

でも、概ね近い周波数のチャンネルは混ざり合って交信もしてますので、

数には数えられませんし、一人の人がいろんなチャンネルも行き来できます。

波動を変えさえすれば違う世界に行けます。

 

で、光の湖は とても波動の高いところです。

私たちは肉体から抜けると、肉体と共にそのカルマも一緒に脱いで

この高い波動の故郷に帰ります。

これを成仏する って言います。

成仏した人はみんな光です。

 

成仏していない側の意識が六道輪廻を体験しています。

それは死後の世界ではなく、生きている人間たちが体験しているものです。

もしかしたら、成仏していない霊界にはそれがまだ存在しているかもしれません。

そちらの肉体を持たない霊体は 私たちにささやきかけてくることもあります。

「やってしまえ」「奪え」「よこせ」 と。

思い通りにならないものは騙したり脅して取るようなことをします。

闇の世界の住人です。光になることを拒んだ存在。

それは執着が手放せないためにそうなってしまうようです。

 

怖いのは悪魔ではなく、悪魔の心になった 肉体を持った人間です。

肉体があると 刃物なんかを持てますからね。

邪悪な波動、低く重い波動には注意深く距離を保ちます。

心配は要りません。

こちらが波動を高くしていれば 接点は生じないのです。縁がつながりません。

話が逸れてしまいました。

死後の世界に話を戻します。

 

生きている人間は光の故郷を知ることが出来ないでしょうか?

答えは否です

個が消えている時 そちらと繋がっています。

もっと具体的に言うと、思考が消えている時

光の故郷と繋がっている状態になります

また、その時は意識は身体からはみ出して世界を体験しています

五感が拡がって世界を感じている状態ですね。

カルマの摩擦がすっかり消えた時も繋がります。

カルマに邪魔されることなく世界を体感することができるからです。

 

そういう時、先にあちらに戻って行った魂の愛を感じることができます。

それらの存在は、外にではなく

内なる深い所にある空(くう)で繋がっています。

目をつむって内側の深い部分で存在を感じ取ります。

自分側に摩擦の感情が無い時 その波動はよく伝わって来るでしょう。

ただ、愛をこちらに向けているのがわかります。

そして 生きている私たちが愛を感じると、一緒に幸せに共鳴してくれるのです。

「良かったね、嬉しいなshine」と。

彩雲

誰のせいでもない2

何か失敗したりすると、焦ったりパニくったり

凄い罪悪感と嫌だという気持ちが渦巻き

これは本当に私が悪いのか?

いや私だけが悪いんじゃない!あの人だって その人だって関係あるじゃん、

私がやらかしてしまったのは、周りの人だって悪いじゃん・・・なーんて

やり場のない怒りを誰かに向けたくなるのは

すごく 人間っぽいです(笑)

とても大勢の人が そんな心当たりがあるかもしれない。

 

誰かのせいにしておきたいのは

自分の責任と思いたくない思い です。

責任かかると責める、責められる と 思い込んでしまってます。

現代社会は責め合う関係が主流だからね

でもね、ほんとは誰の責任でもない。

たまたま その位置にいて

その体験をしてしまっただけ、

誰かが代わりにしたかもしれないその体験を

たまたま あなたが した。

もしかしたら、別の瞬間は

「ああ、私じゃなくてよかった」なんて胸を撫でおろしているかも。。

 

こういう時 私はこう思うようになりました。

ああ、これが私でよかった。

他の人だったらその辛さに耐えられないかもしれない

私は意外と平気。

だって 試練は乗り越えていくものだから。

 

どんな出来事を体験するか『宿命』が初めから用意されていた とも言われますよね。

聞いたことがありますか?

宿命なら避けられない。 いつかどこかで遭う運命。

だから起きるなら仕方ない。

そういうことが起こりうる可能性の環境の中に生きていて

たまたま それが自分の目の前で起きた ということ。

 

自分が当事者だったり、被害者だったり、加害者だったり、

色んな立場になります。因果の流転

それらはたまたま、流れとカルマの条件が揃った時にハマります。

どんなに回避したくても 起きてしまう時は起きてしまうし、
どんなに願っても 起きないものは起きない。

計り知れない広大な 世界全体のエネルギーが

大きくも微細にも流動し続けている中で

人間はそれを100%コントロールしきれるものではないのです。

 

予想外のことは 常に起こります。

関知しない微細な動きや 及ばない大きな流れを

全部把握することなど 不可能です。

だれでも、当事者になりえます。

起こさない努力をしたとしても、

キツく監視すればするほど、キツく取り締まれば取り締まるほど

100%の回避は不可能

締め付けた息苦しさの中ででは

ある水準を越えた時に

過失は起こりやすくなるのです。

オーバーフロー のように。

 

それ(罪)を責め合って責任の所在を押し付け合うことは

世界にとっては無意味です

それを有効に感じているのはそれぞれの自我だけ。

私は悪くない ということにできれば、真実などどうでもいい と思っているかのように。

問題解決よりも 責任の所在だけを気にする って。

 

え?修正処理を負わされる

そんなもの他の誰かがやればいい?

なるほど。

みんながそう思っていると ひとしきり押し付け合いの乱闘?が始まっちゃいますね。

暴力的な世界だなぁ。

「そうだよ、油断ならない世界なんだ」

そう思っているあなたが その世界を創り出しているとも知らず。

 

そんなエネルギーがあるなら もっと効率の良い方法がありますよ。

今一番 何が大切で どんな課題をクリアしたらいいか

気付いて取り組む

改善できることを見つけることの方が

ずっとこの世界を居心地のよいものにするのですけどね。

自我は自我のためのことしか見つけ出せません。

どっちが上か下か

目先の損得

それしか見えていないようなら

その未来は暗いです。

その流れは豊かさから離れてしまっているからです。

あなたの心、あなたのいる環境や 周囲の人々の心を豊かにすること

それはあなたが豊かになる ということです。

博多湾から

美しい自然は 常に一緒にあります

自然の流れと共に。

誰のせいでもない1

この世界で起きていること

私達人間は 人間目線の都合だけで世界を見てきましたが、

それだけでは済まない時代に入ってきました。

人間が増えすぎて 人間の都合でエネルギーを消費していると

足らなくなることももうすでに多くの人々に認識されています。

そんなエネルギー問題だけでなく、

私たちの日常で私たちが発する微細なエネルギーや波動に関しても

認識されるようになってきました。

私たちが 波動でできている ということも

少しづつ理解する人が増えています。

原子を構成する陽子や中性子を作るクォークという超微細な微粒子が回転運動をしていてその振動体の集積で出来ているのが物質界なのです

物質とエネルギー

地球上のあらゆる命が発生して それぞれの性質を生きていると

相互にぶつかり、混じり合い、関係性とエネルギーバランスで

全体を形作っていく

その形状や構成の加減は 偶然の集積によります。

自然の造形美 というわれるものです。

雪の結晶

私たちはその法則性にたびたび感動します。

その偶然を神の意思 とも呼びますね。

樹氷

人間たちは自分たちがまるで神であるかのように思っていたりしますが、

そうではありません。

人間の思考や動きもその一つ(自然の造形)に他なりません。

 

人間を生きていると、

いろんなエネルギーバランスの中で心の内にいろんな感情が湧き起こり

色んなはずみでいろんな決断をしつつ、

その瞬間瞬間が出来上がっていく

それが経験です。

そして それもやはり偶然の集積であるのです。

しかしそこに性質という法則性が存在しますから

それは偶然であって 必然なのです。

誰が当事者になるかは なってみないとわかりませんが。

 

悟り の 真我の意識で見ている時、

見ている私は世界そのもので、

この体はその一部でしかありません。

たとえこの体をうしなったとしても、意識は世界を見続けるのです。

その時はエゴからも解放され

ただただ観察していることでしょう。

肉体の苦は存在できません。

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カルマは手放すだけ

カルマというものは、摩擦のエネルギーです。
エネルギーなのでやり取り(受け渡し)ができます。
抱え込んだ負のエネルギーを持て余して 誰かに受け取ってもらうとスッとしますね
 
ある方は 自分で摩擦を創り出し、それを人に配る ということを無意識にし続けます。
何かを嫌って、不愉快になり、その愚痴を友人知人に聞かせるパターンなど。
 
自分の感情のエネルギーを誰かが受け取ってくれると、肩の荷がおりますので、
それをやりたくなるのです。
 
でも、摩擦を作っているのが自分だということに気付いていません。
 
もらう側のことに目を向けてみましょう。
 
他者の解放は、単なるエネルギーの排出なので 解放に立ち会ってあげるだけで済むことも多いです。
その人はそれを口にすれば気が済むのです。
解決したければ動くことでしょう。
この場合、聞くあなたは 何もしなくていいです。
 
「出したね?スッキリした?なら良かった!」
吐き出した内容をすっかり理解しなくてもいいし、解決してあげなければならないことはないのです。 

もし、相手が解決してくれることをこちらに期待しているとしたら、
もしあなたが簡単に快く引き受けられるならいいんですが
そうでないとしたら、しなくていいです。
 
現代人はなにかと責任の所在を誰かに引き受けさせたがりますが、
自分の問題は他者に責任があるのではないんです。
それぞれの宿命や運命は本人に与えられた学びですので。
その体験によって意識が愛に進化すれば、幸福は手に入ります。
でも、自我が受け止めるのを嫌がると なかなか進化できません。
問題解決を手伝いすぎると 相手の進化を遅らせます。
その人は常に誰かに色々解決してもらいたがるようになります。
 
 
小さな子供やお年寄りでなければ、
その人の代わりにその人がしなければならないことを肩代わりしてはいけません。
自分でさせます。
自分でできる力があると信じて自分でさせることはとても大切な学びです。
そうでなければその人はいつまでも自立できません。
これはとても不自由なのです。
他者に依存しなければ心地よく暮らせない。
不自由です。
 
やってあげる方が簡単なこともありますが、本人にエネルギーがあるなら信頼しましょう。
成長することを信頼するのです。
 
愚痴は、単なるカルマの解放なのでただ出すだけのゴミのようなものです。
ゴミを拾い上げる必要はありません。
ゴミ受けを受け止めてその人が明るさを取り戻すなら受ける甲斐もありますが、そうでなければ、スルー。
突き返したり(否定)せずに ただ流していけば終わっていきます。
 
自分が摩擦を起こしている時は、感情を解放して手放します。
 
本人が何をしているか 自覚することはとても大切です。
それぞれが体験して法則性を理解し進化します
これが人生の学びです。
 
意識が浄化されていくと
流れがスムーズになり、豊かさが舞い込みます。
愛の波動の温かさと大きさを実感してくださいね。
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真我の意識からスタートする新しい人生の始まりです。

 

 

 

 

解放 手放すこと

解放のパターンについてお話してみます。
感情が揺さぶられたり、動揺したり、怒りを感じたり、悲しみを感じたり、気分が落ちたりする時
それは感情の解放です。
瞑想をしていても瞑想をしていなくても感情の解放は起こります。
自然なエネルギーの流れです。
 
感情は起こり、表現してエネルギーが外に出て行きます。
 
とても自然な形では その時々に子供のように喜怒哀楽が起こりますが、
大人になるほど、自然な感情は抑えるようになります。
周囲への影響を配慮してのことで、社会的にそれを求められることも少なくありません。
家庭や学校でそのように教育もされます。
 
人前で出さないことが美徳のように思われてしまって
過度に抑圧してしまいますと、
内側のエネルギーが出るところを失って内圧が上がり
具合が悪くなってしまいます。
 
他者の負のエネルギーをもらってしまった時も同じことが起きます。
 
怒りを向けられたり、愚痴を聞いたり、した時によく起こります。
特に元々溜め込んだものが沢山あると それが同調しますので
思いっきり具合が悪くなります。
 
 
具合が悪くなるその感情は相手のもののようで実は自分の中にあるものです。

(多くの人が同じものを共有しています)同じものに同調してしまうのですね。
でもそれで、それが自分の中にあることがわかります。
普段は奥の方に隠されているので 無いように感じていたりします。
でも、外側の波動につられて ひょっこり顔を出します
「いますよ~」って。
 
そういう時はラッキー
何に拒否しているのかを見つけると 手放すのが簡単になります。
 
嫌だ  という摩擦の感情
抵抗する摩擦の感情を手放します 
ただ、それがある
という認識だけにしていきます。
あるがままにさせておく  のです。
 
この世界に良いも悪いもない ただ起きることが起きているだけ
 
何かしてあげなければならない ということもないし、奪われることもない。
あなたは自分がすることを選べます。
したくなければしなくてもいいのです。
 
 
そうすると、やらされる  という意識がなくなっていきます。
 
いい人でいるために自分自身を犠牲にしていると
自分も他人も好きになれません。
 
まず 自分自身を愛する事
それができて、他者も愛することができるようになります。
 
全ての出来事に責任を取ることなどできません。
一つの出来事ですら 誰の責任でもありません。
ただ、起きることは起きるのです。
過剰に自分自身に責任を課さないでください。
罪悪感は手放していきます。
 
あなたの責任ではありません。
あなたが責任を負いたいなら止めません。
でも この世界は 起きることが起きるように出来ているのです。
それは思い通りにはなりません。
 
流れに任せると  勝手に解決することも多々あります。
ジタバタしない方がいいのです
気を揉ます大きく構えて下さいね。
 
ただ眺める練習してみませんか?
あるがままにさせておく。
 
解放して 治まっていきます。
自然体で行きましょう。
コスモス

あるがままの美

私はどうしてこんな風なんだろう?

と悩むことがおありでしょうか?

 

植物

肉食動物
 
草食動物
 
回遊魚
 
 
いろんな生き物がいます。それぞれの性質があります。
どの生物が素晴らしくて
どの生物が忌まわしい
とかいう問題ではなくて
それぞれがそのように生まれて
それぞれの生涯を全うする   ということ。
同じにはできません。
そこに良いも悪いもありません
 
私達人間にも
与えられた要素、与えられたカルマがそれぞれにあります。
宿命は選べるか?といえば選べないし、
経験も選べるようで選べない
なるようになっていくのです。
意図する事すらプログラム、カルマか宿命かもしれないのです。
思い通りにならない ということを受け止めるのが
人生の課題 悟りの道 でもあります。
 
あるがままを 受け止めきった時
そこには 存在の喜びが輝き始めます
 
ああ、生きているんだな と shineconfidentshine tulip
 
あるがままに咲く潔さは美しいものです
何も飾る必要もありません。
誰かに見せるために咲いているのではありません
あなたが存在を謳歌する ということです
 
なずな
 

執着の苦しみ

瞑想で執着の思いは取れますか? というご質問がありましたので
回答を書かせていただきます。
 
 
 
瞑想で 煩悩や執着は消えていきますね。
 
ただ、苦しみはある程度通過します。
出て行ってくれないと無くなりませんが、出る時に苦しいです。
日常的に瞑想をしていると、瞑想時に出てくれる分は 意識に上がらないことも多いので
その分が楽になります。
 
解放の苦しみは必要な苦しみ と言えると思います。
 
苦しみが無ければ懲りずに執着しつづけてしまうでしょう。
 
エゴの思いは強いです。
 
ただ、執着するものは 失う運命にあります。
執着が怒り、悲しみ、恨み を 生みます。
 
持ち続けるか 手放すか は 私達次第なのです。
 
摩擦の感情(カルマ)は それがどういうことなのかを教えてくれているのです。
 
手放してください。
愛に変わるまで。
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