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身体

自然治癒力

今の世の中のマスメディアによる情報や ウェブでの情報、

本当にどれが真実なのかわからない ということが起きています。

何を信じるのかは個人個人 本人の責任や選択によるのかもしれませんが、私個人の見方を書きます。

今 多くの人々が新型ウイルスを恐れていますが、

本当に問題なのは 新型ウイルスではなく 恐れること と ストレス です。

怖れによって 冷静な判断が出来なくなったり、疑心暗鬼で他者を攻撃したり

経済が膠着するだけでなく、戦争まで起こしそうな勢いです。

戦う相手を間違える原因が 『怖れ』です

この怖れは 自分を守るどころか 自滅へと向かわせます。

怖れのストレスで体調を崩すなんて あまりにもバカバカしいと思いませんか?

自分を不安に陥れる情報なら 見ない方がマシなんです。

感染者をバイキン扱いする必要もありません。

感染者は速やかに隔離すればいいだけなんです。自分が感染したらしばらく籠りましょう2

治って、ウイルスが居なくなれば自由に行動できます。

感染したらおうちタイムもしくは入院です。もうそれは仕方ない

殆どの人は死にません。インフルエンザより軽症なようです。

ただ、感染力が強い 身体の弱い人に移せません。

 

瞑想で自己治癒力が上がりますので

瞑想者の方々の多くは怖れを持っておられません。

心も安定します。(解放中の方はこれから安定していきます)

解放の終わりの清々しさったらありません。

日に2回の瞑想を面倒がらないでください。

睡眠よりも深い休息の時間です。

瞑想があなたを健康にします。

具合の悪い時間や 休まなければならない日々を思えば

瞑想時間なんて容易いものです。

健康に緩やかな毎日を過ごしましょう。

心にストレスを抱えている人は荷下ろしします。

1人でやるのではありません。

瞑想教師がサポートします。

ご相談をお聴きするのも瞑想教師の仕事です。

心安らかに健康的な生活にしていきませんか?

おうちタイム

おうちを居心地よく片付けてみましょう。

お買い物配達サービス調べておきたいものですね。

いまここ

多くの人々は未来を心配して不安をなくすためにいろんな対策に明け暮れてきましたが、

災害や新型ウイルスが起きて頻繁に混乱しているこの時代になって 

出来事はもはやものすごく予想外

そもそも予測自体が無理なんじゃないだろうか?とさえ思える日々ですね。

で、益々不安になっちゃってる方々、ちょっと私の話を聞いて下さい。

心配してもしなくても 起きることは起きるし

それは起きる前には予測がつかないのですから 起きてから対処した方が簡単です。

どうしたらいいかわからないのは、まだ情報が足らないってことです。

ちょっと待って観察してくださいね。まだ結論は早いのです。

カルマの解放期に要らないものを容赦なく手放さざるを得ない体験をして

開き直ったみなさんは(笑)ニヤリとされたことと思いますが、

今 失うことを恐れて 鬱になったり大騒ぎしているものを手放しても

死にません。

お荷物を抱えていること自体が苦しみです。

荷下ろししませんか?

無ければ無いで なんとかなります。

ええ、たぶん 命を失うことにすら さほど不安にならずに

ドンと構えていたりします。

だって、いつか来るその時は

この小さな肉体に閉じ込められることからの解放なんですから。

あちらは 地獄でもなんでもありません。

地獄は私達肉体を持つ者が見ているイメージや摩擦です。

魂には痛みを伴う肉体がありません。病苦に苦しむこともないのです。

怖れは未知のものにたいして、失うことに対しての恐怖です。

失ったら困る と 思っているから恐れます。

所有という観念があって 自分の物という認識があって

失うという怖れを持ちますが、

そもそも、私達は 何も永遠に自分のものにはできないのです。

この肉体の束の間の人生で

常に変化し続ける世界で

何かを留めておこう と 思うこと自体 無理があるのです。

変化や流れを楽しむスタンスに変更しませんか?

何かが過ぎ去れば 次の流れがやってきます。

別れあれば出会いあり

常に一期一会の日々なのです。

今日という日を最大に感じてみませんか?

自分を閉じ込めて何も見ない人生はつまらないものです。

うつむいた顔を上げて、視線を上げて 空を見て 感じてください。

空一面にある空間とエネルギー

それを感じているあなた

肉体に起きる呼吸 循環 エネルギー

あなたの生命を感じてください

その生命エネルギーを身体から外に出してみませんか

あなたの心の窓を開けて そとを見て深呼吸するのです。

私はここにいる

今という瞬間を 身体を 心を 命を

感じてみてください。

この感覚に馴染んで来ますと

あなたはもっと命を楽しむことができます。

世俗の喧騒を離れて あなたの中の自然を感じてみてください。

葉

一緒に瞑想しましょう。

アトリエ霽月で お待ちしています。

好きと嫌いの科学

好きなもの、きらいなもの、

それは、、、好いたって嫌ったって どっちでもいいんですよ。

嫌いたいなら 嫌ったっていい。ダメってわけじゃないんです。

 

でも 嫌いなものがあると嫌な気分になりますよね。嫌ってる本人が嫌な気分になるんです。

そしてその嫌な気分を向けられてる対象も 嫌な気分になります

それが自分自身だとしたら ダブル嫌な気分 shock shock

他人が嫌いなだけでも嫌な気分なのに? 嫌な気分になりたいのか?

なりたいのかも・・・。。。???

 

相手のせい というより、これは嫌っている本人の問題だったりします。

あなたが見る世界は、あなたが意味を持たせて作っている世界観なのです。

どんな世界で暮らしているかを、自分自身が意味付けして作っている。

 

「意味がわからないわ!」と思う方もおられるかもしれません。

自我の視点から見るだけだと 意味がわからない。 全く別次元からの視点で話をしています。

ここ(意味について)を突っ込んで話すと長いので これはちょっと置いておき 話を進めましょう。

 

なぜ 嫌いなのか?を分析してみます。

生理的にキライ なんて言葉がありますが、本当は理由があります。

娘が父親を邪険にするホルモン的な理由もあるでしょう。

それは生物学的に守られたDNAの情報です

DNAは感情の記憶も保持しています。

心の奥深くにしまい込んだ原因 瞑想者たちはそれをカルマと呼んでいます。

過去にそれでとても辛かった体験 あるいは過去世で苦しんだ痛みの記憶

先祖の業、強く刻み込まれたルール DNAに乗った情報の一つでもあります。

それらは反応として身体に染み込んでいて、その記憶にまつわる事柄に拒否反応を作ります。

嫌だ と決めたことに反応しています。

これは嫌だと思う理由が消えると 消滅する反応です。
(理解と体験でDNA情報も書き替えられます)

 

自分が嫌い  と思っていたのは 思い違いなんです。

欲しいものが手に入らないのは この自分のせいだ と思っていたでしょ?

違います。

自我のマインドは手に入らない理由を探しだそうとするんです。

でも、理由なんて1つじゃない。

別方向から見れば、

それは まだあなたのものになる運命にはなかった。

それはあなたの下から去る宿命だった

それは あなたがカルマを解放するための体験だった

それはあなたにとって 大切な学びの過程だった

とも言えます。

そして どんなにそれを留めておきたかったとしても

執着するものはあなたから離れていきます。

悲しいことに執着が強ければ強いほど、去ってしまいます。

去るものは愛で見送ってください。

それらが行きたがる方向に自然にさせておきます。

それが調和の流れです。

目の前に在るもの それは全て流れの中にいます。

あるがままにさせておいてください。

あなたがどんな理由や正当性を持ち出したとしても

大いなる流れは止められないし、あなたが発する波動次第で

周囲のものは流れます。反発するもの、引き寄せられるもの。

それは自然の法則通りです。

それを知らずに文句を言ったところでどうしようもない。

 

本当に望むような現実を求めるなら

この世界の波動と流れ、エネルギーバランスを無視してはできません。

あなたは 宇宙の法則をご存じでしょうか。

フラクタル渦巻き

 

次回へ続く

 

 

こだわり

ひと昔前、日本が好景気に舞い上がっていた頃、

消費社会による好景気で

衣食住は満たされ、余暇を楽しむ日本人が増えました。

ただの当たり前では満足せず、

プラスアルファの何かこだわりを持つことがカッコイイ生き方のように感じて暮らしていた若者たちが多くいました。

自分はこのレベルでなければ満足しない、何事も高水準を目指すことが良い事のように人々は向上心という熱に浮かされていました。

 

この世界は 上昇気流だけで出来ているのではありません。

上昇したら下降して、常に全体の中で対流しているのです。

ほんの束の間、上昇気流に乗った高揚感と至福に陶酔したとしても

それらは一瞬のお愉しみでしかありません。

上昇と下降 ぐるぐる回っているだけです。

 

エネルギーは 偏りができると 密度が平均化しようとするのがこの世界の万有引力であり法則です。水面は水平になろうとしますし、浸透圧は均衡を保とうとします。

世界は自然の理に従って 対流して常に変容し続けています。

これが諸行無常です。

 

あなたのいる位置は一定ではなく、

所有していたと思い込んでいた物質たちは 対流の流れに

容赦なく押し流されていきます。

あなたの立場も変化します。

あなたは あなたの今を生き抜くのみ です。

 

こだわりなど だたの足枷でしかありません。

あなたの選択肢を狭めます。

あなたはただ 目の前の選択肢を自由に選んでください。

選択肢を増やせば増やすほど あなたの生き方は様々な彩りを加えます。

 

誰が選択肢を制限したのでしょうか

他でもないあなた自身です。

自由になってください。

生きたいように生きて構わないのです

あなたの内側の檻を取り払う

あなたのマインドの制限を手放す

何にもとらわれることが無くなれば

マインドコントロールなど起きません。

 

あなたはあなたの今を生きたいように生きるだけです。

その自由さを手に入れれば

不幸など存在できません。

 

内なるとらわれを手放すために 瞑想を実践しています。

限りない自由さと至福は あなたが内側にこしらえた枠から解放された時

なだれ込んで来ます。

 

枠を取り払って 真我を体験してください。

平原の真ん中に転がって見る空は 私という世界そのものです。

平原と空

私にのしかかる空、

いえ、私を包む空です

私たちは空の中に ただ存在します

ここにある命を体感してみてください。

 

あなたの命は どんな感じがしますか?

変化する感性

カルマを終わらせることは私たちの宿命です。
これを避けて通ることができません。
ただ先延ばしすることができるので
カルマを見ないようにしたり、受け止めることを拒否していると一生の間におわらないことがままあります。
 
その場合は、来世に持ち越すようです。
再チャレンジ。
 
この宿命はそれぞれの魂が 魂の成長のために設定してきた設計図でもあり、
それらのカルマプログラムは私たち人間の身体の中に設定されています
 
それらは DNAの中に情報としてインプットされていて、
ある時期になると発動し始めます。
 
自分のDNAだけではなく
自分を取り巻く人たちのDNAにもそれが入っていて
お互いにプログラムを発揮しあって、互いに影響を与え合います。
これが宿命です。
 
人間関係そのものがDNA情報によって動かされている とも言えます。
 
それは偶然のようでもあり、
宿命なのかもしれません。
タイミング的に 偶然 とも言えますし
確率的に 必然 とも言えます
 
ただ、自分の前に展開される世界は ただ一つしかありません。
いまここ です。
 
それは常に変化し続け、
一瞬たりとて同じ状態はありませんが
 
あなたの動き次第で 流れに変化を与えることもしているので
あなたそのものが宿命の創造者であり実行者である と言えるでしょう。
 
行動は意図的であっても
流れそのものは自分だけでは作れません
あなたはやがて流れと同じ方向に流されます。
 
 
あなたの自我は 流れに逆らってみるかもしれません。
これは人間に与えられた特別な能力 と言ってもいいでしょう
流れに逆らったり、流れを利用する なんてことも可能です。
 
そのことであなたという一人の人間はどんな体験ができるでしょう。
 
流れに思いっきり逆らう・・・
そういうゲームも面白いかもしれません。
 
特に若い頃は 自分のエネルギーを発散消費したいですから
数々のチャレンジをして楽しみます。
生きている充実感を味わいたいんですね。
手ごたえ という摩擦を欲しがります。
 
年齢共に 発散するエネルギーは落ち着いて参ります
すると、「安定」や変化の無い「維持」がラクチン と感じるようになります。
 
自分がそう感じるからと言って、
子供、若い世代にそれが一番だと押し付けるのは間違いです。
 
彼ら若い世代は 発散するように出来ていますから
取り組む課題を取り上げてはならないのです。
 
また、若い時の感覚に執着して捨てきれないエゴを持っている
年長者も 困り物です。
24時間戦えますか!?と ドリンク剤片手にギラギラした目力で
アドレナリン全開 を最高の状態 だと思わないでください。
それはほんの一瞬のお愉しみでよかったのです。
青春の1ページ。
 
過ぎ去った過去の高揚は 懐かしく幸せを感じることで十分です。
それも良かった
 
そして今は 今を生きます。
幼くても、若くても 年老いても、
それぞれの今を それぞれにしたいように行動します
 
ですから 
自分以外の人に自分の価値基準を当てて
裁くことは無駄なんです。
 
自分にも人にも したいことをさせてあげましょう。
 
 
但し、あなたは 社会のリーダーを選ぶ時は慎重になってください。
全体のことを考えられる人を社会のリーダーに選ばなければ
社会は無茶苦茶になってしまいます。
 
あなたは 自分が何を選ぶか 自分に正直に
真摯に向き合う必要があります。
 
どんな人生を生きたいのか
一人一人が一番生きたい人生を選んでください。
 
今 その辺がとてもいい加減になっていたと皆が気付き始めていますね。
これから起きる大きな変化が見えてきました。
とても楽しみです♪ fuji
日本の夜明け
 

 

認知機能

しばしご無沙汰しました。

肺炎で入院した父に会いに大阪に行っていました。

 

先日、父が倒れた際

父の行動と記憶があまりに曖昧になっていたため

周りの者はみな 「ついに認知症になってしまったのか?」と大層心配しました。

何しろ 時間を12時間間違えて行動してしまった上、鍵を無くして家に入れない状態で倒れていたので

関係者は 「ついに認知症?」 とビビったのでした。

これまで仕事が生き甲斐で 82歳になった今も毎日お店に出ておりまして

動ける限りは働き続けたい 

と言ってた父ですが

82歳にもなって毎日13時間もお店に出ているなんて 

やっぱりちょっと無茶? (;^ω^)

離れて暮らしている娘としては 心配でたまらないものの

すぐに駆けつけることが出来ず、父の住む大阪の福祉課高齢者サービスに電話をかけまくって福祉関係の方々に随分お世話になりました。

 

今年の夏、74歳の 表装のお師匠さんが倒れた時、

弟子の中では一番 お世話になっていた私が先生のところに駆けつけ

先生の居住地の福祉課と連絡をとりながら

一人暮らしの高齢者をどうサポートできるのか

色々お話を聞いていろんな手続きをつなげたばかりだったので

高齢者福祉サービスにどんなものがあるのか とか

どこに電話したらいいか など

ある程度の知識がありました。

 

母が生前介護が必要になった時期にも

妹が一生懸命いろいろ調べて在宅介護をしていたので

妹にもいろんなアドバイスをもらい

先生の生活が整えられたことが私にとってはとてもありがたい経験となっていました。

それで今回の父の件も うろたえずにすぐに福祉サービスに相談することが出来ました。

 

お役所の手続きは申請や書類の準備など 面倒なこともありますが、

福祉課の方やケアマネージャーの方はいつもとても親切に親身に対応して下さり

本当に感謝するばかりです。

 

わからないうちは途方にくれますけれども、

今の社会はかなり福祉サービスが充実していることに驚きます。

何が出来て何ができないか まずは知ることが大切です。

 

で、

当の父は

倒れた原因は肺炎だったのですが、

倒れる以前から具合が悪かったようで 微熱が続きもうろうとする頭で

妙な行動に至ってしまったようでした。

 

父は入院して体が元気になると以前の明るい父に戻っていました。

 

思えば、私も疲れがたまると 頭のネジが飛ぶ ということが多く、

これは自分では体質だと思っているのですが

疲れると身体に症状が出る前に 脳の機能が低下する という自覚があります。

すごくトンチンカンなことをしたり、今何をしようとしたのかわからなくなったり、、です。

極端な寝不足とか 過労の時にボケ始めるので (^_^;)

自分がボケたことをしだしたらまず 疲れてるんだな と思うことにしています。

身体はまだ動くんですが頭がボケます(笑)

無駄に体が丈夫 ということもあるのかもです。(苦笑

 

若い頃、鬱になった時も 身体は病気ではないのに頭がおかしくなることで

ものすごく自己否定が強くなったりしていました。

できない ということを怠けているととらえたり、

忍耐できないことを甘えている ととらえるのは 人間が壊れる原因になります。

人間の身体は 無理を強い続けると どこかしら不具合が生じてしまうのです。

エゴたちは身体の都合を無視しても意思を通そうとしたりします。

 

個人個人でも 対応キャパは個人差があります。

このくらいできるだろう とか

このくらいはしろよ と 相手を裁くことに

もっと慎重になる必要があります。。

こんなこともできないなんて と自分を責めることも

悟りの視点から言うと 愚かなことです。

 

生きていると 時折、無理をしなければならない場面もあるかとは思いますが

人間の身体は 自然の力が生かしているものなので

自然な在り方を もっと尊重した方がいいとですね

 

あなた自身の身体 という自然の体験を もっと楽しんでください。

エゴは貪欲に自分にいろんなことを要求しますが

そんな貪欲は手放して

自然を生きますと 多くの奇跡を目にするようになります。

 

ちゃんとする という「ちゃんと」って何なんだろう?

と 時々不思議に思うことがありました。

その「ちゃんと」という基準は何? って思って見ると

意外と基準は曖昧で 人によって基準がかなり違います。

 

そんな曖昧な基準を支えにすると 生きづらくなってしまうでしょう

出来たらOKだけど出来なかったらNG というのは

誰が決めるのでしょうか?

 

どの年齢であっても どんな状況でも

どんなことか出来ても出来なくても

あなた という自然を 大切に 楽しんで体験してください。

 

もっともっと というエゴの貪欲を手放して、

あなたの中の 自分が好き と感じる気持ちを大切にしませんか?

 

あなた自身が 気持ちがとても幸福な感じがしたら

あなたはもっともっと愛されるでしょう。

 

そして 私も この世界を愛しています

 

この愛おしい気持ちは 大きな幸福感と癒しとなります。

ゴールデンレトリバーと子猫

 

肉体

肉体は 私たちの意識とは別個に 生きています

生命のシステムがこの体を維持しています。

私たちの意識のあずかり知らぬところで、この肉体は活かされています。

あなたは意識的に心臓を止めることはできないし、

意識的に消化吸収をやめることもできないのです。

身体は自然のプログラム通りに成長し、喜怒哀楽を持ち、

やがて老いて 最期に肉体の死を迎えます。

 

この体がどうやって維持されているかは 

最初は知る由もありません。気が付いたら

この肉体の中にいたのです。

 

私たちは 朝 目覚め、自分が居ることを知ります。

 

最近では研究でいろんなことが解明されてきましたが、

その知識を学ぶまでは 自分の身体がどうなってるかも知りません。

 

気が付くと動く手があり、脚があり、

それを使って這い、立ち、歩きます

バランスを取るのはけっこう難しいんです。

何しろとても重たい頭が上に乗っかっていますから

 

その体に乗っかった意識は

身体という乗り物の運転手

 

気が短い運転手は目的地に早く着きたがったり、自分の行く道を阻む者に腹立ちを覚えます。

邪魔者を敵視し、排除したがり、思い通りにいかないとイライラしたり

さらには 乗ってる乗り物に文句言ったりなんかして

なんでこんな体なの?  と。

 

走っている道にも文句を言いたくなります

なんだこの石ころ、なんだあの雑草

なんだあの野良猫

あなたの人生という旅に出てくる登場人物をみな敵にしてしまうなんて

なかなかスリリングな人生ストーリーです

 

 

体の中にあるDNAの情報に忠実に体は維持されて行きます。

そして突発的な変容もあり、様々なパターンが繰り広げられる

これは自然の神秘ですね。

一体何がこんな壮大なプログラムを仕組んだのでしょうか

その根源を神 と呼ぶのかもしれません。

この世界の構造は実に神秘的で精巧です。

 

体のプログラムや、自分が作り出した人生や、自分が降り立った宿命に

文句を言い続けてもあまり良い事はありません。

むしろ悪影響の方がずっと多い

私たちはただ、その景色を見て、その土地を歩いて、その道を楽しむか嫌うか だけなのです。

楽しんでも嫌っても、道は道です。

しかも自分が生まれてくると決めた人生

予想外の出来事を面白がった者勝ち~ scissors

 

バランス

私たちが心を平和に保つためには 心のバランスをとることが大事です

心のバランスって? どうすればいいのか・・・

 

今日はそんな話をしてみます。

 

古代、自然と共に人が生きていた頃は 

人の生き方はとても自然のリズムに近いものでした。

光と共に目覚め お腹が空いたら食べること、食料は繊維を多く含み、お通じも自然。

夕闇と共に活動を終え、眠りにつく生活

具合が悪くなったら横たわり、治るまで寝ます。

 

ただ、現代のように医療は発達しておらず、栄養が常に満ち足りているわけではなかったので

病に命を奪われる運命には なかなか逆らえませんでした。

 

現代人は 科学と医療を発達させて、寿命を延ばす課題を克服してきました。

ただ、文明の発達とともに生きる環境も大きく変えて 本来の自然とかけ離れた文明に依存した社会を作り上げてしまうのです。

かく言う私も都会生まれの都会育ちで 田舎暮らしをしたことがありません。

そういう者たちは 何が自然だったのか を知らずに育ってしまうわけですが、

魂は やっぱり自然を愛するように出来ているのかもしれないと思います。

 

大阪のど真ん中で生きていた頃は、社会は角ばって澱んでみえましたが、

その中で疲れて 生まれて初めて地方で暮らした時は 感動の連続でしたね。

地方と言っても 九州では大都市の福岡ですが、

大阪ととても違ったところは、少し足を伸ばせば 雄大な自然がとても身近にあったことでした。

 

同じ都会人でも やはりみんなの感覚がかなり違います。

同じ場所に住んでいる人でもそれぞれの世界観によって大きく幅がありますが、

割合や平均値は都市によってかなり違いがあり それぞれの個性を持っています。

 

私は九州では 自然を愛する人たちとしばしば 自然の気に触れる機会を持つことが増えました。

そして 気を感じることがとても身近になったんです。

瞑想もその感覚を発達させました。

私は自分の中の気を感じ取って読み分けることができるようになっていったのです。

 

自分の中の気のバランスを取る。

 

これは健康を整えるためにとても大事な事です。

 

今の自分はどの要素が落ちているか

身体のどこに違和感があるか

身体のバランスを感じること

今の自分に何が必要か

それらを感じ取ることをするようになっていったのです。

 

身体に鞭打ってでも 今日働かせる生き方 は 美徳ではないことを知りました。

自分の心や体がなぜ壊れたか

それはあなた自身の生き方に起因します。

 

生まれてこの方 バランスの悪い生き方しかしてこれなかった人は

整えるのに苦労するかもしれません。

なにしろ、自分自身を探し出すことは自分にしかできないのですから

その自分が自分に鞭打つようでは 何も見つけられません

 

自分自身のバランスを取る ということは

私自身を愛する ということに他なりません。

 

自分を愛することができれば

世界を愛することは さほど難しいことではありません。

だって 同じことなんですから。

ピンクの蓮

花は愛を持って咲きます。誰のためでもなく

ただ咲くことが愛なのです。 

自分を大切にすること

八月後半 気温が下がって 今年の秋は早いのか?と思ったのも束の間、

やはり戻ってきました猛暑。
ベランダの温度計が36℃になっているのを確認すると もう外に出る気が失せますね。

用事が無い限りは部屋にこもっているのですが、そうも言っておられず連日外出していました。

さすがに疲れが出て参りまして 今日は腹痛の解放もありまして

おとなしくしておりました。

 

頑張りすぎると身体がブレーキかけますよね。(笑)

日頃パワフル過ぎてびっくりするお姉さま方も 不調でストップされる方がちらほらおられて

やはり休むときは休むに限る と思う今日この頃です。

 

今の日本には ガンバル神話がまだまだ根強くて 

頑張って無理しすぎる人が多すぎると思います。

その結果 身体や心を壊してしまう。

これ、元も子もないですよね。

 

頑張りたいのは エゴの思いなんですよね。

欲張って身体を働かせすぎる ということ

そうしないと生きていけない なんてこと ないんですよ。

そうしないと生きていけない生き方を選んでるだけなんです。

 

~ねばならない ~すべき という言葉には注意してください。

正義はあなたを傷つけたり壊したりするものであってはならない 

と 思いませんか?

 

あなたは あなたの身体と心を幸せに生かす責任があります。

 

心と身体に優しい生き方は 

欲張りのエゴを手放すことも必要です。

 

ぼちぼち 幸せに生きましょう。

多くを手にしなくても 人は幸せでいられるのです。

あなたの意識が 真我であるほど そのままで幸せですshine

 

無理をさせて 大切なものを壊さないようにしてくださいねheart01 
 

もし あなたが誰かと 気持ちの行き違いがあって喧嘩になったり、反発したり、悔しい気持ちになった時は

その人とと和解して 仲良くなるイメージをしてください。

その時のその人は 素直であなたの話も聞いてくれます。

そしてあなたもその人に腹が立ったことを手放して

素直なその人と お互いに「ごめんね」と 言い合うのです。

 

どっちも自分の意見を分かって欲しかったんだね。

ごめん。素直になれなくて

どうしてもそのことを受け止める気持ちの余裕が持てなくて

意地を張ってしまったんだ。

 

悪気があったわけじゃない。

そう、お互いに。

本当は 仲良くしたい。

 

分かって欲しかっただけなんだ。

あなたもそうなんだね。

 

ちょっとした 違いが互いに受け止められない時、

あなたと私は ちょっと疲れていて 気持ちに余裕がない。

本当は自分に自信がなくて 弱さを知られることが怖かった。

 

そうだね、お互いに。

 

意地を張るのはもう終わりにしよう。

わかってくれないなら もういい! なんて 強がりを言うのも

やるせない 焦りや 何かから逃げたい気持ち。

 

本当は怖かったんだ。

受け止められないことが。

 

意地も コンプレックスも、怒りも 恐れも 何もかも

一度 全てを手放してみよう。

 

そして 何者でもない ただの命になってみる。

ただただ そこに存在してみる。

息をして そこに生きる命

静かに 静かに。

息を感じる。

この私の魂。

生命のエネルギー。

 

あなたは ひとつの輝く光となって

あなたの愛を見つけるでしょう。

 

そして 周囲で輝く無数の愛を 見つけるでしょう。

キャンドル

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