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身体

こだわり

ひと昔前、日本が好景気に舞い上がっていた頃、

消費社会による好景気で

衣食住は満たされ、余暇を楽しむ日本人が増えました。

ただの当たり前では満足せず、

プラスアルファの何かこだわりを持つことがカッコイイ生き方のように感じて暮らしていた若者たちが多くいました。

自分はこのレベルでなければ満足しない、何事も高水準を目指すことが良い事のように人々は向上心という熱に浮かされていました。

 

この世界は 上昇気流だけで出来ているのではありません。

上昇したら下降して、常に全体の中で対流しているのです。

ほんの束の間、上昇気流に乗った高揚感と至福に陶酔したとしても

それらは一瞬のお愉しみでしかありません。

上昇と下降 ぐるぐる回っているだけです。

 

エネルギーは 偏りができると 密度が平均化しようとするのがこの世界の万有引力であり法則です。水面は水平になろうとしますし、浸透圧は均衡を保とうとします。

世界は自然の理に従って 対流して常に変容し続けています。

これが諸行無常です。

 

あなたのいる位置は一定ではなく、

所有していたと思い込んでいた物質たちは 対流の流れに

容赦なく押し流されていきます。

あなたの立場も変化します。

あなたは あなたの今を生き抜くのみ です。

 

こだわりなど だたの足枷でしかありません。

あなたの選択肢を狭めます。

あなたはただ 目の前の選択肢を自由に選んでください。

選択肢を増やせば増やすほど あなたの生き方は様々な彩りを加えます。

 

誰が選択肢を制限したのでしょうか

他でもないあなた自身です。

自由になってください。

生きたいように生きて構わないのです

あなたの内側の檻を取り払う

あなたのマインドの制限を手放す

何にもとらわれることが無くなれば

マインドコントロールなど起きません。

 

あなたはあなたの今を生きたいように生きるだけです。

その自由さを手に入れれば

不幸など存在できません。

 

内なるとらわれを手放すために 瞑想を実践しています。

限りない自由さと至福は あなたが内側にこしらえた枠から解放された時

なだれ込んで来ます。

 

枠を取り払って 真我を体験してください。

平原の真ん中に転がって見る空は 私という世界そのものです。

平原と空

私にのしかかる空、

いえ、私を包む空です

私たちは空の中に ただ存在します

ここにある命を体感してみてください。

 

あなたの命は どんな感じがしますか?

変化する感性

カルマを終わらせることは私たちの宿命です。
これを避けて通ることができません。
ただ先延ばしすることができるので
カルマを見ないようにしたり、受け止めることを拒否していると一生の間におわらないことがままあります。
 
その場合は、来世に持ち越すようです。
再チャレンジ。
 
この宿命はそれぞれの魂が 魂の成長のために設定してきた設計図でもあり、
それらのカルマプログラムは私たち人間の身体の中に設定されています
 
それらは DNAの中に情報としてインプットされていて、
ある時期になると発動し始めます。
 
自分のDNAだけではなく
自分を取り巻く人たちのDNAにもそれが入っていて
お互いにプログラムを発揮しあって、互いに影響を与え合います。
これが宿命です。
 
人間関係そのものがDNA情報によって動かされている とも言えます。
 
それは偶然のようでもあり、
宿命なのかもしれません。
タイミング的に 偶然 とも言えますし
確率的に 必然 とも言えます
 
ただ、自分の前に展開される世界は ただ一つしかありません。
いまここ です。
 
それは常に変化し続け、
一瞬たりとて同じ状態はありませんが
 
あなたの動き次第で 流れに変化を与えることもしているので
あなたそのものが宿命の創造者であり実行者である と言えるでしょう。
 
行動は意図的であっても
流れそのものは自分だけでは作れません
あなたはやがて流れと同じ方向に流されます。
 
 
あなたの自我は 流れに逆らってみるかもしれません。
これは人間に与えられた特別な能力 と言ってもいいでしょう
流れに逆らったり、流れを利用する なんてことも可能です。
 
そのことであなたという一人の人間はどんな体験ができるでしょう。
 
流れに思いっきり逆らう・・・
そういうゲームも面白いかもしれません。
 
特に若い頃は 自分のエネルギーを発散消費したいですから
数々のチャレンジをして楽しみます。
生きている充実感を味わいたいんですね。
手ごたえ という摩擦を欲しがります。
 
年齢共に 発散するエネルギーは落ち着いて参ります
すると、「安定」や変化の無い「維持」がラクチン と感じるようになります。
 
自分がそう感じるからと言って、
子供、若い世代にそれが一番だと押し付けるのは間違いです。
 
彼ら若い世代は 発散するように出来ていますから
取り組む課題を取り上げてはならないのです。
 
また、若い時の感覚に執着して捨てきれないエゴを持っている
年長者も 困り物です。
24時間戦えますか!?と ドリンク剤片手にギラギラした目力で
アドレナリン全開 を最高の状態 だと思わないでください。
それはほんの一瞬のお愉しみでよかったのです。
青春の1ページ。
 
過ぎ去った過去の高揚は 懐かしく幸せを感じることで十分です。
それも良かった
 
そして今は 今を生きます。
幼くても、若くても 年老いても、
それぞれの今を それぞれにしたいように行動します
 
ですから 
自分以外の人に自分の価値基準を当てて
裁くことは無駄なんです。
 
自分にも人にも したいことをさせてあげましょう。
 
 
但し、あなたは 社会のリーダーを選ぶ時は慎重になってください。
全体のことを考えられる人を社会のリーダーに選ばなければ
社会は無茶苦茶になってしまいます。
 
あなたは 自分が何を選ぶか 自分に正直に
真摯に向き合う必要があります。
 
どんな人生を生きたいのか
一人一人が一番生きたい人生を選んでください。
 
今 その辺がとてもいい加減になっていたと皆が気付き始めていますね。
これから起きる大きな変化が見えてきました。
とても楽しみです♪ fuji
日本の夜明け
 

 

認知機能

しばしご無沙汰しました。

肺炎で入院した父に会いに大阪に行っていました。

 

先日、父が倒れた際

父の行動と記憶があまりに曖昧になっていたため

周りの者はみな 「ついに認知症になってしまったのか?」と大層心配しました。

何しろ 時間を12時間間違えて行動してしまった上、鍵を無くして家に入れない状態で倒れていたので

関係者は 「ついに認知症?」 とビビったのでした。

これまで仕事が生き甲斐で 82歳になった今も毎日お店に出ておりまして

動ける限りは働き続けたい 

と言ってた父ですが

82歳にもなって毎日13時間もお店に出ているなんて 

やっぱりちょっと無茶? (;^ω^)

離れて暮らしている娘としては 心配でたまらないものの

すぐに駆けつけることが出来ず、父の住む大阪の福祉課高齢者サービスに電話をかけまくって福祉関係の方々に随分お世話になりました。

 

今年の夏、74歳の 表装のお師匠さんが倒れた時、

弟子の中では一番 お世話になっていた私が先生のところに駆けつけ

先生の居住地の福祉課と連絡をとりながら

一人暮らしの高齢者をどうサポートできるのか

色々お話を聞いていろんな手続きをつなげたばかりだったので

高齢者福祉サービスにどんなものがあるのか とか

どこに電話したらいいか など

ある程度の知識がありました。

 

母が生前介護が必要になった時期にも

妹が一生懸命いろいろ調べて在宅介護をしていたので

妹にもいろんなアドバイスをもらい

先生の生活が整えられたことが私にとってはとてもありがたい経験となっていました。

それで今回の父の件も うろたえずにすぐに福祉サービスに相談することが出来ました。

 

お役所の手続きは申請や書類の準備など 面倒なこともありますが、

福祉課の方やケアマネージャーの方はいつもとても親切に親身に対応して下さり

本当に感謝するばかりです。

 

わからないうちは途方にくれますけれども、

今の社会はかなり福祉サービスが充実していることに驚きます。

何が出来て何ができないか まずは知ることが大切です。

 

で、

当の父は

倒れた原因は肺炎だったのですが、

倒れる以前から具合が悪かったようで 微熱が続きもうろうとする頭で

妙な行動に至ってしまったようでした。

 

父は入院して体が元気になると以前の明るい父に戻っていました。

 

思えば、私も疲れがたまると 頭のネジが飛ぶ ということが多く、

これは自分では体質だと思っているのですが

疲れると身体に症状が出る前に 脳の機能が低下する という自覚があります。

すごくトンチンカンなことをしたり、今何をしようとしたのかわからなくなったり、、です。

極端な寝不足とか 過労の時にボケ始めるので (^_^;)

自分がボケたことをしだしたらまず 疲れてるんだな と思うことにしています。

身体はまだ動くんですが頭がボケます(笑)

無駄に体が丈夫 ということもあるのかもです。(苦笑

 

若い頃、鬱になった時も 身体は病気ではないのに頭がおかしくなることで

ものすごく自己否定が強くなったりしていました。

できない ということを怠けているととらえたり、

忍耐できないことを甘えている ととらえるのは 人間が壊れる原因になります。

人間の身体は 無理を強い続けると どこかしら不具合が生じてしまうのです。

エゴたちは身体の都合を無視しても意思を通そうとしたりします。

 

個人個人でも 対応キャパは個人差があります。

このくらいできるだろう とか

このくらいはしろよ と 相手を裁くことに

もっと慎重になる必要があります。。

こんなこともできないなんて と自分を責めることも

悟りの視点から言うと 愚かなことです。

 

生きていると 時折、無理をしなければならない場面もあるかとは思いますが

人間の身体は 自然の力が生かしているものなので

自然な在り方を もっと尊重した方がいいとですね

 

あなた自身の身体 という自然の体験を もっと楽しんでください。

エゴは貪欲に自分にいろんなことを要求しますが

そんな貪欲は手放して

自然を生きますと 多くの奇跡を目にするようになります。

 

ちゃんとする という「ちゃんと」って何なんだろう?

と 時々不思議に思うことがありました。

その「ちゃんと」という基準は何? って思って見ると

意外と基準は曖昧で 人によって基準がかなり違います。

 

そんな曖昧な基準を支えにすると 生きづらくなってしまうでしょう

出来たらOKだけど出来なかったらNG というのは

誰が決めるのでしょうか?

 

どの年齢であっても どんな状況でも

どんなことか出来ても出来なくても

あなた という自然を 大切に 楽しんで体験してください。

 

もっともっと というエゴの貪欲を手放して、

あなたの中の 自分が好き と感じる気持ちを大切にしませんか?

 

あなた自身が 気持ちがとても幸福な感じがしたら

あなたはもっともっと愛されるでしょう。

 

そして 私も この世界を愛しています

 

この愛おしい気持ちは 大きな幸福感と癒しとなります。

ゴールデンレトリバーと子猫

 

肉体

肉体は 私たちの意識とは別個に 生きています

生命のシステムがこの体を維持しています。

私たちの意識のあずかり知らぬところで、この肉体は活かされています。

あなたは意識的に心臓を止めることはできないし、

意識的に消化吸収をやめることもできないのです。

身体は自然のプログラム通りに成長し、喜怒哀楽を持ち、

やがて老いて 最期に肉体の死を迎えます。

 

この体がどうやって維持されているかは 

最初は知る由もありません。気が付いたら

この肉体の中にいたのです。

 

私たちは 朝 目覚め、自分が居ることを知ります。

 

最近では研究でいろんなことが解明されてきましたが、

その知識を学ぶまでは 自分の身体がどうなってるかも知りません。

 

気が付くと動く手があり、脚があり、

それを使って這い、立ち、歩きます

バランスを取るのはけっこう難しいんです。

何しろとても重たい頭が上に乗っかっていますから

 

その体に乗っかった意識は

身体という乗り物の運転手

 

気が短い運転手は目的地に早く着きたがったり、自分の行く道を阻む者に腹立ちを覚えます。

邪魔者を敵視し、排除したがり、思い通りにいかないとイライラしたり

さらには 乗ってる乗り物に文句言ったりなんかして

なんでこんな体なの?  と。

 

走っている道にも文句を言いたくなります

なんだこの石ころ、なんだあの雑草

なんだあの野良猫

あなたの人生という旅に出てくる登場人物をみな敵にしてしまうなんて

なかなかスリリングな人生ストーリーです

 

 

体の中にあるDNAの情報に忠実に体は維持されて行きます。

そして突発的な変容もあり、様々なパターンが繰り広げられる

これは自然の神秘ですね。

一体何がこんな壮大なプログラムを仕組んだのでしょうか

その根源を神 と呼ぶのかもしれません。

この世界の構造は実に神秘的で精巧です。

 

体のプログラムや、自分が作り出した人生や、自分が降り立った宿命に

文句を言い続けてもあまり良い事はありません。

むしろ悪影響の方がずっと多い

私たちはただ、その景色を見て、その土地を歩いて、その道を楽しむか嫌うか だけなのです。

楽しんでも嫌っても、道は道です。

しかも自分が生まれてくると決めた人生

予想外の出来事を面白がった者勝ち~ scissors

 

バランス

私たちが心を平和に保つためには 心のバランスをとることが大事です

心のバランスって? どうすればいいのか・・・

 

今日はそんな話をしてみます。

 

古代、自然と共に人が生きていた頃は 

人の生き方はとても自然のリズムに近いものでした。

光と共に目覚め お腹が空いたら食べること、食料は繊維を多く含み、お通じも自然。

夕闇と共に活動を終え、眠りにつく生活

具合が悪くなったら横たわり、治るまで寝ます。

 

ただ、現代のように医療は発達しておらず、栄養が常に満ち足りているわけではなかったので

病に命を奪われる運命には なかなか逆らえませんでした。

 

現代人は 科学と医療を発達させて、寿命を延ばす課題を克服してきました。

ただ、文明の発達とともに生きる環境も大きく変えて 本来の自然とかけ離れた文明に依存した社会を作り上げてしまうのです。

かく言う私も都会生まれの都会育ちで 田舎暮らしをしたことがありません。

そういう者たちは 何が自然だったのか を知らずに育ってしまうわけですが、

魂は やっぱり自然を愛するように出来ているのかもしれないと思います。

 

大阪のど真ん中で生きていた頃は、社会は角ばって澱んでみえましたが、

その中で疲れて 生まれて初めて地方で暮らした時は 感動の連続でしたね。

地方と言っても 九州では大都市の福岡ですが、

大阪ととても違ったところは、少し足を伸ばせば 雄大な自然がとても身近にあったことでした。

 

同じ都会人でも やはりみんなの感覚がかなり違います。

同じ場所に住んでいる人でもそれぞれの世界観によって大きく幅がありますが、

割合や平均値は都市によってかなり違いがあり それぞれの個性を持っています。

 

私は九州では 自然を愛する人たちとしばしば 自然の気に触れる機会を持つことが増えました。

そして 気を感じることがとても身近になったんです。

瞑想もその感覚を発達させました。

私は自分の中の気を感じ取って読み分けることができるようになっていったのです。

 

自分の中の気のバランスを取る。

 

これは健康を整えるためにとても大事な事です。

 

今の自分はどの要素が落ちているか

身体のどこに違和感があるか

身体のバランスを感じること

今の自分に何が必要か

それらを感じ取ることをするようになっていったのです。

 

身体に鞭打ってでも 今日働かせる生き方 は 美徳ではないことを知りました。

自分の心や体がなぜ壊れたか

それはあなた自身の生き方に起因します。

 

生まれてこの方 バランスの悪い生き方しかしてこれなかった人は

整えるのに苦労するかもしれません。

なにしろ、自分自身を探し出すことは自分にしかできないのですから

その自分が自分に鞭打つようでは 何も見つけられません

 

自分自身のバランスを取る ということは

私自身を愛する ということに他なりません。

 

自分を愛することができれば

世界を愛することは さほど難しいことではありません。

だって 同じことなんですから。

ピンクの蓮

花は愛を持って咲きます。誰のためでもなく

ただ咲くことが愛なのです。 

自分を大切にすること

八月後半 気温が下がって 今年の秋は早いのか?と思ったのも束の間、

やはり戻ってきました猛暑。
ベランダの温度計が36℃になっているのを確認すると もう外に出る気が失せますね。

用事が無い限りは部屋にこもっているのですが、そうも言っておられず連日外出していました。

さすがに疲れが出て参りまして 今日は腹痛の解放もありまして

おとなしくしておりました。

 

頑張りすぎると身体がブレーキかけますよね。(笑)

日頃パワフル過ぎてびっくりするお姉さま方も 不調でストップされる方がちらほらおられて

やはり休むときは休むに限る と思う今日この頃です。

 

今の日本には ガンバル神話がまだまだ根強くて 

頑張って無理しすぎる人が多すぎると思います。

その結果 身体や心を壊してしまう。

これ、元も子もないですよね。

 

頑張りたいのは エゴの思いなんですよね。

欲張って身体を働かせすぎる ということ

そうしないと生きていけない なんてこと ないんですよ。

そうしないと生きていけない生き方を選んでるだけなんです。

 

~ねばならない ~すべき という言葉には注意してください。

正義はあなたを傷つけたり壊したりするものであってはならない 

と 思いませんか?

 

あなたは あなたの身体と心を幸せに生かす責任があります。

 

心と身体に優しい生き方は 

欲張りのエゴを手放すことも必要です。

 

ぼちぼち 幸せに生きましょう。

多くを手にしなくても 人は幸せでいられるのです。

あなたの意識が 真我であるほど そのままで幸せですshine

 

無理をさせて 大切なものを壊さないようにしてくださいねheart01 
 

もし あなたが誰かと 気持ちの行き違いがあって喧嘩になったり、反発したり、悔しい気持ちになった時は

その人とと和解して 仲良くなるイメージをしてください。

その時のその人は 素直であなたの話も聞いてくれます。

そしてあなたもその人に腹が立ったことを手放して

素直なその人と お互いに「ごめんね」と 言い合うのです。

 

どっちも自分の意見を分かって欲しかったんだね。

ごめん。素直になれなくて

どうしてもそのことを受け止める気持ちの余裕が持てなくて

意地を張ってしまったんだ。

 

悪気があったわけじゃない。

そう、お互いに。

本当は 仲良くしたい。

 

分かって欲しかっただけなんだ。

あなたもそうなんだね。

 

ちょっとした 違いが互いに受け止められない時、

あなたと私は ちょっと疲れていて 気持ちに余裕がない。

本当は自分に自信がなくて 弱さを知られることが怖かった。

 

そうだね、お互いに。

 

意地を張るのはもう終わりにしよう。

わかってくれないなら もういい! なんて 強がりを言うのも

やるせない 焦りや 何かから逃げたい気持ち。

 

本当は怖かったんだ。

受け止められないことが。

 

意地も コンプレックスも、怒りも 恐れも 何もかも

一度 全てを手放してみよう。

 

そして 何者でもない ただの命になってみる。

ただただ そこに存在してみる。

息をして そこに生きる命

静かに 静かに。

息を感じる。

この私の魂。

生命のエネルギー。

 

あなたは ひとつの輝く光となって

あなたの愛を見つけるでしょう。

 

そして 周囲で輝く無数の愛を 見つけるでしょう。

キャンドル

身体さん ありがとう (笑) 

今日は仏画教室の日でした。

仏画教室は午後13時半開始なので 

軽く昼食を取って、昨日のコーヒーの残りに牛乳とお砂糖を入れてカフェオレを作って 持っていきました。

お茶を持っていくことは多かったのですがカフェオレを持ち出すのは久しぶり♪

なかなか 美味しかったのですが、量が少なかったので もうちょっと飲みたくなり、

今度は自動販売機のミルク入りコーヒーを買って飲みました。

うん、これも美味しい。。。

 

ここまでは良かったのですが、

そうだ カフェインの影響を受けやすい体質だった。。。

知っていたのですが、舐めていました。

カフェイン過剰です (ノд-。)。。

 

具合が悪くなってきました。

これ、時々なります。

ごめんなさい、自分の身体、舐めてました。

なんだか 体がだるい。。。 

はいはい、過ぎたるは及ばざるがごとし・・・

欲に負けました。

自制心の欠如です。 orz

 

身体 ってやつは、面倒な。。。

この体は私の意識とは別物 というのを実感する瞬間です。

基本的に自制心はかなり薄いので こんなことはよくあります(苦笑)

 

意識が予想していないことが身体に起きると 体という自然物に驚きを感じます。

こいつ(体)は私の支配下にあるものではない  ということを実感します。

 

そう、この体はこの世界が作っている生命体、自然物なんです。

私たちの魂(意識)は、この体を世界から借りて 乗っかっているだけだ ということを改めて思います。

 

昔は、気に入らないところだらけの 大嫌いだったこの体

何でそんなに嫌ったんだろう?

 

この体で愛されなかったから?

 母は子供への関心が薄い人だったんですが それは本当は私のせいじゃない

それを理解するまでにかなりの時間を要しました。

自分が嫌いになってから 15年くらい後。

 

今?  ですか?

今は嫌いも何も、この体は私のパートナーでもあるわけですから

大事にしてますよ。

私の周りにいてくれる人たちと同じくらいに愛してます。

 

ちょっと面倒なとことか 欠点はあるけれど、

使い方によっては すごい働きをする スグレモノな体です。

使い方を選んで 体さんにもいっぱい幸せでいて欲しいですね。

みんなを喜ばせることができる 楽しい体です。

最期まで上手に使ってあげよう ♪

みなちゃん

 

今月の体験瞑想会は 3回あります

7月6日(土)10:00~12:30

7月12日(金)19:00~21:30

7月19日(金)14:00~16:30   です  参加費は2000円 

瞑想から離れて再開したい方にもおすすめです。 

空を体験してみてください。

 

ありのまま

ありのままを見る ということは 実にシンプルです。

物事に良い悪いの判断や感情移入をせずに ただ起きたこと としてとらえます。

 

立場や 利害や 執着や 欲や、 社会通念や 道徳観や 価値基準や 裁き、 善悪の判断 などを使わずに 起きたことそのものを見ます。

 

大脳が発達した頭のいい動物である私たち人間は、何かの情報をキャッチしますと、

脳(思考)は 即座にそれをどう把握するか 様々な角度から吟味を始めます。

少ない情報では物足りず、想像力を駆使して 判断をしようとします。

過去の体験に基づいた尺度から  見聞きした知識を駆使して

理想か否か、 善悪はどうか、 正当性はあるのか  などなど

前頭葉フル回転でその出来事を測ろうと試みます。

 

過去のネガティブな体験は、危機回避のため 反応としてアラーム代わりの感情や恐怖が発生するのです。

 

太古、自然の中でくらしていた先祖には この機能はとても重要なものでした。

なにしろ、自分の生存がかかっているからです。

 

人間が発達した知能で発展させた文明の中で

生命が脅かされる自然から 確実に身を護るシステムを発達させた現代では

私たちは社会に保護されてかなり安全に生活できるようになり その機能を使う機会が減ったのですが、

 

身体(脳)のその機能は 依然働こうと頑張ります

 

自然の生命力のシステムってほんとすごいです。

在るものは 意図しなくても勝手に作動するんです。

 

必要がなくても そのシステムは機能しています。

 

普通に機能している分にはまだいいんです。

必要がなければ スイッチオフにもなるのですが、

 

一旦システムが過剰適応したり セキュリティが高くなりすぎたり、バグったりしてしまうと

結構 とんでもないことになってしまいます。

 

歯止めが利かない とか

警報アラーム鳴るの早すぎ とか  

違うものに攻撃指令とか

 

やっちゃうんですね。

 

アレルギーなんかもその一つ。

 

ありもしない恐怖の幻影に恐れおののき、

幻想のルールの中で、自分に逃げることを禁じ

疲れ果て、幻想と真実の見分けがさっぱりつかなくなってしまう。。。

 

もしあなたが 恐怖でガチガチになっていたり、

ストレスで 内部が崩壊しそうになっていたら、

まずはご自分を癒すことを第1番最初に取り組んでください。

まずは あなた自身の生命力を健全な状態にすること

これが最初に取り組む課題です。

 

難しいことなどありません。

 

ただ毎日瞑想習慣を続けるだけのことです。

アトリエ霽月にて おまちしております。

もう一人の私

頭で考えていることと、身体が反応することが違う なんてこと 体験したことがありますか?

頭で、「行け!」と言うのに 足がすくんで前に出ない

とか

口で「はい」と言ってるのに

全力で 『嫌だ』を表現してくる

 

正直であることを恐れないでください。

 

ちゃんとしていなければ

大人でなければ

ヒンシュクを買わないように

立派な態度を取りたい

 

いろんな義務感や正義感や正当性のために

あなたは本心を偽っていないでしょうか?

 

良いか悪いかは ちょっと脇に置いておいて、

内なる声に耳を傾けてください。

本当は どう言いたかったの?

 

ここで大事なことがあります。

ある覚悟が要るのです

 

あるがままを受け止める覚悟です。

 

それが良いか悪いかは また別問題なので しばらく脇に置いてしまってください。

 

なぜそうするのか?と言いますと、

裁く人がいると、裁かれることを恐れて 本当のことを言ってくれないからです。

そりゃ、罰せられる、責められる、追いつめられるとわかっているのに

堂々と一歩出せるような 勇気は 誰もが持っているわけではありませんし、

怖れが強ければ強いほど そこから逃げ出したくなります。

 

逃げることができないとなると、今度は反撃が始まります。

抹殺されるわけにはいきませんから、戦います。

相手を攻め返す、 切りかかる、 自分は悪くない理由を並べる、などなど

実力行使が出来なければ舌戦です。 

脳内で二人の自分が戦うと大変ですね。

どちらかが負けてコテンパンにやられますと、結局ダメージを負うのは自分です

 

他人との関係も、自分自身の本心との関係も同じです。

あるがままをまず受け止めて、問題があれば、どうすればより幸せでいられるのかを

話し合ってください。

一方的な正義を押し付けると、話がつきません。

無理やり力でねじ伏せて、服従させますと 恨みの導火線に火がついて、

いずれ、大爆発 bomb

 

無理な圧力は維持できません。

良い方向に向かわせたければ、まずはあるものをあるがままに受け止めて

それから 平和な気持ちで改善していきます。

無理解ではこれはできません。

 

あるがままの人間は 欠点もあれば失敗もする。

だけど、みな、本当は幸せの方向に向きたがっています。

脅かさなくても できます。

抵抗したら、責めるのはやめて 何を恐れているか みつけて、

恐れる必要はないよ と 言ってあげてください。

自分自身にも周りの人にも。

 

あるがままを認めることができたなら、もっと平和に改善する勇気も

きっと持つことができることでしょう。

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