ホーム>スタッフブログ>心の在り方

心の在り方

思考の癖

ネガティブがやめられない  というご相談をいただきました。

そのことについてちょっとお話しましょう。

ネガティブ、別にやめなくてもいいんです。

それにはどこか心地よさと救いがあるのでやってしまうのでしょうね。

え?心地よくない!って?

そう。もちろん心地よくないんですが、自我はそちらの方がまだマシなんです。

自我の意識が現実を受け止めたくない時にまだマシなシチュエーションを作り出す。

これが自己防衛機制のしくみ

これが癖になると、頭の中が思考だらけになります。

だって、いじらないといけないイメージが山盛りになってしまうでしょ?

どうしてこんなことになっているのか、自分の受け止められる範囲で納得したい

それが自我の思いです。

でも、受け止められる範囲を超えた現実に自我は悶絶します。

問題がなくなるまで、抵抗し続けてしまいます。

「いやだ、いやだ、排除したい」

あの人が悪いとかあんなことはダメだとか

正義を振りかざしてみても それは解決しない

相手には相手の事情がありますからね。

自我(エゴ)は自分の都合しか見えていませんから

ついつい相手が悪者に見えて 攻撃したくなってしまいます。

「私がこんなに困っているのに、なんで聞いてくれないの?ひどい人」

これ、相手からしてみたら、

この人、何を言っているんだろう? という感じになるんですね。

だって、その人は悪人として生きているわけじゃなく

その人なりに善良に生きたいと思っているので

悪気がないことを責められると ムカつきます。

相手が大人だったら、

「あらあら、そうだったの?気が付かなかったわ。ごめんなさい。これから気を付けるわね」って言ってくれますけど。

文句を言うこちらと同じレベルだと

イラッとされて、「おまえこそなんだよ」って売り言葉に買い言葉 なことになっちゃう。

誰が自分目線なのか・・・ 本当のことを知る必要があるのです。

感情を交えずにただおきたことをそのままに把握すれば

そこに悪意も意地悪も存在しないことに気付きます。

普通にしてるだけなのに相手に迷惑がかかるのは

お互い様のことなんですね。

それを責めるか責めないか の違い。

 

あなた酷い人ね! といわれて、素直にごめんなさい って言えるなら

あなたはすごく心優しい人でしょう。

私なんか、そういう風なエネルギーを向けられると

とっさにムカつきますけど、(笑)

もう大人なので すぐに怒りは手放します。

「ただ、起きていることが起きているだけ」

「良いも悪いもない」

必要があれば何かを改めますし、必要がないと思えば スルーします。

それは私の方針ですけども、

どんなやり方をしたって 構わないんです。

あなたの体験はあなた自身が決めること

いい方法が分からない場合は うまく行くやり方がある。

それが宇宙の法則、つまりダルマを知ってそれを利用してコヒーレンス(摩擦が無い状態)にすること。

摩擦を作り出しているのは あなたの意識ですからね。

 

摩擦を沢山作り出しながら 平和に生きていたいの と言っても

それはちょっと難しい。

水をかき混ぜながら 水面が鏡みたいにならないの と言っているのと同じなので。

あなたのどの手が流れをかき混ぜたり、流れに逆らっているのかを知る

悟りへの道ですね。

ただ あるがままをあるがままにさせておける時

心は平和です。

雄大な宇宙を思い通りにするのは無理

ただ、そこを楽しめばいいだけです。

どんなことも面白がって。

 

命は健気で愛おしい

雪景色

威張る

威張る=マウンティング という行為、

より偉い人がやりそうなイメージですが、

そうではありません。

威張るという行為は 自己承認が出来ていない人がします。

自分自身が自分の価値を認められていない時に

他者の承認を必要とするため、わざわざ自分が他者より優れているというアピールを外側に対してするのです。

なので

「俺様を誰だと思っているんだ!?」という心の声には

実に小物感を感じてしまいますね。 coldsweats01

そう オコチャマなのですよ、精神的に。

本物の立派な方はそんなことしないですね。

成熟した大人ほど謙虚なんです

だって、自分がどんな者かを知っているから。

自分自身を他者の評価に頼らなくても知っているので

誇大評価も過小評価も 単なる表面的な見え方に過ぎない ということを知っています。

外側の評価は 必ずしも過小とは限りません。

逆に過大に評価される場合は 本人はけっこう苦しんだりします。

そう プレッシャー です

そんな力はあるかどうかわからないのだけれど、世論が

「優勝しろ」「金メダル!」と言う場合

オリンピックの選手とかスポーツ選手などに求められるソレです

自分の失敗が多くの人々を落胆させると分かっている時

なかなか大きな怖れを体験するでしょう。

応援している人はそれを理解して応援しているとは限りませんので

失敗してしまった時に落胆と怒りに任せてひどい罵声をあびせたり

なんてことが起こったりしますが、

本当にその罵声に残念な気がしますね。

日本ではまだ思いやりのある人の割合が多いようですが、日本以外では大変な話をたまに聞きます。

これは精神的、魂的に成長が未熟であることなのでしょう。

 

威張る という行動

エゴの意識がやります。

誰でも持っている自我です。

それは子供の意識 みたいなものです。

大人になってからもあります。

悟っていても エゴはいます。

悟っている人はそれがエゴだとわかるので外には出しません。

人間の身体の意識なので共存しているだけです。

自我の意識も 自分が承認してあげれば

わざわざ外に主張したがることはしません。

言ったとしても 微笑ましいものです。

あなたは あなたのそのままを愛してください

それ以上でもそれ以下でもないし

そのままで十分尊い存在です。

他者に評価させなくても

あなたの存在はいつも輝いています。

命がある ということが輝きなのです。

ハナカマキリ

とらわれを手放すアセンション

いろんなとらわれを手放せないでいる時は 苦しいですね。

いろんな怖れを持っている時も 苦しみです。

このようなお悩みの方は、

その悩みは取れないもので しかもそれがある限り自分は幸せを味わない

と 思っておられますが、

実際 悩みにしがみついているのは ご本人だということに気付いておられません。

「私にはそれが手放せないの。仕方がないのよ。」

私もかつてはそう思っていたのでお気持ちはわかります。

違います。手放し方がわからないだけ。

こういう場合 悩むことがその人にとってはメリットがある

ということが陰に隠れています。

その人は悩みを手放した時の自分を怖がっています。

手放すことの不安が、今苦しんでいる事よりも大きいので

手放せないんです。

それは、孤独を受け入れないといけないことだったり、

依存を手放すことを受け入れないといけないことだったり、

勇気を持って過去に別れを告げ 新しい自分を生きていかなければならない ということです。

プライドが高かったりしますと 特にそうなりやすいです。

私はそういうんじゃないの と 思ってる。

見たくない自分を認めなければならない

素直に現状を受け止める ということを プライドが邪魔するのです。

プライド・・・ 無くても全然幸せになれます。

むしろ、エゴのプライドは 自分に届かないようなハードルを課している場合も多いので自分の人生を生きにくいものにしています。

より高級な自分に見せておきたい・・・

そんなの、周りにはとっくに本当のあなたが見えていますよ。

あなたはプライドが高いんだな って。

だって、あなたもそういう人を見たら、わかるじゃないですか。

ああ、この人プライド高いな。って。

この人には言葉に気をつけよう・・・なんて思う。気分を害さないように。

あなたは今のあなたのままで 充分愛されている存在だということがわかれば

そんなプライドは意味を成しません。

だって、その条件を満たさないと愛されないと 無意識に思っているだけだからです。

それはたぶん、あなた自身が その条件を満たさない自分は愛したくない ということなのでしょう。

自分に条件付けするのは やめてもいいんです。

得意な事は必ず(いくらでも)ありますし、人はあなたが見ているものとは違うところを見ています。

あなたは もっと あなたらしく生きてください。

これまであなたを縛ってきた価値観や世界観は もう時代遅れです。

恐れていたものは幻想です。

新しい時代へ あなたもアセンションできます。

朝陽

余分なものは持たず与える世界

循環の世界へ。

あなたが与えるもの それは愛です。

その昔

合宿明けの週末、瞑想会や仏画教室が続いています。
意外と忙しい日々
日頃の活動の話もしたいのですが、
今日は書き溜めていた話題を出したいと思います。

 clover clover clover

その昔、

私が30代の初め頃、まだ長女が赤ちゃんだった頃、

当時の私はワンオペ子育てに音を上げていました。

そして、ある場所で悩み相談をしてこう言われました

「あなたは感謝がない」

その時、なぜかすごく腹が立って

「あんたに何が分かる」と思った という 記憶があります

今は その人が言いたかったことがすごくよくわかるのですが、

当時30歳ちょうどくらいの私は

その一言を受け止めて 言ってもらえてありがたい と思うほど大人じゃなかったです。coldsweats01

そして その時の私は その場所へ二度と行かなかった。

 

その私が、今はそういう言葉を口に出す機会がありました。

かつてそう言われたことがあったので その言葉をあまり使いたくないのですが

でも そう口から出てしまうこともあるのだな と 思いました。

ホントはね、そう言い切ってしまうより、気持ちに寄り添ってあげることも必要だと思うのですが

愚痴のオンパレードになると たぶん そう言ってしまうのでしょう。

まるで不満しか持っていないかのように 見えてしまう。

これ、本人にとってとても損なことなんです。

幸せを遠ざけている行為です。

 

30歳の私も 気持に余裕がなく、自分が可哀相だと思っていたと思います

内側には不満しかなくて。

寝不足と完壁にできないことだらけの苛立ちで くたびれていました。

自分ばかり 仕事(家事と子育て)をさせられてる気がしていました。

不満しかない私に嬉しい事が起きるわけがありません。

喜びを見つけて感謝すればするほど嬉しい事が起きるよ

と 言ってくれた人はいませんでした。

「感謝が足りない」「自分が悪い」という否定は

有効じゃないですよね

否定では 癒しは起きないんです。

今あらためて 「受け止める あるがままを受け止める」

そう意識するのでした。

喜び事は あなたが喜べば喜ぶほど起きるんです。

あなたが見逃してるいいことを見つけ出してみませんか?

いろいろありますよ。

やってみると意外とあります。難しくもないです。

 

人間は足りているものには無関心で

足らないものに目が行く生き物ですね。

それが普通のマインド だからこそ

あえて 良い事を意識するのでした。

だって、嬉しい事好きですもの。

あなたの集めたいものへ意識を向けてください。

苦手なものはいくらでも存在していますが、そこにフォーカスするのは時間とエネルギーの浪費だと思います。

ただ手放せばいいだけです。

有効に幸せに向かいましょうね!

可愛いコブタ

エゴ 

人間のエゴは欲張りさん

こんな現状で満足する私じゃな~い もっと!もっと!

どこまで行ってもまだ足りないもっと欲しい と望みたがりますが、

あなたが自然のバランスを崩してまで余計に得ようとすると

自然のバランスは崩れて不安定な状態になる 

ということまでは分かっていないでしょう。

え?分かってるけど見てみないフリ?

そうかもしれませんね。

あるいは、

人に好かれようと 過剰に自分の持ち分を越えて人に奉仕したり

与えすぎてしまうと、与えすぎた状態でバランスがとられてしまうため

あなたはそのエネルギー(任務)を引くことが難しくなってしまいます。

欲張って出さないことも、

賞賛や愛を求めて出し過ぎることも

自然に反するバランスを作り出してしまいます。

 

アンバランスに固定された社会は歪んでいてい居心地が悪いですね。

どうしてなかなかそんなアンバランスが改善されないかと言いますと、

今の社会は 人々が欠乏と怖れに基づいて生きているからです

攻撃の原動力は怖れです。

怖れがなければ 殺意も生じないでしょう

そして

貪欲の根底にあるのは、愛の欠乏です

求めるそれは 愛の代償

本当に欲しいものは ただ愛なのに

それが手に入らないと思い込んで 違うものに執着してしまうのです。

奪うエゴの歪み

そんな歪んで殺伐とした社会構造は やがて ユニバースによって淘汰されていきます。

自然に戻す大きな波は 災害や疫禍によって大きな揺り戻しがなされています。

ユニバースのやり方は突拍子もなく、そして効果的です。

自然は 無理な圧があると、圧の限界点で断層が跳ね上がるように 大きな犠牲を伴いながら

調和したバランスへ戻されます。

 

負荷をかけるのはエゴです

個々のエゴは小さいようでも それが集団化するととてつもなく大きな負荷へ増大しています。

特に集団化したエゴは正義を振りかざし猛進します。

人間が自然界を無視したことで起きる揺り戻し

元はと言えば人間が作り出した歪みではありませんか。

現代の日本だと山奥まで管理されて 人の手のついていない自然の方が少ないくらい かもしれませんね。

自然との共存は良いとしても

歪みの限界を感じるところは やはり自然体へと戻していくほかないでしょう。

それが『サステナブル』と言われる自然共存のスタンスです。

新時代は、自然との共存なしに繁栄はあり得ません。

住めない地球にするか 豊かで美しい地球で生きるか それは私達人間次第

調和する美しさと愛を あなたのものにしてください。

 

隣人を愛していますか?

あなたの身近にいる存在に 愛を向けることが第一歩です。heart01

植物や虫にさえ 愛でいられるといいなと思います。heart04

虫は ちょっと怖いから coldsweats01

でもその恐れは 無知から来るんです

理解すれば怖くない。

異種交友

愛はカルマを溶かします。



 

どうしようもない時

うまく行ってない時、自分が嫌になる時

辛い時、焦る時、もどかしい時

それは必要があって起きています

今の自分、いままでの自分と

私を取り巻いてきた世界のエネルギーバランスで

起きることが起きてきます

 

思い通りにならなくなった時

それは 全体のエネルギーバランスの圧に逆らうのが無理になったきた時

それでも思い通りの 理想通りの状況を作り出したいと思う時

流れに逆らってそれをやり遂げるか

疲れ果てて降参するか 

神はどちらをやってみてもいいよ とただ見守っています

正しいやり方 正解というのはありません

世界と調和するか 流れに逆らうか

あなたの自由です

 

こういう言い方をすると、太いものに巻かれるとか

寄らば大樹の陰 なんて言葉を思い浮かべてしまう人もいるかもしれませんが

世界と言うのはそんなにちっぽけなものではありません。

なにしろ宇宙相手ですから。

本来の流れに逆らっている人間たちホモサピエンスの集団は 

流れに逆らい続ける限り、やがて淘汰されていくでしょう。

時は永遠です

大きな波あり小さな波あり

でも、問題は、波ではありません。

海です。

意識の海 ユニバース

私達がこの海そのものだったことを思い出せば

目先の小さな波は問題ではない ということがわかります。

意識を拡げてください。

瞑想で空に入る時、あなたは宇宙と同化しています。

あなたが海だった経験をします。

それが何なのか 理解していない間も

あなたは大いなる意識の海と同化するのです。

大海原

流れに委ねてください

あなたは世界に生かされています

 

辛い体験をどうとらえるか

お悩み ありますか?

なんでこんなことが起きるんだろう

何でこんな思いをしないといけないんだろう?

どうして私が・・・?

私の人生ってなんのために?

な-んて思ったことがありますか?

その答えは 

『その経験をもとにあなたは何が出来るか』

という課題を与えられた ということなのです

そう、成長のチャンス です。

そこから あなたは プラス(ポジティブ)を生み出すか

マイナス(ネガティブ)を生み出すか 

あなたの意思に委ねられています。

 

最初はカルマの感情が出てきますからもちろんネガティブなものが噴き出します

「嫌だ」「ちくしょう!」「キライ!」「ムカつく!」「許せない!」

そう言う気持ちは出ても不思議じゃありません

だって、人間ですから。喜怒哀楽は常に起こります

でも問題はそれからです

ずっと腹の中にその怒りや憎しみを煮えたぎらせて沸々と醗酵させてどす黒いものにさせた時

あなたの心に悪魔が住みつきます。

そうならないためには、出てきた感情は手放して天へ預けてください。

あなたが仕返しをしてその恨みを晴らす必要はありません。

あなたを傷つけた人は いずれ あなたと同じ仕打ちを受けて それを受けとります。

したことをされる そういう因果応報が この世界にあります。

あいつはまだそうなってない! と怒らないでください。

因果応報は すぐに起きるとは限りません。

今生でおきなくても来世で起きますし、その因果を子孫が引き受ける場合も少なくありません。

沢山の人を不幸にした人は なかなか幸せになることができません。

まず 自分の引き受けたカルマの責任を負うからです。

ですから、他者への罰は あなたが与える必要はありません。

あなたは あなたの中に恨みの炎を飼うのをやめましょう。

その炎は恨んだ相手ではなく、あなたを焼きます。

全くもって利の無いことです。

あなた自身を憐れむことも同じです

あなたを幸せにできるのはあなた自身です

なのに あなたを幸せにしてくれない人を恨む というのはお門違いなのです。

辛い体験があなたを不幸にするのではありません

それによって何を生み出すかが あなたの幸せを左右するのです。

 

もし 辛い体験をしたことがあったなら その時の気持ちはよく知っているはずです

同じ苦しみを持った人の気持ちがよくわかる

どうなったらそういう人が発生するかも理解できるかもしれません。

あなたはあなたの体験を より幸せな世界を作るために役立てます。

自分に何ができるか どうすれば 自分と周りの人が幸福であるかを見つめてください。

何も行動を起こせなくとも

あなたの優しい心は 世界を幸せに導きます。

それだけで癒しは起きるのです。

頑張らなくてもいい 存在だけで世界は癒せます。

ネガティブな感情は 天へ預けて 手放してください。

ちなみに天界は浄化作用がありますので

あなたのネガティブは消滅します。

手放したネガティブはもう発動しません。

それが浄化です。

夕陽

愛ある世界 それは天国の関係性

幸せが基準 幸せが好き

私も幸せ 人も幸せ

人の幸せも自分のことのように嬉しい

人を幸せにする行動

人を幸せにする思いでできています。

なぜなら 愛とは与え合うものだからです。

カルマが消えるとそこには愛しかありません。

 

現代人の多くは愛に満たされるという機会を失っています。

愛が欠乏した体験とその感情を引きずっているからです。

お母さんにもっと愛されたかった

お父さんに愛されたかった

でも 叶わなかった寂しさや心細さ

傷付いた痛みを時間を抱えたまま 愛に満たされるという事から遠ざかっています。

それは

愛が与えられなかったから と 思い込んでいますが

実は違います。

自分が愛することができる ということを忘れてしまっているので愛に満たされないのです

愛されたら愛する という順番ではありません。

あなたが愛するから 愛されるのです

特定の個人だけに焦点をあててはいけません。

それは指定できないのです。

あなたが愛するものを固定しない

執着しないで ただ、愛でいる という事が出来た時

世界はあなたに愛を向けるようになります。

それは 仏性を目覚めさせる ということと同じことです

あなたがあなたの愛で満たされる時

世界の愛が共鳴してあなたに流れ込みます。

ただ、愛でいてください。

あるがままを受け入れるだけで 十分な愛です。

それはどんなスピリチュアル体験よりも 眩い光です。

ピンクの光 愛

信頼

その昔、私がまだ悩みだらけだった頃、

スピリチュアルなお話会で講師の方がこうおっしゃいました

「神とあなたの関係は、あなたとあなたのご両親の関係と同じなんです

あなたがご両親をどう思っているか は あなたが神をどう思っているかと同じです

そこに信頼関係があるのか 不信感に満ちているのか・・・」

これを聞いた時、とてもショックでしたね

「ダメじゃん」と思いました。

当時私は両親が嫌いだったのです。

機能不全家族と言いますか

私の病気は親の接し方が原因だったということもあり

私は親に怒りを持っていました。

なぜこんなに苦しまなければいけないのか

私は神にも怒りを持っていたと思います。

そんな

信頼感どころか 拒否感しかない相手と

信頼関係など築けるわけがありません。

「ガーン、神との断絶だぁ・・・」

「終わってるやん・・・」

と 思いましたが

終ってはいませんでした。

それから、カルマの浄化を始めます。

その時は強力な浄化の光を通したのですが、

大きなつまりが取れました。

不思議なことに夢で父と和解したのです。

何が起きたのか分かりませんでした。

目覚めると解放で泣きじゃくっていて、

しばらく泣き続けて それが夢だったことに気付きました

「なんだ、夢じゃん」

呆然としていました。

その瞬間から 私の中の親に対する怒りが消えました。

「あの人たちは子育ては上手じゃなかったけど、彼らなりに一生懸命育てようとしたんだ」と思いました。

自分たちのような苦労はさせまい として 甘やかしたり とか(笑)

苦労させまい失敗させまい として いろんなことを禁じたり とか (^_^;)

ひもじい思いをさせまいと 必死で働いて 子供がどんなことを感じていたか に気付く余裕がなかった。

でも、自分自身も寄り添ってもらったことなどなかったのですから

それを知らないのは無理もないことなんでしょうね。

彼らは私たちより何倍も辛い思いをしていました。

どうやってそれを責めることができるでしょうか。

「反抗してごめんなさい。責めてごめんね」と 思いました。

こんなに必死に こんなに一生懸命やってきたのに 何が悪かったの?と思ったでしょうね

一番いい方法が分からなかったんですよね

自分も親を信頼したことはなかったのでしょう。

カルマは連鎖していくのです。

でも、それは終わりに出来ます。

自分の所で終わりにできるものなのです。

 

怒りは 悲しみから来ていて

それらを解放して手放してしまうと 

そこには 愛 が残ります。

怒りや悲しみの手放し方が分からない方は

瞑想やEFT療法をお薦めいたします。

その苦しい感情から解放されて

愛で神と繋がってください。

 

今、私は猫を飼っているのですが、

その子たちを見ていてよくわかることがあります。

信頼を寄せて委ねてくる子と

警戒してくる子では

してあげられることが何倍も違います

神様は きっと もっともっと沢山与えたいと思っているかもです

でも、私たちが警戒していると遠慮して

嫌がることはしないであげよう と そっとしていてくれるのかもしれません。

私たちは変化に戸惑いますからね。

無意識に「私たちが怖がらないことしかしてくれなくていい」と

発信しているのかもです。

私たちが喜べば 沢山の豊かさが舞い降りてきます

受け取ったものを喜ぶ 可愛がられ上手になれるといいですね!

そうでもないことは、そっとスルーしましょう。

小さな喜びを大きく増幅させる

あなたの波動が あなたを豊かにします。

そうさせないカルマの感情を瞑想でお掃除しています。

ハッピーな毎日を。

ゴールドタラ

豊かさをもたらす ゴールドタラ です。

 

降参

竹内結子さんが亡くなられたニュース、衝撃でした。

ついこの前三浦春馬さんが亡くなった時もショックでしたけど、

あんなに美しく、あんなに実力も名誉も才能もお持ちの方が亡くなるのは

どうしてだろう? という疑問が湧きあがってきます。

美貌も社会的地位も才能も 絶望を引き留める力にはならない ってことでしょうか。

人生を謳歌されているように見える人でも 死にたいほど悩んでいたりするのか

と 驚きと衝撃を感じます。

でも、なぜ?死ぬことを選んだのか

真実は当事者しかわからないでしょうけど、

思いを馳せてみますと、

三浦さんの時は、彼の表面の笑顔や態度と 本当の自分が違い過ぎた と感じました。

そういう生き方を変えられないと思ってしまったのか

ずっとそのままで生きていくことに絶望を感じたのか と 私は思いました。

あくまでも私の予測ですが。

真実にはもっと色々あるかもしれません。

 

竹内さんの場合は 「育児ノイローゼ」と言って炎上してたコメンテーターがいらっしゃいましたが、

私も竹内さんは産後鬱だったのではないか と 思いました。

赤ちゃんは、育てやすい子と、反対にとても手がかかる子と それぞれ個性があって、お母さんの苦労の度合いも違います。

新生児の間は、3時間おきの授乳とおしめ替え、意識がもうろうとするほど寝不足になるし、コロナ自粛でずっと家に閉じこもったまま、家族の世話をして、赤ちゃんの世話もして 外にも行けない それだけの毎日だったとしたら、

産後鬱になるのは難しくないと思いました。

上のお子さんがお嬢さんだったら もっと手伝ってもらいやすかったかもしれませんが、お兄ちゃんだし、旦那さんも子育てしたことない人だったら、

よっぽど「よっしゃー、夫にも息子にもガンガン手伝ってもらいますよ~~」なんて思ってるお母さんでなければ

なかなかお手伝いしてもらいにくかったかも。

真実を見たわけじゃないので憶測の域を出ませんが、

寝不足でくったくたになった時、頭がおかしくなりそう という経験は

私もしたことがあるので、竹内さんが精神的にくたびれ果てていた ということは大いにありそう と思いました。

体が疲れ果てると 身体の病気になる人と、心を病む人と、タイプがあると思います。

私は後者だったのですが、「頑張らなきゃ!」と思っている時は 糸が切れるまで頑張りを張り詰めさせてしまって、自分でも疲れていることを認めない なんてことがありましたので、

どんなに頑張りたいと思っても、身体が動かない時や 涙が止まらない なんて時は

休まなきゃいけない と 思うようになりました。(自覚できるまでだいぶかかった)

頑張りたいを欲張りすぎると いけません。

自分に甘いくらいでいいと 私は思っています。

頑張って得られるものの代償が大きすぎることもままあります。

 

そんな、頑張らなくていいですよ。

ほんとに。

得なくてもいいじゃないですか。

世界は 何なりと与えてもくれますから。

欲張らなくても 幸せでいることは可能なんです。

命まで取られません。

あるがままに生きる自由は幸福です。

理想を手放しても死ぬことはありません。

辛すぎることの方を手放せばいいだけです。

 

そんなことを言っても、実は自分も

死にたくなった経験は何回かあるんですよね。(かなりヘタレ?)

でも、死ぬってすごい大変。

身体が全力で抵抗します。怖すぎて実行できません。

あんなに恐ろしい事 (自分を殺す) を出来てしまうなんて

よっぽど現実の方が恐ろしいのかな?と思います。

そんなとこで頑張っちゃって ホントにキツかったんだろうな。

誰かの憧れの存在でいるということは、それだけ、自分を甘やかせないってことだろうか?

 

三浦さんも竹内さんも 開き直れなかった あるいは 苦悩に降参できなかったことは

とても残念だったと思います。

たぶん、ご本人たちが もっと自由になれた と気付けば、死なずに済んだか、

気付くのが死後であれば、もう一度生まれ直して それをやり直すのかな と思ったりします。

 

自分自身の経験なんですが、

私は昔は人に指図されたりとやかく言われるのが大嫌いだったので、できるだけ目立たない存在でいたかった と過去の自分を記憶しています。

芸能人になんて99.9% ならないですから 彼らの葛藤は理解しきれないとは思います。

今はとやかく言われること自体、どうでもいいので、何か言われたとしても気にしない。

そんな自由が手に入っています。

何か出来ても出来なくても、良くても悪くても、それぞれの尺度で 言う人は言うし

それも何の責任を負う発言でもないし、言うだけ言えば言ってる本人もそのことを忘れます。

そんなものに 振り回されることはバカバカしいと思っています。

自分自身の真実を知るのは神様だけだし。

神様は人間にダメ出ししないので、

私は生きている間は自由な選択をし続けます。

その時々に 本当に必要な事を選ぶ勇気さえあれば

どこに行ってもプラスの循環が起こります。

早くそのことに気付いた者から

自由な人生を掴んでいくのだろうと 確信しています。

「できなかったから、なんだ!」 と言いたい。

どっちでもいいんです。

そんなことで苦しまないで。

あるがままでいさせてください

手に負えないことは神に委ねます。

チェンマイのお庭

降参出来た時、悟りが輝きます。

何もない自分

ただの命になって輝きます。

ページ上部へ