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意識

自我の視点と真実

前回のブログで 

『自我が強いと 自分がどう扱われるかが最大重要事項になってしまうので、真実は見えません。』

と書きました。

真実って 何? と思った方、お一人ではなかったと思いますので もう少し書き進めてみたいと思います。

そもそも人間の意識、自分が見たものを自分の都合で解釈しております。

相手がどう思っているか、それはどういうことなのか、 結構誤解していたり、決めつけて固定してしまっていたり気持ちの行き違い そんなことがとても多いと思いませんか?

「あの人が怒っているのは私のせいだ」とか「こんなことをやらかしたら、おしまいよね」とか

「失礼な人!私をバカにしているわ」とか 。。。 本当にそうだと思いますか?

ちょっと古い意識となるとわかりやすいですよ

「結婚できない人は何か欠陥がある」なんて私の親の世代はそう思っていました

「出世しないと世の中から認めてもらえない」「大企業に勤めないと負け犬」などもそう

もっと古い時代の意識だと 忠義は最高の美徳だったわけです。

お殿様のために死ぬのは栄誉?

命よりプライドが大事とされた武士たち。ご苦労様です。

価値観に縛られる時代は終わって行きますね。

時代が変わってどんどん物差しも変わって行きますけど、そんな形を変わる物差しを頼りにすることほど心もとないことは無い。。。

みな、自分の信じていること以外の奇妙さはすぐにわかりますけど。

自分のことだけは よくわからないんですよね。 不思議。

これね、からくりがあるんですよ。

誰しも、自分の信じていることは 真実にしか見えないんです。

 

物事の流れは 信じているように展開する 宇宙の法則が働いていますからね。

あなたの信じていることがあなたの回りに起きます。

これ、すごく楽しくていい事ばかりでハッピーな人生なら ぜひそのままでいいです。

でも、そうでないとしたら あなたは何を信じてしまっているんでしょうか?

要らない思い込み 手放した方がお得です。

 

瞑想では、全ての思い込み 全ての幻想を手放してただ事象を眺めるモードに立ち返っていきます。

赤ちゃんみたいに 無垢に何の思い込みも持ち込まず、

でも、今のあなたはいろんなことを知った上で 思い込みにとらわれない生き方を選んでいくのです。

これは考え方の癖を修正するようなものでもありますので

瞑想でカルマを手放して反応を緩め、意識は、意識的に要らないものを手放します。

それができると、啓発したマインドで生きることが可能になります。

啓発(悟り)、 自由で軽い カルマの幻想にとらわれない意識 です。

 

真実とは何か 以前、あるお友達が分かりやすいお話をしてくれたのを思い出しました。

小学生の男の子を持つお母さん、

ある日、学校から電話がかかってきて担任の先生が言いました

「息子さんがお友達の喧嘩に巻き込まれて怪我をされました。ちょっと切ったので病院で処置をしました。酷い怪我ではなくお医者様も大丈夫とのことでした」

あら、嫌ねぇ、などと思ってしばらく待っていると息子が学校から帰って来ました。

頭に包帯を巻いています。

えっ?頭?大丈夫なの?思っていたよりひどい事になっていて お母さんはびっくり。

なんで他の子の喧嘩でうちの子がケガさせられなきゃいけないの?

お母さんは頭に来て 息子に聞きます。

誰があなたに怪我をさせたの?許せないわ。謝らせないと!

お母さん、大事な息子が悪くも無いのに傷つけられて怒り心頭です。

すると子供が言いました。

おかあさん、誰も悪くないよ。

A君とB君がふざけて取っ組み合いをしてたのに僕の足がひっかかってコケて怪我しちゃっただけだよ。

誰も僕を怪我させてないよ。先生やA君B君は心配してくれたたけど、僕は元気だよ。

と笑顔で言ったんです。

 

お母さんの 加害者ありき な視点と、息子くんの何の偏見も無い視点

この違いがわかりますでしょうか。

真実とは何なのか 改めて物事をとらえ直してみてもいいかもしれません。

それにしても 笑顔は無敵 かも。

ワンコ

反抗期?

SNSのみなさんの投稿を見ていると時々しばしばとても好い事が書いてあって嬉しくなります。

ある方の投稿で 「反抗期って子供が親に逆らう時期、ではなくて、親が子供の成長に抵抗する時期なんですね」って書いてあって、

あ~、そうよ、そうそう。って笑いました。

私も子供の成長の際には抵抗を感じる時があって、

自分のやり方が受け入れてもらいにくい時とかに「う~む」と「どうしたらいいのじゃ」と困惑する事がありました。長女次女共に高校生の頃ですね。

当時の私は丁度、『あるがままにさせておく』という取り組みをしていたので

ああしろこうしろ と口を出すことを必死にガマンしていました。

と言っても しばしば 自分の考えを言ってしまうようなことはありましたので

これはジッと見ていたら、ぜったい言ってしまう と思いましたので、a

あまり見すぎないように頑張っていましたね。

小学生の間は まだ幼いので生活のルールなど、いろんなことを教える時期だと思いますけど、

中学高校になって来ると(若いですが)もう子供(児童)ではないので

自分で考えて行動させる、自分のすることに責任を持たせる ということをしていました。

これは、この頃、私も自分の仕事を再開する取り組みをしていたので家事や子供の世話が行き届かないということも一因でしたが、

子供のすることに口出しをしすぎて良いことなど何にもない ということは分かっていたので

放っておく というよりは、いろいろ娘たちに頼む ということをしていました。

一番最初は、してもらうことは 逆に手間がかかったりします。

やり方を教えたり、ちょっとの労力だけで出来るようにお膳立てしたりと下準備がかかりましたからね。

でも、子供自身が自分たちの生活を自分で回せるようになる ということは大人になって行く上で大事な事だと考え、親がなんでもやってしまわない ということが私自身にも必要でしたので頑張りました。

そんなこんな経過があり、長女が大学2年の頃、私はチェンマイでの2ヶ月の瞑想教師コースに行ってしまうのです。

当時の最初の夫は 家事をしてくれる人ではなかったのですが、娘たちが食事を作れるようになっていたので 大丈夫だ と思ったんですね。

何事もなく平穏無事?というわけではありませんでしたが(笑)

私は途中で帰らされることもなく 瞑想教師の資格を取って帰国しました。

2011年のことです。

正直言うと、私は子育ては苦手だったんですね。

子供が大好き とは言えなかった。

私の母はずっと「子育ては大変だ。子供はすごく手がかかって親の自由はなくなる」なんてことを私に言って聞かせていたので、小さな子供は苦手だったんですよ。

でも、実際に結婚して産んでみると、それはそれは可愛かった。

確かに子育て、超寝不足になりますし「え”え”~っ」って言うほど大変な時期もあるんですが、

手がかかる時期ほど 子供って可愛いので、これはしんどさもチャラだな なんて思った。

ただ、自分の性格に問題を感じていましたので、充分覚悟してかからないと ちゃんと育てられないかもしれない って 危惧してたんですよ。

なので、ずっと家に籠って子育てだけする ことは避けました。

保育園に預けて仕事をしたんです。

そのくらいの時間が自分には合っていたと 思いますし、

子育てが上手な保育士さんに預けることは 安心の一つでもあったんですね。

担任の先生は素晴らしい方も「ん?」という方もおられましたが、

多くの子供たちと関わりながら育った娘たちは とても健全に育ってくれて

私はそれが一番幸せなことだと思っています。

何かに抜きんでていようがいまいが、

大きな欠点があろうがなかろうが

その個性を持って 自由に羽ばたいて欲しい 成功も失敗も 自分の意志で選んで

人生を味わい尽くしてほしいのです。

私自身がエゴが強い子供だったので、そもそも人の言う事をあまり聞かない方なので

親が言う事を聞かそうとしたら余計に悪いことになる ということは分かっていました。

反発していた頃は わざと言われる事と反対のことをしていたこともありますし(ひどいshock

私のことを勝手に決めるな!って思ってたんですね。

嫌な事は絶対できないし、納得しないで言う事を聞く ってことはあり得ない という

超面倒くさい小賢しい子供で、(-_-;)

いや、まだ親とのバトルが あれだけだったのは 辛抱強いいい親だったんじゃないか って ほんと思いますよ。coldsweats01

子供は思い通りにしようとすればするほど、反抗します。

自分が生んだかもしれないけど、別の魂だ ということをしっかり理解した方がいいですよね。

成功や安全だけがすばらしいこと なのではないのです。

特に若い魂、いろんなイレギュラーを味わう時期なので 

揉まれた方がいいです。

決して枠にはめないであげてください。

世間に出れば それなりに頭を打って 角が取れて行きます。

 

そう、角が取れないと生きづらいですよ。

そのとんがった エゴというトゲトゲで他者を攻撃したり、自分がヒリヒリしたりして

守ろうと思えば思うほど生きづらい。

枠は首輪のように自分を締め付けます。

自由は、物理的なものではありません。

あなたの意識が自由かどうかが大事です。

目をつむって、世界を感じる時、無限に広がれる自由さです。

 

どんな物理的不自由があろうとも

魂が自由ならば あなたのストレスは霧が晴れるように取れて行きます。

本当は自由だった 制限を設けていたのは 私の意識だった。

誰かから言いつけられたかもしれないそのルール

採用するもしないも あなたの自由なのです。
 

あ、法律?

それは、法律の場合は、破るとペナルティーがある というだけのことです。

ペナルティーあるなら 引き受けて自由でいればいいんじゃないでしょうか。

私はそう思っていましたね。

どういう結果であろうとも なるようになっていくものなのです。

あなたの意識が 愛である限り、あなたの周りには愛しか集まりません

愛じゃないものがあったとしても 愛に戻って行けばいいだけなのです

 

子供にそう教えたかったんですね。

伝わっているのかどうかわかりませんけれども 

自由で素敵な大人でいてください。

マーガレット

フィーリングとマインド

ふとしたことで、昔 感じていたことを思い出しました。

まだ20代の頃だったと思います。

その頃 自分のことを理解してもらいたい と強く望んでいたことがありました。

自分のことを分かって欲しい

気持とか事情とか、苦しさとか、なぜそうなっているのか とか

伝えたいけど伝わらない焦り みたいなものがありました。

言葉にするのが難しい ということもありましたが、

そもそも 自分が何をどう感じているのかを 自分でもわかっていませんでした。

自分のことを説明するのに 自分の生い立ちとか体験を話すことを必要だと思い込んでいましたが、

どれだけ言葉を重ねても伝えきったという感覚が全くもてませんでした。

たとえ、相手が わかったよ と言ってくれたとしても 

本当のことを分かっていないとすぐに不安になってまた 説明したくなる

というような 超めんどくさいジレンマに陥っていた 感じがします。

今の自分がそれを振り返ってみると

そりゃそうでしょうよ と 言いたくなります(笑)

だって、自分で これはNGだ こんなんじゃダメだ と思っていることを

それは事情があってしょうがない ということにしたかった(無意識の意識)があったのです。

これは 当時の私だけがそうなのではなくて、

多くの人間の自我さんたちはそれをしているんですね。

こんなんじゃダメなんだけども、自分の意志ではどうにもならない避けられない事情があってそうなっている ということを他者に証明したい  と言う願望。

そうでもしないと自己承認ができない 自己イメージの低さから来ている思い なんですよ。

自分のことを否定するジャッジ。

これ、必要ないんですよね。

なぜ? かと言いますと、

自分の衝動 と言うのは、そういう風な生き物に生まれてきているから  なんです。

でも、社会生活を送る上で 不都合な衝動は 抑えるように訓練されているのが大人だったりするわけですが、

自分の内なる欲求や身体の求めるものをマインドが過剰に抑え込んだ結果が

強烈なストレスになるわけです。

これ、過剰適応 って言うんですね。

そのルールを採用しているのは他ならぬ自分自身なんですが・・・

最初は親の意向だったかもしれませんし、学校の先生とか

周りの大人とか ともだちとか 環境に適応しようとしてそれを採用したかもしれませんが、

そのルール

使うも使わないも あなた次第なのです。

この自由選択ができているか自分に許してないか の違い。

え?? それ外しちゃダメでしょ? 生きていけないでしょ?

な~んて いつの間に思いこんでしまっていたのか。

生きていけます。 そんなルール無くても 生きてる人が沢山います。

私はダメなの なんて 自分で制限かけるほど バカバカしいことは無いんです。

え? なぜかって?

そんなの生きづらいから ですよ。

生きやすいように生きましょう。

それはダメ っている呪いを解いちゃいましょう。

だって、宇宙には良いも悪いもないんです。

ただ、因果という あなたの行動による結果があるだけ。

あなたの選択と結果

どっちもどっちな

究極の選択になるかもしれませんが、

ほとんどがそんなものです。

だから選択するんですよ。

マインドは 安全無難リスク回避を重視しますが、

その結果 あなたがワクワクする体験を禁じてしまいます。

無味乾燥な感動の無い人生はつまらない

だから ハートは「あちらに面白い事がある!」と あなたを駆り立てるのです。

そこには人生の学びや気付きが山盛りです。

リスクはいやだ と思っても 安全策の方に落とし穴が無いわけでもなく

どのみち いろんな出来事があります。

どうせなら 楽しくて魂がキラキラと輝く時間を選んでください

何があなたをそうさせるかは あなたにしかわからないのです。

他者は あなたを感じることはできません。

自分で感じて選んでみましょう。

わからない なんて言わないで 

毎日の瞬間瞬間 全てが 選択の連続です。

それをするのもしないのも それを飲むのも飲まないのも

新しい事をするのもしないのも どっちでもいいんです。

感じる ということへ意識を向けるようになると

他者の感じ方も分かるようになってきます。

こんな時はこう感じるのだな

こうされるとこんな風な気持ちになるのか

あなたの経験は あなたの人生を豊かにしていきます。

だからネガティブな感情も無駄にはなりません。

今 辛いことがある方は それをしっかり味わって そして手放してください。

そうすると あなたの魂は経験を積んで一回り大きくなるのです。

あなたは 人間の人生 というものを味わいに この世に生まれてきたのですから。

 

全ての体験にありがとうと言いたい。

それが私の心に愛を育ててくれたから。

この道筋は 全ての魂が何回も生れ変って学んでゆく道なのです。

魂が成長したら何があるのか?って?

それは 存在の至福 という大きな幸福感です。

あなた自身が愛そのものになるのです

そこは不幸が存在できない状態になります

 

自我の意識は 私たちにいろんなチャレンジをさせてくれています。

自分を禁じたり 自分を罰したり そんな体験も知っていれば 他者の苦しみを理解することができますし。

ただ、この世界全てを知ろうとしなくても大丈夫です。

全部を知るにはこの世界は大きすぎ広すぎなのです

だから意識は何十億もの身体に分かれて体験しているのでしょう。

あなたのこの瞬間を工夫してあなたのために生きてください。

何をするかは あなたのフィーリングと環境の具合のバランスです。

あなたは 自分で選び

他者には自分で選ばせてください。

注意することは 他者を傷つけると 自分も傷つけられます。

そう 悪気が無くても人を傷つけることもある。

そして、他者を許すと 他者に許されます。

あなたがこの世界を作っているから 

あなたの行動を躊躇させる心の傷は

癒すしかない。

それは 癒えます。

だから 安心してください。

癒すことには熱心でいてください。

強くても弱くても どちらでもいいんです。

生きやすい生き方、しましょう

どんな生き方がいいのかは 人それぞれです。

あなた自身にしかわかりません。

もしくは 

あなた自身にも分らないかもしれません (笑)

流れは神のみぞ知る。 お任せできれば 味方してくれますよ。

神とも信頼関係で繋がっています。

内なる神を信頼してください。
神の手段は突飛ですけどね。すごいです。

瞑想の光

命と愛と

今年もあと1ヶ月を切りました。

月日が過ぎるのは早いですね。

自分自身も年齢を重ねるほどにじかんが過ぎるのが早く感じるようになり

本当に1年があっという間です。

意識とは不思議というか、興味深いですよね。

生まれて、日々成長して 自我が芽生えて いろんな体験をしていろんな感情を味わう。

それも年齢と共に皆それぞれに年齢どおりの発達をして世代を経験します。

その年代になってみると、親や祖父母や年長者の言っていたことが すごくよく分かるようになります。

そして思います。 皆 平等に歳をとるんですね。

そして、寿命が来たら みんな死にます。

色々 健康グッズとか 若返りサプリとか アンチエイジング なんてことがあって

多くの人々がいろんなものを買いますけれども

瞑想でもアンチエイジングすごい効果ありますが、やっぱり年齢と共にそれ相応の老化というものがあります。

ただ、人よりちょっと老化がゆっくりになるだけ。

老年期になれば 行動がゆっくりになってきて 覚えられる量がちょっと減って来て

忘れるまでの時間が短くなって すぐに思い出せなくなってくる。

瞑想をするようになって しない人と大きく違いがあるとしたら

そういう変化に対して 焦りを持たなくなり、

まぁ、そうですよね。 と 自分の身に起きていることを受け止めることに抵抗がなくなってくる ということ。

不安を持っていても持たなくても 宿命は宿命のとおり発動しますから

避けられないものに怯えてもねぇ。。無駄に恐れることを手放す・・・

たぶん その運命は 人に起きることなら私だけしか体験しないことじゃないだろうし、

どこかの誰かも同じ思いをしたことなんでしょう。

たまたまそれが 私の宿命の中にもあっただけ。

もしそれが うんと辛いことだったら それは私の魂が磨かれたいので引き受けたんでしょう。

ああ、こんな辛い事、他の人だったらきっととても耐えられないかもしれない。

その役は私でよかった。私だったら 受け止めることができるから。

私が辛いことを経験することで 自分の一族のカルマの浄化が終わるなら

それはみんなのために良かったこと。

カルマの苦しみを手放して

愛になれた時には 私自身の心が救われて平和になる。

その役を引き受けたおかげで 私の意識は限りなく愛と平和になっていく。

手放すということを教えてくれたすべての先輩方 すべてのご縁ある人々に感謝

この境地になってから 自分の命は ここから永遠に愛であるということを感じます。

終わりの無い愛 世界を愛し 世界と流れと命を信頼すること

そこには 終わりは無いのです。

この肉体を脱いでも 愛はそのまま続きます。

啓発とは そのような意識でしょうか。

個 という単位は もはや重要ではないのです。

この命は 世界の現われ。 愛の現われ。

舞鶴公園の蓮

 

意識が浄化されると・・・

瞑想に携わっていると 日常生活のいたるところで波動を意識します。

瞑想の効果で 自分や他者のエネルギー状態がわかりやすくなることもありますし、また意識的に波動を穏やかに保とうということもします。

まぁ、そのために瞑想しているようなものですけど。

でも、瞑想をしているので波動が波立たないか??と言われますと

実際は お掃除段階ではありとあらゆるカルマがこぞって出て来ようとしますので
けっこう騒々しい。

瞑想初心者の方はここで「え?なんで?瞑想してるのに心が穏やかじゃない」って
1回思います。

そう、最初の大掃除ですね。これ、フルフィルメント瞑想がELM瞑想に切り替わった時に、顕著に現れました。

フルフィルメント瞑想のハートマントラより ELM瞑想のラブマントラの方が強力なのです。 

自分自身の体験もそうでしたが、瞑想を指導させていただく時に 瞑想を始めた生徒さんの反応がかなり違います。

ハートマントラは緩やかに進みますが、ラブマントラはパワフルです。

意識の拡大の程度も全然違いました。

ハートマントラは静かで それほど一気に空に入る感じではありませんが

ラブマントラは一気に空が拡がるので
その分解放も起きやすいと言えます

解放の加減はマントラによって違います。

一番すごいのはタラマントラですが、これは上級者しかしませんのでご安心くだ

解放は

感情が炙り出されたり、体に変化が起きる方もあります。

溜め込んでいるものが多いと解放も起きやすいですが、

これは必然なんですね。出されるべくして出されます。

健康に生きるには必須です。

解放は恐れることはありません。いずれにせよ 生体に起きている事なので 心配することはありません。

何の化学物質も入れてませんし、とても自然なことなのです。

そう、感情に蓋をされていることが問題です。

マントラを拡げると、マントラのの波動がネガティブを炙り出して解放
して籠っていたエネルギーを外に出してくれます。

これに伴い、自然の流れはその学びを進めます。

あなたにとって必要なものとそうでないものが明確になっていきます。

あなたに必要ないことは離れていきますし、空いた部分に必要な事が流れ込んで来ます。

そう、邪魔なものを詰めていては必要なものが入る余地が無い ということです。

必要なものって? なんでしょう?

生きる喜びや感動 でしょうか。。

 

エゴは無意識に不必要なものに依存しています。

もう、苦しい・・・っておもったら、潔く手放してしまいましょう。

人生の中で幸せになるために本当に必要なものはさほど多くありません

それらのほとんどは物質ではないんです。

あなたのエネルギー あなたの波動。 喜び 愛 です

真我の意識では世界と自分自身は同じ一つの流れで分けて考えなくなります。

個人を生きることから ユニバースを生きる意識に変わって行きます。

 

この世界は、多くの生命体と物質界を共有していますので、

自分の中にあるエゴだけでなく 他の存在のエゴも存在します。

でもそれはただの現象でしかありません。

水槽の中のお魚や虫などの生き物の生態を観察すると

そこには弱肉強食のサイクルもありますが、全体の関係性で世界ができています。

私たち人間は一人一人に観察眼を持つ特殊な生命体です。

神の分け御霊 という表現もありますが

神の観察の出張所みたいな存在じゃないかと思うんですね。

この観察点から見える世界を どうぞ面白がってください。

あなたが 観るチャンネル(波動)を変えますと、見られる番組(チャンネル?)が変わりますよ。

私はもちろん 面白い!ハッピーチャンネルが好きです。

 

どんなチャンネルを見たいか チャンネルの合わせ方は

今 そのように在る というチャンネルの合わせ方です。

見たいチャンネルの波動を先に表現して波動を発生させます。

いまのあなたのチャンネルそのものがあなたの目の前に繰り広げられます。

ただ、なんでもかんでもできるわけじゃないです(笑)

条件的に再現しにくいものはあります。

日本に居ながら 砂漠の国の大富豪 を経験することは難しい

それはある程度与えられた条件(宿命)があると思います。

無い材料は使えないですからね。

ですから、今の材料を最大限に使う というテクニックは必要と思います。

その方法のわかりやすい呼び名の一つに「ポジティブシンキング」というのがあります。

これは過去の傷にとらわれいるうちは上手に使えません。

でも、瞑想は過去の傷を癒し、あなたの「トラウマ」という足枷を外してしまいます。

重要なのは意識です。

今できなくてもガッカリしないでください。

この世界も人間も常に変化し続けます。過去にとらわれる必要はありません

今この瞬間 意識を解放してください。

瞑想の空から 現実世界の空へ あなたも意識を解放してみませんか?

 

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瞑想を活用するには 教師の話は手掛かりになると思います。

私たちもそうやって先輩方のお話を聞きながら 目に見えないものを掴んで来ました。

毎月の1日瞑想会もあなたのお役に立ちます。意識を浄化するのにとても役立ちます。

どうぞご利用ください。

 

1日瞑想会は主に第3日曜日です。
参加ご希望が増えれば機会を増やしますよ。

遠方の方は毎週のオンライン瞑想会をご利用ください。

参加方法等 詳しくは教師にお訊ねください。

自我の意識

子供はもちろん 大人であっても 他者から認められたい 肯定されたいという欲求があります

これは 集団で生活するタイプの動物の本能なのでしょうね。

本来 人は受け止めてもらうこと 愛されることを望んでいます

「私はそんなことない」という方もおられるでしょうが それはちょっと別の構造があるので今回は

愛されたい ということについて書きます。

どうして 自我は肯定されたい 否定されたくない のでしょうか?

それは

認めてもらうこと = 愛されること なのです。

「そっかそっか、OKだよ~」って言われたい

それはそこにいていい という承認なのです

  愛されたい  

誰から愛されたかったのでしょうか?

恋人?先生? いえ、

お母さん お父さん あなたを見守る大人たちからです。

幼少期に充分な愛を受けて育った人は 自己承認がしっかりあります

そういう人は、自分は 愛されていることを知っています。納得しているのです

私は愛されていい存在なんだ という実感が ベースにあります。

こういう方は 逆境にも強いです。

育った家がお金持ちかそうでないか は関係がありません。

親が 愛する能力がある人で 十分な愛情を注がれた場合 満たされます。

 

ですが、

今の日本で大半のご家庭では 親が子育てをする段階で

充分な愛情を注げるほど 親たちが成熟した精神には至っていません。

子育ての環境は日本の家庭が核家族化したことで 子供にとってはちょっと厳しくなりました。

母親をサポートする家族や 子供に接する大人が少なくなったからです。

もちろん昔でも 上手に育てられない大人はいましたが、

大家族であるほど 子供と接する大人の数が多いので

子供にとっては愛される機会に恵まれるのです

戦後育ちの人が殆どになった現代、

満たされずに育って 満たされなさを持った大人になった我々が

どうやって子供を幸福に育てるかは とても大事な課題です。

大人になった自分自身については

自分が自分を愛せるようになった時

多くのことが解決し始めます。

あなたは あなたのままで 十分に愛される存在なのです

神はすべての魂を愛しています。

その人が望む世界を与えてくれる んですよ。本当は。それが実現してる。

「そんなことないでしょ」と思ったあなた、 良いツッコミです

言葉にすると誤解を生じるのですが、

あなたが 当たり前だと思ったり それはこういうものだと確信している世界があなたに与えられます。

あなたの世界観 それがあなたの望みとして 表現されるのです。

思ったことは現実化する というのは そういう意味なんですね。

なので あなたはこの世界をどういうものとして扱うかが重要になってきます

あなたは 愛されない人 なのか 愛されたい人なのか 十分に愛されている人なのか

それは あなたが決めています。

妙だと思うかもしれませんが

それが本当の所なんですね。

幼少期の体験があなたに張り付いている時、あなたはその思い出に制限を受けてしまいます。

その体験はあなたの全てではありません。 ただの一時の偶然にすぎません。

あなたは 体験次第ではないのです

あなたは あなたの自己イメージでいくらでも変化できる

私は愛される人 

そう思うことを邪魔するものがあれば それを手放していきます。

 

ちょっと思いを変えてみませんか?

コツ お教えしますよ。

 

2022年は その辺りの思いを変更するコツをオンラインでも発信してみたいと思っています。
 

 

思考

昨日から起きていました ホームページサイトのアクセス障害、無事復旧しまして ホッとしております。

何でも 海外からの侵入があったそうで、登録しているホームページ管理サイトは大騒動だったようです。修復おつかれさまです。

こうやって またブログが書けてありがたいです。
私の所を管理してくださっているのは大手のホームページ管理サイトなんですが、
こういうことがあると 逆にセキュリティは強化されるので 現在はご安心ください。

 

さて今日の話題は、前からちょっと思っていたこと。

人のマインドって 危機状況だとを感じるとフル活動しますよね。

これ、古代みたいに天敵に襲われるとかいう実質的な危機の時は むしろ思考は止まってるくらいだと思うのですが、
人間関係でのトラブルとか 立場が悪くなった時って 思考がフル活動しませんか?

特に頭がいい人はそれが起こりやすいんじゃないかと思います。

思考 つまりとらえ方で安心できるのかそうでないのかをいじってる感じですね。

私が大丈夫な理由 とか 正当化 とか です。

頭の中で出来事をいじって 大丈夫だと捉えられたら安心して手放す

それ、無駄にうろたえないためには有効かもですが、
納得した思考は 真実なのでしょうか? 

思考するマインドは真実などどうでも良かったりします

自分が大丈夫なこじつけが大事だったりするので
すごく無理矢理な理屈さえ編み出します。

真実ではない幻想すら生み出して 己をも欺く勢いです。

自我は 自分が間違っていないと思いたい。

それが自我の性質です

なので 他者の自我が自分を護ることに必死だったとしても

決して愚かだと見下さないでください。

自我はみな そういうものなのです。

それに 何が真実かなんて 見えていないのは自分かもしれないからです。

 

己も何も 否定しない人だけが 真実を見ることができるのかもしれません。

思考を手放す

いろんな出来事があって 困って悩んで 頭が疲れてきたら

瞑想をして 思考から離れてください。

思考から離れられた感じがするまで瞑想をしてみてください。

ELM瞑想では瞑想時間は1回30分ですが。

伝授を受けての瞑想だと30分あれば十分です。

瞑想の間は 思考から離れられるけど 瞑想を終えるとまた悩みが戻って来てしまう という方は

無意識に悩みたがっていたりします。

表面の意識では「絶対そんなことない!」って思うんですけど

深層心理は悩むことを求めている ってこともあります。

そのからくりを解説すると3日くらい語りそうなので(^_^;)

今日はそれは置いておきます。

とにかく悩むことで何かを避けているのですが

悩むことが有効に働いていればあなたはすぐに楽になるはずですけど、そうでもないなら

一旦 悩みから離れましょう。

そう、その悩みは持ち続けても いい結果に至らない ということに気付かねばなりません。

じゃあ、どうしたらいいの? という方

考えるのをやめてください。

「やめられないから困ってるんです」という方

とりあえず 瞑想した方がいいです。

無意識層のお掃除は意識的には なかなか難しいんです。

特になんとかしようとすればするほど、深みにハマってしまいます。

悩んでいる方に必要なのは 緊張をとって、身体をリラックスさせることなんですね。

できない という方

瞑想教師に相談してください。

 

あなたの考えすぎの癖は 瞬時に消すのは難しいかもしれません

でも それは手放せるものなのです。

私の性格を変えたいんです なんて 思っている方は

ぜひ 瞑想を始めてください。

あなたが緩むと 性格は穏やかになります。

1人だけで取り組んでいるうちは 同じところをグルグルしてしまう感じがするかもしれませんが、

あなたのとらえ方のこじれを解きほぐすお手伝いをいたします。

 

瞑想して 身体にリラックス状態をつくることができると、

内側の浄化が始まります。

苦しい感情が抜けて 徐々に冷静さを取り戻していきます。

そして気が付くのです。

瞑想を終えた瞬間

今、この瞬間、目の前は何も起きていない。

頭の中のあの事やこの事はてんやわんやなのにもかかわらず、

瞑想を終えた今この瞬間は 何も起きていません。

あなたを悩ませている頭の中のそれ、

今この瞬間、あなたが悶え苦しんでいても リラックスしてもすぐには変わりません。

ちょっと 脇に置いておいて 心を休めましょう。

疲れたすぎたなら 考えるのは後がいいんです。

目をつむって あるいは空を見て 深呼吸して 手放してみましょう

あなたが見る空は 何色でしょうか。

感覚を使うと あなたは今に戻ってきます。

広~い空間を見るとあなたに籠ったエネルギーは拡がって消えて行きます。

瞑想の内側の世界も広いんですよ。

内なる宇宙 って言うでしょ?

宇宙くらい広いんです。

身体という枠から解放されます。

 

あなたが瞑想する時、

あなたの意識は拡がって 空のエリア、すなわち真我・神の領域まで拡がります

そこで あなたは知らないうちに神の叡智を受け取っているのです。

瞑想をして 心が静まると

あなたは神の叡智を受け取る準備ができます。

 

そして 執着を手放し 苦しみから離れてください。

無くなる時は どうあがいても無くなりますし、

あがきたければ思う存分あがけばいいし

もう無理って思ったら手放していいんです。

そして 手放しても大丈夫 ってことに気付きますよ

なるようになるんです。

あなたが気にしてるそれは、どんなことがあっても無いなりになんとかなります。

手放した方がずっと楽です。

失って困るものが少ないほど、人は自由ですから。

どれだけ抱え込んできたか に気付きます。

本当は 何も持たなくてもいいんです。

あなたが 愛であれば あなたには愛が集まってきます。

しがみつくものを持たなければ 愛に気付き、愛を思い出します。

あなたが 抱え込んできた物を手放したスペースに

愛が入ってきます。

 

この体験はしてみないと実感できませんけど。

誰にでも起きますね。

生き方が変わります。

 

流れと新しい時代

人々が支え合う ということは ともすれば共依存に移行しやすいのですが、

共依存を防ぐためには 人に頼らない ではなく

自分が地に足をつけて生きる

トラブルと向き合う 

善処する 

  に尽きます 

 

責任のなすりつけ合いなど本当に無駄な作業で

「そんなことをする暇があったら 目の前の事態に対してできることをしろ」 というところです。

そう、それは自分の自我に言う言葉です

できるかどうか なんて やってみないとわからないものです。

 

自分の力のみでは 無理かもしれません

でも、あなたの周りには 協力しようという人がでてくるでしょう

それはあなたがこれまでどれだけ人を手助けしたか にもよります。

他者へ差し伸べる手は 自分に差し伸べられる手 と同じです。

差伸べられなかった時 自分がどれだけ人に温かかったかを振り返ります。

 

これからの人生は今この瞬間に創造しています。

過去はともあれ 今 何をするかが大事なのです。

そして、無理な事は手放して なるようにさせます。

活性化するものもあれば、消滅するものもあります。

 

もし誰かが何かをしてくれないと苛立ったら

それはあなたの中に 依存の気持ちがある ということです。

私はしてあげて、あの人はしてくれないのはおかしいじゃないか と思うなら、

あなたはしてあげ過ぎなのです。

そのことをするかしないか は あなたの意志と責任において するかどうかを決めてください

あなたは あなたのしたいこと しようと思う事しかしなくていいです。

 

全体のことを考えたら 自分だけのしたいしたくないじゃ済まないんだよ と思う場合

それは全体を思うあなたがしたいことなのです。

全体のせいではありません。

あなたはその役目を引き受けている

だけどそれは辞めることができます。

もうできません と言えばいいのです。

もちろん あなたに依存している環境たちは混乱するでしょう

その混乱を避けたいのならば そこにいることも可能です

 

でももうそれはやめたいのならば そこから抜けなければなりません

あなたが抜ければ 一時は混乱するかもしれませんが

全体は抜けたところを修復にかかるでしょう。

代わりをいれるか メンバーで補い合うか

あなたは できないことまでし続けることはありません。

可能ならば できる後始末をすればいいです

カルマは飛び出し、全体は修復するのです

形は変わるかもしれません

それは必要な事なのです。

あなたが悪いのはありません。

必要な事が起きているだけです。

 

新しい時代は 常に新しい展開です。

古い伝統の中に良いものがあれば残されるでしょう。

でも、もはや古いスタイルのままでは 維持できない流れなのです。

この世界は常に対流して変化し続けます。

これまでもこれからも。

慣れ親しんだ状況を手放すのは寂しいと感じるかもしれません

でもその執着は あなたを幸せにしません。

新しいスタイルをどうぞ 楽しんでください。

あなた自身が閉ざすことさえしなければ 

世界はあなたを喜ばせようとあらゆるものを提案してくるでしょう。

なにかをしてくれるのではありません。するのはあなたです。

あなたは あなたを幸せにします。その意図が必要です。

 

共依存

日本人は共依存的 という言葉を見ました。

たしかに。

私は誰かのために。誰かは私のために。

他者の存在や仕事に依存して それが無いと自分の生活が揺らいでしまうのは

共依存に他なりません。

ドキっとしたあなたは共依存かも。(私も少し)

私は元々 バリバリ共依存だったので それが今残っていても全然不思議じゃない。

でも、どっぷり共依存の時は 本当に生きるのが苦しかった。

誰かが現状をキープしてくれないとまさに生活が揺れまくるのです。

他者をコントロールする必要が生じます。

もう大変。。気が揉める。。怒りがいっぱい。。裏切られたとか思っちゃう。

そんな日々はコリゴリです。

日本社会は かなり共依存的要素が高い ・・・というのは

支え合っている関係性で成り立っているからです

それは愛から出てきた関係性のスタイルですが、

どこかで 愛で縛る 共依存へすり替わってしまうのです

共依存は 愛じゃありません。愛が抜けた時、それはただの依存。

相手の自由を認めません。 強烈なエゴなんです。

そこには

「それをされたら困る」「迷惑かけるなよ」「みんな思いやり合っているんだからさ」

「私がどれだけしてあげたと思ってるのよ」「あなたも返しなさい」「あなたも我慢しなさい」

などという 自己都合と正義の押し付けがあります。

それをしないで愛でいるためには

他者の意志や望みを尊重できることが大事です。

ああ、それはちょっと困っちゃうこともあったり、残念だったりするけど、

あなたがそうしたいならそうしていいよ。

そう言えること。

現実的に困るならその移行にどれだけ協力してくれるか 尋ねてみましょう。

もし、ぶった切られても、その人には共依存から脱却する必要があったならば

その卒業は必要な事なのです

共依存であったことが問題なのですから。

手放しましょう。

共依存を引き剥がされる痛みがあった時は

共依存であったことを手放しましょう。

あるがままであらせることが愛だよ と ターラが言います

温かく微笑みながら

グリーンタラ顔

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