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心の在り方

信頼

その昔、私がまだ悩みだらけだった頃、

スピリチュアルなお話会で講師の方がこうおっしゃいました

「神とあなたの関係は、あなたとあなたのご両親の関係と同じなんです

あなたがご両親をどう思っているか は あなたが神をどう思っているかと同じです

そこに信頼関係があるのか 不信感に満ちているのか・・・」

これを聞いた時、とてもショックでしたね

「ダメじゃん」と思いました。

当時私は両親が嫌いだったのです。

機能不全家族と言いますか

私の病気は親の接し方が原因だったということもあり

私は親に怒りを持っていました。

なぜこんなに苦しまなければいけないのか

私は神にも怒りを持っていたと思います。

そんな

信頼感どころか 拒否感しかない相手と

信頼関係など築けるわけがありません。

「ガーン、神との断絶だぁ・・・」

「終わってるやん・・・」

と 思いましたが

終ってはいませんでした。

それから、カルマの浄化を始めます。

その時は強力な浄化の光を通したのですが、

大きなつまりが取れました。

不思議なことに夢で父と和解したのです。

何が起きたのか分かりませんでした。

目覚めると解放で泣きじゃくっていて、

しばらく泣き続けて それが夢だったことに気付きました

「なんだ、夢じゃん」

呆然としていました。

その瞬間から 私の中の親に対する怒りが消えました。

「あの人たちは子育ては上手じゃなかったけど、彼らなりに一生懸命育てようとしたんだ」と思いました。

自分たちのような苦労はさせまい として 甘やかしたり とか(笑)

苦労させまい失敗させまい として いろんなことを禁じたり とか (^_^;)

ひもじい思いをさせまいと 必死で働いて 子供がどんなことを感じていたか に気付く余裕がなかった。

でも、自分自身も寄り添ってもらったことなどなかったのですから

それを知らないのは無理もないことなんでしょうね。

彼らは私たちより何倍も辛い思いをしていました。

どうやってそれを責めることができるでしょうか。

「反抗してごめんなさい。責めてごめんね」と 思いました。

こんなに必死に こんなに一生懸命やってきたのに 何が悪かったの?と思ったでしょうね

一番いい方法が分からなかったんですよね

自分も親を信頼したことはなかったのでしょう。

カルマは連鎖していくのです。

でも、それは終わりに出来ます。

自分の所で終わりにできるものなのです。

 

怒りは 悲しみから来ていて

それらを解放して手放してしまうと 

そこには 愛 が残ります。

怒りや悲しみの手放し方が分からない方は

瞑想やEFT療法をお薦めいたします。

その苦しい感情から解放されて

愛で神と繋がってください。

 

今、私は猫を飼っているのですが、

その子たちを見ていてよくわかることがあります。

信頼を寄せて委ねてくる子と

警戒してくる子では

してあげられることが何倍も違います

神様は きっと もっともっと沢山与えたいと思っているかもです

でも、私たちが警戒していると遠慮して

嫌がることはしないであげよう と そっとしていてくれるのかもしれません。

私たちは変化に戸惑いますからね。

無意識に「私たちが怖がらないことしかしてくれなくていい」と

発信しているのかもです。

私たちが喜べば 沢山の豊かさが舞い降りてきます

受け取ったものを喜ぶ 可愛がられ上手になれるといいですね!

そうでもないことは、そっとスルーしましょう。

小さな喜びを大きく増幅させる

あなたの波動が あなたを豊かにします。

そうさせないカルマの感情を瞑想でお掃除しています。

ハッピーな毎日を。

ゴールドタラ

豊かさをもたらす ゴールドタラ です。

 

降参

竹内結子さんが亡くなられたニュース、衝撃でした。

ついこの前三浦春馬さんが亡くなった時もショックでしたけど、

あんなに美しく、あんなに実力も名誉も才能もお持ちの方が亡くなるのは

どうしてだろう? という疑問が湧きあがってきます。

美貌も社会的地位も才能も 絶望を引き留める力にはならない ってことでしょうか。

人生を謳歌されているように見える人でも 死にたいほど悩んでいたりするのか

と 驚きと衝撃を感じます。

でも、なぜ?死ぬことを選んだのか

真実は当事者しかわからないでしょうけど、

思いを馳せてみますと、

三浦さんの時は、彼の表面の笑顔や態度と 本当の自分が違い過ぎた と感じました。

そういう生き方を変えられないと思ってしまったのか

ずっとそのままで生きていくことに絶望を感じたのか と 私は思いました。

あくまでも私の予測ですが。

真実にはもっと色々あるかもしれません。

 

竹内さんの場合は 「育児ノイローゼ」と言って炎上してたコメンテーターがいらっしゃいましたが、

私も竹内さんは産後鬱だったのではないか と 思いました。

赤ちゃんは、育てやすい子と、反対にとても手がかかる子と それぞれ個性があって、お母さんの苦労の度合いも違います。

新生児の間は、3時間おきの授乳とおしめ替え、意識がもうろうとするほど寝不足になるし、コロナ自粛でずっと家に閉じこもったまま、家族の世話をして、赤ちゃんの世話もして 外にも行けない それだけの毎日だったとしたら、

産後鬱になるのは難しくないと思いました。

上のお子さんがお嬢さんだったら もっと手伝ってもらいやすかったかもしれませんが、お兄ちゃんだし、旦那さんも子育てしたことない人だったら、

よっぽど「よっしゃー、夫にも息子にもガンガン手伝ってもらいますよ~~」なんて思ってるお母さんでなければ

なかなかお手伝いしてもらいにくかったかも。

真実を見たわけじゃないので憶測の域を出ませんが、

寝不足でくったくたになった時、頭がおかしくなりそう という経験は

私もしたことがあるので、竹内さんが精神的にくたびれ果てていた ということは大いにありそう と思いました。

体が疲れ果てると 身体の病気になる人と、心を病む人と、タイプがあると思います。

私は後者だったのですが、「頑張らなきゃ!」と思っている時は 糸が切れるまで頑張りを張り詰めさせてしまって、自分でも疲れていることを認めない なんてことがありましたので、

どんなに頑張りたいと思っても、身体が動かない時や 涙が止まらない なんて時は

休まなきゃいけない と 思うようになりました。(自覚できるまでだいぶかかった)

頑張りたいを欲張りすぎると いけません。

自分に甘いくらいでいいと 私は思っています。

頑張って得られるものの代償が大きすぎることもままあります。

 

そんな、頑張らなくていいですよ。

ほんとに。

得なくてもいいじゃないですか。

世界は 何なりと与えてもくれますから。

欲張らなくても 幸せでいることは可能なんです。

命まで取られません。

あるがままに生きる自由は幸福です。

理想を手放しても死ぬことはありません。

辛すぎることの方を手放せばいいだけです。

 

そんなことを言っても、実は自分も

死にたくなった経験は何回かあるんですよね。(かなりヘタレ?)

でも、死ぬってすごい大変。

身体が全力で抵抗します。怖すぎて実行できません。

あんなに恐ろしい事 (自分を殺す) を出来てしまうなんて

よっぽど現実の方が恐ろしいのかな?と思います。

そんなとこで頑張っちゃって ホントにキツかったんだろうな。

誰かの憧れの存在でいるということは、それだけ、自分を甘やかせないってことだろうか?

 

三浦さんも竹内さんも 開き直れなかった あるいは 苦悩に降参できなかったことは

とても残念だったと思います。

たぶん、ご本人たちが もっと自由になれた と気付けば、死なずに済んだか、

気付くのが死後であれば、もう一度生まれ直して それをやり直すのかな と思ったりします。

 

自分自身の経験なんですが、

私は昔は人に指図されたりとやかく言われるのが大嫌いだったので、できるだけ目立たない存在でいたかった と過去の自分を記憶しています。

芸能人になんて99.9% ならないですから 彼らの葛藤は理解しきれないとは思います。

今はとやかく言われること自体、どうでもいいので、何か言われたとしても気にしない。

そんな自由が手に入っています。

何か出来ても出来なくても、良くても悪くても、それぞれの尺度で 言う人は言うし

それも何の責任を負う発言でもないし、言うだけ言えば言ってる本人もそのことを忘れます。

そんなものに 振り回されることはバカバカしいと思っています。

自分自身の真実を知るのは神様だけだし。

神様は人間にダメ出ししないので、

私は生きている間は自由な選択をし続けます。

その時々に 本当に必要な事を選ぶ勇気さえあれば

どこに行ってもプラスの循環が起こります。

早くそのことに気付いた者から

自由な人生を掴んでいくのだろうと 確信しています。

「できなかったから、なんだ!」 と言いたい。

どっちでもいいんです。

そんなことで苦しまないで。

あるがままでいさせてください

手に負えないことは神に委ねます。

チェンマイのお庭

降参出来た時、悟りが輝きます。

何もない自分

ただの命になって輝きます。

あるがままにくつろぐ その2

もともと人間は ごく一部な方を除いて

暇な時間というのは苦手なようですから

だから 暇があれば代わりに用事を作ってしまう、

あるいはそうしなけばいけない と思い込んでいますね。

もしくは、何かをしたくないために 別のことをする、してしまう。

自分一人の問題の時は やれてもやれなくても自分だけの問題になり、他者にはさして影響がないのですが、用事の範囲を広げて

他人のことまで請け負ってしまいますと 責任 などというものが生じまして

どうしてもやらねばならぬ という事態に陥ります。

 

そもそも やらねばならぬ という集団幻想にも問題はあるのですが、

そういった意識のコミュニティでは特に

他人を巻き込んでしまうと、それが出来ていないことに対して 自分だけでなく

関わる相手まで (協力しないことを)責めてしまいます。

そして、「やれ」と命令してしまいます。

家族とか仕事仲間 とか。。。自分自身もです。

支配・コントロール と言います

この意識は あるがままの生き方を歪めますので

もし 悟りに到達したい場合は

支配・コントロールは徹底的に手放していくことになります。

 

あるがままを、そのままでいい と思ってください。

そう、そんなあるがままを 良し とします。

どんなあるがままでも それはそれで いいんです。

それは自然。

人間はともかく、

神様は あるがままのあなたを十分に愛しています。

本当はしたくないことをしなくてもいいんです。

抱えてしまっているとしたら、徐々に手放していきましょう。

これも断捨離の一つです。

そして

嫌でもどうしてもする というのは 命令ではなく、

あなたの意思なのです。

他者の意向に従うことも自分ですると決めたこと

 

自分の決断を 人のせいにしないようにすると

人生はもっとシンプルになりますよ。

 

したいと思うことだけを残しましょう。

 

結果は あなたのあるがままにちょうどいい状況を創り出していきます。

 

沢山のことをしてもいい

欲張りでも構いません。

その忙しさは充実と呼びます。

 

ただ、自分の好みを他者に強要しないように

それぞれの在り方を尊重してください

他者に強要し合う生き方はとても生きづらいコミュニティになります

あなたがあるがままで居たいように

他者もあるがままでいさせてください。

自然のままに。

愛する ことに熱心でいてください。

あるがままにいさせることが 望むようにさせることが 究極の愛です。

何もしなくても 心が愛なら それでいいのです。

あなたの発する波動の循環が始まります。

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あるがままにくつろぐ その1

昨日は定員いっぱいの1日瞑想会のご参加 ありがとうございました。

1日瞑想会の定員は8名でご参加に限りがありますので、

オンライン参加もできるようにいたしました。

 詳細は文末に記載します。

さて、今日のお話、

何か日々に追われるような感覚を持つ時、

なぜそれが起きているのか を考察してみました。

 

何かをしなければいけない というのは

日常を過ごしていたらよく起こることです。

生きるという活動をする必要があります。

昔は 衣食住を整えるだけで十分1日の活動がありました。

朝、かまどの火を起こし、朝食を作ること

畑に出て 農作物の世話をすること

狩りに出て動物性たんぱくを手に入れること

家屋の修繕

川へ洗濯に・・・一つ一つの手作業はとても手間がかかります。

それだけで十分忙しい。

でも、家事と自然に触れることが直結していましたので、

そこに癒しも存在していたと思います。

作業が瞑想的になる ということです。

現代人は、電化製品で劇的に家事から解放されました。

暇ができるんですが、

その暇に用事を入れてしまうんですね。

お出かけしないといけない

旅行に行かなきゃ

お友達と会わなきゃ

美味しいものも食べに行かなきゃ

おしゃれもしたいし、お洋服も探しにいかないと。

最近はネットで買えるから パソコンを開いたら 結局日がな一日ウェブサーフィン

ちょっと気休めにオンラインゲームとかしてみたら、数時間時間が経ってた⁉

暇つぶしのアイテムには事欠きません。(笑)

ゲームとかは 他人から見ると無駄な時間にしか見えませんが、

あれは巧妙に依存性を含んで作られているので、一度やり出すとなかなか抜け出せない作りになっているらしい。

私も作業にハマる質なので ゲームは触らないようにしています。

ネトゲ廃人になりかねない(苦笑)

現代の集金システムはどんどん複雑に進化していますね。

ゲームは 今と向き合わない絶好のアイテムです。

今の私を忘れさせてくれる という意味で

人間の自我はそこに依存してしまうのです。

いまのあるがままが満たされていれば

ゲームにハマる ということはないでしょう。

 

ゲームをする人も 絶対しない という人も

実は、今のあるがままが見えてしまう 暇な時間を

自我が嫌っているのです。無意識のうちにです。

 

あるがままにくつろいでみませんか?

瞑想は あなたのあるがままを浄化します。

能の浄化

ELM瞑想は 意識と身体を浄化する作用の高い瞑想法です。

深層心理に潜むネガティブエネルギーを排出し あなたの内側をクリアにしていきます。

通常、伝授を受けて瞑想が一人でできるようになります。

ご自宅で1日に2回瞑想をすることで 世界観が変わっていきます。

未経験者の方はまずはお問合せください。

体験瞑想会は何度でもご参加いただけます。

オンライン参加も導入しました。

日程の設定がみつからない、参加の仕方がわからない などの場合は お問合せください。

 

clover 伝授を受けた方には 1日瞑想会 というワンデイリトリート があります

  集中的に浄化を進めます。

  オンライン参加ご希望の方は こちらのサイトからお申し込みください。

https://coubic.com/atelierseigetsu/booking_pages#pageContent

  1日瞑想会の申し込みはリスト後半にあります

  午前参加・午後参加・ヒーリングの三種類それぞれ別になっておりますので参加したいものにお申し込みください。

 

あるがまま

悲しい時は泣いていい

怒りたい時は怒っていいい

受け止めてくれる人がいるなら 胸を借りていい

そして あなたが元気になった時はまた 誰かに胸を貸してあげればいい

そうしたければしていいし したくないものはしなくていい

何がしたいかしたくないか ちゃんと認めてあげてください

あるがままに。。。

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あるがまま

あるがままでOK  という言葉は 

スピリチュアルの中ではよく耳にするフレーズです。

あるがままでOK  と知っていても

なかなか自分があるがままでOKと思えないものです。
 

というか、自分はあるがままでOKではいけない と、どこかで思い込んでいます。

なぜ?

常識的であろうとしたり、

怒りは抑えなければならない と思っていたり、

ネガティブなことを考えてはいけない と思っていたり、

あれもこれも、 このままでいいはずがない と なぜか思っているものです。

なぜ?

完璧じゃないから足りないところがいっぱいある

 

でも、足りないところが無い人なんて いません。

そもそも足りる ってなんでしょう?

欲を言えば、もっと もっともっと・・・と 要求は際限がありません。

足りている人 というのは、今以上の欲や欲求を持っていない だけなのですが。

それは人によって基準が全然違います。

 

当たり前にあるものは 当たり前すぎて ありがたみがないので

感謝に値しない とすれば、

ユニバースは私たちから一度それを奪って ある事のありがたさも見せてくれます。

 

経験が無い事は知らないだけかもしれません。

何もない を経験すると ある ということがすごく素敵な事だ と実感できると思います。

 

また、無いものは手に入ったしばらくは嬉しいですが、

それが当たり前になってしまうと、また ありがたみもなくなって

つまらない と思ってしまうことがあるかもしれません。

 

私たちは豊かです。

今生きていることや、お腹いっぱいご飯を食べられることは

豊か以外のなにものでもありません。

でも そう思えない時は 何かを失ってみるといいのかもしれません。

もしかしたら、魂がそれを体験したがっているのかも。

 

失くすことを恐れている人は

それが過ぎ去ってしまうと もう何も入ってこないと思い込んでいます。

この世界は循環していますから、

古いものが過ぎ去ると新しいものがやってきます。

当たり前にやって来るのです。

なぜかそれが信じられない。

 

なくしたら もう入ってこない と確信していると

確信したことは実現しますので

見たかった現実を見ることになるでしょう

なぜ そうしたいのかは わかりません。

そうなるものだと信じているのです。

 

それは 面白い思い込みです。(客観的に見ると)

いえ、面白くない思い込みです。(主観的に見ると)

 

あなたは 何を信じたいですか?

あなたを信じさせられるのは あなたの意識と行動のみ です。

行動と体験は、それを実感し、確信します。

見たい世界を見ることは 実は可能なんです。

信じられない自分がいただけなのだと

私も体験した時に 初めて知りました。 

 

私たちは 世界に養われています。

私たちを追い立てているのは、集団で見ている幻想でした。

手放してしまうと、なんてことはありません。

なんだってできます。

必要なものだけが残ります。

怖がらなくても大丈夫。

 

完璧じゃなくて当たり前。(笑)

それが面白いのですから。。

人間て ほんとうに面白い生き物です。

人間を面白がりましょう(笑)

愉快で、愚かで、滑稽で、健気で、愛おしい生き物なんですよ。

私も もれなくその一人。

自分を楽しませ、そして可愛がって養ってください。

ナマケモノ

台風一過

オンライン瞑想会にご参加下さった皆様

ありがとうございます。

音声が途切れる というアクシデント、失礼いたしました。

次回の課題が見えました。

しばらく機器を取り扱う練習が要りそう。(^_^;)

もうしばらく無料で瞑想会続けます。

そして、

無事10号が過ぎ去りました。

被害が大きくならなかったのでホッとしました。

特に福岡市内は 怪我人も少なかったようで

夜中、みんなが寝静まっている間に通り過ぎました。

私の所では明け方の4時前後が一番暴風でした。

鉄筋のビルが揺れると ちょっとビビります。

でもそのくらいでした。

猫も夫もグウグウ寝てました。(笑)

HSSの私は 起きてました coldsweats01 

HSSは HSPの仲間のようでちょっと違う 刺激好きの人で

そう、実はあんまり怖くないんです。というか ドキドキするのが好きなんじゃないか

という・・・(平気とはちょっと違うかも)

ドキドキしながら見ています。

落ち着いてると悪い事は起きないので、慌てない。

 

瞑想をされる方にHSP(ハイセンシティブパーソン)の方が多いのですが

HSPさんは怖いの苦手ですよね。

瞑想をすると、怖れが取れていきますので、

どうしようもなく怖い というのは減ります。

ただ、刺激は好きになれるかどうか、というと 感じ方、感性自体はかわらない。

とらえ方が変わるんです。

恐れることなく冷静に見る。鈍感にはなれません。でも ひどく反応することはなくなってくるので 受け流せるようになるんですね。

私の場合は 元々 刺激に好奇心を持つようなところがあるんだと思いますが

自分が弱っている頃はやはりそうもいかなくて、神経質で好き嫌いが激しかったのですが、

今はその基準がゆるゆるなので 拒否自体がほとんどありません。

この世界に良いも悪いもない とわかってからは、そのジャッジはすっかり無くなって行きました。

カルマによって嫌うもの それはとれていきます。

そして 私たちは ただ、好きなものだけを好んで選んでいくようになるのです。

 

嫌いなもの?

苦手なものはあるけれど、嫌いなものはありません。

苦手なものは 工夫してやり過ごします。

この世界にあるすべての存在に 存在することを認めて

ただ 好きなものを感じて幸せにいるだけなのです。

内側にキャッチするのは好きなもの。

この世界は好きなものであふれています。

嫌いなもののことを考えなくなった分

好きなものを意識することが多くなりました。

我慢は苦手です。

心地よくします。

積極的に環境を整えます。

排除するのではなく ただ浄化と調和へと向かうのです。

自分の内側から それは拡がります。

この世界は 愛でいっぱいになります。

 

カルマを手放すまでには必要なプロセスがあります

瞑想をするたび、カルマは減っていきます。

焦る必要はありません。

焦っても早くなりません。

必要なプロセスは ダルマが作ります。

私たちは流れに乗って ダルマに浄化されます。

目をつむって静かに空とダルマと共にいます。

光

 

 

 

自分が嫌い と思ってしまう方へのメッセージ その3

 
みんなが既に持っている命、生きているということが、
実は素晴らしい奇跡なんだ!と体感した時に 本当の幸せな生き方がスタートします。 

頭での理解ではありません。 体感です。 命のエネルギーを感じること
それは感動的に幸福です。

カルマの感情に埋もれている間は それを実感することは難しいかもしれません。

実は、これに気付くには、
一度命を失いかけて 「死にたくない 」 を体験するととても分かりやすかったりします。
「死ぬかも?怖い!」 という恐怖で カルマが一気に解放されてしまうからでしょうか。
あれやこれやの欲なんかが吹き飛んでしまいますね。
 
今あるもの、多くの人はそれがずっと当たり前にありすぎてありがたみを実感出来なくなっていたりします。
無いから欲しいと思うわけで、ずっとあったものなんて 欠乏感ないですから 大事とも欲しいとも思わない
無くて困ったことなどないですものね。
すでにあるものは、得ても「やった~!」 という高揚感はえられません。
すでに持ちすぎている人の苦悩は、
困ったことが無さ過ぎると マインドはすることを失って どうでもいいことでもしたくなる
欠乏感探しを始めます。
多くのもの、富とか名声とか権力とか、すでに手にしてしまった人が 人生が面白くなくなる ということを言われるのを聞いた時、
なるほどな と思いました。
なんでも願いが叶ってしまうと 生きてても  あんまり充実感が無いけど?って思っちゃう。
その手にしたものがすぐにでもなくなりそうな人は 違います。
必死でなくさないように努力し続けなければならないかもしれません。
執着が強ければ恐れも強くなります。
かなりのエネルギーを要します。
 
普遍の幸せ は 失うことはありません。
存在を謳歌し、死ぬことが無いという確信と共にあります。
(肉体は滅びても魂は死にません)
 
現世において、
幸せを感じる基準は 人様々なので どの状態がベスト という具体的な形はありません。
全てはバランスですので あなたはあなたの丁度いいところを探す必要があります。
それは他人が判断するものではありません。
 
丁度良い というところが見つかっていない方は
今までのとらえ方や生き方や行動をちょっとずつ変えてみていいと思います。
あなたが信じているものが本当にあなたを幸せにするのか?
よーく観察してくださいね。
 
愛から来るものと 執着や欲から来るものは エネルギー(波動)が違います。
 
欲は 自分には多すぎるエネルギーを集めてしまい、あなたはその維持に疲れ果てます。
執着は 過ぎ去るものを留めておこうと 流れと格闘することになります。
流れに逆らうのは大変な事。
 
あなたが あなたに丁度いい幸せを作り出せる行動に変えますと、
嬉しいことが増えてきたり、人から優しくしてもらったりが増えるので 
毎日はとても幸せになっていきます。
波動が因 で それによって現れる状況が果 という因果の法則を利用します
因は行動だけではありません。
気持ち すなわち 波動が大事なんです。
 
これまでの価値観は 何者かになることや今より向上することを求められる社会でした。
でも、それはもう時代遅れです。
今は、物質的に発展途上ではありません。これ以上発展して どれだけのものを維持しようというのでしょうか?
多く持ちすぎることは苦しみに繋がります。
旧時代の価値観を握りしめていると、摩擦だらけになってしまいます。
だから断捨離が流行っているのですが。。
 
シンプルは身軽です。
波動を基準に生きますと
何者にもならなくても幸せに生きていられます。
今日一日の幸せを自分で作る。
それが明日の幸せにつながります。
結果はあとからついて来ますから、とりあえずは、試してみてください。
体験しなければ何もわかりませんから。
 
 
条件付けしなくていい  と、開き直って下さい。
長所短所や得手不得手は、それぞれ個性がちがうので、みな、千差万別のものを持っています。
人が持っているものを羨ましく思ったりしますが、
自分はその人にないものを持っています。

自分の長所って、当たり前にありすぎてありがたみが無かったりします。
他の人にも普通にあると思い込んでいたりしますが
そうではありません

人(マインドの意識)は常に自分の足らないところを探したがります。
そういう自我の心の仕組みがあるからです。

欲張らなくても幸せになれます。
むしろ、手放せば手放すほど自由で軽くなり、幸せは舞い込みやすくなるんです。

これを実践していきます。

何が来るかを神様(ユニバース、大いなる存在)に委ねてみましょう。
ユニバースは 信頼を寄せる者の期待に応えます

「私は幸せになります。」と宣言して下さい
ユニバースは必要なものを寄越してきます。
流れが全てを整えていく  ということが起こります。
(最初はスパンが長いので気長にね)

この奇跡を見たとき、生きてるってホントに面白い!!と思うようになりますよ。

疑いながらでもいいので、(笑) ちょっとそれを半分信じてみて下さい。
あなたの意識は世界を変えます
スピリチュアルの世界へようこそ!
 
あなたが 宇宙です
白い仏陀




 

 

 

 

 

自分が嫌い と思ってしまう方へのメッセージ その2

このままの自分ではダメ、何かが足らない と感じているのは
過去の悲しみと怒りの感情であるカルマ、あるいは 愛の欠乏感 です
その時に充分味わい尽くせなかった感情
これは、満足を味わい尽くせなかった のではなく、
絶望を味わいつくせなかった時に起こります。
絶望感を回避して身の上に起きたことから逃れたい と思ってしまうことで起こります。
そう、誰にでも起きてしまう可能性があります。
 
受け止めきれなかった現実、これでいい と承認されない不安感を引きずっています。
涙が枯れ果てるまで味わい尽くさなかった悲しみ
エネルギーが出て来なくなるまで怒り尽くさなかった怒り
逃れることが出来なかった出来事を受け止め
怒り悲しみ尽くして 再び立ち上がる という課題がまだ済んでいません。
終っていないネガティブ感情は 内側に残り、
 
ずっとその時のことが続いているかのような錯覚にいますが
実際は、もうそのことは終わって過ぎ去ってしまったものなのです。
今ではないもの。過去の出来事の幻影です。
 
過去の心の傷の痛みは、癒す他ありません。
忘れようと思っても傷むものは傷みます。
 
傷の痛みは 傷が癒えて 消えていきます。
 
「まだ痛いし!それに、それがまた起きたらどうするの!?」
 
それは、
また起きるかもしれないし起きないかもしれません。
 
あなたが期待していれば(あるかもしれないと思えば思うほど)
起きる可能性は高まります。
引き寄せの法則をご存じの方には今更ですが、
避けたいと思うイメージも 逆に来てしまいます。
 
 
過去の苦い思い出、
あれはあの時たまたま起きたことです
なんらかのカルマ、自分以外のカルマが発動しただけ
そう
たまたま、このカルマを被る宿命だった
 
真相はなんでもいい。
もう、それが起きることを期待するのはやめにします。
過去がなんであれ、これからの私は幸せを創り出す名人になるのですから。
 
内側に潜んでいるネガティブイメージは
瞑想がお掃除を進めていきます。
なので、あるものを無いものにするフリもしなくていいんです。
瞑想で自然にそれはなくなります。
そう、時間をかけて カルマは消えていきます。
 
あなたに何度でも言います。
あなたはもう大丈夫です。
あなたに必要なものは与えられる。
あってもなくてもどうでもいいものは動きませんが
あなたに必要なものが与えられるのです。
今のあなたに丁度いいものをユニバースがセレクトして寄越しているのです。
 
「これが?」と思うあなたは今 この体験によって学ぶことがあります。
学びが停滞すれば次のステージはスタートしません。
 
あなたに必要な学びは何なのでしょう?
 
この答えは とても抽象的ですが、
それは摩擦が教えてくれます。
カルマの摩擦があるところを手放して癒していくことで
流れがスムーズに流れていくことができます。
言葉にするとしたら、 
カルマの摩擦を手放し、あるがままの真の愛を知る 
 
これがどんなものか は 体験がないとなかなかつかみどころがありませんが、
でも、本当はどの魂もそのことを知っています。
 
 
私も、あなたも、何もかも 全てひっくるめると
この世界は 今の状況で全体が丁度よく調和します。
そのようなバランスを取る世界で生きているのです
個体にとっては、好ましい事もあれば、好ましくないこともある 
全てを包括した世界に生まれたのです。
全てを自我が要求する好ましい事だけに変えることは不可能です
自我の要求は際限がありませんしね。
 
では、満足ポイントはどこにあるのか?
それは、これで良しのハードルを下げることです。
 
自我の意識は納得しないかもしれません。
自我の願望は最後は失望する経験をします。
思い通りにならない世界で生きているからです。
 
屋根のある家があって雨にぬれず、
帰れる家がある
今日、飢えていない。
冷蔵庫に食べられるものが入っている
お布団で眠ることができる
 
生きていくのに足らないことはさほど多くはありません。
 
うんと先の事なんてわからないもの。
心配で弱るよりも起きてから全力で対応する
起きた時は状況がはっきりしてますから あまり迷いません。
 
今 この瞬間をどんなふうに幸せだととらえるかは
あなた次第なのです。
 
すべては あるがままで良し。
あるがままに生きて良い
思い込みから解き放たれる時
条件付けには  関係なく、存在を愛する  ということが出来るようになると、
真我の愛 という素敵な感覚を 全霊で実感するようになります。

日輪

その3へ続く・・・

 

 

 

 

 

自分が嫌い と思ってしまう方へのメッセージ その1

自分が嫌い!という方にお会いして、お伝えしたかったことを書きます。
 
そのお気持ち、私にもよくわかります。
かつて、私も自分が大嫌いだった時期がありました。
14歳くらいから35歳くらいまでがそうでした。
 20年て!(笑)
しかもその後数年も 「さほどでも」 という程度でした。coldsweats01
スピリチュアルの宇宙の法則を知るまではね(苦笑
(ああ、なんともったいない年月!)(苦笑)
(いやいや、20年そこそこで済んでよかった!)(笑)
一生で終わらない人もいますからね coldsweats01
今生で終わらなければ来世持ち越しです。(持ち越し組、来世がんば!)
 
自分が嫌い
その中にはまり込んでいる時は、なかなか抜け出し方がわかりません。
ひたすら生きづらい。
一番近い存在で、離れようもなく、ずっとキライな人と一緒にいるなんて 
幸せになるのはずごく難しそう・・・。
 
そんな大キライな自分自身のことを考えると心が千々に乱れますよね。
だんだん混乱してきて どうしたらいいかわからなくなってきます。
結論の出ない問答を繰り変えすような。
なぜこの人(自分)は理想の人になれないのだろうか?
 
ちゃんとやろうとしているのになかなかできなかったり、
制御不能のことが出てきたり、不本意な病気になったり、
運命を呪いたくなるばかりです。
自分が嫌いな時の心理は、
ほんとに息苦しい感じ。頭で処理しきれなくなって
なんだか とても狭い所に立っているような
隠れたいのに隠れる場所がないような 
かなりやるせない気分の日々です。
 
そんなところに落ちこんでいる方、
本当におつかれさまでした。
もうそんな勘違いに苦しめられる日は終わりです。
 
自分を嫌っている理由が、
無意味なものだと知れば、嫌うことはやめる他ありません。
 
肉体は魂の乗り物  と言われますが、自分が乗っている車(乗り換え不可)が嫌いだと、旅がずっと嫌なものになってしまいます。 

 
乗り換え不可な自分の乗り物がポンコツに思えて
他者の車はあんなにカッコイイのに
私のはなんでこんなのなの? とイライラ
そんな楽しくない日々にどうしてはまり込んでいるのか
解説してみます。
 
かつて、
否定された記憶は トラウマになっているものですね。
 
子供の頃、お母さんの期待に応えようと一生懸命がんばってみたものの、
お母さんは、他のことで頭がいっぱいで こちらを向いてくれなかった とか
お母さん自身もなにかとても高い要求水準で 
自分に対しても 子供に大師っても 人並み以上の成果を得ないと満足できない方だった とか
理想形になることが幸せを掴む条件のように思っていたのかもしれません。
お母さんも何らかの強いコンプレックスがあってのことでしょう。
何か誇れるものに 飢えているんです。
コンプレックスが強い人ほど、必死になって 圧を強く出してきます。
弱さに比例して 恐れが攻撃的な反応を創り出します。
得られないことは自我のアイデンティティの死を意味しますから
必至にならざるを得ません。
これらのことが意識下で起こります。
必死な反応は衝動として起こり抵抗し難いほどの圧で噴き出して
自分を追い詰めます。
 
それは、お母さんの親、おばあさんやその先祖たちがずっと引き継いできたものかもしれません。
それ以外でも大人からのカルマの呪いに傷ついた過去があったかもしれません。
カルマはチェーンのようです。
これを家族連鎖と言います。
 
でも、その傷の縛りはあなたで終わりになります。
 
そもそも
条件をクリアすることがが幸せになる方法   ではないのです。
 
この体は、今生を過ごすのに自分で選んだ身体と宿命だったのです。
この体で幸せになる方法を見つけ出すのが今生の課題です。
 
多くの皆さんが、条件に満たないことが満足でない理由だと思い込んでいますが、違います。
みな、満足でない理由、幸せでない理由を 現在の条件のせいにすり替えてしまっているんです。
 
これは、条件をクリアしてしまうと、どうやらこれが原因じゃなかった  と気付きます。
いくら条件を手に入れても、幸せが持続しません。
問題は次々に起きていくし、理想の状況はなかなか持続しません。
いとも簡単に手に入ってしまうほど、感動はそれほどでもなく
だから余計にクリアしにくい条件を取り込んで
幸せでないことに納得しようとしているのかもしれません。
 
条件は、手にいれたその瞬間としばらくの満足でしかないんです。
 
では、何が私たちを幸せにするか?  ですが、
ここが悟りのポイントですね。

長くなりそうなので 次回に続きます
 

 

 

 

 

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