ホーム>スタッフブログ>意識

意識

ごほうび

スピリチュアルの世界は、最初は不思議な事しかなかったですけど、

最近は、宇宙の法則も引き寄せの法則もかなり認知度が上がってきました。

『意識が現象化するので意識を整える』なんてことは、知ってみると普通のことなんだなぁ って思います。

でも、未だに不思議に思うことも色々あって(未知の領域はいつだって不思議)

その中でも 学びがうまく行くと「ごほうび」が来る っていう現象があるんですが

これはまだなぜそうなるのかを知らないので不思議です。

このところ、この「ご褒美が来る」って法則のことを忘れてましたが 

最近、スピリチュアルYoutuber の方が話しておられたので思い出しました。

そうそう、本当にご褒美があるんです。

これはまず最初に 試練があります。
困ったこととか悩ましいこと、トラブルなんかですね、

それは何か突破しないといけない壁を 自分が意識の中に作ってしまっていて

それが摩擦の原因になっているのですが

その壁を崩すべく 試練が来るんです。

それが原因になって摩擦(感情の抵抗)が起きる

怒りや苦悩 不安だったり苦しかったり、 という摩擦の感情

これは出来事によって そのカルマの感情が炙り出されています。

例えば、事故や病気などの出来事もそう。

「なんで私がこんな目に遇わなきゃいけないのよ」なんていう思いもそうだし、

イライラして周りに当たり散らす自分を見せられたりします。

そこで、散々その感情を味わうと、

そういうことをしている自分が客観的に見えてきたりします。

一度そういう感情を体験して、

更に その後、同じ事をしている人を見たり、

逆側の立場を体験すると 

かつての自分が何をしたのかがよく分かったりします。

で、

本当はどうすればよかったのか が分かった時、

意識のシフトアップが起きて、シフトアップした自分に相応しい喜ばしい出来事が起きます。

エゴを手放せた時、

愛に気付いた時

愛を選んだ時

あなたはシフトアップするのです。✨

 

愛は あるがままにさせて 温かい目で見る

求められれば差出し 押し付けたり腹立てたりしないんです。

必要なものを そっとそこに置き、

相手がそれを拾わなくても怒りません。

必要ならば拾うでしょう。

何の見返りも求めず、評価も求めず、感謝も求めません。

愛が循環すれば 出した愛は出しただけ巡ってくるのですから。

 

本当に 出したものしか 返って来ません。

しかも別の方向から来るのです。

だから循環。

 

学びのご褒美は、

世界が喜んでいる証拠 のように思います。

そういう時に、キラキラした光が降って来るのを見たことがあります。

正確に言うと 感じた。

それは可視光線ではなく エネルギーでした。

そんな不思議体験 人間に起きるのだなぁ って思います。

 

経験が無い人は その循環をまだ体験していないのかもです。

感性を全開にして 愛そのものになって 欲や都合を手放しきっている時

起きたように思います。

そういうことは可能です。

世界から自分を守る立場ではなく、

世界に活かされて与えられている立場に感動した時

起きるように思います。

ゴールドライト

全国的な寒波 だそうで。

福岡市内も午後から吹雪いていました。

明後日まで寒いそうなのでお風邪を引かれないようお気をつけください。

寒かったこともあり、今日の仏画教室はみなさん避けられて休業。

こういう時はいろいろと自分の制作を進めます。

でも、寒いと動きが鈍って 腰が重くなってしまいますね。

あまり進みませんでした。

何をするか、お天気にも影響されています。

自我は自分をコントロールできないと感じると焦ったりイライラしたりしてきます。

それで お天気にまで苛立ちを向けたりしますけど、

本当はそんなにコントロールしなくてもいいんじゃないか って思うんです。

晴耕雨読 みたいな、

晴れたら 畑を耕し、

雨が降ったら おうちの中で読書。。。

人生全般そんな風に 流れの中でゆったりと暮らすと 平和ですよね。

何かが足らないとか 何かをもっと欲しい と思って

追い立てられて生きるより

今日一日を 生きるように生きる。。。

生きるのは意思がすることというよりも

自分の肉体 という自然なものの在り方で

意識はそれを追い立てるのではなくて 命に寄り添っているくらいでちょうどいいのではないか と。

そんな風に思うようになったのは 年齢が高くなってからですが、

もっと若い時にこのことに気付いていたら、

自分にも無理をさせすぎたり、寝不足で疲れ切って ビタミン剤やサプリを飲みまくったりせず

普通に元気でいる時間をより多く楽しめるのではないか と 思います。

やってみたい魂は体験して知るんですけどね。

 

今の若者たちは 親や祖父母の向上欲に追い立てられる生き方を見て そのデメリットも知り

別の生き方を模索していると思います。

いろんな方法やいろんな過剰やアンバランスは やってみてその実態を知るんでしょうね。

人類は何世代にも渡り、生き方を学んでいます。

旧時代の方が(資源も沢山あり)豊だったかもしれませんが、

無くなって初めてそのものたちの価値を知る ということもあるでしょう。

未来は高度なより洗練された意識の発達を遂げるでしょう。

全ての経験が全部、無駄にはならないのです。

この世界が 沢山の愛で満たされますようにheart01

雪割草

思いは現象化するという物理法則

意識の波動が現象界に影響を与える ということが物理学で証明されるようになって、引き寄せの法則は

怪しい話ではなくなって、成功哲学でも語られるようになって久しいですね。

今は本だけでなくYoutube動画でも沢山見るようになって更に一般常識の仲間入りをするようになりました。

で、

問題は 具現化する意識の持ち方 なんですが

これもあちこちで解説がなされて 内容を理解する方もとても増えてきました。

今の意識がこれから起きることを作っていく というやつです。

私は幸せです とか

私は豊かです とか

私は恵まれています とか

私の願いはいつも叶う というのもそうですね、

これは 思った者勝ち の法則です。

根拠は要りません。

そう信じている人がその結果を手にしていきます。

そう、根拠も実例も必要ではないのです。

実際は いくらかの成功体験などがそういう意識を作りやすくすることは事実ですが、

それがなくても そうなりそうな気がする というだけでも充分なのです。

ただ、多くの人々は「まだ成っていない」を先に採用してしまいます。

また、ネガティブな体験の方が心に残りやすい方は どうしてもそちらを強化してしまいがちなのです。

ものは考えようですから 一つの出来事のネガティブな面だけを見るよりも

なにか起きたら 必ずポジティブ面も探してみるといいですよ。

決して ネガティブしかない ということはないのです。

これは本当です。

 

私が すごいな と思ったのは、

仏画の注文をしてくださったお寺の奥様とお話をした時のこと、

そのお寺が火事でご本尊が焼けてしまって、ご本尊が居ない状態なので 代わりに仏画を描いて欲しい ということだったのですが、

お話を聴いている時に 奥様が

「でも、焼けたのがうちだけでよかったんです。近隣に類焼していたら大変ですが、そういうことがなくて本当によかった」と言われたんですね。

ああ、素晴らしい意識の方だなぁ と 思いました。

また、別の方で「私は物事を悪く考えることはないんだ。人生ずっとそうだった」とおっしゃる年配の男性、

「車で事故にあっても、この程度で済んでよかった。厄落としだな って思う」という方も とても人生楽しそうで

お金にも全く困ったことが無い と言っておられました。

お金への意識を変えるのは 私も苦労しました(笑)

長年の癖がでてしまいますからね。

充分足りてます に設定するにはかなり工夫が要りました。

 

どういう風にするかというと、OKの基準ラインを下げるのです。

満足のレベルを下げる。 少欲知足 

「こんなんで満足しろというの?」 という話ではありません。

意識が現象化する観点で物事を見ると 喜んでいる方がお得なのです。

 

屋根のある所で寝れる とか 布団で寝れる とか

冷蔵庫に食品が入っていて明日の食べ物に困らない なんていうのは 幸せ ということでもありますし、

何だっていいんです。それを幸せheart01と喜んだことで 次の幸せが起きるわけですから。

ただ、無意識層の意識も具現化されるので ここをどう浄化するかが大きな問題だったわけですけど、

ELM瞑想がこの無意識層のお掃除を進めてくれるのでELM瞑想をずっと続けている人はどんどん浄化されていくわけです。

 

もし ELM瞑想を長く続けているのに ネガティブ思考が一向に取れない という方は、

そのネガティブ思考があることによって 何らかの大きなメリットがあり、それが手放せない ということもありますので

その辺が明らかになってきた時に大きな浄化が起き、そしてクリアになっていきます。

 

それから、 以前よくあったパターンですが、解放を恐れて瞑想を止めてしまう とか 

自分の感じている事と向き合わずに逃げてしまう という場合は 浄化はなかなか進みません。

でも、そのパターンはかなり苦しいと思いますので、悩んでいるくらいなら 当サロンにご相談ください。

 

人は前に進みたくない時に悩んだり逃げたりしますが、

人生の課題は どうやらさけては通れないようですので、苦しい と思った時はジタバタせずにただ過ぎ去るのを待ってみましょう。

結果をお任せですよ。(エゴは抵抗したがるでしょうが)
 

自然が出す答えは度肝を抜かれることもおおいですが、流れを最後まで見てみると、その完璧さに驚きます。

ですから 私はできるだけ 手を出さないことにしてるんです。 眺めていればわかります。

こだわりが無いほど おおらかに見守れますよ。

怖がらなくて大丈夫なんです。

不必要なものは去り、必要なものしか残りませんから。

この世は エゴの思い通りにはならず、自然の摂理通りに運びます。

意識を変えたい人

意識を変えるにはどうしたらいいのか問題について考察してみます。

たぶん 問題は、ネガティブな思考の癖です。

長年の癖ですから自動的に出て来てしまいます。

それを悩むのはいい方法ではありません(笑)

癖を意識的に変えていきます。。

気が付いたらすぐに修正していきます。

ポジティブに変えようという意図があればできます。

それができないと思う方は たぶん、変えたくないのだと思います。

なぜでしょうか?

変えない方が 心地よいと深層心理で思っているからです。

ずっと守ってきた自己イメージを変えるのは居心地が悪いのでしょう。

真新しい綺麗な部屋より、散らかった住み慣れた部屋の方が居心地がいいのと似てます。

綺麗なのが好きなら最初からそうしてます。

率先して片付けお掃除します。

しないとしたらどうしてでしょう?

ゴロゴロ、ぐうたらが心地よいのです。それも贅沢な時間の使い方 かもしれません。

片付け好きと散らかし好きは、なかなか互いに理解しにくいですが、

どちらにもメリットがあって、どちらを選んでいるかの違いにすぎません。

あなたはあなたの心地よさを選べばいいだけです。

ただ、違う嗜好の人と共存する場合は、気を付けて互いに尊重するようにしないといけませんけどね。

譲り合う というよりは、尊重し合う と 思った方がいいように思います。

だって、相手にとってはそれがベストなんですから。

どちらの価値観を押し付けても うまくいきません。

住み分け というのも必要でしょう。

自分の価値観を頑なに固持していたら、自分が心地よく居られる場所は少なくなります。

自分が 許容できる範囲を拡げると、どこでもリラックスしやすくなります。

それは自分を曲げる ということではありません。

そもそも硬くないですから、曲げるも何もないのです。

意識を 違うものにするのではなく、なにものにもとらわれない柔らかい心にするのです。

これはカルマが無い状態 とも言えますね。

カルマは 摩擦のエネルギーです。

カルマのエネルギーは瞑想で解放、浄化されてゆきます。

出てきたカルマは、ただ手放せばいいだけです。

ああ、今、出て行ったなぁ と。

過ぎ去る嵐を ただ見送るだけでいいのです。

嵐が起きたって 何の不思議もない。

起きる時は起きるのですから。

感情もね。波立つ時は波立ちます。

そしてまた静かになる。

生きているのだもの。

え?波立たない心になりたい?

それは無理かなぁ、、

ただ、意識が大きくなると多少の波では揺らがなくなりますよ。

瞑想で起きるのも意識の拡大です。

意識はね、ミクロにもマクロにも自由自在なんですから note

海

1人で なかなかうまくいかない~ という人は、瞑想教師とお話してみませんか?
きっといいヒントが見つかります。

瞑想セッション、カウンセリング、は

オンラインでもお申込みいただけます。
まずはお問合せくださいませ

自我の意識と真我の意識と瞑想

私たちの意識を、大自然と対照的に

マクロからミクロへ視野をフォーカスしていくと、

個人的な世界観に入ります。

他者も知らない 私の世界。

実際は、自分も気付いていない、私の世界観。

それは意識的に作り出したようで、それほど意識的ではなかったかも。。

偶然か宿命か、ここに生まれて、出逢ってきた人々、出来事。

それは個人の意思とは関係なく与えられた環境、ご縁です。

その中でいろんなことを体験し、なんらかの反応も体験します。

感情の解放です。このあたりはとても微妙で、いろんなことが微妙なタイミングで起きることによって体験も変わります。

体験はそれぞれに与えられます。良きにつけ悪しきにつけ。

その中でもどう反応して どんな結論を選択するか が 徳(愛)だったり業(カルマ)だったりします

徳(愛)はプラスの波動

業(カルマ)はマイナスの波動

これが積み重なって 人々が持つそれぞれの波動が決まります

色んなタイミングは本当に微妙なものですが、微妙さが縁を織りなす中で、私たちは導かれるように何かを掴みます。

そう、この自然の法則に気付くまでその流れのただ中にいるのです。

嵐に揉まれる大海の小舟のような自我の意識。

そこから、瞑想状態に入りますと、自我から離れた真我の意識の領域に入ります。

この意識を体験したことが無い という方はまだ自我の意識を手放した状態を認識されていません。

何もかも手放して委ねる 自我の意識が消えた状態になりますと、

ただの認識だけの真我の状態を経験します。

瞑想を始めて間もないうちはまだ自覚できずにいるかもしれません。

でも、瞑想に慣れてきた頃、誰でもない意識になることを客観的に認識できるようになってきます。

安心しきって瞑想状態に身をゆだねることができるようになった時起きますので、最初から体験する人もあれば、何年か越しでやっと体験する人もいます。

邪魔しているのはカルマのエネルギーです。

緊張や不安感がそれです。 思考がグルグルします。

特に不安でもないけど 思考がグルグルする という方もいます。

これは不安という自覚は無いけれど、自分にリラックスを許していない方に多く起きます。
頑張らなければダメだ という考えの方に多くあります。

瞑想は頑張ってするものではありません。

何も掴まないニュートラルな状態に自分を放置します。

そこでは最初は様々な反応が起きるでしょう。

あれこれ、思考が湧いてきたり、ムズムズ、モソモソ、落ち着かない とか。

これは解放期ですので放置しておきます。

出るものが出たら治まります。

瞑想に慣れた頃、自我の意識は瞑想に意味を求めだします。

もし、意味が欲しいなら作ったってかまいません。

健康になれるから とか よく眠れるようになるから とか 

疲れがとれるから、集中力が増すから、良いアイデアが浮かびやすい、

パフォーマンスが上がる とか

色々あります。

でも、一つのものを信じ込みすぎないでください。

トータルで上がっていきますが、好転反応で 溜め込んでた疲れがどっと出てしまう なんてこともあるのですから。

自分の疲れを誤魔化している人は要注意。必要な休養はどこかで清算されます

無理ができる自分が理想形なのではありません。

本来の自然体が持つ安定性へと導かれます。

真我の意識を自覚するには緊張から離れなければなりません。

緊張はフォーカスです。

リラックスがマクロへと拡がる基本なのです。

リラックスは無防備ではありません。

感覚が研ぎ澄まされたパラボラアンテナのような情報網拡大の状態です。

それは超能力に近いものかもしれません。

パラボラアンテナ

真我と自我

自我の意識と真我の意識、何が違うのだろうと違いを考えてみました。


自我の意識は『コントロール』を司る役目があります。
いろんなことを意思でコントロールしていろんな体験を選択していくんです。
どうしたいか、取捨選択していくんですね。自主的に選んでいく、特に都合の良い方を選んで。
良し悪しの基準は、それぞれに違いますが。

真我の意識は コントロールを目的としていません。単なる認識です。
とても感覚的とも言えます。感じ取って認知する。

そこには判断は入っていません。

判断し始めるのは自我の意識です。
思考そのものが自我の意識

私がこれを書いているのも、マインド(思考)を使っているので自我の意識 ということになるでしょう。
目的を持っていますからね。ブログを書く という目的です。

何かについて語る時は言葉を使う以上マインドを使わざるをえません。
ただ、内側に移る景色を写し取る作業はマインドではないのですが、
理屈で考えている時はマインドです。

写し取ったもの(リーディング的なこと)つまり
ユニバースとアクセスしてのチャネリング とか
波動を読み取る作業は真我にしかできませんが、
その文章が的確に表現されているか とか、誤解を受けないか、とか
効果的に伝わるか などの判断はマインドがします。

人間は肉体がある以上、自我の意識を消すことは不可能に近いのだと思います。
肉体を生かす というお仕事がありますから。自我は肉体の意識です。

真我は魂の意識。

マインドは自身を維持するために必要な意識です。肉体がある以上切り離すことはできません。
マインドがなくてはお料理も食事もできませんしね。

マインドは文化的な生活をする上でも不可欠な要素です。社会に適応する能力になります

ただ、マインドが力を持ちすぎて、自分自身をコントロール、支配下に置いた時、
真我の自由性は失われます。

エゴの肥大 と言いますか。自分自身をもコントロール支配しようとするのです。

本当はそんなこと心地よくはないのに、それが良い事だと決めこんで
行動を制限したり、強制したりするのです。

これは困ったことに気が付くとこの構造が出来上がっていたりします。

でも、その事に気付いた時には、
自分を自由に戻すこともできますので
安心してください。

現代社会はマインド無しに生きていくことはむずかしいです。
でも、マインドに支配されずに生きていくことは可能です。

あなたが真我の意識、『どう感じるか』を大切にし始めると

あなたは本当の望みを見つけることができます。

更に、本当はどうした方が良いのか という答えも見つかります。

ハッピーに感じるものを選んでください。
 

そして、それを邪魔する意識があったなら、それがカルマのエネルギーですので
そこを、理解し、解き放ってあげましょう。

カルマはただ、手放せばいいのです。

味わって、そして手放します。
それだけなのです。

ダブルレインボー

 

幻想 その2

幻想は良いにつけ悪いにつけあります。

それはどちらも摩擦の種になります。

ある先生の体験。

その方はカリスマ性もあって多くのファンがいました。

その方の話を聴いて人生が変わったという方も多く、沢山の人に尊敬されていました。

その方の発信する内容は、愛と真理がいっぱいでしたので、

とても優しい人柄に見えますし、その言葉が自分に向けられているかのように感じるので

そこに愛と包容力を見ます。私を愛してくれている ように感じてしまいます。

(その方は全ての存在を愛しているのであって特定の個を特別に愛しているわけではありません)

ただ、とてもユーモアに溢れ遊び心と人を引き付ける個性をお持ちで 明るく前向きな発言で沢山の人がその人を大好きになるのです。

でも、ご本人はそれをそれほど好ましいとは感じておられませんでした。

それは、ある意味誤解だと言うのです。

好きになる というのは 好きになる側の理想や幻想を通して 

その人がまるで自分の理想であるかのように錯覚して好きになる。

そして、近づき、理想でない部分を見つけて 怒りを向けてきます。

「そんな奴だとは思わなかった」 とか

「だなしたな」 とか言うのです。

騙したも何も、最初からずっと このままだっただけで、誤解したのはそちら・・・ というわけです。

カリスマ性を利用したお仕事、インフルエンサーは

ある意味そんな誤解の上に成り立っていたりしますが、

名前が有名になればなるほど、ファンとアンチが増えるのはそういう理由です。

ファンの愛は、理想が剥げたら消えます。

酷い時は好きの度合いだけ恨みを持たれたりします。

差し出したエネルギーを返せ とでも言うように。

勝手に好かれたり嫌われたりするので いくら前向きな性格でも傷付くこともあるのでしょう。

でも、人とはそういう生き物だ という理解も得ます。

この、ファンの立場 を経験したこともあります。

尊敬していて関心がありすぎるあまり、話題にだしてしまうのです。

見聞きしたことだけでなく、推測や想像を盛り込んでしまうこともあります。

自分がそれをされたらものすごくイヤなのに。

される側の立場も多少経験しました。

友人に何かネガティブなこと(当時不安に思ったこと)を言った時「あなたはそんなひとじゃないはずだ」なんて言われて

そんな人じゃないはずだも何も、私は私なんだよ、何だよそれ、 って思った(笑)

良く見られる ということは、その分、その理想形を崩した時のダメージがある ということで

本当の自分ってなんだろう・・・? なんてことになります。

 

本当の自分はエゴも真我も、ポジティブもネガティブも全部あるのが人間。

そして、その部分だけしか見ない とか 部分だけしか愛さない というのは無理があるのです。

表裏一体ですからね。

そう、1つの真実(全部ひっくるめたそのもの)しかない。

そしてその全部をすべて把握する事も不可能なのです。

この世界はあまりにも大きなものだから。

ただ、全てを包み込む愛だけがそれより大きくなることは出来るのだと思います。

 

 

幻想

あなたの見ている世界は、あなたの解釈が入ったあなたの世界観です。

それが幸福なものであるなら 何を付け加えることもありません。

あなたが幸福であることがユニバース(神)の喜びです。

でも、難しいのは自我のマインドです。何かと不服を言います。

足らないところを見つけるのがマインドの仕事です。

マインド(自己防衛システム)が働きすぎると必要以上に不快を感じます。

それとトラウマ。ショッキングな出来事。

あなたの記憶では摩擦が大きいほど、心に傷を作ります。

心は不思議ですね。本当は存在しないけど、イメージで存在させます。

あなたがそのイメージを持っている限り傷が存在するのです。

 

もし あなたの心の傷やダメージを消したいと思うなら、あなた自身がその傷を癒してください。

それができるのはあなたと愛だけです。

そう、愛もまた 実際は物質としてはそんざいしませんが、あります。

愛はエネルギーです。それは受け渡しができます。

摩擦も受け渡しができますが、愛も受け渡しができます。

傷を癒すのは愛なので、愛の交流を沢山行ってください。

一方的に受け取るだけでは途絶えてしまいます。だから流さねばならないのです。

あなたが多くの愛を外に出すことで あなたに多くの愛が流れ込みます。

それはあなたの傷をいやすのに十分な愛の量です。

足りないと感じる場合は、どれだけあなたが愛を出してきたかを思い出してみてください。

挨拶のように愛が溢れる日常を。heart01heart04 

あなたが源ですshine

コスモスに囲まれて

世界観と世界

人はそれぞれに違った世界観を持っています。

みんな、自分が見ている世界だけがあるように思っていますが、違うんです。

1人1人、それぞれの認識する世界は違っています。

世界に対するイメージが違うのです。

それは、見たものに自分の記憶や解釈や意味付けをしたものを世界と思っているからです

実際に起きることは一つなのですが、それに色んな意味付け、それぞれ違った意味付けをしてしまいます。

それは、ではなく  無意識に起きます。

自分(自我)の気持ちが収まりのいいように。(納得しやすいように)

自我の理屈に合った世界 として認識したいのが人間です。

自分と似た認識(世界観)の人と一緒にいると落ち着きます

違和感がありませんから。

でも、自分と違う認識の人と一緒にいると驚くことが出てきます。

「えっ?」何それ、どういうこと?

ちょっとした刺激になります。

びっくり、へぇ~ って言ってるうちはいいんですけど、

その刺激に 受け入れられない という抵抗が生じるとイライラして 怒りだります。

これがストレスです。

イライラ、ムカムカ、

そして相手が悪い人に見えてきます。

ただ世界観が違うだけなので相手はキョトンとしてます。

何を怒っているの?なんかマズイこと言ったかな? なんて思ってる

そう、それは相手のタブーに触れちゃったんですね。 自分は知らない相手の禁忌事項(ルール)に。

ルールは一人一人ちょっとずつ違うのです。みんな違う。感じ方が違いますからね。

これが対人関係の摩擦の原因なんですが。自我はいつも自分中心の世界を見てる。

あなたがルールを沢山もっているほど、ストレスは増えます。

世界は、誰かの意図と関わりなく、ただ存在しているだけで

しかも、意味はありません。

一部の人はそれをコントロールしようと躍起になっていたりしますが。

権力などを駆使したりして。

でもね、

皆、多かれ少なかれ無意識にただあるように存在しています。必死になっている人すらもです。

誰かが一生懸命ルールを作ってルールを守ることで摩擦を減らそうとしても、

無意識の摩擦は起き続けます。

それはただの反応です。そこに良いも悪いも正しいも間違っているも 本当は無いのです。

ただ、事が起きているだけなのです。

もし、そこに意図を持ち込もうとしたら、

「だったらどうするのよ」なんて思うかもですが、

何もしません。

自然は 自然に淘汰していくものですから。

博多湾

 

拡がる意識

温かいお正月を過ごされましたか?

お仕事だった方もおられるかもしれません。

どんな風に過ごしていても時間は過ぎ、日付は変わっていきます。

そして、年を越してもやはりいつもと変わりなく毎日が過ぎてゆきます。

良くても悪くても刻々と変化していく世界

それが諸行無常です。で

日常は 何かが起きるとあたふたしたり騒いだりしますが、

何もないとそれはそれで物足りないというか 退屈してしまうようです。

平和がいい!と多くの人が思っていますが、何かの事情で出来ていたことができなくなったりすると

困惑したり凹んだりするかもしれません。

それは、長い目で見ると全ての人に待ち受ける宿命です。

何かできるということはとても幸せなことでもあります。

 

それでも、忙しすぎる人には刺激のない静かな休養の時間が必要で、

何もない人には逆に刺激や軽いストレスが必要だったりします。

緩急のバランスが大事ですね。

 

今日、入院中の方とお電話で話をしたのですが、

その方は認知症もあって、自分が病院から出られないことをとても悲しんでいました。

なぜ自分がそこに閉じ込められていて一歩も外にだしてもらえず、家にも戻れないのか ということを悲しんでおられました。

今、病院はコロナの影響で入院患者さんは外出できず、面会も許可されないので本当にお気の毒なのですが、

認知症でそういう理解もまたすぐにわからなくなってしまわれ「どうして私は・・・?」となってしまうようでした。

そういう時は、今を安心できる方向に促します。

今回はお話を聴くだけでも気持ちが落ち着かれるのがわかりました。

人とのコミュニケーションは大事ですね。

お見舞いは、会えなくても電話でお話するお見舞いもあると思いました。

普段は1人が気楽だ と思っている方も、実は一人ではなく、多くのご縁に繋がって生きています。

繋がりが途切れたように感じると孤独を感じるものですね。

 

その昔、私は孤独恐怖が強いことがあったのですが、その孤独は、『孤独の幻想』でした。

当時の私は、自分には価値が無く見捨てられるかもしれない という恐怖が孤独を恐れていました。

でも、実際はそうではなかった。

みんな、というか、とても多くの人々は自分にしか興味がありません。

自分の家族も友達も 私自身も、基本的にそうなのでしょう。

で、繋がりは自分のためにあると思っていたりします。

相手がどう反応するかは自分にとって都合かよいかどうかを確認するためのものだったりします。

本当に、相手が幸せであることを心から望める 愛 というところから見た時、

そこには全くの見返りを期待しません。

相手が幸せであることを喜ぶのですから、それが自分の下を去る選択でも、

「良かったね!」と言えるのです。

その状態の時、人は 愛として存在するので、そこに自我の都合がありません。

そして自我の不安も無いのです。

それが、愛の至福です。

宇宙くらい大きな意識なので 塵のような不安はもう見えません。

蓮ピンク

ページ上部へ