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生き方

本当に大切な体験

昨日ランチタイム瞑想会で生徒さんとお話している中で

瞑想マスターのボブの言葉が話題になりました。

個人セッションでボブと話された時に 

子育てに関して どういうところに留意して思春期の子供を育てればいいか?

という質問をされ、そのボブの答えが

「自立させて生活力をつけることと、自信を持たせることが大事です。」といわれたそうです。

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これは大人にも言えることです。
 

誰かに依存しているうちはそれを失うことを恐れ、

自由に羽ばたこうとしなくなります。

自分で自分を守れる自信が無いのです。

自立するということ、自分のことを自分でできること

これは生活の技術でもあり、経験値によっても変わります。

体験はとても重要です。好ましいものだけが大事とは限りません。

困った時にこそ、智恵が必要になってきます。

だからこそ体験が大事です。

必ずしも上手である必要はありません。

失敗にこそ学びもあります。

 

誰かにしてもらえなくても自分でなんとかやっていけること。

日々の日常、身の回りのこと、情緒、経済

今 なくても 準備できるということ

新しい状況に対応する柔軟性と勇気

いくつもを同時に手に出来ない時、どれかを選択する勇気

自分自身にとって 一番大切なものは何かを見極める賢明さ。

合理的でなくてもいい。納得できることが大事。

あなたが本当にしたかった体験とは何なのでしょうか?

それはあなたの真我以外の誰にもわかりません。

今をしっかり味わった時、 それは朝日のように昇ってきます。

雪の中の樹

五月の陽気

このところすっかり暖かく、、というより少々暑くなってきましたね。coldsweats01


虫干しと写真撮影を兼ねて、倉庫の絵の整理をしていました。

いつの間にか物が増えていて、出し入れするのが大変。

(;^ω^) むむ、 断捨離せねばなぁ~。

額や作品は捨てられないので、何を断捨離するかというと、クローゼットの中の着ない衣類。

物持ちが良すぎ&もらったものを活用する という習性から、なかなか捨てられない。 これはカルマの一種かな!? typhoon 

カルマだな。。。母の貧乏性が刷り込まれています coldsweats01

誰か着られる人に譲ろう。もしくは古着屋さんに持っていくべし。

 

でも、流行に左右されず物を大切にすることは全然悪い事じゃありません。

対策は簡単。使い捨てや無駄な消費を止める、必要以上の物を貯め込まないこと、

余計なものを買わない 在るものを大事に長く使う 

これは

これからのアセンション後の新人類には必須のこと と心得ております clover

 

資源を大切に分け合って使う。

無駄を出さない。

便利よりもエコ。

素朴で自然な生き方

自然との共存。

それが新しい生き方として見えて参りますね。

 

何かを失うことを恐れず、

自然の流れに沿って 与えられるものを大切に。

 

生きているという感動と愛を感じてみましょう。

命もshine愛もheart01 他ならぬあなたの中に灯っています。confident

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信じている世界

まだネガティブから離れられずにいる方へのメッセージです。

あなたの中のネガティブな思い 頭の中にあるネガティブな記憶は

今は存在しない 過去の幻影です。

そのイメージがずっとあなたにその景色を見せ続けています。

あなたの世界観にあなたのイメージを投影した世界です。

 

今、世界中に拡がっている不安や恐怖もそれです。

コロナウイルスを拡げないことは必要な事です。

でもそれに不安や恐怖を持ち込む必要はないのです。いや

くっつけてはいけないのです。

冷静な判断ができなくなり 無駄のパニックを起こしたり、

ストレスを増大したり、免疫力を落としたり

良い事は何も起きません。

私達に必要な事は、最適なことをするのみです。

怖れから事態を悪化させるのは愚かなことです。

それに気付けなくなる不安は 破壊的なエネルギーを持っています。

必要な事は 冷静に観察し、何が本当に必要なのかを見極めることなのです。
そのためには 中途半端な情報で狼狽えるのも愚かしいし、
イライラして喧嘩したり、我先に物を奪い合って更なる不安を創り出すことも愚かしいことです。

不安に煽られない自分でいることは 瞑想者にとっては難しい事ではないのです。

いつも瞑想で 真の自己と向き合う時間を持ち続ける人は

立ち止まって見ることができるようになるのです。

より 静かに。

より 何物にもとらわれずに

真実を 見つめることができるようになる。

 

それは ブッダの眼差しでもありましょう。

あなたの中にある 仏陀の眼を目覚めさせる瞑想

それが Eternal Love Meditation ELM瞑想です。
修行僧にならなくても 本物の瞑想ができます。

激動の時代を 明鏡止水の心で アクティブに生きる

それは可能です。瞑想と共に。あなたの人生をあなたらしく、

命を輝かせてください。

思い通りでなくても、何も思い通りになどする必要がないことに気付きます。

出来事の一つ一つが それを私たちに教えてくれるようになるのです。

私はそれを 師匠のボブ・フィックスに教わりました。

深遠な宇宙の原理 私たちの世界の本質を知っているマスターです

 

 

ボブ・フィックス氏のリトリートと瞑想会は5月にあります。

チャネラーとしても世界的に有名なボブの個人セッションも見逃せません。
あなたに必要なメッセージをお受け取りください。

詳細情報は画像をクリックしてください。

 

ボブ・フィックス壱岐ソーマリトリート

ソーマリトリート

 

ボブ・フィックス福岡瞑想会

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ボブ・フックス個人セッション

ボブ

静かに進むアセンション

意識の進化 アセンションは 革命とは違います。

植物のつぼみが温かさや光の刺激によって目覚めて花開くように

それぞれの体内 心の芯部からの衝動のように起きます。

そのために必要な事は、被っている雪が溶けること

つまり 心や体に積もっていたカルマの雲が外に出て内側からなくなってしまう という前段階があります。

今、まだ心の中に苦しさを抱えている人は その原因と戦わないでください。

それはただ感じて そして出て行きます。

あなたが苦しいのは誰かのせい などではないのです

あなたが 体験に抵抗する時 苦悩が生まれます。

その苦悩や原因と戦おうと思っている間は その苦悩とずっと付き合わねばなりません。

排除が唯一の解決法ではないのです。

 

あなたの意識がその出来事を越えた時、

あなたの意識は出来事を包む愛になることができます。

その意識はもうその出来事を苦しむことはなくなります。

あるがままを愛することができると、あなたの中には愛しか存在しなくなります。

 

「いやいや、あれを愛するなんて無理」 と思いましたか?

愛とは「好き好き大好き」のことじゃありません。

その存在をあるがままで良しとすることです。

「そうなんだね、それが君なんだね」と受け止める

それが真の愛なのです。

とても簡単。

 

もちろん、危害を加えてくるものからは防御します。

でもそこには敵意はありません。

ただ、私たちは自分の身体を護ることも基本の愛 ですから、

危害を加えてくるものとは衝突することもあるでしょう。

迷わず、ご自分の身体を護ってください。

攻撃してくるものを嫌悪する必要はありません。

それはそれであるがままを生きています。

ただ、あなたは自分の身体を護り、愛する家族を護ります。

そこに恐れや不安や嫌悪、敵意、そして罪悪感は必要ありません。

 

あなたはただ愛としてあるがままを生きるだけでよいのです。

もしあなたが誰かを害すれば 防御のための反撃を受けるでしょう。

それは自然な事です。

あなたはまず自分自身を愛し、そして周囲に愛の眼を向けます。

あなたがそうしたければ、自己犠牲を払っても構いません。

でもそれはあなたがそうしたいからするのです。

誰もあるがままに生きられます。

存在

先日、Facebookで見た日経ビジネスの記事で大変興味深いものがありました。
京セラの名誉会長の飯森和夫氏の語った言葉が話題になっていて

それは瞑想者にとって重要なポイントと同じなんです

 

そう、この視点は、悟りの 無我 を意味します。

ぜひこの記事を読んでみてください。

飯森和夫氏の画像をクリックして頂くと日経ビジネスの記事に飛びます

京セラ飯森和夫氏のサムネイル画像

 

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福岡で瞑想を学びたい方は アトリエ霽月においでください。

瞑想がこれほどに身近な体験であることに驚かされます。

簡単に空を体験できるELM瞑想は ほんとにすごいです。

スピリチュアルは内側にあります。

等身大

多くの人々はスーパーマンや超能力者になることを夢見ています。

悟りとは すごい能力が得られることじゃないか

と 思っている人がいたりします。

それは、違います。

自分にある要素しか伸びません。

 

多くの勘違いは 自分に向いていないことに一生懸命取り組もうとすることです。

憧れだったり、それが素晴らしい事だと信じて

 

自分の得意な分野は もしかしたら地味にみえるかもしれません。

そんなこと 収入に繋がらないんだよ なんて思う人もいるかもしれません。

 

でも、本当のあなたの才能は それが開花するとあなたを生かすのです。

 

例えば 私、絵は人より上手だったかもしれません

料理を作ることも好きでした。

でもそれ以外は 全然上手にできません。

足らないとこだらけだと感じていましたし、そんな自分は嫌でした。

生きることが苦しくて 瞑想を始めたら、それが面白かった。

自分の悩みが少しずつ消えていくのを実感しました。

もっとやってみたくて 続けているうちに

詳しくなって、教師の資格が取れてしまいました。

今はそれが私を養っています。

 

絵は、他の事を何も考えずにそれだけをずっと続けていたら

それはそれで十分に私を養ったかもしれません。

でも、今は そういう人生は通って来なかった。

できなかったんです。

そう言いながらも、絵を描くことも収入の一部になってくれます。

今の時代は 芸術家には生きにくい時代でもありますが、

成るものは成るし、成らないものは成らない

成るようにしかならない。

奇跡は起こるかもしれないし 起こらないかもしれない。

そんなことは自分で決めることではないから手放しています。

 

それと、

努力というのも才能の一つだと思います。

コツコツと努力をする才能は、ある人はあるし、無い人もあります。

でもそれは 向いていないことをしている時は 続けられませんから

もしかしたら、別の所に才能がある ということかもしれません。

一つのことに突っ込まない、広く浅く物事と関わるタイプの人がいます。

このような人はコーディネーター向きだったりします。

どんなことも才能です

そして、いろんな条件やいろんな気持ち、いろんなカルマが重なって

人生を作っています。

 

感情をのぞき込むと 心がシャットダウンしてしまうこともあるでしょう

無理にえぐらなくてもいいんです。

瞑想は あなたの心の引っ掛かりを 流して解放してくれます。

あなたは、自然にあなたのままであなたの才能を生きることができるようになっていきます。

瞑想をしない間は苦しかったことも、

瞑想をしていくうちに苦しさが消えてなくなっていきます。

 

あなたは自然にあなたらしく生きることを楽しむようになります。

何ものにもとらわれることなく、

何者にもなろうとしなくても 十分に幸せであることを発見します。

 

だから、自分も他人も 裁かないでください。

愛は本当に世界を癒し、カルマを溶かしてしまいます。

 

愛の発信源になる ということが 私の才能

ある日それに気付きました。

それは人間が持っている本質です。

 

自分のあるがままを愛せた時、

世界をあるがままに愛せるようになります。

 

何もなくても十分に幸せです。

自我と真我

真我の意識は見つめています。

あなたの生を見つめています。

 

自我は理想を求め

人生を整えようとします。

おぼろげに見聞きしたもの、体験した出来事の中から

好ましいと思われる基準を模索しながら

自分の人生を理想的なものにしようと

日々努力しています。

 

理想として採用している基準が 正しいとは限りません。

最初はその環境の中で有利に生き延びるために必要な事

優越感 お得感

自分が快と感じた出来事

教育されたこと

親が喜ぶこと

賞賛を得られること

欲を満たせるもの

正しいと思えるもの

 

でも、ある日気付きます

頑張っているのに なぜ幸せに手が届かないのか?

 

私たちは人生の迷子になってしまいます。

 

仏教では この状態を 無明 と言います

 

知らず知らず幸せから遠のく努力をしてしまっていた

何が間違いで何が正解なのか

もがけばもがくほど 幸せは蜃気楼のように消えていく・・・

 

もうその方向性が幸せへの道ではないことは わかり始めています。

 

真我は この世界の歪みに気付いています。

居心地の悪い歪みは どうすれば解消されるのか

 

自我は表面だけ見ていますが

真我は根底の問題に気付いています。

 

それは現代人に与えられた今の課題でもあります

 

あなたが真我を感じ取り 真実に気付くと

あなたの周りの100人も気付きます。

あなたがカルマを手放し

真実を生きるようになるからです。

存在の美しさがそこにあります。

蓮葉の露

 

政治とスピリチュアルの関係性

前回の衆議院選挙の際

れいわ新選組を絶賛応援しまして(笑)

周囲を驚かせたのですが、

 

私は、アートにしろ、思想にしろ、日常にしろ、政治にしろ

何もかもが 好きなものは好き、興味のないものは興味が無い

というだけのことで、それを隠したりするのが 超苦手なのです。

というか隠すという意識がありません。

アーティストは自分を表現する生き物ですから隠すよりはむしろ明らかにしたいばっかり。

そういや、昔「アーティストは精神的露出狂なんだ」とか言ってたな(^_^;)

 

特に 「これ、いいね!」と思ったら 即実行。即表現。

仏画を描く ということも

瞑想ってすごいね!と思った時もそうだったし、

温泉巡り最高~!って時も

マインドフルネスの師、ティク・ナット・ハン禅師の動画を見た時も 超ハッピー の発信源と化す・・・のであります。happy02

 

興味を引くそれらは、まるで磁石みたいな吸引力で私の眼を釘付けにしてしまいます。

 

何がそんなに? と 改めて考えて見ますと、

真実がそこにあるからでしょうか。

それらの純粋な波動たちは 見事に私を揺さぶってきます。

 

同じものを見ても そう感じない人もいるかもしれませんが、

それは各自のフィルターも関係しているので その方が見ているものを否定する気は全くないです。

むしろ違う意見があって当然。

とりあえず、私は私自身の感性を 少なからず信頼しています。

それが私の真実だから。

 

好きなものは好き 

 

それで、

話は最初に戻りますが、

れいわ新選組の在り方は、細かいところを見れば ツッコミたくなるところとかもあるし、それが100%正義!という扱いも違う と思っています。

ですが、概ね次世代の日本に移行する流れを大いに感じています。

やっとその突破口が来たか という感じなんですね。

 

今はそれを応援している人々の中には 前世代の価値観のまま

現状が気に入らないから変わって欲しいということで応援している人々もいらっしゃるのだと思いますが、

それでも、変化に伴って 新しい価値観に対する理解がじわじわと浸透していくことでしょう。

だって、これまでの価値基準で動けば、やはり権力闘争や奪い合いは繰り返すだけですから

これからの世界は 恐怖の支配ではなく

愛の統合に変化します。

そのためには恐怖から個を護れるのは自力だけ という幻想を捨てなければなりません。

つまり 信頼が重要になってくるのです。

信頼関係

違いは敵対の理由にならないよ~

 

価値観の違いも認め合えば 譲り合う余裕が生まれてきます。

完全否定すれば抵抗されるのは当たり前なんですね。

私たちにできるベストは何なのか

模索してる時代です。

変化の激動を恐れないでくださいね

全ては調和へ向かう道筋です。 

認識

私達は 自分のとらえ方によって多種多様の世界を体験することができます

ずっとひどい目にあってばかりの損な人生 か

何かが苦しい人生 か

何事もほどほどな人生 か

良い人に囲まれた 恵まれた人生 か

 

これらは 環境があなたに与える幸福量によって決まる のではなく

あなたが 出来事をどうとらえるか によって決まっていきます。

 

「え?そんなわけない!あの人は明らかに自分より美しくすごく恵まれた条件に生まれて来てるし、

あの人はずいぶんお金持ちの家に生まれて ずっと贅沢な人生を送ってる

明らかに与えられるものは違うじゃないか!神様は不平等なんだよ」

私にそう言った人がいました。

その人は自分がちょっと個性的な容姿のためにひどい扱いを受けている とずっと思っていました

十代の頃 学校でひどいいじめのターゲットになっていたのだそうです。

 

若い頃の体験というのは 実に理不尽なことが多いです

本人には何の責任もなくても 辛い状況に置かれることがあります。

 

どんな親の所に生まれてきたか

どんな容姿に生まれてきたか

どんな才能があるか

それらは選べるものではないからです。

 

でも、生まれてくる条件は千差万別で 良いも悪いもくじ引きみたいなもの なのかもしれませんが、

実は生まれてくる時の条件は 魂が選んで来ている と言われています。

 

魂は、あの世とこの世を行ったり来たりしているので、

今回はこの条件の人生をやってみよう! とチャレンジしに来ているのです。 

 

それは悲惨な体験も経験しに来ている というよりは

 

与えられた環境や条件をどう生きるか というチャレンジなんですね。

 

あるイケメン君は 生まれてこの方ずっと周りからチヤホヤされてきたので、人は自分を大事にしてくれるのが当たり前だと思って

人から上等な扱いを受けないと 腹を立てるようになっていました。

見た目だけで人から上等で丁重な扱いを受けていたその男は、年を取って容姿が衰えていくと 誰も相手にしなくなりました。

尊大で人を見下す性格は嫌われたのです。

とても恵まれた条件に生まれた者の陥りやすい末路です。

物事がうまくいかなくなってきた時は 自分の在り方を見直すチャンスです。

そのチャンスを 「俺様が大事にされないのは あいつの心掛けが悪いから」 なんて 自分以外の人を非難してばかりいたら

あなたは 人生を幸福にするチャンスを逃してしまいます。

 

これは男でも女でも同じこと。

 

また、自分が不幸なのは 全部自分のせい と 自分を責めて殻に閉じこもってしまうことを同じこと。

 

その人は こんな自分に生まれてきたのは 神様のせい と思っています。

 

違います。

 

どんな条件であっても その素材を生かすのがあなたの役目です。

「こんな条件じゃ 生かしようがないじゃないか?」と思ってやしませんか?

どんな条件でも生かしようも殺しようもあります。

素晴らしい条件があなたを輝かすのではありません。

困難な条件ほど あなたを輝かせるチャンスが沢山あります。

 

恵まれた条件を最初から持っている人は 魂を磨くチャンスが少ないのです。

 

つまり あるがままを受け入れて 幸せを手に入れるには

心を拡げる必要があるのです。

狭い心では幸せは掴めません。

広い心 つまり悟りの境地。

全てをあるがままに受け止める度量です。

これを掴むことができた人には 恐れや不安がありません。

 

物事を認識する時、そこに抵抗や摩擦(イライラ)があったら

あなたが 心を拡げるチャンスです♪

 

やり方がイマイチわからない!

という方は アトリエ霽月にご相談ください。

あなたと共に瞑想を通じて 悟りの心へとご案内いたします。

 

瞑想者の方は 気になることがあれば いつでもセッション受付けいたします。

何かにぶつかる時は シフトアップのチャンスです。

お気軽にご相談ください。

瞑想中

 

頭の中のストーリー

私たちは自分の意思で生きていると思いますか?

意識的にやっていること、無意識にやっていること いろいろあると思います。

自我の意識はいろんなことをコントロールしようとするので、

仕事や他人の行動はもとより、自分の行動や自分の体も意図どうりにしたいと思ってしまいます。

 

しかし、それをやっていると気付きませんか?

思い通りにはいかない いろんなこと。

ふと、いろんな意図を手放して眺めていると いろんなことに気付き始めます。

怪我をした傷を眺めていると、その傷を治したのは 自分の意思ではなく、身体だ ということに気付きます。

この体は 私の意思とは別に生きています。

身体は 私じゃないのか??  不思議な疑問が湧いてきます。

気持ちを裏腹に 身体が動かない  意図すれど出来ないこと、 意図せずに勝手に成ること

意図せずに 引き込まれる自分の運命・・・

なんだか不思議に思うことはありませんか?

私たちは 生きています。

いえ、生かされています。 この体は自然物です。

その身体に宿った意識が私たちです。

 

意識はいろんなアイデンティティをつかみます。

自分の存在意義です。

 

自分が存在していい条件を自分で設定してしまうと、

その条件を満たさない状況に陥ると、生きていることが許されないように思えてしまいます。

自分で作ったハードルです。

 

本当は自然界には そんなハードルはありません。

 

命は 発生して 生命を維持して いろんな体験をして そして老いてやがて自然に帰ります。

種が子孫を残し 永遠に紡ぐ生命のダイナミックスを想像してみてください。

私たちはその一端に過ぎません。

どんな体験をしたかったのでしょうか?

やって来る状況や宿命は私たちにはコントロールすることができません。

私たちはやって来る状況の中で生きているのです。

 

ただ、その風景の中を どんなふうに旅するかは自分次第です

あるものを見て、

「美しい」と感じるか、「なんだ、食べられないのか」と思うのか

「心地いい」と思うのか「退屈」と思うのか

イヤイヤやるのか 前向きにやるのか

逃げるのか 立ち向かうのか

感情移入するのか 傍観するのか 

 

なんだって自由です。

 

あなたの人生は あなたが作ります。

与えられる条件の中で あなたは何を選びたいのでしょうか。。。

 

人生を面白がって 楽しみませんか?

思い込みを手放すと 変化に富んだ 実に面白い人生です。

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