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生きる

台風一過

福岡地方、大型台風も去り、涼しさ満喫です。

私は四季の中で秋が一番好きですね。

スキーンとした空気、高い空。

集中力が増します。体もよく動く。

夏が終わるのが苦手 と言う方もおられるようですが、体感にも個性があって、それはどうしたいかとは全然別次元の問題ですよね。

身体が何を感じるか というのは 意図とは関係が無い。

そんな 感覚も与えられたものなのでしょうね。

私たちの身体や好みは 選んでいるものではなくて、与えられたもの

だから 自分自身の感覚もまた 自然の一部なのです。

自分自身に対して、こんなだったらよかったのにとかあんな風な人だったらよかったのに なんてことを思っても

自分もまた与えられた自然ですから それは文句を言ってもしょうがない というか ただあるがままを受け止める他ないのですが、

自我は色々望みます。

努力して何かができるようになることもまた人生の醍醐味だったりしますけど、

それが喜びや達成感で輝くならいろんなチャレンジは素晴らしい事ですが、

そのチャレンジが成功しなかった時 

その体験をあなたの人生の重荷のようにはしないでください。

それにはなんの良い事もない。

それは失敗だったからじゃない

あなたは全ての体験をあなたのために活かすことができる。

様々な体験はこの世界を広く理解するために役に立ちます。

失敗した時、うまく行かなかった時に感じる感情、人々の気持ち、その時何が起きるか

その時何が必要なのか あなたは体験を通して知ることができるのです。

うまく行くことだけが大切な体験ではない ということを 知っているあなたはとても強くて懐の深い大きな存在になります。

 

 

悟りを模索していた頃

まだこの瞑想と出会う前、

私は『悟り』というものに憧れていました。

心の中の葛藤や苦しみから解放されるという 悟り を体験してみたいものだ と。

先に心が軽くなった友人から「手放せばいいのよ」と言われるものの

「どうやって手放したらいいのかわからない~~ crying

という状態が長く続いて、悶々としていました。

色々、執着とか 依存 があったんですね。

依存は 苦しみを紛らわせる気休め みたいなものです。

苦しみや葛藤が大きいと辛いので、依存対象に気持ちが向いてる時は 苦しみのことを忘れられているので

心が苦しみで壊れるのを避けるために 起きる心の仕組みです。

これは無意識の領域で体が心をまもるために起こす現象です。

苦しみは 理想と現実のギャップで起きます。

こうしなければならないのにそうではない自分を許せない と言う時、

大きな葛藤が生じます。

こうしなければならない という事柄がどういうわけがガッツリ心に刻まれてしまった時

その考えを外すことができなくなります。

それは その事柄を守れないととても 大事なものを失う とか

自分の存在を認めてもらえない とか

愛されない とかいうペナルティがある と信じ込まされることで起きます。

そう、ある種のマインドコントロール。集団幻想の仕組みです。

エゴが作った社会で 集団的にその考えを採用してしまっています。

お金が無いと生きていけない  だから稼がないといけない

老後に2千万ないといけない だから 何が何でも貯めなきゃいけない

大学を出ていないと、底辺の生活しかできない。

だから何が何でも大学へ行かせておかなければならない。

そのためにお金を貯め込まなきゃいけない。

 

それは本当に真実でしょうか?

大学を出たけど やっぱり幸せでない人は?

高卒だけど、職人になって 才能豊かな人生を送ることもあれば、

農業に従事して会社勤めしない人もいれば、

敏感な感性をを活かして 占い師やヒーラーになる人もいれば、

個人事業主になって お金持ちになる人もあれば、

山奥で自給自足の生活をしてお金は稼がないけど幸せに暮らしている人もいる。

上記の人々でうまくやっている人達は 不安を選択しません。

可能性があること できることを一つづつ地道に形にしていくということを続ける人です。

そんなことでうまく行くわけない なんてやる前に思ったりせず、ちゃんとチャレンジする人たちです。

でも、しない人はなぜ、できっこないなんて思ったのでしょうか?

それはチャレンジするのが億劫だからです。

行動を起こすのはエネルギーが入るので面倒くさいです。

それに初めてのことはドキドキしますし、失敗を恐れていると腰がひけてしまいます。

失敗、そんなのやってみないとわからないことです。

1度の失敗で諦めるつもりなんでしょうか?

失敗は うまく行かないやり方がはっきり見える体験です。

そう、問題点をちゃんと体験できる機会。

経験しないとわからないことだらけですから。

その点では、本格的に取り組む前に その事柄のシュミレーションを沢山しておく方が効率がいいですね。

闇雲にチャレンジするのではなく、エクササイズ、プラクティス、そう、練習です。

事前に体験してそのことをより理解しておく ということが大事です。

もちろん、誰もやったことが無い初めてのことは、自分が初チャレンジなんですが、

軌道にのるまでの試行錯誤を惜しまない人がそれをちゃんと確率していくというわけですね。

それはもし、「これは本当にダメだ」 と潔く思えば手を引きますし、

可能性があるなら何度でも調整して再チャレンジしてみます。

この時に、カルマの感情(不安、怖れ、怒り、悲しみ)などに飲まれていては行動できません。

だからカルマの感情は常にお掃除・浄化する必要があるのです。

大きく成功している方で瞑想をしている経営者さんもいらっしゃいますね。

それは 狼狽える心を落ち着け、冷静な判断や洞察に 瞑想が有効だからです。

何より、心の中の苦しさが瞑想によって浄化されどんどん軽減されていくのです。

そして ついには 

なぜそのような自分を苦しめる思い込みに縛られていたのか という根本的な問題に気付きます。

 

そうか、思い込みに支配される必要はなかったんだ!

自分を苦しめ続けてきたのは他でもない自分自身だったじゃないか!

それって、独り相撲みたいなものかも!? え~~~ ((´∀`;))

そう思えたらあなたはもう自由です

あなたがどう思うかはあなたが決められるのですから。

思い込みを外す・・・初めてのチャレンジ でしたら ぜひ勇気をもって前進してくださいね。

あなたが行く道は前にしかありません。

過去は過ぎ去って頭の中にしかない ただの幻想なのです。忘れ去っても問題はありません。

できるならば、その記憶に感謝して 解き放ってください。

今から私は自由な選択ができます。

幸せなものを選択します。

私が今 幸せであることを選択します。

喜怒哀楽は日々移り変わるお天気のようなものです。

温かい日の光で 沢山の命に花を咲かせてください。

雨と泥を養分にして。ただあるがままの命を咲けばいいのです。

スイレン

お花は 笑顔 ってことですかね。

生きてるよ~ という証。

 

解放と光

暑いですね (;´∀`)

 

今日のブログの内容、どういうわけか、本文がアップされません crying

何度貼り直しても

アップしたら「暑いですね」 しか残らない (´;_;`)

こういうことたまに起きるのですが。

誰が何の目的でじゃましているのか

はたまた どういうテクニカルエラーがおきているのか

全く原因がわかりませんが、 

そういうわけで今日のブログは後日再チャレンジしてみます。

良い事かいたのになぁ~ ((;´∀`A

というわけで、今日は断念します。

エネルギーバランス

エネルギーバランス って言葉で何をイメージしますか?

成果よりも健康が注目されつつある時代になってきたので、健康状態のことを思い浮かべる方もあるかもしれません。

身体のバランス、それは自分で自分の身体が調子が良いか悪いかを感知することなんですが、

そもそも、普段が不健康すぎると、このエネルギーバランスは感知することは難しくなってしまいます。

だいぶ汚れた所に少しくらいゴミを混ぜても変わった気がしないのと同じで

疲弊した身体は、疲れが何パーセント増えたかなんて微妙なところまでわからないです。

でも、普段健康状態を良く保っていると、多少の疲れなら少し休むとすぐに浄化されてしまいますし、

自分の身体の変化はよくわかります。

綺麗な水に小さなゴミが入ったら すぐに見える。 ああ、ゴミの欠片あるなぁ  って。

だけど、 我慢強くて甘えを許さない、責任感ありすぎ、完璧主義・・・っていう人は

自分に休むことをなかなか許さないので 気が付くとかなり疲弊してたりします。

ちょっとの疲れ位なら頑張れる! って

頑張ることに貪欲な人。 それが癖になっちゃってる人

そろそろ、ご自分に優しくなってください。

愛は 他者にだけでなく自分にも向ける必要があります。

自分を大切にしてこそ他者を思い遣れるというものです。

 

もう一つ、愛のエネルギーバランス

これは同じだけ与えたり受け取ったりするバランスです。

愛されたいと思ってそれが足りないと感じている人は 

自分も相手に愛を向けていないことが多いそうです。

よくある「これだけしてやってるのに」とかいうのも 愛じゃないんですよね。

対価を求める取引。

愛されるから愛せる のではなくて

愛するから愛される のです。

 

決して犠牲になってはなりません。

喜んでできないことは、相手にも何か犠牲を求めてしまうのです。

やりたくもないのにやらねばならないことは

自分がそれを進んでする という意識でないのなら やめてしまいましょう。
やらなくてその場が混乱するのを見たくなくてやるのは、自分の都合なのです。
何なら混乱させておいてもいいのです。
あなたのせいじゃない。

諸事情を考慮して その選択を選んだ自分自身の意志。

もし、あなた自身が出来事をすぐに誰かのせいにする習慣があるなら、

出来事が自分のせいにされることを恐れるかもしれません。

でも、あなた自身が出来事をだれかのせいにすることをやめたら

全ての出来事はただの成り行きでしかなくなります。

怒っている人 というのは 

自分の思惑通りに進まなかったことに腹を立てて、その感情を周りにぶつけているだけです。

誰かが悪いわけではない。

きっかけは 複雑に絡み合って出来事を生み出します。

それは自然の中では必然なのですが、

自我の意識は誰かがした という風に見えてしまうのです。

出来事は刻々とただ起きてしまいます。

予防しててもしなくても 起きることは起きるのです。
多少減らすことは出来ますけどね。

それもまた 人生の学びの一つ。

出来事と感情を 受け止めて 乗り越え

魂を成長させましょう。

受け止められるものが大きくなればなるほど

あなたはバランスを取ることが上手になっていきます。
安定感を増す ということですね。

 

この世はハプニングだらけ。

避けようと思わず、面白がってみましょう。
 

成り行き次第

なりゆきに委ねてみよう。

 

私達人間は ついつい物事をコントロールしたくなる

「あらあら、そうじゃないでしょ?こうやってって言ってるでしょ?なぜ言う事を聞いてくれないの?」

「そんなこともできないの?」「そんなこともわからないの?」

 

と、言われたら

「なぜ言う事を聞かなきゃいけないの?」とか「わからねぇに決まってるだろ」的なことを思ってしまう?(笑)

若い時のそれは 生意気で反抗的と思われ、叩かれがちですが、

今の私は そういうことを思っても、ちょっと方向性が違います

「ああ、言う事を聞いて欲しかったのね」「みんな思うことはそれぞれなんで言わないとわからないですね」

「この世界は思い通りにならないものですよ」

でも、逆に自分がそんな風に(そうじゃないでしょと)思ったりすることもありますよね。

「え~、できないんだ」「ちょっとちょっと、そうじゃない」「あー、それヤバいやつ」「あーらら。」

みんなが最初からちゃんとできるなら揉め事なんて起きないでしょうけど、ちょっと待って。

揉め事作っているのは 責めてる方なんですよね。

 

この世界は 思い通りにならないからこそ面白い世界だ とも。

全部思い通りになったら、ドラマは生まれないですからね。

ドラマ、楽しんでください。ドキドキ ハラハラ

それはただのドラマです。

コントロールしようと思わなければ いろんな展開を楽しむことができます。

結果を「これがいい!」って 決めちゃうと そうでない展開が許せないじゃないですか。

どのみち 思い通りの展開にならないのが常ですので

予想外を楽しんでください。 

なんでもあり。

それはかなり面白い世界です。

こだわり? 

そんなものは あってもなくてもどっちでもいいんですよ。

無駄なこだわりは どのみち剥ぎ取られますから。(笑)

無くなっても 困りません。

 

恋愛

先日、

スピリチュアル的には恋愛ってどういうものなのですか?

というご質問をいただきました。

ツインソウルとかいう言葉もありますね。

私はツインソウル的な存在は 感じたことがありません(笑)

すごく仲が良かったり、そうでなかったり、

パートナーは いろんな関係性があると思います

が、概ね 魂の学びの相手であることが多いようです。

どんな学びか と言いますと、

自分が愛になる学び です。

どうすれば愛されるか ではなく

いかに愛するか  です。

この場合の「愛」は 恋愛的な愛ではありません。

恋愛のように惹かれ合うのは 種の保存のための感情です。

これは長続きしません。することして気が済んだらいずれ冷めていきます。

3ヶ月か3年か30年後、その感情は消えているでしょう。

ただ、恋愛感情が 「愛」に変わっていれば 仲良く添い遂げることはできます。

恋愛は求めること 愛は受けとめる(赦す)こと

真我の愛は ありのままでいさせること です。

スルー や 無関心ということではありません。

温かく静かに見守って 相手の選択を尊重する

相手を信頼する ということです。

あんな相手じゃ信頼なんてできないですよ! と言いたくなるのはエゴの視点なんです。

それは相手があなたの理想になってくれる ということではありません。

本人の命が生きて その命を全うする その運命を受け止める いつか愛に気付く という信頼です。

その命の中に愛が存在する という信頼です。

いやいや、あんな性格、愛なんて欠片もない! なんて思う人もいるかもしれません。

それは 愛でないものが現れているだけのことで、愛はどんな命にもあるのです

いえ、むしろ生命体は愛でしかできていない とさえ言えるほど 愛の結晶なのです。

見るべきものは 相手が愛か愛でないか ではなく、

あなたの波動が 愛なのか そうでないのか、 

あなたがあなたの中に愛を見つけられる という学びなのです。

相手に対してイライラしている時、あなたは相手に何を要求しているのでしょうか?

もし、パートナーのそばにいることがあなたを傷つけることになるならば、

そのことが改善されることがないならば あなたは自分自身を大事にするために

その相手からは離れなければなりません。

この時、執着があると苦しみます。

でも、本当の愛は何か?

相手も自分も大事にするためにはどうすればいいか を見ますと

自ずと方向性は見えてきます。

 

ちなみに、この時、執着が強すぎて執着が手放せないでいますと、

結構な割合で地獄?(あるいは修羅)の感情を見ることになるので

お早めに手放して愛でいることを選択することをお薦めしたいです。

でも、自我は納得しないことには なかなか動きません。

とことん思う通りにすると、最後は(思い通りにはできないと)降参することになりますので

ハートが求めるままに行動することで 最終的には愛になっていきます。

いかなる体験も 最終的には愛に行きつくことで平和が訪れます。

 

恋愛関係だけでなく、親子関係も同じです。

支配せず あるがままに学ばせてあげてください。

体験して愛を学んでいきます。

叱ってもしかれなくても

親の言う事を聞いても聞かなくても 自然の摂理と愛に目覚めるしかないのです。

愛でいれば 愛を見て

愛でないことをすれば、愛でない結果を見るだけのことです。

あなたは ただ 温かい愛でいてください。

それに気付けることが 魂の学び なのです。

蓮華

悩むということ

人はなぜ悩むのでしょうか?

あれとこれ、どちらを選ぶべきか

選ぶに選べない時、悩みます。

ソフトクリームかプリンか!?どっちも食べたい!ああ、悩ましい。

こっちをとれば、もう一つは誰かが食べちゃう!どちらも自分が食べたい!

 

欲張ってますね (笑)

人にも食べさせてあげましょう。 2つ共 半分こはどう?

え?食べ物はいいけど、彼氏は半分こできない?

同時には選べないものはどちらかに決めなければなりません。

どちらも嫌でも同じかも。

 

選ばないで流れに任せる という方法もありますけどね、

流れが選んでくれる。私はその方法をよく使います。

流れが選んでくれる。

そのまま何もしないで放置していると、状況が どちらがいいのかはっきりさせてくれます。

状況が何にも変わらなくても、自分の気持ちがはっきりしてくることもある。

 

別れたいけど、一人になるのは嫌だ?

あーね、

人は皆 独り来て独り逝くのですよ。

奇跡的なご縁で 一心同体と思っていた連れ合い様も

いずれどちらかが先に旅立ってしまう。

行かないで というよりも、

そのうち私もそっちに行くからね。

今世でのご縁、ありがとうshineheart04

でも、生まれてから死ぬまで世界と共存してる とも言えます。
独りに なりようがない。

いや、魂は死なないので、始まりも終わりもない。

ずっと一緒。ただ肉体を使ってのコミュニケーションが終わっただけ。

 

関係のみが終わった時は?

愛じゃないものにすがっても・・・

でも、どれも選べなくても自然に結果は出ると思いますよ。

また、選んでもその先の結果は 誰もわからないですからね。

ものすごくラブラブで 一緒になれなかったら死んじゃう~!と大騒ぎして結婚した姉さんが、

もう夫と同じ空気を吸うのも嫌だ って 言ってました。(^_^;)

結婚30年目くらいかなぁ。 

人の心も 時と共に変わりますよね。

ずっと仲良しであるためには ずっと 許し続けなければなりません。

しかもそれは一方的にするだけでは無理 だったりする。

かといって、双方が自分を殺して我慢 なんてことは もう破滅に向かうのと同じ だし。我慢は何も許してない。

未来は、来て 今 にならないとわからないものです。

なるようにしかならないのです。

そもそも、今しかないのだ。

今、自分に本当に必要なものが与えられる そうな。

肉体のためにというよりは魂のために

意味がわからないことは多々。

理屈ではないから。流れは理不尽でもある。

 

随分前のこと、私は、「人生は思い通りにならないものなんだ」と 思ったことがありました。

そう、何が何でも絶対にそうしたい と強く思えば思うほど そうはならない。

ただ、うまい具合にそうなればいいなぁ と、ほんのり思っていることが実現したりします。

それは 思い方の違いなんですよね。

皆、自分と違うものにはなれません。

あなたは あなたにしかならないのです。

自分を生きよう と 思い始めた時、あなたはあなたの毎日を選ぶことが出来て、

自分にちょうどいいものを見つけるのが上手になります。

あなたに丁度いいものというのは あなたがやってて苦にならないことです。

無理しても合わないそれを置いておくメリットがあるなら それはそれで構わないんですが

合わない靴をずっと履き続けると 靴擦れしたり、骨が曲がったり
そもそも痛いし、心地よくないですよね。

それでもいいなら止めません。

あなたが好きなものを選んでください。

選ぶものがリスクがない とは言いません。

何を選ぶにしても長短あります。

あなたに一番フィットする長短ひっくるめたソレを選んでくださいね。

その長短は選んだあなたが引き受けるのですから。

 

ここでちょっと 思い出しました。

その長短を引き受けるのが嫌で 何も選ばない人がいました。

その人は リスクはありませんが 経験もできません。

それもまた一つの選択なので それは好きにしたらいいと思うのです。

私は生きたいように生きる 他者は他者の生きたいように生きる

皆が互いを尊重しあえば、うまく調和できるのではないでしょうか。

否定しあったり、どちらが正しい と戦うことが違うと思う。

違うのは当然なんです。同じじゃないんだから。

合わない人と無理に一緒にいることはないですね。支配するのも無理があります。

え? それよりもメリットが大きいから?

それは 何が大事なのか?は人それぞれですからね。

抑え込んだら反発を食らいますよ。

 

選んだものが全部うまくいかない?

そんなことはないんです。うまくいってることもある。

ただ、すべてがうまくいくわけじゃない。

こんな私はうまくいくわけない なんて思ってませんか?

出逢うものはすべて あなたに必要な経験です。

それに幸せにしてもらおうなんて思わないように

それは あなたが幸せになるヒントを教えてくれているだけですから。

あなたの幸せは あなたにしか作り出せないのです。

一つ言えることがあるとしたら、

幸せになるのが上手な人を見るといいお手本になるでしょう。

同じになるのではありません。生きる姿勢です。

 

本当はね、この世に生を受けたことがあなたの輝きなんです。

あなたは最初から輝き続けているんですよ。

それが生きている ということなんですから。

さて、この体を使って どんな体験をしましょうか?

夫婦岩

青い空を見て超ハッピーshine

そもそも、 私 なんていないですからね(笑)

生きているこの命shine 

愛と平和

昨日、投稿しようとしていた文章を すぐにアップせずに何度も見直しているうちに

消えてしまいました。(つど保存してない人が悪い)

相変わらずやらかしています sweat01

いろんな用事を一つずつこなすのがいいだろうなぁ と何度も思うのですが、

無計画にあれこれ同時並行してやろうとする癖があるので

ちょっと混乱気味。

落ち着け、落ち着け。

昔出来ていた同時並行処理も、年齢と共にキャパが減少してるのでは?と思う今日この頃です。

自我の意識は欲張りで なんでも沢山やりたがるものですが、

物だけでなくいろんなものを断捨離していくのは必要だなぁ と思います。

時々、何が絶対必要なのか? と 自分に問いかけてみる時、

絶対 というものはほとんど無いな という返答。

たぶん 執着しているものが ほとんどなくなっているんでしょうね。

こういう意識は以前は違いました。もっと何か手放せないものがあって、怖れもあった。

でも、今は無いんです。なぜか。

瞑想のおかげか、解放がほとんど終わっちゃったからか。

エゴとカルマの無限ループは無限ではない。

自分の所で終わり というものがある。

 

目の前のことは、

ただ、あるものがあって、無いものは無い。

来るもの去るもの 選びようのないものもある大きな流れの中にある という認識です。

ただ、目の前のことに関して 衝動というか 動かなきゃ と思うのは

傷ついた人がいれば、助けなきゃ とか 護らなきゃ という感情が湧いてきます。

自分が指を切ったら、傷を手当するのと同じ。怪我があったら病院に連れて行ったり手当する。

世界では 災害があると 他国のことであってもみんなが被災者を支援ようとするのに

ヨーロッパでひどい兄弟喧嘩が始まってしまった。

歴史の中では日本でも権力を争って親子兄弟親戚同士で殺し合った時代もあり、

人間はベースに肥大するエゴがあるのだな ということはわかるのですが、

このエゴはどこまでいっても 満足する ということはせず、

エゴは肥大するばかりなのでこのような愚かな侵攻をしてしまう・・・

と 私たち人間は自覚せねばなりません。

利己的なエゴ というのはとても愚かです。

周りとの調和を無視して利を貪ります。

人間の自我は悟りを知ると大いなる流れと調和することを望みますが、

孤立した自我は 怖れから 世界に牙をむきます。

そうした興奮して凶暴化したエゴを力で抑え込もうとすると 追いつめられて自暴自棄になったりするので

世界は慎重に冷静になる必要があります。

怖れからの行動は良い結果を招きません。

かといって、まるでそのトラブルが無い事のように思うのも違う気がします。

私たちは 何かできることがあればすればいいのだと思います。

何ができるのか わからないうちは、まだ様子をみているだけでいいと思います。

もし、できることがあれば動きましょう。

心臓や頭から離れた足の小指の怪我でも 手当はするものだと思います。

為す術がない時は ただ 愛を持って祈りましょう。

人々が平和に生きられる世界になりますように。

そのために私は自分の人間関係を平和にします。

この前、ちょっと友人に愚痴っちゃった過去のトラブル、過ぎ去ったことに愚痴とか誰かを悪者みたいに言うのはもうするまい 

って思うのでした。 罪は ただの愚かさです。

人間は愚かさを併せ持つ生き物。支え合って生きましょう。

パワーではなく 愛で。

あなたとあなたの周りに愛を満たしてください。

愛は見返りを求めません。ただ流していくだけです。

心配することはありません。

流れは巡りますよ。

コントロールしない

スピリチュアルを学び始めた頃、

おっと、もう20年前になるじゃありませんか!? (^▽^;)

不満だらけの毎日から 良し悪しの識別を外すワークを始め 

周囲の人々やこの世界で起きることにダメ出しをすることを止め、

宇宙の法則 『愛になること』 を基本に生活し 自分の思い癖をチェンジして行きました。

愛とは あるがままにさせておくこと  という教えを 実践していくことになります。

最初は 「なんで 放っておくことが愛なの?」と思っていましたが、

考えてみると、自分も干渉されることが大嫌い。

ただ、自分が構ってほしい時には放っておかれたくないんだけど、

それはこちらの希望する構い方以外はNGなわけで、

構ってもらっておきながら、ケチをつける という coldsweats01

「私の思い通り以外にはしなくていい」という 傲慢さが潜んでた。 (-_-;)

それを 当然の権利のように思っている自分がいたんです。

自分が何をしていたかを自覚する時はけっこう衝撃です、、

それから エゴを手放そうと努力をしてみました。

でも、ちょっとしたことで、エゴイスティックな感情が飛び出してくるんですよ。

「そんなこと、お前ごときに言われたくないわ!」という どんだけ上から目線  とか

自分よりさっさと成果を上げて賞賛される人を見ては面白くない気持ちになったり、

自分が仲良くしたい人と私よりも仲良くなっている人を見ると、あいつが居なくなればいいのに と思ったり (;´∀`)

自分の中にどれだけエゴや傲慢さや醜い感情があるんだろうか? sad と、うすら寒くなったりするんです。

 

でも、ある時、ふと思いました。

人間と言うのは 理性を持っているにしても体は動物の一種なのだ。

少なくとも身体を持たない神様 な わけじゃない。

他の動物たちを見てみると、同類相哀れむ だけじゃなくて、同じ種族で縄張り争いとか死闘を繰り広げる例も多々ありますよね。

同じ種族同士でも敵対する関係というのはあるものだし、自分のエサを他の個体が食べてしまったら怒り狂う とか

優位争いなども、本能としてあるから起きるのはしょうがないことなんじゃないのか。

どんなに清い心で居たいと思っても、自分の衝動とか反応とか本能は無い事にはできないのだろう

と、思ったんです。

あるがままの動物も ペアリングの三角関係などに関しては、 テリトリーに他の個体が侵入した場合!

ライバルを排除!!

死闘 ・・・ですな。 エゴだけど それはもう本能だったら仕方ない。

そんなことを気付いてからは、 自分の中に起きる 負の感情も嫌悪することを止めました。

生き物なんだから反応はするさ。 それは自然。

だけど、その後、何を選択してどう行動するかは 理性で選ぶこともできる。

広い視野で見てみると、戦争よりも平和を選択する方が幸福になれるとも思うし

怖れから攻撃したとしても決して良い結果にはならないこともわかる。

 

そんなこんな いろんな体験を通して この世界のことがまた一つ見えるようになるのでした。

 

愛であること

許すこと 手放すこと 信頼する事

善人が愚かに見えるようなことがあったとしても、善人であることを選択したい

その時にそれが損な役回りだったとしても ただ 愛と慈悲であることを選択したい。

誰が何を言おうと 誰に先を越されようと 何かを盗られようと 意地悪をされようと

私は善意でいることをやめません。自らの波動は 愛を選択します

そう決めてから 今まで そのスタンスはブレることはありませんでした。

その位置にいると、心かが安定するからです。

内側から エゴの声がしても

特に否定もせずに「人間だからそういう感情も出て来るよね。普通のことだ」

そう思って意識的に愛でいようとチューニングし直すのです。

そのうち そんな風に愛を選ぶことが癖になりました。

何の問題も残さず 今に至っております。

愛は 強いですね。 足元でしっかりと大地を踏みしめている気分です。

 

愛とは あるがままにさせておくこと。あるがままを受け止めること。あるがままを愛する事。

人は愛に触れると 愛になることを望むようになります。

本当の美しさを見つけたようでした。

こんなところに花

どんなところでも咲く

それは笑顔の事ですね。

今にくつろいでください。あなたの笑顔は癒しです。

相手をどうみるか

子供の頃から生き物を観察するのは大好きでした。

今はアトリエで猫を3匹飼っています。

「猫は日々あるがままを生きてるね」 なんてよく言われますけど

そうですね。自分の気持ちに正直です。 それしかありません。

自分を偽る なんてことはしません。

嫌なのに「いいよ」なんて言わないし、嫌な時は嫌そうにします。

ある時ある人が言いました。「猫は気楽でいいなぁ。何も考えなくても養われて。」

ん? そうかな? それはなんか違うかも と 思いました。

彼らは、エサが欲しい時は媚びます。

ゴロニャ~ン 撫でていいよ~ って撫でられに来てスリスリして大好きアピールをしてきます。

「オヤツくれないかニャ~ン?」 その意図を読み取られてないと

「なんだ、撫でるだけかよ。ならもういいわ」って どこか行ってしまいます。

どうしたら飼い主がおやつをくれるのかを けっこう覚えていて、

わざと可愛く鳴いてきます。「ミャ~ン」大きな図体になっても頑張って子猫っぽく鳴いてみたりなんかします。

更に、飼い主が一方的に撫でたがる時にも ちょっとガマンして撫でさせてくれたりしています。

しっぽが「もうそのくらいにしてくんないかなぁ」 ってプンプンフリフリしてますが、

それを飼い主やお客さんが気付かずに撫で続けようとすると「ゴメン、もうカンベン」とスタっと立ち去ってしまいます。

猫は言語以外の意思表示方法を持っています。

目で訴えて来ることもあります。

「おやつ欲しいなぁ、ママ~」黒目がちなウルウルの目をぱちくりさせて目で語ってきます。

なんか美味しいものなーい?  誰か遊んでよ~う!

うっとおしいニャ、 うるさいニャー、 どうでもいいニャ、 ホントにもう!!  イライラするっちゃん!

今はやめて! イライラガリガリ、 プンプンウニャウニャ

もう人間の感情とほとんど変わらなく見えます。

ただ、人間みたいに前にあったことを思い出してイライラしないだけで 

今現在を豊かな感情で生きています。

人間はいろんなタイプがいて 我が家の旦那さんはかなり猫に近い(?)人で (笑)

彼の感情を深読みする必要が無いので 私は疲れません。 私にはとっても良いパートナーさんです。

更に、彼は 自分の価値観を押し付けない所も猫さんたちと同じなので 私も猫のようにいまここを生きやすい という家庭環境です。

そう、私も猫っぽいかもしれません。 他者の価値観に干渉することがほとんどないからです。

(相談を求められたら意見を言いますけどそれはあくまでも自分の見解で正解というものはありません)

もし私がもっと人間っぽかったら、自分の価値観で相手を裁いたり自分の価値観に合わさせようと相手をモラハラよろしく責めたり非難したり欠点をあげつらったりするかもしれません。

「あの人こういうところがおかしいと思うのよ」 「そんな常識もわからないの?大人なのに⁉」なんてことを口にするかもしれません (したことはあるかも)

でも、ある時に気付きました。

猫レベルにできないことが沢山ある私は、人様を責めるなんておこがましい事はしたら申し訳ない・・・

片付けが悪い とか 約束を忘れてしまうとか ルールを知らない とか 言ったことを翻す とか

気が利かないとか 興味のない話は退屈そうにしてしまう とか 社交辞令とかお上手を言えないとか

そんなこと、私も出来ないことですし、自分がちゃんとできないことを責めたりすると ちょっと恥ずかしくなってきてしまいます。

脳内オバケの 『オマエモナー』 が出てくる

また、出来たとしても別のできないことが沢山あるわけですから 

人様を非難する などということは私のようなポンコツ人間が言えるようなことやないなぁ と思ってしまいます。

ちょっとやそっと 迷惑かも とおもったとしても、自分がそれ以上の迷惑を知らずにかけていることがあるかもしれないし、

自分自身などは できることtできないことがあって、出来ないことはそれがどれだけ素晴らしい事であったとしてもなかなか出来ないし

無理をしてそれをしようとすると 本来の自分の長所が死んだりするので、

「ごめんやけど、私はこのままでいさせてもらうわ」 という選択になってしまします。

だから、他の人が自分と同じようにできないことを責めることはしないようにしています。

 

「あの人、なんでこんなこともできないのかしら!?理解できないわね」 なんて言葉を聞いただけでも

「あなたではないからだ」 とか 「あなたも最初から出来たわけじゃないでしょうに」 とかいう言葉が脳裏に浮かんできたり

大体は 人を責めてしまうとその後 言った言葉が向きを変えて 悶絶するハメになってしまいます。(脳内オバケ出現)

 

自分自身のこともすべて完璧にコントロールできる人間はいません。

息をしたり、心臓を動かしたり、成長したり老化したり、それら(臓器)は意図するだけでは止めることもできません。

この体さえも 意志だけでは自由には出来ないのですが、他者を自由に自分の思惑に合わさせよう、コントロールしようというのは

エゴの傲慢じゃないかな と思うわけです。(無理な事をしようとしている)
 

他者の価値観は自分の価値観とは違う 

どちらが正解という訳でもないんです。

そもそも 価値なんて最初から存在しているわではなく、それぞれがそれぞれの理由で価値づけをしているだけ。

そんな一定じゃない基準で測られても どうすればいいのかわからないですよね。

 

最近はYouTuberのひろゆきさん流『論破』という言葉が流行ってますけども

自分が正しさを証明する というのも 屁理屈っぽくて面白かったりしますが、

正しさを証明する って 本当はなんか不思議ですよね。

裁判や法律を使って悪人が勝つなんていうのも不条理ですしね。

エゴを戦わせている限り 結果は不毛な気がするけど。。。

 

じゃあ、何が良いのか? って 答えはなかなか難しいというか、

エゴの世界では成り立たないかもしれませんが、

愛になった時に成立する 『それぞれがそれぞれのしたいようにすることができると生きやすいな』 と思うわけです。

これね、環境がどう という問題ではなさそうです。

自分自身の内面が愛かどうか で 周囲との関係性が変わります。

(なぜかと言うと、自分が愛だと周囲が癒されて、周囲のエゴが減少するから)

 

これからやって来ると言われる 心の時代 は とらわれが少なく自由で豊かな心 がよりクローズアップされるようになり 人々は生きやすくなっていくようです。

だから皆様も 今までの価値観に合わないわ!と 腹立てたり不安がるのはやめましょう。

もう昔には戻りません。常に今が展開・進化していくのです。

 

ちょっとこれも言いたかったのですが、

にゃんこも1匹1匹 性格や好みが違います。

好きなものが違うし、行動も違います。 一定の対応ではダメだ ということです。

1人1人の個性をちゃんと観察していると 何が一番いいのかを判断できるようになります。

人間の価値観を押し付けても お互いがストレスなだけでしょうね。

人間同士の関係は・・・ ちょっと 雑 なのかもしれませんね。coldsweats01

相手のそのままをそのままみ見る ということは すべての生き物に対して大事な事じゃないでしょうか。

思い遣ると そこには愛のつながりが生まれます heart04

蓮の花びら

 

 

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