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自我の意識と真我の意識と瞑想

私たちの意識を、大自然と対照的に

マクロからミクロへ視野をフォーカスしていくと、

個人的な世界観に入ります。

他者も知らない 私の世界。

実際は、自分も気付いていない、私の世界観。

それは意識的に作り出したようで、それほど意識的ではなかったかも。。

偶然か宿命か、ここに生まれて、出逢ってきた人々、出来事。

それは個人の意思とは関係なく与えられた環境、ご縁です。

その中でいろんなことを体験し、なんらかの反応も体験します。

感情の解放です。このあたりはとても微妙で、いろんなことが微妙なタイミングで起きることによって体験も変わります。

体験はそれぞれに与えられます。良きにつけ悪しきにつけ。

その中でもどう反応して どんな結論を選択するか が 徳(愛)だったり業(カルマ)だったりします

徳(愛)はプラスの波動

業(カルマ)はマイナスの波動

これが積み重なって 人々が持つそれぞれの波動が決まります

色んなタイミングは本当に微妙なものですが、微妙さが縁を織りなす中で、私たちは導かれるように何かを掴みます。

そう、この自然の法則に気付くまでその流れのただ中にいるのです。

嵐に揉まれる大海の小舟のような自我の意識。

そこから、瞑想状態に入りますと、自我から離れた真我の意識の領域に入ります。

この意識を体験したことが無い という方はまだ自我の意識を手放した状態を認識されていません。

何もかも手放して委ねる 自我の意識が消えた状態になりますと、

ただの認識だけの真我の状態を経験します。

瞑想を始めて間もないうちはまだ自覚できずにいるかもしれません。

でも、瞑想に慣れてきた頃、誰でもない意識になることを客観的に認識できるようになってきます。

安心しきって瞑想状態に身をゆだねることができるようになった時起きますので、最初から体験する人もあれば、何年か越しでやっと体験する人もいます。

邪魔しているのはカルマのエネルギーです。

緊張や不安感がそれです。 思考がグルグルします。

特に不安でもないけど 思考がグルグルする という方もいます。

これは不安という自覚は無いけれど、自分にリラックスを許していない方に多く起きます。
頑張らなければダメだ という考えの方に多くあります。

瞑想は頑張ってするものではありません。

何も掴まないニュートラルな状態に自分を放置します。

そこでは最初は様々な反応が起きるでしょう。

あれこれ、思考が湧いてきたり、ムズムズ、モソモソ、落ち着かない とか。

これは解放期ですので放置しておきます。

出るものが出たら治まります。

瞑想に慣れた頃、自我の意識は瞑想に意味を求めだします。

もし、意味が欲しいなら作ったってかまいません。

健康になれるから とか よく眠れるようになるから とか 

疲れがとれるから、集中力が増すから、良いアイデアが浮かびやすい、

パフォーマンスが上がる とか

色々あります。

でも、一つのものを信じ込みすぎないでください。

トータルで上がっていきますが、好転反応で 溜め込んでた疲れがどっと出てしまう なんてこともあるのですから。

自分の疲れを誤魔化している人は要注意。必要な休養はどこかで清算されます

無理ができる自分が理想形なのではありません。

本来の自然体が持つ安定性へと導かれます。

真我の意識を自覚するには緊張から離れなければなりません。

緊張はフォーカスです。

リラックスがマクロへと拡がる基本なのです。

リラックスは無防備ではありません。

感覚が研ぎ澄まされたパラボラアンテナのような情報網拡大の状態です。

それは超能力に近いものかもしれません。

パラボラアンテナ

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