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ダルマ

悟り

悟りは、いろんなレベルがあるんだと思います。

何か 「わかった!」と思う事を 悟った って表現もしますので

それがお釈迦様やスピリチュアルが言う 悟り とは違うこともあります。

お釈迦様も長年いろんなところでいろんな人々にお説法してまわっておられたので

いろんな意識レベルの話をしていて それが必ずしも色即是空の話ではなかったりします。

それは 究極の悟り『色即是空』の体感を理解するには 体験が少なすぎる人々にとっては

その悟りは理解できないので 話を聞いても混乱するだけだったりするので

聴く人がわかるように心が穏やかになる話をされるんです。

スピリチュアルの世界でも同じです。

究極の悟り の話をしている方と、人間の意識、観念の世界において心が穏やかになる話、

あるいは善を説く話 をしている方々がいます。

仏教の僧侶も同じです。

究極の悟りを目指しているのは高僧か禅宗の僧侶 なのですが、(この目指しているという表現は微妙)

他宗の場合はそうでないことが多いです。

天国や地獄の話をして 良い事を行い、悪い事をしない という

自分自身が幸せになりやすい生き方を 説いています。

究極の悟りは あまりにも掴みどころが無くて・・・

というのも当然で、何も掴まないのが究極の悟り境地 ですので

それを体感するには「あれは?これは?」という質問そのものを全部手放して

瞑想状態に入るしか方法が無いように思います。

あまりにもひどい事が起きすぎて、世界観が壊れてしまった人も 何も掴めなくなって

いきなり悟ってしまったりすることがあるようですが、

それはなかなかの荒療治といいますか そこで手放せなかったら 
自殺か発狂?なんてことになりかねないので (^_^;)
瞑想して悟りたいところですね。

私自身は瞑想してましたが、荒療治的な出来事は起きていたので
私のようなエゴの強い人間は それが必要だったのだろうな と 思っています。

でも、それは必要で私にとっては良い体験でした。

ものすごく分かりやすかった。

強烈に恐れていたこと、強烈に手放せないものが無くなった 後、

それが全くの幻想の怖れだ ということを目の当たりにしたからです。

そう、皆さんの怖れも 幻想です。

この世界は必要な事しか起きません。

そこに抵抗してもあまり好い事は無いのです。

むしろ、コントロールをやめて 自然体にしていた方が

ずっと丁度良い具合に調和して愛が流れ込むようになっているのです。

諸行無常は 残念なことではありません。

無理な執着は維持できないので 自然な流れに任せて

自然を享受することがどれだけ幸福か。

それを体験するのが「さとり」の生き方です。

怖れ ではなく 愛を見つける日々です。

舞鶴公園桜

自然は 愛を歌っています。
 

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