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意識

自我の視点と真実

前回のブログで 

『自我が強いと 自分がどう扱われるかが最大重要事項になってしまうので、真実は見えません。』

と書きました。

真実って 何? と思った方、お一人ではなかったと思いますので もう少し書き進めてみたいと思います。

そもそも人間の意識、自分が見たものを自分の都合で解釈しております。

相手がどう思っているか、それはどういうことなのか、 結構誤解していたり、決めつけて固定してしまっていたり気持ちの行き違い そんなことがとても多いと思いませんか?

「あの人が怒っているのは私のせいだ」とか「こんなことをやらかしたら、おしまいよね」とか

「失礼な人!私をバカにしているわ」とか 。。。 本当にそうだと思いますか?

ちょっと古い意識となるとわかりやすいですよ

「結婚できない人は何か欠陥がある」なんて私の親の世代はそう思っていました

「出世しないと世の中から認めてもらえない」「大企業に勤めないと負け犬」などもそう

もっと古い時代の意識だと 忠義は最高の美徳だったわけです。

お殿様のために死ぬのは栄誉?

命よりプライドが大事とされた武士たち。ご苦労様です。

価値観に縛られる時代は終わって行きますね。

時代が変わってどんどん物差しも変わって行きますけど、そんな形を変わる物差しを頼りにすることほど心もとないことは無い。。。

みな、自分の信じていること以外の奇妙さはすぐにわかりますけど。

自分のことだけは よくわからないんですよね。 不思議。

これね、からくりがあるんですよ。

誰しも、自分の信じていることは 真実にしか見えないんです。

 

物事の流れは 信じているように展開する 宇宙の法則が働いていますからね。

あなたの信じていることがあなたの回りに起きます。

これ、すごく楽しくていい事ばかりでハッピーな人生なら ぜひそのままでいいです。

でも、そうでないとしたら あなたは何を信じてしまっているんでしょうか?

要らない思い込み 手放した方がお得です。

 

瞑想では、全ての思い込み 全ての幻想を手放してただ事象を眺めるモードに立ち返っていきます。

赤ちゃんみたいに 無垢に何の思い込みも持ち込まず、

でも、今のあなたはいろんなことを知った上で 思い込みにとらわれない生き方を選んでいくのです。

これは考え方の癖を修正するようなものでもありますので

瞑想でカルマを手放して反応を緩め、意識は、意識的に要らないものを手放します。

それができると、啓発したマインドで生きることが可能になります。

啓発(悟り)、 自由で軽い カルマの幻想にとらわれない意識 です。

 

真実とは何か 以前、あるお友達が分かりやすいお話をしてくれたのを思い出しました。

小学生の男の子を持つお母さん、

ある日、学校から電話がかかってきて担任の先生が言いました

「息子さんがお友達の喧嘩に巻き込まれて怪我をされました。ちょっと切ったので病院で処置をしました。酷い怪我ではなくお医者様も大丈夫とのことでした」

あら、嫌ねぇ、などと思ってしばらく待っていると息子が学校から帰って来ました。

頭に包帯を巻いています。

えっ?頭?大丈夫なの?思っていたよりひどい事になっていて お母さんはびっくり。

なんで他の子の喧嘩でうちの子がケガさせられなきゃいけないの?

お母さんは頭に来て 息子に聞きます。

誰があなたに怪我をさせたの?許せないわ。謝らせないと!

お母さん、大事な息子が悪くも無いのに傷つけられて怒り心頭です。

すると子供が言いました。

おかあさん、誰も悪くないよ。

A君とB君がふざけて取っ組み合いをしてたのに僕の足がひっかかってコケて怪我しちゃっただけだよ。

誰も僕を怪我させてないよ。先生やA君B君は心配してくれたたけど、僕は元気だよ。

と笑顔で言ったんです。

 

お母さんの 加害者ありき な視点と、息子くんの何の偏見も無い視点

この違いがわかりますでしょうか。

真実とは何なのか 改めて物事をとらえ直してみてもいいかもしれません。

それにしても 笑顔は無敵 かも。

ワンコ

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