ホーム>スタッフブログ>心の在り方>認識
心の在り方

認識

目の前の出来事をどうとらえるかは 人によって様々です。

起きたことがひどいことなのかよかったことなのか

あなたはその出来事・その相手をどうとらえているでしょうか?

 

こんなにひどいのよ 

私はこんなにひどい目にあったのよ

というアピール

その昔、自分にも身に覚えがあるので

その行為を批判しようとは思いません。

人はそれをしてしまうこともあるのです。

 

出来事に自分がとても傷ついたり、辛いと思ったことに対して、

心の痛みを他者に分かって欲しいのですが

分かって やさしくしてもらいたい という意図が無意識にあるのでしょうが

私はこんなに辛い目に遭った 嫌だった という主張をけっこう必死にしていたりします。

無意識です。その主張は衝動から来ているので、あまり意図的ではないのです。

でも、聞く側は、そのアピールは 無意識の意図の方が見えるので

「この人、自分が被害者だと主張している」と感じてしまいます。

アピール にしか見えません。

言う側は (ほぼ無意識に)相手に納得して同情してもらいたかったりするので

裏を見透かしてる相手の冷ややかな反応に焦りを感じて

さらにアピールが過熱します。

延々と自分の不幸を語ってしまうのです。

伝わったという満足感が無いので終わりがありません。

それがいかに不可避でひどく、私は悪くなかった ということを話し始めます。

こういう時 聞いている側はとても居心地悪く感じています。

でも話している側は、自分がしている波動の低い行動に気付いていません。

無意識の意図に没頭してしまうからです。

「理解してほしい」・・・「どうしてわかってくれないの?」「どうして受け止めてくれないの?」

それは自我の視点

そこから見ている限りは 真実は見ることができません。

被害者というフィルターごしに見た世界を伝えようとしているので

そのフィルターを持っていない人には 違和感が伝わっています。

そういう人同士は繋がりや接点が薄れていきます。

波動が合わない という現象です。

疎遠になってしまいます。

 

この場合、話をする側に自覚がないことが多かったりします。

気が付いていれば自分で修正するので、

言い続けている間は自覚がないだけなのです。

ただ、起きたことを話しているだけです。

愚痴とも思っていない。

「だって、そうだったんだ」 と思っています

その記憶は カルマというフィルター越しに見た世界なので

その痛みは 誰かの悪意によって起きたものではありません。

ただ偶然に起きてしまった 摩擦 なのです

出会い頭に誰かとぶつかって

痛てててて (>_<)

面食らって (;´Д`)

すぐに「ごめんなさい、大丈夫?」とは 言えなかった

そのかわりに

「なんだこの野郎、痛てぇな!」と言ってしまった

そこからの展開なのです

「ごめんなさい」と言うか「なんだこの野郎」と言うかの違いは

とても大きいのです。

他者から大事に扱われているか と気にしているベースと

他者を大事に出来ているかを気がけているベースの

波動の違い

もちろん、誰かを傷つけることを恐れている波動と、大事に扱いたいと思う愛の波動も随分違います。

自分を責めすぎる人

そこには違うカルマがあります。

同じ行動で波動が違う これは大きな差が生じます。

どう違うのか?

外側から見た時の印象を想像してみれば

その違いはよくわかるんじゃないかな と 思います。

人間は 自分のことが一番わからない生き物だったりします。

他人のことはよくわかるのに。

 

己を知ることから始まります。

 

本当は良いも悪いもありません。

ただ出来事があるだけなのです。
それぞれの都合で 好ましい好ましくない が 発生します。

エゴの視点からの脱却

悟りのポイントです

ただ、事が起きているだけ

良いも悪いもない。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.atelierseigetsu.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1160

ページ上部へ