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ダルマ

誰のせいでもない2

何か失敗したりすると、焦ったりパニくったり

凄い罪悪感と嫌だという気持ちが渦巻き

これは本当に私が悪いのか?

いや私だけが悪いんじゃない!あの人だって その人だって関係あるじゃん、

私がやらかしてしまったのは、周りの人だって悪いじゃん・・・なーんて

やり場のない怒りを誰かに向けたくなるのは

すごく 人間っぽいです(笑)

とても大勢の人が そんな心当たりがあるかもしれない。

 

誰かのせいにしておきたいのは

自分の責任と思いたくない思い です。

責任かかると責める、責められる と 思い込んでしまってます。

現代社会は責め合う関係が主流だからね

でもね、ほんとは誰の責任でもない。

たまたま その位置にいて

その体験をしてしまっただけ、

誰かが代わりにしたかもしれないその体験を

たまたま あなたが した。

もしかしたら、別の瞬間は

「ああ、私じゃなくてよかった」なんて胸を撫でおろしているかも。。

 

こういう時 私はこう思うようになりました。

ああ、これが私でよかった。

他の人だったらその辛さに耐えられないかもしれない

私は意外と平気。

だって 試練は乗り越えていくものだから。

 

どんな出来事を体験するか『宿命』が初めから用意されていた とも言われますよね。

聞いたことがありますか?

宿命なら避けられない。 いつかどこかで遭う運命。

だから起きるなら仕方ない。

そういうことが起こりうる可能性の環境の中に生きていて

たまたま それが自分の目の前で起きた ということ。

 

自分が当事者だったり、被害者だったり、加害者だったり、

色んな立場になります。因果の流転

それらはたまたま、流れとカルマの条件が揃った時にハマります。

どんなに回避したくても 起きてしまう時は起きてしまうし、
どんなに願っても 起きないものは起きない。

計り知れない広大な 世界全体のエネルギーが

大きくも微細にも流動し続けている中で

人間はそれを100%コントロールしきれるものではないのです。

 

予想外のことは 常に起こります。

関知しない微細な動きや 及ばない大きな流れを

全部把握することなど 不可能です。

だれでも、当事者になりえます。

起こさない努力をしたとしても、

キツく監視すればするほど、キツく取り締まれば取り締まるほど

100%の回避は不可能

締め付けた息苦しさの中ででは

ある水準を越えた時に

過失は起こりやすくなるのです。

オーバーフロー のように。

 

それ(罪)を責め合って責任の所在を押し付け合うことは

世界にとっては無意味です

それを有効に感じているのはそれぞれの自我だけ。

私は悪くない ということにできれば、真実などどうでもいい と思っているかのように。

問題解決よりも 責任の所在だけを気にする って。

 

え?修正処理を負わされる

そんなもの他の誰かがやればいい?

なるほど。

みんながそう思っていると ひとしきり押し付け合いの乱闘?が始まっちゃいますね。

暴力的な世界だなぁ。

「そうだよ、油断ならない世界なんだ」

そう思っているあなたが その世界を創り出しているとも知らず。

 

そんなエネルギーがあるなら もっと効率の良い方法がありますよ。

今一番 何が大切で どんな課題をクリアしたらいいか

気付いて取り組む

改善できることを見つけることの方が

ずっとこの世界を居心地のよいものにするのですけどね。

自我は自我のためのことしか見つけ出せません。

どっちが上か下か

目先の損得

それしか見えていないようなら

その未来は暗いです。

その流れは豊かさから離れてしまっているからです。

あなたの心、あなたのいる環境や 周囲の人々の心を豊かにすること

それはあなたが豊かになる ということです。

博多湾から

美しい自然は 常に一緒にあります

自然の流れと共に。

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