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2020年10月

趣味の話

雲仙リトリートのことを考えていたら

温泉のことが気になってきました。(笑)それは業務じゃなーいw

しかし、 雲仙行くのに 温泉に入らないわけがないのです! (゚Д゚)

というわけでFacebookには雲仙温泉情報をアップしました

お風呂の写真をクリックしますとFacebookページに飛びます

10月16日投稿記事をご覧ください

雲仙福田屋露天風呂
そう言えば
近年?いつごろからか、温泉ソムリエなる資格があるようですが、
なれる気がします~w
九州限定ですけど、温泉情報詳しすぎ~w
しかし、資格に興味が薄い・・・ という。。。
で、気になって
資格認定情報見てみたら、資格取得に27000円かかるそうな・・・
高い!(笑)
1日の勉強でソムリエになれるらしいです。
そんなでいいのかー(笑)
九州のリアル温泉マニアさんたちは
すごいですよ。w
自分たちで野天風呂管理してたり、
特に別府エリアのマニアさん面々、人生が温泉ですw
私はそこまでしてませんが
そういう方々にお会いしたことがあります(笑)
人生の楽しみ方って ほんとに沢山あるなぁ って思います♪
 
 

誰のせいでもない2

何か失敗したりすると、焦ったりパニくったり

凄い罪悪感と嫌だという気持ちが渦巻き

これは本当に私が悪いのか?

いや私だけが悪いんじゃない!あの人だって その人だって関係あるじゃん、

私がやらかしてしまったのは、周りの人だって悪いじゃん・・・なーんて

やり場のない怒りを誰かに向けたくなるのは

すごく 人間っぽいです(笑)

とても大勢の人が そんな心当たりがあるかもしれない。

 

誰かのせいにしておきたいのは

自分の責任と思いたくない思い です。

責任かかると責める、責められる と 思い込んでしまってます。

現代社会は責め合う関係が主流だからね

でもね、ほんとは誰の責任でもない。

たまたま その位置にいて

その体験をしてしまっただけ、

誰かが代わりにしたかもしれないその体験を

たまたま あなたが した。

もしかしたら、別の瞬間は

「ああ、私じゃなくてよかった」なんて胸を撫でおろしているかも。。

 

こういう時 私はこう思うようになりました。

ああ、これが私でよかった。

他の人だったらその辛さに耐えられないかもしれない

私は意外と平気。

だって 試練は乗り越えていくものだから。

 

どんな出来事を体験するか『宿命』が初めから用意されていた とも言われますよね。

聞いたことがありますか?

宿命なら避けられない。 いつかどこかで遭う運命。

だから起きるなら仕方ない。

そういうことが起こりうる可能性の環境の中に生きていて

たまたま それが自分の目の前で起きた ということ。

 

自分が当事者だったり、被害者だったり、加害者だったり、

色んな立場になります。因果の流転

それらはたまたま、流れとカルマの条件が揃った時にハマります。

どんなに回避したくても 起きてしまう時は起きてしまうし、
どんなに願っても 起きないものは起きない。

計り知れない広大な 世界全体のエネルギーが

大きくも微細にも流動し続けている中で

人間はそれを100%コントロールしきれるものではないのです。

 

予想外のことは 常に起こります。

関知しない微細な動きや 及ばない大きな流れを

全部把握することなど 不可能です。

だれでも、当事者になりえます。

起こさない努力をしたとしても、

キツく監視すればするほど、キツく取り締まれば取り締まるほど

100%の回避は不可能

締め付けた息苦しさの中ででは

ある水準を越えた時に

過失は起こりやすくなるのです。

オーバーフロー のように。

 

それ(罪)を責め合って責任の所在を押し付け合うことは

世界にとっては無意味です

それを有効に感じているのはそれぞれの自我だけ。

私は悪くない ということにできれば、真実などどうでもいい と思っているかのように。

問題解決よりも 責任の所在だけを気にする って。

 

え?修正処理を負わされる

そんなもの他の誰かがやればいい?

なるほど。

みんながそう思っていると ひとしきり押し付け合いの乱闘?が始まっちゃいますね。

暴力的な世界だなぁ。

「そうだよ、油断ならない世界なんだ」

そう思っているあなたが その世界を創り出しているとも知らず。

 

そんなエネルギーがあるなら もっと効率の良い方法がありますよ。

今一番 何が大切で どんな課題をクリアしたらいいか

気付いて取り組む

改善できることを見つけることの方が

ずっとこの世界を居心地のよいものにするのですけどね。

自我は自我のためのことしか見つけ出せません。

どっちが上か下か

目先の損得

それしか見えていないようなら

その未来は暗いです。

その流れは豊かさから離れてしまっているからです。

あなたの心、あなたのいる環境や 周囲の人々の心を豊かにすること

それはあなたが豊かになる ということです。

博多湾から

美しい自然は 常に一緒にあります

自然の流れと共に。

誰のせいでもない1

この世界で起きていること

私達人間は 人間目線の都合だけで世界を見てきましたが、

それだけでは済まない時代に入ってきました。

人間が増えすぎて 人間の都合でエネルギーを消費していると

足らなくなることももうすでに多くの人々に認識されています。

そんなエネルギー問題だけでなく、

私たちの日常で私たちが発する微細なエネルギーや波動に関しても

認識されるようになってきました。

私たちが 波動でできている ということも

少しづつ理解する人が増えています。

原子を構成する陽子や中性子を作るクォークという超微細な微粒子が回転運動をしていてその振動体の集積で出来ているのが物質界なのです

物質とエネルギー

地球上のあらゆる命が発生して それぞれの性質を生きていると

相互にぶつかり、混じり合い、関係性とエネルギーバランスで

全体を形作っていく

その形状や構成の加減は 偶然の集積によります。

自然の造形美 というわれるものです。

雪の結晶

私たちはその法則性にたびたび感動します。

その偶然を神の意思 とも呼びますね。

樹氷

人間たちは自分たちがまるで神であるかのように思っていたりしますが、

そうではありません。

人間の思考や動きもその一つ(自然の造形)に他なりません。

 

人間を生きていると、

いろんなエネルギーバランスの中で心の内にいろんな感情が湧き起こり

色んなはずみでいろんな決断をしつつ、

その瞬間瞬間が出来上がっていく

それが経験です。

そして それもやはり偶然の集積であるのです。

しかしそこに性質という法則性が存在しますから

それは偶然であって 必然なのです。

誰が当事者になるかは なってみないとわかりませんが。

 

悟り の 真我の意識で見ている時、

見ている私は世界そのもので、

この体はその一部でしかありません。

たとえこの体をうしなったとしても、意識は世界を見続けるのです。

その時はエゴからも解放され

ただただ観察していることでしょう。

肉体の苦は存在できません。

20201015191759.jpg

点描曼荼羅展

今日はFacebook繋がりの友人 松石恭子さんの点描曼荼羅の個展に伺いました。

松石展チラシ

松石さんの作品、Facebookで拝見している時から、

その抜群のセンスに注目していたんですが、

実物がすごかった。

もう宝石ですよね。とにかくオシャレでハイセンスです。

点描曼荼羅の作家さんの作品はちょくちょく拝見しますが 

松石さんのはデザインに個性があって、点だけでなく線や面なども活用していて特徴があるんです。

メヘンディみたいでもあり、オリエンタルな雰囲気

それで実物を見てみたかったんですよね。

お話を聞いてみると、ゼンタングルも制作経験アリとのことで納得。

バリエーションが幅広い。

 

この方、これからもっとメジャーになりそうな予感です。

大きな作品作らないかな?

現代美術作家にもなれそう。(美大出ならきっとなってる)

写真では写しきれない美しさなので 近隣の方は見に行かれるといいと思います。

今日はワークショップもされていました。art

松石恭子さん

松石さんと

松石さん長身でカッコイイ美女

点描曼荼羅

個人的に青い作品が好みです(笑)lovely

アトリエ霽月に来て下さるとのこと、楽しみにお待ちしてますheart02

 

 

カルマは手放すだけ

カルマというものは、摩擦のエネルギーです。
エネルギーなのでやり取り(受け渡し)ができます。
抱え込んだ負のエネルギーを持て余して 誰かに受け取ってもらうとスッとしますね
 
ある方は 自分で摩擦を創り出し、それを人に配る ということを無意識にし続けます。
何かを嫌って、不愉快になり、その愚痴を友人知人に聞かせるパターンなど。
 
自分の感情のエネルギーを誰かが受け取ってくれると、肩の荷がおりますので、
それをやりたくなるのです。
 
でも、摩擦を作っているのが自分だということに気付いていません。
 
もらう側のことに目を向けてみましょう。
 
他者の解放は、単なるエネルギーの排出なので 解放に立ち会ってあげるだけで済むことも多いです。
その人はそれを口にすれば気が済むのです。
解決したければ動くことでしょう。
この場合、聞くあなたは 何もしなくていいです。
 
「出したね?スッキリした?なら良かった!」
吐き出した内容をすっかり理解しなくてもいいし、解決してあげなければならないことはないのです。 

もし、相手が解決してくれることをこちらに期待しているとしたら、
もしあなたが簡単に快く引き受けられるならいいんですが
そうでないとしたら、しなくていいです。
 
現代人はなにかと責任の所在を誰かに引き受けさせたがりますが、
自分の問題は他者に責任があるのではないんです。
それぞれの宿命や運命は本人に与えられた学びですので。
その体験によって意識が愛に進化すれば、幸福は手に入ります。
でも、自我が受け止めるのを嫌がると なかなか進化できません。
問題解決を手伝いすぎると 相手の進化を遅らせます。
その人は常に誰かに色々解決してもらいたがるようになります。
 
 
小さな子供やお年寄りでなければ、
その人の代わりにその人がしなければならないことを肩代わりしてはいけません。
自分でさせます。
自分でできる力があると信じて自分でさせることはとても大切な学びです。
そうでなければその人はいつまでも自立できません。
これはとても不自由なのです。
他者に依存しなければ心地よく暮らせない。
不自由です。
 
やってあげる方が簡単なこともありますが、本人にエネルギーがあるなら信頼しましょう。
成長することを信頼するのです。
 
愚痴は、単なるカルマの解放なのでただ出すだけのゴミのようなものです。
ゴミを拾い上げる必要はありません。
ゴミ受けを受け止めてその人が明るさを取り戻すなら受ける甲斐もありますが、そうでなければ、スルー。
突き返したり(否定)せずに ただ流していけば終わっていきます。
 
自分が摩擦を起こしている時は、感情を解放して手放します。
 
本人が何をしているか 自覚することはとても大切です。
それぞれが体験して法則性を理解し進化します
これが人生の学びです。
 
意識が浄化されていくと
流れがスムーズになり、豊かさが舞い込みます。
愛の波動の温かさと大きさを実感してくださいね。
2020101320445.jpg
真我の意識からスタートする新しい人生の始まりです。

 

 

 

 

解放 手放すこと

解放のパターンについてお話してみます。
感情が揺さぶられたり、動揺したり、怒りを感じたり、悲しみを感じたり、気分が落ちたりする時
それは感情の解放です。
瞑想をしていても瞑想をしていなくても感情の解放は起こります。
自然なエネルギーの流れです。
 
感情は起こり、表現してエネルギーが外に出て行きます。
 
とても自然な形では その時々に子供のように喜怒哀楽が起こりますが、
大人になるほど、自然な感情は抑えるようになります。
周囲への影響を配慮してのことで、社会的にそれを求められることも少なくありません。
家庭や学校でそのように教育もされます。
 
人前で出さないことが美徳のように思われてしまって
過度に抑圧してしまいますと、
内側のエネルギーが出るところを失って内圧が上がり
具合が悪くなってしまいます。
 
他者の負のエネルギーをもらってしまった時も同じことが起きます。
 
怒りを向けられたり、愚痴を聞いたり、した時によく起こります。
特に元々溜め込んだものが沢山あると それが同調しますので
思いっきり具合が悪くなります。
 
 
具合が悪くなるその感情は相手のもののようで実は自分の中にあるものです。

(多くの人が同じものを共有しています)同じものに同調してしまうのですね。
でもそれで、それが自分の中にあることがわかります。
普段は奥の方に隠されているので 無いように感じていたりします。
でも、外側の波動につられて ひょっこり顔を出します
「いますよ~」って。
 
そういう時はラッキー
何に拒否しているのかを見つけると 手放すのが簡単になります。
 
嫌だ  という摩擦の感情
抵抗する摩擦の感情を手放します 
ただ、それがある
という認識だけにしていきます。
あるがままにさせておく  のです。
 
この世界に良いも悪いもない ただ起きることが起きているだけ
 
何かしてあげなければならない ということもないし、奪われることもない。
あなたは自分がすることを選べます。
したくなければしなくてもいいのです。
 
 
そうすると、やらされる  という意識がなくなっていきます。
 
いい人でいるために自分自身を犠牲にしていると
自分も他人も好きになれません。
 
まず 自分自身を愛する事
それができて、他者も愛することができるようになります。
 
全ての出来事に責任を取ることなどできません。
一つの出来事ですら 誰の責任でもありません。
ただ、起きることは起きるのです。
過剰に自分自身に責任を課さないでください。
罪悪感は手放していきます。
 
あなたの責任ではありません。
あなたが責任を負いたいなら止めません。
でも この世界は 起きることが起きるように出来ているのです。
それは思い通りにはなりません。
 
流れに任せると  勝手に解決することも多々あります。
ジタバタしない方がいいのです
気を揉ます大きく構えて下さいね。
 
ただ眺める練習してみませんか?
あるがままにさせておく。
 
解放して 治まっていきます。
自然体で行きましょう。
コスモス

信頼

その昔、私がまだ悩みだらけだった頃、

スピリチュアルなお話会で講師の方がこうおっしゃいました

「神とあなたの関係は、あなたとあなたのご両親の関係と同じなんです

あなたがご両親をどう思っているか は あなたが神をどう思っているかと同じです

そこに信頼関係があるのか 不信感に満ちているのか・・・」

これを聞いた時、とてもショックでしたね

「ダメじゃん」と思いました。

当時私は両親が嫌いだったのです。

機能不全家族と言いますか

私の病気は親の接し方が原因だったということもあり

私は親に怒りを持っていました。

なぜこんなに苦しまなければいけないのか

私は神にも怒りを持っていたと思います。

そんな

信頼感どころか 拒否感しかない相手と

信頼関係など築けるわけがありません。

「ガーン、神との断絶だぁ・・・」

「終わってるやん・・・」

と 思いましたが

終ってはいませんでした。

それから、カルマの浄化を始めます。

その時は強力な浄化の光を通したのですが、

大きなつまりが取れました。

不思議なことに夢で父と和解したのです。

何が起きたのか分かりませんでした。

目覚めると解放で泣きじゃくっていて、

しばらく泣き続けて それが夢だったことに気付きました

「なんだ、夢じゃん」

呆然としていました。

その瞬間から 私の中の親に対する怒りが消えました。

「あの人たちは子育ては上手じゃなかったけど、彼らなりに一生懸命育てようとしたんだ」と思いました。

自分たちのような苦労はさせまい として 甘やかしたり とか(笑)

苦労させまい失敗させまい として いろんなことを禁じたり とか (^_^;)

ひもじい思いをさせまいと 必死で働いて 子供がどんなことを感じていたか に気付く余裕がなかった。

でも、自分自身も寄り添ってもらったことなどなかったのですから

それを知らないのは無理もないことなんでしょうね。

彼らは私たちより何倍も辛い思いをしていました。

どうやってそれを責めることができるでしょうか。

「反抗してごめんなさい。責めてごめんね」と 思いました。

こんなに必死に こんなに一生懸命やってきたのに 何が悪かったの?と思ったでしょうね

一番いい方法が分からなかったんですよね

自分も親を信頼したことはなかったのでしょう。

カルマは連鎖していくのです。

でも、それは終わりに出来ます。

自分の所で終わりにできるものなのです。

 

怒りは 悲しみから来ていて

それらを解放して手放してしまうと 

そこには 愛 が残ります。

怒りや悲しみの手放し方が分からない方は

瞑想やEFT療法をお薦めいたします。

その苦しい感情から解放されて

愛で神と繋がってください。

 

今、私は猫を飼っているのですが、

その子たちを見ていてよくわかることがあります。

信頼を寄せて委ねてくる子と

警戒してくる子では

してあげられることが何倍も違います

神様は きっと もっともっと沢山与えたいと思っているかもです

でも、私たちが警戒していると遠慮して

嫌がることはしないであげよう と そっとしていてくれるのかもしれません。

私たちは変化に戸惑いますからね。

無意識に「私たちが怖がらないことしかしてくれなくていい」と

発信しているのかもです。

私たちが喜べば 沢山の豊かさが舞い降りてきます

受け取ったものを喜ぶ 可愛がられ上手になれるといいですね!

そうでもないことは、そっとスルーしましょう。

小さな喜びを大きく増幅させる

あなたの波動が あなたを豊かにします。

そうさせないカルマの感情を瞑想でお掃除しています。

ハッピーな毎日を。

ゴールドタラ

豊かさをもたらす ゴールドタラ です。

 

朝夕が肌寒く感じるようになってきましたね。

10月も半ばです。

秋桜は花盛りでしょうか。

秋桜

10月16日は亡き母の誕生日なのですが、秋桜が好きだった母を連れて秋桜畑へ何度か行きました。

10月16日は毎年秋晴れでした。「私の誕生日はいつも晴れなの」とよく母が言っていました

最期の方は 車椅子だったかな。

身体が不自由になってからは 旅行好きだった母も出かけるのを億劫がるようになっていました。

それで小さな秋桜の鉢植えを買ってきたりして 母の部屋に置いたりしたりしました。

春は桜 秋は秋桜です。どちらも桜ですね 

 

母は病気をする前は すごい働き者で、

もう過剰に働く人だったのですが、

休むということやゆったりした時間を楽しむことがとても苦手でした。

これは働いていないと不安になる というカルマからの衝動です。

前半生、戦後の日本の中で 周囲のご家庭も貧しかった中で

更に貧しい家庭の長女として生きていたからでした。

家族のために働き続けなければならない 

お金が無いことはとても辛い  という思いがこびりついてとれなかったのです。

 

戦争 という体験は 多くの庶民に苦しいトラウマを与えました。

そのカルマを背に 努力をして豊かさを手にしていきましたが、

カルマはその後も残り続けたんですね。

多くの日本人たちは得ても得ても 安心しきれなかったのです。

また どんな不幸がやってくるか わからない  と。

 

この世界に不信感を持って 怖れを軸に生きると

満たされる ということがありません。

不安は無尽蔵に湧き上がってくるからです。

 

私たちが生きているのは 過去でも未来でもありません

ただ、今 この瞬間にしか存在しません。

私たちが取り組めるのは 今 この瞬間だけなのです。

今 という真実を冷静に受け止めることから始まります。

どんな辛いことも 今の私が それをどう受け止めるか で

あなたの見ている世界は 不安なものにも 大丈夫なものにも 変わることができるのです。

 

出来事は 波のようなものです

上がったり下がったりします

一喜一憂が激しすぎると疲れてしまいますね。

まぁ 成り行きを眺めましょう

真の解決策は冷静な観察力から生まれます。

感情に呑まれないように

手に負えないことは サレンダー(降参)していいですよ。

この世界(ユニバース)が起こしていることは

ちっぽけな一人の人間にはコントロールできません

でも、流れは 不必要なものを淘汰していきます。

個々の都合はお構いなしにですが。

流れを読んでください。

 

私達人類は 新しい意識の世界へと進化していきます。

そうでなければ摩擦の苦しみと付き合うことになります

世界をこちらに合わさせるのではなく

私たちが柔軟に世界に沿って 共存していくのです

世界のバランスが 私たちの環境を守ります

バランスがとても大事です

エネルギーバランスです

この世界を構成するもの

すべてが あなた自身です

世界は あなた そのものです。

あなたの内側に豊かさを満たしてください。

お金や物質は必要ありません。

幸せに感じるものへ意識を向けるのです。

 

愛の波動を持った存在

悟りというものが崇高な境地で

選ばれた人間、高尚な人物にしかできないことだと思っているなら

それは間違いです。

悟りというのは 余計なものがくっついていない

純粋な意識の状態で

我々がくっついたカルマを落とすことで全ての人が

持っているもの なのです。

 

一番大切なものを大切にしていく

末節の枝葉にとらわれない

本質の純粋な愛 の波動になった瞬間

その人は純粋で美しい愛そのものになるのです。

 

もちろん、肉体がある間は

肉体の意識、自我 と同居していますので

エゴの意識や煩悩の感情は発生します。

 

でもその感情たちに呑まれるか、

他者にぶつけることなく手放すことができるか で

生き方は大きく変わります。

カルマの感情が出ている時は

ただ解放して手放せばよいだけです。

 

まだカルマの感情が大きい間は

解放が先決です。

詰まって噴き出しそうな大量のカルマのエネルギーを抱えたまま

それを出さないなんて不可能だからです。

まずはお掃除をしてお部屋(内側の世界)を片付けましょう

 

初めは大掃除かもしれません。

大きく出て行くほどに

内側に詰まったものは減ります。

沢山でたね! よかったね~

ピンクの光のサムネイル画像

マゼンダの光は愛の波動

ラブマントラの愛の波動 愛の光に身を浸してください。

あるがままの美

私はどうしてこんな風なんだろう?

と悩むことがおありでしょうか?

 

植物

肉食動物
 
草食動物
 
回遊魚
 
 
いろんな生き物がいます。それぞれの性質があります。
どの生物が素晴らしくて
どの生物が忌まわしい
とかいう問題ではなくて
それぞれがそのように生まれて
それぞれの生涯を全うする   ということ。
同じにはできません。
そこに良いも悪いもありません
 
私達人間にも
与えられた要素、与えられたカルマがそれぞれにあります。
宿命は選べるか?といえば選べないし、
経験も選べるようで選べない
なるようになっていくのです。
意図する事すらプログラム、カルマか宿命かもしれないのです。
思い通りにならない ということを受け止めるのが
人生の課題 悟りの道 でもあります。
 
あるがままを 受け止めきった時
そこには 存在の喜びが輝き始めます
 
ああ、生きているんだな と shineconfidentshine tulip
 
あるがままに咲く潔さは美しいものです
何も飾る必要もありません。
誰かに見せるために咲いているのではありません
あなたが存在を謳歌する ということです
 
なずな
 
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