ホーム>スタッフブログ>ダルマ>『食』のイメージ
ダルマ

『食』のイメージ

私達人間は 思いにとらわれています。

傷付くこと、悲しみ、怖れ、怒り、うらみ、劣等感

プライド、損得、所有、優越感

常識、正しさ、理想、夢、希望

これらはみな 私たちをとらえている心の中のイメージです。

つまり 真実 ではなく 幻想

心の中だけにある存在感です。

 

真実とは 一瞬一瞬変化して流れている 今 という瞬間です。

そこにはこの瞬間の身体と、この瞬間の世界の状態という 存在 そのものです。

そこに意味や解釈を付け加えて着飾ったり誤魔化したりできない 真実そのものが存在しています。

存在にイメージを付け加えて、都合のいいように味付けしてとらえているのは 人間たちです。

 

先日の出来事ですが、買い物に行く途中、車の助手席に乗っていて何気に見た居酒屋の のぼり に

『朝引き鶏』って書いてありました。

一瞬意味がわからず、次の瞬間に「ああ、」と思いました。

隣にいる夫に「朝引きだって、」と言いました

「何を引くと思う?」

夫「苺とか?」 「魚かな?」

私「鶏 って書いてあった」

夫「あーね。」

私「朝、殺した鶏って」

夫「殺した って言うな~!」

言葉が変わると印象が変わります。罪悪感が減る。

殺す という言葉には罪の感情がくっついています。

それと、焼き肉店とかお肉屋さんの看板で

ナイフとフォークを持って笑っている牛さん豚さんのイラストが描いてある看板も激しい違和感がありますね。泣いてるんじゃないんだ~crying

泣いてる絵を描いたら売れませんけどね

調べて見たら同じ違和感を持ってる人が沢山いました。

違和感キャラ 豚のパーティ

このブタさんたちは何の肉をたべているのだろう・・・?

この画像の下に養豚場の画像もありましたが、

貼るのをやめました。 見ると少なからず凹みます。

人間は欲望のために感性を麻痺させて鈍感になっていきます。

 

15年ほど前、狂牛病という牛の病気が流行った時、感染した農場の牛たちがまとめて殺処分になったことがありました。

多くの人が心を痛めてその事態を見ていましたが、

牛にとってはどうでしょう?

病気で死ぬか屠殺場で殺されるかの違いしかありません。

殺処分を命じられた酪農家の人が、インタビューで

「この子たちは可哀想に。お肉になって食べてもらうことができないなんて」

と言っておられたのを、激しい違和感を感じて聴いたのを思い出します。

大量殺処分も屠殺場も アウシュビッツ と大して違わないんじゃないか

と不思議に思うことがあります。

人間は欲望のために感性を麻痺させてエゴイスティックになっていきます。

良いとか悪いとかいうのではなく、自分たちがしていることに無自覚だ ということです。

 

私も牛豚鶏を食べることがあるんですよね。 お肉は美味しいと思いますよ。

滋養 って表現を昔の人はしました。

パワーの元 でもあるんですね。

 

現代人は、スーパーからスライスされた肉片を買って来て調理したりします。

買う時は肉片ではなく、食べた時の味を感じているのかも。

子羊や子ウサギをみて「美味しそう」って言っちゃうおじさんみたいな感覚なのかな。

年齢と共に、それと瞑想するようになってから

食の好みが変わり、あまり食べなくてもよくなりました。

ストレスを作らず、自然な在り方に戻ると、本当に必要な量というのはそれほど多くないことがわかってきます。

最近は そこまで動き回らないので、ベジタリアンになってもいいかな と 思いますが、

徹底まではしていません。

人間は雑食性の生き物でもありますし、現代でそれを取り除くことは かなり手間のいる作業でもあります。

 

食べる という行為が他の命の犠牲の上に成り立っている ということは 理解する必要があると思います。

なので、食べ残しを捨てる とか 売れ残った商品を廃棄する なんてことは

殺した命に対して許されるのかな? と思うことがあります。

人間は傲慢で都合が良い生き物です。私も含めての話です。

鈍感になりすぎてはいけないな と 時折思い出します。

 

でも、なんでもかんでも罪悪感を持つのも違うと思っています。

この世界では他の生き物を食べるサイクルで成り立っています。

食べたり食べられたりしています。そうやって肉体を維持する世界にいます。

ただ、享楽のために大量に無駄に殺すということを許される と思っているということは、

自分たちが他の生命体に虫けらのように殺されることも 仕方ない と考えるのと同じ と思います。

していることに気付かず、されたことだけを恨みに思うのはおかしい のです。

 

世界(ユニバース)にとっては、牛も豚も鹿も魚も人間も虫もウイルスも同じ

命という存在なのでしょう。

大量発生して 淘汰されるもの

増えすぎたら世界がバランスをとるために減らされる現象が起きます。

人間は 自分たちの都合でかなり自然のバランスを操作するように文明を発達させました。

そのおかげで世界のアンバランスは更に増大し、

最終的には 大きなダムが決壊するように全体が0に戻ろうとします。

 

この歪みを感じなくなっている人間はその時にパニックになるでしょう。

私たちは今、人間が何をしているのかを冷静に見て 理解する必要があります。

そこに良い悪いはありません。

ただ、原因と結果が存在し、ただ全体が存在しつづけるだけのことなのです。

生き物たちはそれぞれ、与えられた生命を生ききるだけのことですが、

生きて増えることがアンバランスを生じ、そのまま突き進むのみなら それはいつか世界(全体)がバランスを取るために それらは淘汰されます。

 

これを『神の意思』と呼んでいます。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.atelierseigetsu.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/918

ページ上部へ