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2019年11月

自我と真我

真我の意識は見つめています。

あなたの生を見つめています。

 

自我は理想を求め

人生を整えようとします。

おぼろげに見聞きしたもの、体験した出来事の中から

好ましいと思われる基準を模索しながら

自分の人生を理想的なものにしようと

日々努力しています。

 

理想として採用している基準が 正しいとは限りません。

最初はその環境の中で有利に生き延びるために必要な事

優越感 お得感

自分が快と感じた出来事

教育されたこと

親が喜ぶこと

賞賛を得られること

欲を満たせるもの

正しいと思えるもの

 

でも、ある日気付きます

頑張っているのに なぜ幸せに手が届かないのか?

 

私たちは人生の迷子になってしまいます。

 

仏教では この状態を 無明 と言います

 

知らず知らず幸せから遠のく努力をしてしまっていた

何が間違いで何が正解なのか

もがけばもがくほど 幸せは蜃気楼のように消えていく・・・

 

もうその方向性が幸せへの道ではないことは わかり始めています。

 

真我は この世界の歪みに気付いています。

居心地の悪い歪みは どうすれば解消されるのか

 

自我は表面だけ見ていますが

真我は根底の問題に気付いています。

 

それは現代人に与えられた今の課題でもあります

 

あなたが真我を感じ取り 真実に気付くと

あなたの周りの100人も気付きます。

あなたがカルマを手放し

真実を生きるようになるからです。

存在の美しさがそこにあります。

蓮葉の露

 

物惜しみ

私たちはこの世界をどう見ているのでしょうか?

起きていることは一つですが それをどうとらえているかは様々です

 

自動車事故に遭った時、ある人は

「畜生、なんてこった忌々しい!どこ見て運転していやがるんだ!車に傷が入ってしまった、修理代どうしてくれるんだ」と怒り心頭

自分の責任を回避して 事故った相手にどうやって責任を負わせようか必死で考えます。

 

また ある人は

「ああ、びっくりした。どれだけのことが起きたんだろう?

そうか、この程度なら大したことない。怪我をした人がいなくて良かった」

 

同じ程度の事が起きた時、その後の展開は 両者で大きく変わります。

前者は長らく揉め、後者は相手も態度が軟化するので必要最小限のことを痛み分けします。

 

始めて出会う人との関わりをどんなものにするかで 個人の人生や縁は変わります。

事故で出会ったその人と その後 友人になるかもしれません。

 

目先の損得勘定で未来の豊かさを失うのはもったいないことです。

仏教で、「親切でありなさい、物惜しみをしないように」

と 説かれるのはそのためです。

 

スピリチュアルのことを学び始めて

損を引き受けると 神様からご褒美が来る  というような体験を

何度もしました。

人が嫌がることを引き受けても同じです。

自分にできることならします。

 

ただ、自分に出来ないことを引き受けると苦しみます。

私たちは 私たちに出来ることだけをし、出来ないことはできないと言います。

したくないと思うこともしない方がいい。

それは無理にすると「あの時してやったのに!」と恩を着せてしまうからです。

人に親切にするのは、神や仏をご供養したり この世界を癒すためです。

何かを得るためにしているのではなく、

みんなが幸せな平和な世界、住みやすい環境を作るため。

恨みの気持ちを作るくらいなら何もしない方がいいのです。

恨みは毒のようなものです。

あなたは あなたの土地に何を撒きたいのか

いつも無意識に選んでいるのです。

 

荒れた土地は耕して草木が育ちやすくするように

人間関係に愛をもたらすのは あなたです。

あなたの世界は あなたが創ります

優しさ

何を選ぶか

何をして良くて 何をしてはいけないのか

色んな基準があると思いますが

スピリチュアルのことを知るようになって最初に衝撃的だったのが

「神は私たちが何をしてもいいと思ってる」 ということを聞いた時でした

いやいやいや、そんなことはないでしょう・・・ coldsweats01

宗教には戒律があるし、この世界でしちゃいけないことって 凄く沢山ありませんか?

犯罪とか 人殺しとか 虐待とか 悪どい事とか ドラッグとか?

 

いえ、違うんです。

この世界は 何をしてもいいけど、

したら幸せが増えることと、したらひどい思いをすること が あるだけ

のことなんです。

 

で、そのどちらも体験してみて確認している人間がいます。

望む望まざるに関わらず、担当者は実践いたします。

 

在ったことのない犯罪は まだそれを裁く法律がありませんが

犯罪は 人間がそれをやって 多くの人々が物心様々な面で傷付くので

それはしないことにしましょうね という 人間社会の取り決めによって禁止されるものです。

これは神様が裁いているのではなく、

人間たちのマインドが 社会を整えようとしてやっています。

 

ただ、気を付けないといけないことがあります。

ルールを作れば生きやすくなるのか?というと そういうものではなさそう。

 

ルールは 役に立つこともあれば、そうでもないものもあり

法律は 言葉で記述され、その言葉だけが形骸化してしまうと

言葉に当てはまったものだけがOKで、それ以外は全部 ✖ とか

あるいはルールに沿わない全てが裁きの対象になってしまいます。

そう、融通がきかなくなるのです。

例外が認められなくなる。

 

最近話題のブラック校則などもですね。

整えるためにあったらいいもの なのでしょうか?

それは誰の基準で?

 

生徒が髪染めで金髪にすると この学校は不良がいる、レベルが低い 

なんていう社会からのレッテルを恐れて

髪は黒くなければいけない という校則を作ると、

地毛が茶色い生徒に髪を黒く染めさせる なんて馬鹿げたことになる

 

持って生まれたありのままの自分を否定される ということがどれだけ個人の尊厳を傷つけているか

校則を作った人は考えが及んでいません。

個人の尊厳を無視したルール

 

今ある悩ましい出来事をコントロールして排除したいエゴは

とても視野が狭いのです

 

もしあなたの周りに奇妙なルールがあったら、決まりだからと鵜呑みするのではなく、

また、嫌だと毛嫌いするのでもなく

 

それは何のために あるいは 誰のために作られたルールなのか ちょっと考えてみましょう。

知っていて合わせていても、それにとらわれていなければさほど問題にはなりませんが、

既存のルールでも もうすでに役割を終え、時代の変化に対応できなくなっているような 誰も幸せになれないルールがあります。

それは現実的にも再検討する必要があるでしょう。

この世界は常に変容しているからです。

このことを 仏教では 諸行無常 と言います。

籠の鳥

こだわり

ひと昔前、日本が好景気に舞い上がっていた頃、

消費社会による好景気で

衣食住は満たされ、余暇を楽しむ日本人が増えました。

ただの当たり前では満足せず、

プラスアルファの何かこだわりを持つことがカッコイイ生き方のように感じて暮らしていた若者たちが多くいました。

自分はこのレベルでなければ満足しない、何事も高水準を目指すことが良い事のように人々は向上心という熱に浮かされていました。

 

この世界は 上昇気流だけで出来ているのではありません。

上昇したら下降して、常に全体の中で対流しているのです。

ほんの束の間、上昇気流に乗った高揚感と至福に陶酔したとしても

それらは一瞬のお愉しみでしかありません。

上昇と下降 ぐるぐる回っているだけです。

 

エネルギーは 偏りができると 密度が平均化しようとするのがこの世界の万有引力であり法則です。水面は水平になろうとしますし、浸透圧は均衡を保とうとします。

世界は自然の理に従って 対流して常に変容し続けています。

これが諸行無常です。

 

あなたのいる位置は一定ではなく、

所有していたと思い込んでいた物質たちは 対流の流れに

容赦なく押し流されていきます。

あなたの立場も変化します。

あなたは あなたの今を生き抜くのみ です。

 

こだわりなど だたの足枷でしかありません。

あなたの選択肢を狭めます。

あなたはただ 目の前の選択肢を自由に選んでください。

選択肢を増やせば増やすほど あなたの生き方は様々な彩りを加えます。

 

誰が選択肢を制限したのでしょうか

他でもないあなた自身です。

自由になってください。

生きたいように生きて構わないのです

あなたの内側の檻を取り払う

あなたのマインドの制限を手放す

何にもとらわれることが無くなれば

マインドコントロールなど起きません。

 

あなたはあなたの今を生きたいように生きるだけです。

その自由さを手に入れれば

不幸など存在できません。

 

内なるとらわれを手放すために 瞑想を実践しています。

限りない自由さと至福は あなたが内側にこしらえた枠から解放された時

なだれ込んで来ます。

 

枠を取り払って 真我を体験してください。

平原の真ん中に転がって見る空は 私という世界そのものです。

平原と空

私にのしかかる空、

いえ、私を包む空です

私たちは空の中に ただ存在します

ここにある命を体感してみてください。

 

あなたの命は どんな感じがしますか?

言葉というツール

言葉って 時々うまく使えない時があります。

言葉で言い表せないこと 沢山あります。

一つの言葉にあるいろんな意味

使い方を間違っても正しく使ってても 誤解は生じる

一つの言葉にイメージするものはさまざま

時には真逆の意味が同居してたりして

言葉だけに頼ると なかなかうまく伝わらない

 

それでも 日本語は他国よりもずっと言葉の数が多いんです
なのに 言葉だけじゃ伝わらない

はっきりしないもの 

例えば色のグラデーション それは何色なのか?

宵の三日月

言葉では言い表せない感動

それはあなたの感性でしか体験できない感動なのです。

 

あなたの心も言葉では言い表せない様々な心模様があり、

あなたは人生というバイブレーションの真っただ中にいます。

今この瞬間を 感じることをやめて生きるのは

あまりにも時間がもったいない。

そう思ったら もういまここにしか生きられません。

いま この瞬間を生きてください。

あなたの今は無限です。

味わうには 思考を止めて

味わってみることです。

それ、

瞑想かな?

(笑)

ある記事で見た文章

現在欧米でトレンドになっているストレス軽減法がオランダ発の「niksen(ニクセン)」。これはオランダ語で「何もしない」を意味する動詞で、文字通り何もしないことがストレス解消には効果的。さらにニクセンは、ひらめきを生み、創造性を高める手法としても注目されています。

 

これはもうやってみる価値、大 ですね!

 

瞑想で開く世界

意識の大海

意識は海のようなものです

私達個人の意識は、海の上の一つ一つの波のようなもので

社会全体はその集まりで出来ています。

 

海の外の 現象界では いろんな風が巻き起こり、

海面には様々な波が出来ます。

大風の時は荒い浪

風が穏やかになれば 凪ぐ

外界が安定すれは、海も静かな風景が拡がります

 

でも 台風のような嵐は ただの厄介者ではありません。

大きな揺さぶりを与えて海全体を活性化するのです。

 

今年の台風19号では すごい勢いで各地の地表にかなりの被害をもたらしましたが、

琵琶湖の湖底の酸素濃度が上がったそうです。

「琵琶湖が深呼吸をした」とニュースの見出しになっていました。

私たちの意識の世界でも同じです。

アクシデントは カルマの解放を起こし、

私たちの魂を磨いていきます。

 

集団意識である意識の大海では 他者の意識も無視することができません。

切り離すことが不可能です。

私達自身の意識もその大海を構成する一つです。

波は同調して増幅しますが、

一つが小さければ 全体も小さくなります。

連動しているのです。

 

そして、

海面から 内側をのぞき込むと、

そこは海の表面とは裏腹に 静寂の世界が拡がります。

海面から深く入れば入るほど、外界には影響されない

揺るがない安定と 緩やかな流れのみが存在しています。

 

意識の海では、そのエリアが空であり、神と繋がる場所です。

私たちの本質

自己と他者は同一の存在となります。

私の意識は全体の世界そのものを俯瞰する1点の観察点となります。

魂のここから全体を感じる

 

そしてつながっている海そのものを体感します。

これが瞑想の極意です。

個の意識がやろうと思っても体験できません。

意図を手放した時、それは内になだれ込んできます。

 

私が世界と一致する 意識状態、ワンネス体験。

私は地球そのものだった。

魂が体験する地球という世界の体験です。

これは宇宙全体を感じることも可能になります。

 

ただ、今というこの世界の瞬間を あなたは体感できるのです。

内側にあるイメージを手放せば手放すほど

ダイレクトに今そのものを体感することができます。

まず あなたの生命力を体感してみてください。

 

感じるとる能力が研ぎ澄まされるほどに

あなたは今を感じ取る感覚がクリアになっていきます。

 

そう、思考のイメージから離れることがコツです。

急ぐ必要はありません。

努力は必要なく、ただ 委ねる信頼感やリラックスすることが必要になります。

 

あなたという存在を分析することも特に頑張らなくていいのです。

それらは 自然に観察され、あなたは あなたの命そのものを理解していくでしょう。

 

気になる方はぜひ瞑想会にお越しくださいませ。

瞑想を通して出会う生命の神秘

あなたも体験してみてください。

 

瞑想の可能性は無限です。

瞑想教師たちは留めている壁を取り払うサポートをいたします。

どうぞ楽しみながら魂を輝かせてください。

苦悩は輝きに変化します。

愛の光PINK

 

そよ吹く風

久しぶりのブログです

しばらく慌ただしく時間が過ぎて 書く時間が取れませんでした。

毎年秋は生徒さんが多い時期です。

イベントや教室も連日ありますが なかなかご様子をお伝えする時間のなかった日々でした。

 

日常ではブログに書いたらいいなぁ と思うような話題は沸々と湧いてきます。

でも、それらはそよ吹く風か 現れては消える泡のようなもので

その時に見つめてすぐに文章にしないと 消えていきます。

 

言葉や表現はメモに過ぎません。

 

真実は ただ 今が 在る だけなのです。

過去や思いをキープできるのは 人間のイメージだけです。

 

そして その掴んで書き留めたイメージも

やがて風化してゆきます。

 

私たち人間が何かに取り組んだり、頑張るのは なぜでしょうか?

かつて 何かの目的のために 何かを頑張ってきたとしても

それは目的が達成されればその後は不要になるし

必要な状況がなくなれば、その行動は無意味になります。

 

私たちが生きるべき在り方は 一定ではありません。

 

その時の今を 丁度良くバランスを取りながら

あなたが生きる加減をしていくのです。

 

あなたは 今を どんな風にバランスをとって

一番心地いい状態を作るのでしょうか?

 

もしそれが 目先の条件だけしか見ていなかったら

そのバランスが大きな波に転覆されてしまいます。

あなたの意識が大局を展望することができるなら、

あなたは 大きなバランスを取ることができるでしょう。

波に煽られるのではなく、波に乗る人になります。

 

大いなる人生を あなたのバランスで楽しんでください。

人生はどうとでもなります。

あなたのイメージは自在なのですから。

光の風景

ドラマ好き

アトリエ霽月 瞑想教師 戸村寿子です。

今更の自己紹介(笑)

 

実は私、ドラマ好きです。TVとか映画。

夫はドラマは見ないのですが、

なぜドラマを観たいのか?という話になった時、

改めて理由を考えてみました。

要は面白いから なんですが、何が面白いのか?

興味の無い人に説明するのは難しい(笑)

音楽を聴いて楽しむのと 実は似ていて

情緒(感情)の波を楽しんでいるのではないか  と思われるわけです。

つまり波動ですね。

音楽の波動、色彩の波動、

スポーツでは体感・・・筋肉に発生するエネルギーと身体の状態

ドラマは 情緒の抑揚 なのです。

感動する とか、泣く(´;ω;`)ウゥゥ とか 

ドキドキする とか ハラハラする とか

時には真っ黒な心情とか 疑似体験するわけです。

でも、苦手なのは 戦闘シーンとか 残虐な場面とか 

いじめのシーンとか 悪だくみをしている人間の話とか

 

それから、勝ち組の話とかビジネス成功とかの勝ち上がりの話 の類になりますと

もう全くと言っていいほど食指が動かない。。

ゲームに興味がないんです。

人間の情緒は 自然の風や嵐や日の光と似たものがありまして

その辺りの風景を眺めているのと同じな気がします。

ですから 脚本がお粗末だと画像の荒い写真と同じで 

何も表現が見えてこないので 面白くない ということになります。

 

更に、ストーリーもさることながら

俳優陣の表現力に揺さぶられることも大きい要素です。

両方揃えば打ち上げ花火がロケット級に!

 

情緒の波 というビッグウェーブの波乗り ?

 

ドラマにはそんな楽しさがあります

ちょっと変態チックな鑑賞法?なのでした (笑)

 

面白いドラマウェルカムです。

現実は諸説よりも奇なり 

 

最近の若手俳優・女優たち 凄い才能ですよ。

芝居の表現力も進化してるのかなぁ 

新聞記者チラシ

父に思うこと

しばらく大阪でした。 

先月退院して仕事復帰している父の健診に家族が付き添いで病院に行かなければならなかったため、3日ほど大阪に行ってきました

仕事ができるくらい元気  とはいえ なにしろ80代ですから

本当に大丈夫なのか 倒れた時から職場や生活環境を確かめたり

補助できるものを入れられないかいろいろ調べたり各所に相談していました。coldsweats01

 

何もご存じない方のために父のプロフィールをご紹介いたしますと

父は現在、大阪の北新地で最高齢82歳の現役バーテンダーです。

21歳の時バーテンダーのアルバイトに入り、それが本職になってしまい、以来通算61年バーテンダーをしています。

サントリー愚羅馬亭 というお店を経営しています。かつては8店舗ありましたが、今は北新地店を残すのみです。

バーテンダー協会の関西支部長になったこともありました。

現在はバーテンダー協会の名誉顧問なのだそうな。

愚羅馬亭にて

仕事が好きすぎて 引退しません。(笑)

生涯現役と言い張りますが 今年9月に肺炎で倒れ、3週間入院していました。

記憶が曖昧だったので復帰できないのでは と心配しましたが、

無事復帰しまして、職場の様子も確認できました。

家では物忘れだらけでも 職場ではしっかりしております(笑)

不思議ですねぇ~ delicious

今回、丸2日密着して 様子を見てきましたので

色々と話ができました。

 

考えてみれば これまでの人生の中で

父が何を思って生きてきたか ちゃんとわかっていなかったかもしれません。

 

父はおしゃべり好きなので しつこく話しかけられることはよくありましたが、coldsweats01

聞いてもわかってこなかったのかもしれません。

今回は特に 私の知らなかったいろいろな昔話をしてくれました。

父20代

長崎工業高校を卒業後

最初は集団就職で積水化学という会社に就職しました。

兄弟が多かったので進学できなかったものの、

働きながら夜学に通おうと思って大阪に出てきたそうなんですが、

他の会社に勤めた先輩たちは働きながら学校を出る人もいたのに

自分の会社は 夜勤と日勤の入り混じったシフトを日勤のみにしてもらうことができず悩んだそうです。

当時は職場の周囲の人たちの協力がなければ働きながら学校へ行くことはできなかったようです。

就職難の時代、代わりはいくらでもいるから、嫌なら辞めるしかない。

そうして無駄に時間が過ぎていく中、

夜働いて昼間の学校に行くことを知人に勧められ 会社を辞めて夜働くようになったのだそうです。

それまで勤めていた会社は8千円の給料で6千円の寮費を取られていたため、ほとんど貯金ができずにいたそうですが、

雇ってもらった夜のお店では住み込みで寮費は要らず、賄い付きだったので6千円給料の大部分を貯金にできたのだそうです

(この話は初耳です。)

でも住み込みといっても、狭い部屋を数人で共有していたので

部屋で寝るのは先輩だけ

新入りたちはお店の椅子を並べて寝たり、カウンターの上に身体を縛り付けて寝ていた人もいた そうで(笑) 

すごい野営?みたいなことになっていたようです。coldsweats01

20代前半の男子ならではのエピソード?

私たちの頃、芸大生が制作室の床に寝袋で寝るのと似たようなものかな?と

思いつつ聞いていました。(笑)

 

夜の職場の世界は、他店からの引き抜きで従業員の入れ替わりが激しいそうで

先輩がほとんど引き抜かれて出て行って

2,3年もすると自分が古参になってしまうそうですが

たまたま出勤できなくなった店長の代理をさせられたことがきっかけで

その後、正式に店長に任命されてしまったそうです。

そんなこんな時に私が生まれることになって

看護師だった母が働けなくなり、

父は進学を断念して家族を養うことになるのです。

(私のせい?)(苦笑) ですね。

当時、女性は結婚すると働きたくても仕事を辞めなければならなかった と 

よく母が言っていました。

昭和36年・父娘 

トイレと流しが共同のアパートで赤ちゃんのいる夫婦が暮らす

本当に昭和の貧しい若い二人の様子が目に浮かびます。

結婚式もしないで 何の財産も無い二人。

 

クーラーもない暑い夏の日、夫の睡眠時間を確保するために

あせもでぐずる赤ちゃんを泣かせないようにして

抱いて外に出ていた という話を

子供の頃、母からよく聞かされていました。

私はお腹の中にいる頃から落ち着きのない子供で とても手がかかる子だったと

母はよく言っていました。

昭和36年母娘

子供心に聞いていて 大人になってから事情がわかることも色々あります。

赤ちゃんだった私が母の実家に一人で預けられた時の記憶は

父がお店のことでやくざに絡まれて「お前の家族にことはわかっているぞ」と脅されたから とか。coldsweats02

私と弟の兄弟喧嘩の時、母が怒って出て行くふりをして私たちを脅かして喧嘩をやめさせていたのですが

当時、母は色々悩んでいて本気で家を出て行きたいと思っていた とか。coldsweats01

 

月29日勤務で出勤していていた父ですが

たぶん 忍耐力と人望とおおらかな人柄で?

沢山のお客さんや仲間に囲まれ支えられてきたんだと思います。

人の知らない家族関係と 家族の知らない父の人間関係

古い写真を見ると、笑顔の後ろにある かつて断片的に聞いてきた話の数々

当時の生活の様子と 彼らの気持ちが

今になって蘇るような気がします。

私がまだ若い頃にはわからなかった親たちの思いや人生。

こんなに何十年も経って

当時の一人の青年の人生ドラマを

今、私の頭の中のイメージが再現していることに

感慨深いものを感じます。

 

感情というバイブレーションは 時代を越えているのでしょうね。

 

どの時代にも それぞれの人の人生ドラマのバイブレーション(思い)があり

それらは時代を越えて私たち人間の共通の体感をもたらします。

人として生まれて体験するもの

傷付くこと、誤解すること、後悔すること 切なさ 苦悩

そして 愛、涙 感動 です

言葉にはならない バイブレーションを

すべてのみなさんが 内側に秘めています。

 

今も昔も それは何も変わらない。

 

そして それは全て 愛に溶けていくのだな と

実感しています。

圓應寺にて

11月の大きなイベントが終わりました。

それほど大きなものとは思っていなかったのですが、

いざ本番を迎えて見ると、それはもう予想を超えた大輪の花火のような

すごいイベント体験でした。

 

11月3・4圓應寺 十夜一夜

 

ミュージカル奉納

会場は本堂です

会場は本堂

狂言師の司会でお話は進行します
司会は狂言師和心

気龍画 ライブペインティング

気龍画日幸さん

インド編  美しいインド舞踊

サキーナさん

サキーナさん

マンジュさん

地蔵和讃

地蔵和算

神と対峙する仏陀

インド編

インドから中国へ

戦いのシーン

観音さま

観音菩薩

中国から日本へ

官兵衛ガールズ

日本の伝統文化

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長唄、若き才能!

長唄少年

終盤、阿弥陀さまが現れる行です

仏画ライブペインティング

八百万の神も舞い踊る

仏画ライブペインティング2

阿弥陀さまの来迎です

来迎

阿弥陀如来

記念撮影

多彩な才能を発揮した出演者のみなさん 一同満面の笑みでしたheart01happy01happy01

仏教ミュージカル奉納 凄すぎました。

このミュージカル奉納の他にも色々

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ワークショップコーナーの祭壇セッティング中

寺庭ではロックバランシング体験

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夜のシタール二胡ライブ

シタールと二胡

続いて翌4日

トークライブ

トークライブ は副住職さまとご一緒に。

塗香の調香コーナー や

調香

 

ヨガ

ヨガレッスンなどなど

その他にも 載せきれないほど盛り沢山の企画がありました。

 

shineshine2日間の極楽浄土体験でしたshineshine

 

企画してくださいました圓應寺副住職の三木英信さま

心より感謝申し上げます

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