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2019年10月

変化する感性

カルマを終わらせることは私たちの宿命です。
これを避けて通ることができません。
ただ先延ばしすることができるので
カルマを見ないようにしたり、受け止めることを拒否していると一生の間におわらないことがままあります。
 
その場合は、来世に持ち越すようです。
再チャレンジ。
 
この宿命はそれぞれの魂が 魂の成長のために設定してきた設計図でもあり、
それらのカルマプログラムは私たち人間の身体の中に設定されています
 
それらは DNAの中に情報としてインプットされていて、
ある時期になると発動し始めます。
 
自分のDNAだけではなく
自分を取り巻く人たちのDNAにもそれが入っていて
お互いにプログラムを発揮しあって、互いに影響を与え合います。
これが宿命です。
 
人間関係そのものがDNA情報によって動かされている とも言えます。
 
それは偶然のようでもあり、
宿命なのかもしれません。
タイミング的に 偶然 とも言えますし
確率的に 必然 とも言えます
 
ただ、自分の前に展開される世界は ただ一つしかありません。
いまここ です。
 
それは常に変化し続け、
一瞬たりとて同じ状態はありませんが
 
あなたの動き次第で 流れに変化を与えることもしているので
あなたそのものが宿命の創造者であり実行者である と言えるでしょう。
 
行動は意図的であっても
流れそのものは自分だけでは作れません
あなたはやがて流れと同じ方向に流されます。
 
 
あなたの自我は 流れに逆らってみるかもしれません。
これは人間に与えられた特別な能力 と言ってもいいでしょう
流れに逆らったり、流れを利用する なんてことも可能です。
 
そのことであなたという一人の人間はどんな体験ができるでしょう。
 
流れに思いっきり逆らう・・・
そういうゲームも面白いかもしれません。
 
特に若い頃は 自分のエネルギーを発散消費したいですから
数々のチャレンジをして楽しみます。
生きている充実感を味わいたいんですね。
手ごたえ という摩擦を欲しがります。
 
年齢共に 発散するエネルギーは落ち着いて参ります
すると、「安定」や変化の無い「維持」がラクチン と感じるようになります。
 
自分がそう感じるからと言って、
子供、若い世代にそれが一番だと押し付けるのは間違いです。
 
彼ら若い世代は 発散するように出来ていますから
取り組む課題を取り上げてはならないのです。
 
また、若い時の感覚に執着して捨てきれないエゴを持っている
年長者も 困り物です。
24時間戦えますか!?と ドリンク剤片手にギラギラした目力で
アドレナリン全開 を最高の状態 だと思わないでください。
それはほんの一瞬のお愉しみでよかったのです。
青春の1ページ。
 
過ぎ去った過去の高揚は 懐かしく幸せを感じることで十分です。
それも良かった
 
そして今は 今を生きます。
幼くても、若くても 年老いても、
それぞれの今を それぞれにしたいように行動します
 
ですから 
自分以外の人に自分の価値基準を当てて
裁くことは無駄なんです。
 
自分にも人にも したいことをさせてあげましょう。
 
 
但し、あなたは 社会のリーダーを選ぶ時は慎重になってください。
全体のことを考えられる人を社会のリーダーに選ばなければ
社会は無茶苦茶になってしまいます。
 
あなたは 自分が何を選ぶか 自分に正直に
真摯に向き合う必要があります。
 
どんな人生を生きたいのか
一人一人が一番生きたい人生を選んでください。
 
今 その辺がとてもいい加減になっていたと皆が気付き始めていますね。
これから起きる大きな変化が見えてきました。
とても楽しみです♪ fuji
日本の夜明け
 

 

寂しさ

人は人生の中で 少なからず寂しさを経験します。

 

愛するものとの別れ

ひとりぼっちの時間が長くなってしまった時

誰も頼れる人が周りにいない時

心細い時

悲しい時

 

胸の奥がキューっと締め付けられるように痛く 

あるいは 胸の中にぽっかり穴が空いて 冷たい風が吹き抜けるような

そう寒さみたいな あの感情。

 

心の内に満たされて欲しい 温かい愛のエネルギーが途切れて

心のコップが空っぽになった感じです。

 

このままそのコップは空っぽなのか?

思わず涙が込み上げてしまいそう。

 

愛のエネルギーを見失うと 人はそんな風な身体感覚を持ちます。

 

愛のエネルギーって何だと思いますか?

どこから来て どうやったら手に入ると思いますか?

 

愛 は人生にとっては大きなテーマかもしれません。

 

どうして私は愛に満たされていないの?

そんな風に思ったら それは

誰か愛してくれる人がいなくなったからではありません。

 

自分の愛し方を知らずに今まで来てしまっただけのことです。

自分の愛し方は 自分が当然愛される存在である という自覚を持つだけのことです。

「それなら、自分は愛されるに値しない」なんて思ってやしませんか?

違います。

全ての生まれ来る生命は 神から愛されています。

他の生命体から愛されることを愛だと思わないでください。

愛は、自分が何かを愛する エネルギーです。

 

愛される というのは、自分自身に愛されるということが大前提にあります。

 

自分自身に愛されていないと 人から愛されようとしますが、

人から愛される という満足の感覚は じきに薄れてしまいますので、

自分を愛せるようにならないと 他者からの愛を信じることもできません。

 

あなたの中にあなたという命がある限り

あなたは愛されている存在なのです。

 

神さま って どこかにいるのではないんです。

あなたの命そのものと神は 同じです。

あなたの意識が 神である命と分離している時

あなたは命を愛することができません。

 

あなたは 愛されて生かされています。

 

じゃあ、どうしてこんなに人生が辛いの? と思う時は

あなたはあなたの命を生きていないことに気付いてください。

自分の命を生きる というのは

自分に正直になることです。

 

寂しい

辛い

悲しい

悔しい

 

自分の本当の気持ち 素直な気持ちを見つけることができれば

ネガティブな感情は解放され

あなたはあなたの命を見つけることができ、それを愛することができるようになります。

 

なぜかそれをダメだと思い込んでしまった

ダメ という基準を捨てて下さい。

 

感情は解放されて抜けていきます。

終わりがあるのです。

 

抜けて0になったら、

 

あなたは あなたの願うように生きてください。

あなたを愛して あなた自身が生きたいように生きてください

間違ったと思っても いつでも方向修正可能です。

 

花は光の方向に伸びます。

あなたも愛の方向に伸びようとします。

自然のままに生かしてください。

抑え込むのではなく 手足を伸ばすように心も伸ばしてください。

そこにあなた自身の愛が芽生えます。

忘れな草

誰かが思い出そうが出すまいが

誰のためでもなく

私は私のために咲いています。

誇らしげに。

そんなあなたの姿が人々の記憶に残ります

愛と癒し

愛って栄養みたい
そう植物の養分
土の養分 豊かな大地に育つとすくすくと葉が茂る
肥料は効果的に投入すると植物は元気になる
肥料をあげすぎると 逆に元気がなくなったり
植物によっては 肥沃な大地より荒野の方が向いてるものたちもいますから
当人に丁度いい養分の量がありますね。
 
私たちは一方的に愛を無理やり押し付けると それが相手にとってはどうかはわかりません。
愛は ただそこにあるだけでいい。
人はそこにある愛を感じて皆が癒され、元気になります。
 
魂は愛を受けるよりも
自分から愛を発することで大きく進化します。
 
辛い試練に見舞われた時でも
そのことで愛に目覚め、それであなたの成長のきっかけになったなら
それは素晴らしい体験なのです。
 
いさかいが起きて、誰かと衝突して
辛い気持ちや悲しい気持ちを味わっても
そのことと向き合っているうちに
いろんなことがわかってきます。
自分の気持ち、相手の気持ち
自分の事情、相手の事情
自分の本心、相手の本心
 
想像ではない 真の姿
 
本当の事がわかったら、それは愛に溶けてゆきます。
誰もわるくなかった ということがわかる。
 
このことが起きてよかった。
誤解を解いて和解することもできますし。
 
あなたが素直になって向き合ったり、相手を許す気持ちになれば
相手もあなたに愛を向けてきます。
誰も悪くなかったのよ と分かる日
愛で満たされ、癒しが起きます。
奇跡の瞬間です。
 
私たち人間は、愛を学びますと、

その課題をもう来世ではする必要がなくなります。
 
更に私たちの子供も同じカルマをしなくて済むようになります。

幸福な大人のところに生まれてくる子供は どんな条件でも十分愛されるのです。

(愛され足らなくても悲観することはありません。生まれてくる場所や身体の条件は様々で どんな人生を選んでくるかも 承諾済みで生まれてきますし、その学びをしたくてその条件を選んで来ているのです。)
 
大きく成長したいと望む魂は 大きな試練を選んできます。
それを通して この世界は愛で出来ている一つの生命体だ ということに気付いていくでしょう。
 
経験はなんだっていいんです。
 
思いっきり幸せに生きてください。
自分がしたいことをしていいんです。
取り組むのは今、目の前にあることだけで十分です。
 
流れに抵抗して圧を作っているのは自分だった ということに気付けば
世界は一瞬で変わります。
秋桜に囲まれて

 

 

 

 

 

 

愛 

愛は とても優しい思い なのですが
ただただ優しいだけのことじゃない
 ということは皆さんもご存じかと思います。
それは
愛のムチ とか? coldsweats01
ムチはどう見ても愛じゃないですけど(笑)
厳しい言葉は 愛であることも多いですよね。wink
 
その人のためなら 甘やかさずに叱ることもあるし、怒ることもあります。
怒りたいわけではなく、その人に叱ってくれる人が必要なら叱ります

手に負えない時はやめときますけど。(笑)
 
叱る というのはある意味信頼があるからできるとも言えます。
それを受け止めて成長してくれる という信頼
すぐにわからなくても、いずれかならず理解する という信頼 です。
 
神様も私たちにそんな愛を向けていますね。
 
必要な体験を与えて 自分で気付いて行くのを待ってくれます。
 
多くの成長のきっかけを与えて 見守っていますね。
 
すごく応援してると思います。
同じ観点で、私たちが他者に愛を向ける時、
相手(の魂の成長)にとってベストな行動がとれますと、結果が出ます。
 
あなたが、エゴではなく 愛を向けると
相手は必ず成長します。
 
見守られる本人は 手放し難いものを手放す時には少なからず苦しんだりもしますが、
それは産みの苦しみですので 無言で、いえ、有言でも応援 です
「がんばれ、乗り越えろ!幸せをつかめ!」と。
 
でも、本人が抵抗している時は時間が必要です。
必要な時間を待つ というのも大きな信頼ですよね 
 
そうでない時は、エゴで急かしたりしますが、
そんな独りよがりな愛はうまく流れませんので、
 
私たちが何かをコントロールしようとするよりも、大いなる流れに
「お任せしますよ」と言った方がずっと仕事が早いんです。(笑)
 
流れを信頼し始めると、多くのサポートたちが動き始めますよ!
 
サポートさん(守護霊とか)のやり方は、途中経過が少々荒っぽいんですが(笑) ちゃんと着地します。
 
ガーディアンエンジェル などと呼ばれるこのサポートさんは
霊なのか 神なのか 天使なのか 気のせいなのか 
はっきりしたことは証明できませんが
目に見えない力や意識が 私たちに働きかけていることは確かです。
もしかしたらそれは私達自身が発している波動そのもののことかもしれないです。
だからこそ 愛に立っていたい。
 
私たちはただ、心を穏やかに 自分を幸せにしておくことだけで十分なのです。
瞑想して命を感じる。生きていることを喜んでいるだけで、
世界にパワーを与えます。
喜びの波動は力です。
 
ハッピーな気持ちが復活して来たら 
周りの人に優しい気持ちを向けてください。
 

その愛が 豊かさをもたらすのです。
 
秋桜

 

 

 

 

愛する

愛することができる  というのは
我慢ができる ということとはちょっと違うんです。
真の愛には我がありません。
 
愛することには理由も目的もない。。
愛はただそこに溢れてくるのです。
 
真の愛というのは、見返りを求めることが無い愛のことです。
自分の身体を護るのに理由がないのと同じ 
そう、当然 というか、そうしない選択肢がない
そういうもののように思われます。
 
 
自分自身に愛を向ける時
自分で自分の不満に向き合うと
(自分を愛して、自分の気持ちをあるがままに受け止めることができると)

自我はその思いを解放し始めます。

そして内側の怒りやイライラ(カルマのエネルギー)は解き放たれて無くなってしまいます。
これが癒しになります。
 
愛は 相手を甘やかすこととも違います。
相手のエゴの言う通りにすることが愛なのではないですから。
相手の思いを叶えること ではなく、
ありのままにさせておくこと(泣く時は泣かせ、怒る時は怒らせる)
 
相手の体験を肩代わりしてやることはできないんです。
つまり 自分のカルマは自分にしか終わらせられないんですね。
あるがままを受け止めたくない時は抵抗して苦しみますが、
それを代わってあげることはできないんです。
 
カルマは罰ではありません。
進化するための体験です。
本人にとって大切な体験 ということです。
 
困った人、周りの人をかき乱す人 というのは、
みんなに嫌な思いをさせて問題提起をする人でもあります。
誰がその役目を負うかはなってみないとわからない。
生き方が失敗したからそうなるのではなく、それをやる役目でこの世に降りてきた ということらしいです。
周りの人の魂を成長させるため。
 
家族の中に問題児がいる としたら、
一族の中に潜在的に残っていたカルマを明らかにして終わらせ、
みんなの魂を成長させます。
 
まわりは、自分が愛でなくエゴだったことに気付き、全てに愛になる道筋をつけていくの人です。
この役目を負う魂は 嫌われ役をわざわざ買って出るほど勇気ある魂 とも言われています。(汚れ役 ですかね。(^_^;))
 
私たちはただ純粋な愛になればなるほど、自分自身が幸せになれます。
出来事は自分を傷つけることがなくなり、
世界の全てに向けられる自分の愛が巡って自分自身も満たします。
 
愛は溢れるもので 誰かから奪うものでも 絞り出すものでもないんです。
 
カルマは
終わらせる経過としては ただ 周りを在るがままにさせておいてください。
自分自身にも、感じている在るがままを受け止め、あるがままでいいよ と自分に言います。
カルマが抜けてしまえば、気持ちが勝手に変わります。
 
行動は できることなら愛を選んで下さい
でも、あなたのハートが 「そうではない!」と言うなら
そうでなくていいのです。
 
他人がどうであるか や 理想 は、気にしなくていいです。
あなた自身がほんとうにそうしたいように生きれば良いのです。
私は本当はどうしたいのか? と自分に問うてください。
 
あるがまま というのは あなたの望む今を生きることです。
 

 

愛を思い出す

空のお話をすると 全てがぶっ飛んでしまいますね。
良いも悪いもなく苦悩も悩みも消え去ってしまいます。
 
しかしながら 身体を持つこの世界では 
身体の感情に揺さぶられることも多いです。
 
そんな感情のことを書いてみます。
 
人の心は複雑なようで実はとてもシンプルです。
愛されたい という思いです。
全ての問題(カルマ)がここか満たされないために発生します。

 
カルマが無ければ子供は本来無条件に親から愛されますが、カルマはそれを邪魔します。
何らかの事情や感情が挟まってくる場合です。
親が真っ直ぐに子供を愛せない事情。。。
 
特別なことではありません。
実際は満たされていないケースの方が断然多いのです。
 
それで、親が素直に子供を愛せず、愛の足らないまま大人になってしまった子供は、インナーチャイルドが満たされておらず、
まだまだ愛情が足りないよ~、もっと愛してほしい~ というメッセージ(承認欲求)が起き続けます
でも、
残念ながらそれはなかなか 叶いません。
 
大人になってからは、愛することができる人がたくさん愛を受けとる法則性がある からです。
自分が発したものしか返ってこないんですね。
愛を欲しがっている人は自分が愛することを忘れています。
でも、沢山の体験の中で少しづつ思い出していくこともできます。
 
愛に触れないまま人生が続くこともあります。
 
それに気付くには多くの年数がかかることも多いです。
いえ、何度も生れ変らないとわからないことかもしれません。
愛が足りなくてもがく人生に嫌気がさして
自分から愛になることに気付いて
与える幸せになろうとするまで
その苦悩は続きます。
 
ただ、周りに愛することができる人がいると、そこから人の愛し方を学びますので 
愛せる親を持つと愛せる人になるのは簡単です。
 
親だけが見本ではありません。
先生や友達や、恋人や子供、それ以外にも 関りのあるすべての人から学びます。
愛することができる人の周囲の多くの人が愛に目覚め始めます。
 
愛は共鳴して癒し、伝染していきます。
 
あなたはもう愛に感染しましたか?
 
この世界に愛が蔓延しますと 愛されない人はいなくなるでしょう。
 
あ、これは言葉がちょっと違っていますね。
正確に言うと、
愛されないと思い込んでる人はいなくなります。

 

 

前回の路子さんの体験談

真実を解き明かしておられます。

 

路子さんはかの熊本の震災で被災された時、

自分が握りしめていた幻想が剥がれ落ちた経験をされています。

命以外の大事なものなどなかった という感動を体験した と

震災後にお話しておられたことをつい先日のように覚えています。

 

喪失体験は ただ辛いだけの経験ではありません。

古い観念が崩れ去り 新しい意識が誕生します。

覆いを剥がされた真我の目覚めです。

 

私が目覚めを感じたのは 災害がきっかけ ではありませんでした。

私の場合は 依存していた人間関係が切れたことがきっかけでした。

支え合っていたと思っていた友人にとって

自分は必要のない存在だった と分かった時、

いえ、分かりかけた時、自分はそれを必死で否定しようとしていました。

そんなはずはない と思おうとしてひどくジタバタしたんですね。

なぜ 自分がそんなに取り乱すのか 訳が分かりませんでした。

でも、その時の私は あきらかにおかしな人になっていたと思います。

内側でもがくエゴは狂気に見えます

あきらめがつくまでそれが続くんですね。

 

何もない冷静な時には 想像もつかないエゴです。

そんなものは映画やドラマの中だけかと思っていたかもしれません。

でも自分の中にありました。

これは私が特に変な人だから ではなくて、

全ての人の中にある煩悩と呼ばれるものです。

 

自分がそうしておきたかった理想像を作り上げるために

どれだけのエネルギーをそこに注ぎ込んだことでしょうか?

他人事なら ずいぶん愚かなことだ と思ったでしょう。

でも、渦中では自分の姿など見えません。

自分のイメージの渦の中で 溺れまいと必死にもがき続けます。

これを失ったら 生きていけない ・・・そんな感じだったんだろうと思います。

 

そういうものを無理やり引き裂いていく現実は

非情 としか思えないのですが、エゴにとって現実は残酷なものです。

起きる変化は止められません。

エゴが圧力をかけて阻止すればするほど、流れのエネルギーは溜まりに溜まって

激しい崩壊に至ります。

 

そしてエネルギーの決壊、 挫折・絶望 がやって来ます。

エゴの死 です。

理想のイメージは 粉々に砕かれ たただの残骸となります

何もかも失った焼け野原のようなところで絶望に打ちひしがれながら

見つけるものは 何だと思いますか?

 

終わっていない生命活動です。

 

何も終わっていない。

 

命 という愛は 最初から変わらずに ずっと生きています

 

なんだこれは? と 泣き伏せていた顔を上げます。

何も終わっていない。

 

 

むしろ活性化したくらいです。

無くても生きてる。

ただ生きる命そのものを見るのです。

 

失うことへの恐れがぶっ飛びます。

 

そして知るのです

最初から何も所有していなかったし

そもそも 所有という幻想にとらわれていただけだった ということを。

 

私達現代人は 財産やお金というものにとらわれて社会を形成しています。

まるでそれらがなければ生きていけないかのように。

それは間違いです。

それらがない状態で生きたことがない人が そう思っているだけのことです。

 

社会やコミュニティーも様々な在り方があり、

私たちの意識が変われば それはいとも簡単に実現します。

だって、実際にそうして形成されている国が存在するのですから。

 

私たちが天国に住むか地獄に住むか

豊かさに住むか孤独に住むか は、

私たちのイメージ次第でどのようにも場面が変わります。

 

同じ今を どう生きるかは 私達のイメージ次第なのです。

そしてまた、そのイメージすらも 本当はあって無いようなもの

ただの空(くう)でしかありません。

 

私たちはいつでも 空(くう)に帰ることができます。

瞑想に親しむと、空はどこにでもあり

いつでも感じられることができるようになります。

 

体験シェア

熊本のヒーリングサロンさゆらを経営されておられる浅川路子さんと知り合ったのは何年前のことだろう、、

どれだけお世話になったかわからない。

本当に純粋で真摯な人柄の路子さんは お会いする回数は限られていたものの 深い信頼関係を感じている方です。

とても繊細な感受性と 物事を深く見つめ 嘘偽りなく向き合う姿は

清々しく 時に切なく 

そしてとても広く大きな愛を感じる人なのでした。

 

今日、路子さんの公開されたノートの記述を

みなさんにも読んでいただきたく、ご許可をもらって こちらにご紹介いたします。

先週土曜日にある映画を見に行きました。
映画自体は申し分なくすばらしかったのですが、意外と胸にがつんと響くものは無く、淡々と見終えた感じでした。
ところが、余韻に浸りながらエンドロールを眺めていた時に、なぜか突然に「自分という映画」のエンドロールを見ているという、すごくリアルな錯覚に陥りました。
すると急に嗚咽が込み上げて来て止まらなくなり、そのまま顔を隠すようにして劇場を出て、駐車場に停めていた車に乗り込みました。
車に乗ってからも涙はずっと止まりませんでした。
その時の感情を言葉にするのはなぜかすごく勇気が要るし伝える自信も無いけど、感じたことをそのまま書いてみようと思います。
その時訪れたのは「私個人の人生」というのは実は存在していなかったんだ、という理解でした。
自分という主体がいて、自分が考え、感じ、経験していくことの時間的な連続で形作られる、一人の人間という「中心」から成立する個人の人生。
その「私の人生」だと思っていたものは、強い強い思い込みでできていたこと、それが突然に実感をともなった理解として降って来た。そんな感じでした。
その時に感じたのは、あらゆるすべてが究極に完全に平等に、ただ現れているだけだということでした。
そう、ただ現れているだけ。
その中には自分の体も、そして「これが私だ」という個人としての自我も含まれていました。
個人としての意識・・・自我すらも、山があり木があり風が吹く、それらとまったく「同列」の現れにすぎないと感じられました。
そして、パラドックスとして、すべて同列に「現れていない」のだということも感じました。
現れは、まさにホログラムのように実体の無い儚いもので、その正体を知ってしまえばあっけなく消えてしまうような感じがしました。
それはまるで、知らず知らずのうちにかけられていた強い催眠術から、急に目覚めたような感覚でした。
それを全身全霊で感じた時に、すべてがただ愛おしく思えて涙がとまりませんでした。
それと一緒に、慣れ親しんだ世界とのお別れのような、悲しさと切なさがいっぺんに押し寄せて来ました。
その時にもうひとつ強く感じたのは、すべての人が、本当は決して欠けることなどできないのに、なぜか不完全な存在であるふりをしているということでした。
人だけでなく世界全体が、もともと完全でしかあり得ないものが、不完全であることで遊んでいるように感じました。
これまでの世界の見え方にはもう戻れないのかも。
そう思った時に、どうしても今すぐに家族に感謝を伝えたい衝動に駆られて、「こんな電話をしたら私が気が狂ったと思って心配するかな?」と不安になりながらも、車の中で何人かの家族に電話をして「どうしても今言っておきたくなって。本当にありがとう。」と伝えました。
似たもの同士の家族なので、こんな突飛な電話も不思議とすんなり受け止めてくれてほっとしました。
人も、世界も、思考も、感情も、人間関係も、社会で日々巻き起こる出来事も、そして「個人の人生」も、ほんとうにすべてが究極的にまったく平等な現れなのだと思いました。
そこには、何かの現れが何かよりも重要ということは一切ありません。
何かの現れが何かより優れているということも無ければ、何かの現れが何かより、より愛されているということもありません。
なぜなら、それを「現わしている」何かは、意図も思考も価値判断も概念も持たないからです。
その何かはとても言葉にできるものではないけど、人間が作り出した言葉でそれに一番近いのは「愛」だと思います。
人間が「愛」と言う時、どうしても人間的な視点のフィルターがかかりますが、ここで言いたい「愛」はそれとはずいぶん違うものかもしれません。
愛は、意味を知りません。意図もありません。目的も無ければ何かを目指すこともしません。
意味、意図、目的は、必ず何かを選び何かを排除します。
けれど、この現れの背後にあるのは意味、意図、目的という収縮した意識を持つことのない、無限に開かれた底無しの受容性なのだと思います。
愛にはどんな形もなく、時間的、空間的制限からも自由で、生まれもせず死にもしない。
意味、意図、目的もなく、まるで遊ぶように、愛は現れという見かけの形をとることがある。
だから、見かけの形、個性、違いに彩られた世界(自我・・・感情や思考も含めて)のすべてが、ただいっときの遊びの中で現れて、また無尽蔵の愛の中に溶けて消滅するだけなのだと思います。

無尽蔵の愛だけが存在の本性。
だから個人であるという現れの錯覚の中にあっても、突然に催眠術が解けて、無尽蔵の愛という本性の方が顔を出すことがあるのだなと思いました。

仏画イベントのお知らせ

ニュース欄と同じ内容をこちらにも掲載させていただきます。

 

芸術の秋、到来です。

各地でのアートイベントなどお愉しみでしょうか?

今後の仏画関連のスケジュールをお知らせします。

まずはイベントへの参加・出展

★10月27日(日) 福岡市立中央市民センターで行われる『市民文化祭』に福岡仏画の会から出品いたします。

3階ホール前ロビーの一角に教室作品を4~5点ほど展示いたします。

イベントの詳細情報はこちら 文化祭「令和」

図書館で行われる朗読「耳無し芳一」にも興味津々です。

 ※大きな文字をクリックして頂くと情報ページに飛びます

 

★11月3日(日) 中央区大手門 圓應寺にて 

 法要イベント「十夜一夜」

   (前売り入場券取り置きのご連絡承ります)

   写仏ライブパフォーマンス と 写仏ワークショップ

  同 4日(祝) 圓應寺

   スピリチュアルトークイベント と 写仏ワークショップ

十夜一夜チラシ

十夜一夜チラシ裏面

 

イベント入場料が必要です。

料金 有料。ミュージカル奉納のみは前売り1000円・特別パスポートは2000円・展示鑑賞、龍笛演奏、トークショーは無料

(前売りご希望の方はアトリエ霽月でチケット取り置きできますので、戸村までラインかメールでお知らせくださいませ。)

 

円応寺さんのイベント紹介ページより 以下のタイムスケジュールです

【盛沢山!十夜一夜(てんやわんや)の圓應寺にいらしてください】

【メインイベント】
◆あなたも参加しよう!文化人20数名による
 十夜会特別ミュージカル奉納
「佛法外伝 シルクロード物語」
11.3 17:00~ 19:00
 拝 観:先着100名
 入場料:(前売1000円)当日1500円

 仏の国での千年分の善行「十夜会」において、仏の教えがシルクロードを通り、わが国に至るまでの道のりをミュージカル仕立てで皆さまと修して参ります。

 三国のそれぞれの弦楽器の共演はまるでその土地土地に花が咲いた仏の教え。

 読経の中、二種のライブペインティング、ライブロックバランシング、それから皆さまには「五種正行」なる修行体験もあります。

 小学一年生の奉納やインド舞踊家、元劇団四季ダンサー、現役ご当地アイドルなど、文化人がそれぞれの世界観で仏の世界を表現します。

 千載一遇の機会をお見逃しなく。仏を念じて皆さまと一体になりましょう。

 皆さまの大切なご先祖さまに感謝し、幸せを祈願いたします。


◆竹灯籠ライトアップゾーン(3日のみ)

◆展示 
 氣龍画・仏画・絵画・立体曼荼羅・日本画
 ミウラパンのふるまい
 衣装を着て無料撮影会
  会期中両日 無 料

◆ふくおか官兵衛Girls  奉納LIVE   グッズ販売
11.3 19:10~ 入場無料

◆シタール&二胡を聴きながら特別写仏「二十五菩薩」
11.3 19:30~ 20:00~ 500円
◆シタール&二胡を聴きながら瞑想体験
  11.3 19:30~ 20:00~ 1000円

◆お寺スイーツとお抹茶セット
 お釈迦さまの乳粥とお寺の落葉焼きの芋 限定30 食
  11.3 15:30~ 21:00 600円

◆石積み瞑想ロックバランシング体験
11.3 ①15:00②19:00 500円

◆世界でひとつ浄土の香りを観る香作り
11.3 15:00~  11.4 10:00~ 1000円

◆龍が導くタロット占い(氣龍画購入者は無料)
11.3 15:00~  11.4 10:00~ 500円

◆龍笛奏者のハンドマッサージ
11.3 19:00~  11.4 12:00~ 1000円

◆授与頒布物「特別限定御朱印」
  会期中両日 500円~

◆立体曼荼羅に集う「晨朝yoga六念法」
(インドの子どもたちへのドネーション)
11.4 10:00~11:30 ドネーションは500円~

◆龍笛演奏 筒音会 咲良・小百合
11.4 11:30~12:00 入場無料

◆手打ち圓應寺麺 限定35食
11.4 11:00~16:00 600円

◆皆さんも参加できるトークショー
 「私たちが知りたい見えない世界」
  絵仏師 戸村寿子さん 聴き手 圓應寺副住職
11.4 14:00~ 入場無料

ご参拝を心よりお待ちいたしております。 

日時:2019 11.3 祝日(日) ➤ 4 代休(月)
        15:00~21:30   10:00~16:00 
会場:圓應寺 福岡市中央区大手門3-1-7

好評発売中!超お得 
100名限定特別フリーパスポート 2000円
先着になりますが下記すべて利用可能です。
・3日 ミュージカル奉納100名先着無料
・3日 シタールor二胡生演奏 特別写仏どちらか各20名先着無料
・3日 シタールor二胡生演奏 瞑想体験どちらか各20名先着無料
・3日①15時②19時 ロックバランシング体験各部5名先着無料
・3日①15時②19時 龍が導くタロット占い各部5名先着無料
・4日①10時②13時 龍が導くタロット占い各部5名先着無料
・3日19時~ 竜笛奏者のハンドマッサージ5名先着無料
・4日12時~16時 竜笛奏者のハンドマッサージ10名先着無料
・3日 オリジナル香作り半額
・3日 お抹茶セット or 4日~15時 手打ちラーメン どちらか一膳半額   
 ※定員および売切れ次第終了

ミュージカル前売券・フリーパスポート 
予約/購入先 主催事務局 090-7979-4033 or 090-1977-5577

その他お問合せ:092-761-1454(9:00-17:00)
        お気軽にご連絡下さい。

【対 象】 どなた様でも参拝可(平服で可)

1日瞑想会

アトリエ霽月では月に1回 第3日曜日に

1日瞑想会をしています。

これはELM瞑想もしくはフルフィルメント瞑想の伝授を受けたことのある方は

どなたでもご参加いただくことができます。

アトリエ霽月以外で伝授を受けた方も当然ご参加いただけます。

 

1日瞑想会は プチ・リトリートのようなもので

合宿はハードルが高いけど 1日だけなら という方にはとてもお薦めです。

朝10時~夕方18時過ぎまで たっぷりの時間を瞑想ワールドで過ごします。

 

今月10月20日の1日瞑想会は 合計9名の方にご参加いただきまして

食べる瞑想 ランチタイムの後に 急遽EFT療法のデモンストレーションも入り

盛り沢山な 充実した一日となりました。

 

人数が多くなればなるほど、瞑想も深くなり 

主催している私の方が癒されますので、毎回1番楽しみにしているのは私です(笑)

 

いつもながら ランチタイムは準備に夢中で 

料理を並べたところの写真をいつも撮りそびれてしまいます coldsweats01

 

瞑想中も、自分が瞑想が気持ちよくて 写真を撮ることを忘れてしまうのですが、

今日は1枚だけ撮れました。 heart02

1日瞑想会20191021234147.jpg

ご参加くださったみなさん。

本当にありがとうございます。heart04

ほんとに幸せな毎日ですshine

 

 

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