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2019年7月

真実を明らかにする

このところ、参院選のスピーチを聞く機会が多いのですが、

なかなか感心させられます。

特に 大西つねきさんという経済学者の方

面白いですねぇ。

 

『本当に大事なのは お金じゃない。皆さんの時間と労力(経験)です』

 

とおっしゃる。()内は私の翻訳です。

労働はエネルギー そのエネルギーに価値があるんですね。

お金にそのエネルギーを乗せてやり取りしてる

 

でも、本当は、私たちは何を体験して何を理解するか が とてもとても大事なんです。

 

だって、あの世に持って帰るのは それだけなんですから。

お金を沢山集めた経験 それは何になるのでしょうか?

そのために犠牲にしてきた時間の数々

関りを捨て、愛を捨て、人の温もりをあきらめて

得たものがお金 って  悲しくないですか?

子供のために残したお金で 子供が兄弟げんかをしたり、

欲に目がくらんで奪い合いの争い そんなものを残すことを

あなたは望むのでしょうか?

 

お金があることで特権意識を持ち、人を見下すこととか

その優越感って幸せなんでしょうか?

 

そこに愛はかけらもありません。

お金のある所に人は群がりますが、

それは愛ではありません。

お金が無くなった途端、蜘蛛の子を散らすように人がいなくなります。

 

お金とは 砂糖のようなものですね。

麻薬のようなものかもしれません。

人を狂わせる副作用を持ったものです。

 

そういう意味では 財界の人たちは薬中?

いやいや、アヘン戦争を起こした人と同じです。

支配のためにお金というヤクを使っている

それが無いと生きていけない薬中、いえ、金中になっている現代人

維持するモノとそれにかかるお金、

 

あなたは もう何もかも要らない って思ったことはありますか?

私はあります。

でも、自分が投げ出すと 誰かに迷惑をかける と思うと投げ出せない

そんなジレンマで生きている都会人は少なくないと思います。

 

執着があるうちは もっと苦しいでしょう。

私は 何もかもなくなった時はその時はその時 っていう

諦めというか、開き直りみたいなものがあります。

限られた命で いつかすべてを手放してあの世に帰るなら

執着なんて持ってもしかたないのです。

 

その代わり、生きてる間中、自分ができる限りの愛を表現したいんです。

生きてる間中、自分も笑いたいし、みんなの笑顔を沢山見たいんです。

 

そういう思いと同じ思いの人が 街頭演説をしていました。

 

生きるためにお金がかかる仕組みの社会で

生きるためにフウフウ言いながらお金を作って

それだけでクタクタ って

お金の奴隷なんですね。

仕事の疲れをとるために、整体とかマッサージやヒーリングでお金を散財して

私何してるのかしら って言った人がいました。

ホントにねぇ・・・って。

 

そんな社会を変えたいと実際に動き出した人。

お金中毒の幻想を剥ぎ取ってもっと生きやすい社会システムを作ろう!っていう人達

応援せずにはいられません。

 

みんなは、お金で満足するよりも 愛で満足できる

そんな世界は遠くありません。

 

だって、それはもう始めてる人がいるんですから。

ブータンではそんな政治が実際に行われているんですから。

 

私はこの日本の変化をワクワクして見ています。

ニール・ドナルド・ウォルシュ『神との対話』

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神との対話、 瞑想者のみなさんはご存じの方も多い事と思います。

この本は、私が初めて読んだスピリチュアル本でした。17年くらい前のことでしょうか。

友人の勧めで読みました。

高次元の意識、神 との対話が始まってしまった男の体験談です。

読み始めて、引き込まれて一気に読みました。

これまでにない視点が 開いていく不思議な感覚に興味深々で、

続編も次々に読みました。

 

このような体験はニール・ドナルド・ウォルシュ氏だけではなく、

日本人の方も(黒澤一樹さん)同じ体験をされて 文章や講演で発信されています。

 

奇跡のコース も 同じような内容を取り扱っていますし、

ここからの認識はもはや 異端ではありません。

随分と多くの人々が 視点が違う 悟りの意識からの見解を共有するようになりました。

 

今、選挙に立候補して選挙活動をしておられる山本太郎さんもこの本の愛読者で、

3巻目のあとがきを引き受けられています。

そのあとがきの文章がこれです

政治色は抜きにして一人の人として読んでみてください。

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神との対話 3巻目 山本太郎あとがき二〇〇二年五月 
「二十五歳になった時、納得できない大人になってたら、死んでやる」
 十代の僕はそう思っていた。
 芸能界に入ったのは十六。まわりの大人がほとんど信用できなかった。言葉巧みに操られ、自分の意思がひとつも尊重されていないような気がして、重苦しい毎日だった。仕事先でよく、大人たちから「お前、ホントに十六か? 賢すぎるなあ」と言われていた。適当なことを言っている大人が裏で何を考えているかを、いつもじっと見ていたからだ。
 大人だけじゃない。何かに対していつも怒りがあった。むかつくヤツは消せばいい。金がなければ奪えばいい。今さえよければいい。人生は一度きり。俺は俺の生きたいように生きる。——やんちゃな年頃とはいえ、ずいぶん刹那的な十代だった。

「だけど何か違う」、そう感じたのが二十一歳。
 ちょうどその頃、姉がヨーガを習い始めた。僕と同様、悩みが多くやんちゃだった姉なのに、ヨーガを深め、精神世界に興味を持つにつれ、驚いたことに、会うたびにまるで薄紙が剥がれていくように内面の輝きが増していくのが見てとれた。
 姉とは気が合わず、よく衝突していた母が、そんな姉の変容を見て、「私もそうなりたい」とヨーガを習い始めた。母には膠原病という持病があったのだが、ヨーガを始めてからは徐々にその症状も安定し、どちらかというと、物質至上主義だった母が、姉の影響でいつしか精神世界へと⋯⋯。そして、母の内面もそれまで以上に輝きを増し、大家族の愛と絆が深まった。そして、これは効果がある、と僕もヨーガを習いに芝の増上寺に通うようになった。
 ヨーガを通して身についたのは集中力。
 僕は常にじっとしていられない子どもだった。とにかく机に五分と座っていられない。勉強は大嫌い。字を読むくらいなら、どこかに遊びに行きたかった。

 その、まったく本を読まなかった僕が、海外ロケの荷物に母が入れてくれた本を開く気になったのも、ヨーガで集中力がついたためだろう。
『神との対話』を読みはじめたのは、『世界ウルルン滞在記』の仕事で、パプアニューギニアのイリアンジャヤへ向かう途中だった。七回も飛行機を乗り換え、最後はドラム缶と一緒に貨物用のプロペラ機で運ばれ、たどり着いたのは、「秘境」と呼ばれる地だった。
「文字に慣れていないから最初は読みにくいかも。でも、飛ばし読みはしないで、わからないところは元に戻って繰り返し繰り返し読めば、きっと意味がつかめるよ」と言う母の熱意に負けた。始めからすんなり頭に入るわけではなかったが、集中して読み始めるとだんだん面白くなってきた。
 道理に合っている事だらけだった。科学者も政治家も、偉い誰も説明できなかったことをズバズバ切っていた。
 イリアンジャヤに着き、ある部族と生活を共にした。日本とはまるっきりの別世界だ。食べものも違う。生活もまるで違う。十六くらいの健康な娘が子どもを産み、しつけや教育は酋長がする。日本なら高齢者は、社会的には片隅に追いやられることが多い。だが、ここには経験を積んだ人だからこそ、必要とされるぴったりの任務があり尊敬されている。
「若い者が子どもを産み、五十歳以上の成熟した大人がその子を育てればいいと『神との対話』に書いてあったのは、目の前のこれじゃないのか?」
 本に書いてあったことを、この辺境の地で自分自身の目でしっかりと確かめたのだ。

 帰国後も、まさに同じような出来事に気づかされた。『神との対話』はいつのまにか僕にとってバイブルのような思い入れのある本になっていた。破天荒だったこんな僕が変われたのは、この本との出会いがあったからだ。
 だから、日々自分なりに本に書いてあることを実践している。たとえば仕事を選ぶとき。映画やドラマでも、その時々で、スケジュールや内容、さまざまな状況が複雑にからんだうえで、選択を迫られる場面が多い。そんなとき、損得や目先のことを考えるより、自分が本当に心からやりたいことをやるべきだ、と僕はそう肝に銘じている。
 また、インスピレーションやヨーガで少しは開けた自分のカンを大事にするようになった。
 決して大げさなことじゃない。たとえば朝出かけるとき、ふと替えのTシャツをもう一枚持って出かけようかな、とひらめいたりする。「まあ、大丈夫か」とそのまま出かけてしまったときに限って一日中動き回り、大汗をかいてびしょびしょのシャツで過ごすはめになってしまう。そういうときは、朝のひらめきを逃した自分を疎ましく思う。忙しさにまぎれ、つい「まあ、いいか」と気づかぬ風をよそおうこともある。そんな時は、「ダメダメ、これはきっと自分に必要なことは自分が一番知っているということだ」と立ち止まってチェックすることにしている。

 もともと僕はクリスチャンだった。だが親がそうだったから洗礼を受けただけで、僕にとってみれば単なる儀式だったにすぎない。子どもの頃から事あるごとに自分の勝手で神様に祈ったりしたけれど、その願いは届いているのかいないのか。悪事をしては、あの鋭い母にかかるとすべてお見通しで、ベッドの中で何度「クソ神様!」と呟いたことか。そのうち、大きくなると、「神様がいるのなら、なんでこんなひどい世の中なのか? 本当は神様なんていないのでは?」とむかつくようになっていた。
 でも、今は違う。
 この本に書いてあるように、神が自分と同じようなものとして人間をつくったのなら、自分たちの力で世界は変えられるんじゃないかと思う。今は僕は特定の宗教を信じているわけでもない。キリストやマホメット、ブッタとか、特別に信仰している神や仏もいない。だが、いつもなんとなく、目に見えない大いなる神の存在はあると確かに感じている。どこかに向かって祈るわけじゃない。だが、どんな人も何かに夢中になっている一番ピュアな状態が、神に近いような気がしている。

 また、殺戮や貧困、飢餓という悲惨な状況下の人を行動で見るたびに心が痛むのは、僕の存在意識に「地球人」、「みんなと家族」という考えがインプットされているからだと思う。
 うちは母子家庭だが、物心ついた頃から母は子どもにいっさい隠し事をせず、「ボーイフレンドができた」「今月はもうこれだけしかお金がない」など包み隠さず話してくれた。母が死んだあとでも、何が起きても動じないよう、この世の中で起こり得るすべての事に対処できるようトレーニングを施してくれた。僕が悪事を働いたときは、納得するまで説教され、キッチリとけじめをつけられた。母親としてだけではなく、人間として真正面から向き合ってくれた。母親でありながら、「いい師匠に当たったなあ」と思わせてくれる母も、『神との対話』に書いてあるような「家族」というものの愛と大きさを、教えてくれているのかもしれない。

 自分が自分らしくない時。
 最高の考えも持てない時。
 高いビジョンなどとんでもないという時。

 残念ながらそんな日は多々ある。そういう時、僕は『神との対話』を読み返す。目次を見て、目についたところをぱっと読む。地方ロケに行く時にも、ぽんと鞄に放り込んで行く。
 

もし、僕も神と対話ができたら聞いてみたい。
「地球はこれからどうなるのか?」と。

二〇〇二年五月
山本太郎

https://note.mu/tokotonstudio/n/n84dd15d80ad1

神との対話〈3〉宇宙になる自分になる (サンマーク文庫)
ニール・ドナルド ウォルシュ[著]
吉田利子[訳]
https://amzn.to/2XzQs5q

 

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17年後の今

山本太郎さんは確信を持って行動しています

私も同じ確信を見ていると感じます。

直感がそう言います。

 

本当に大事なものとは何か?

 

私たちは何をすべきか?

 

何のために生きるのか?

 

ここには1ミリの迷いも矛盾もありません。

表現方法はそれぞれですが 

調和する世界、命たちの歓喜のハーモニーを表現しようとしています。

ニールドナルドウォルシュニール・ドナルド・ウォルシュ氏

新しい文明

生命は進化しています。

魂もまた進化しています。

 

いろんな経験を経て より調和に向かうのです。

何か変化が起きる時、古い体制が崩れて、新しい創造が始まります。

 

この世界は、創造・維持・破壊 → 創造・維持・破壊 → 創造・維持・破壊

というサイクルを繰り返して進化していきます。

 

これまでの体制に乗っかってそれを維持しようと一生懸命になっている生き物たちは 変化の時 混乱します。

 

蟻の巣が掘り返された時、アリたちが慌てふためくように

 

生活圏が生活困難になったオオカミを 自然保護地区に移動させるとき

牙を剥いて威嚇するように

 

どんな変化が起きるか知らないものは その変化はこの世の終わりか? と怯えてしまうのです。

 

どんどん高く積み上げた積み木はいずれ崩れるように、

育ちすぎて大きくなりすぎた大木の枝が 自重で折れてしまうように

発達しすぎてバランスを崩した体制は崩壊します。

 

川底が堆積物で上がってキャパを無くした河がいとも簡単に決壊するように、

老朽化したダムが決壊するように、

自然の圧は 邪魔者を壊して行きます。

流れを遮っていたベルリンの壁が崩壊するように

流れは再び 流れ出します。

 

自然のあるがままの流れは 

厳しいだけではありません。

それ以上に 多くの愛を私たちにもたらして

生命全てを養っているのです。

 

人間が 強欲で 何もかも独り占めして支配することなどできないのです。

 

特定の人間が他の命から搾取して 贅沢豪遊するしくみは

崩壊して行きます。

そのような社会のしくみは、高度文明ではないのです。

 

この世界は調和して微笑みます。

 

私たちが微笑んでこの世界が調和します

 

生きとし生けるものすべて どれだけに幸福に満ちて

この地球を慈しむことができるか

 

私たちの今は私たちの未来へと繋がります。

 

増えることも減ることもない地球の物質を

どのように調和させるか

 

私達 文明の担い手 人間たちの課題です。

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永遠に紡ぐ命を 自らの愚かさのために死なせてはなりません。

この世界を見守っているのは 私たち一人一人の意識です。

人類の叡智とは 愛 です。

 

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今の日本で これまでにないムーブメントが起き始めています。

まだ、気づいていない人も多いかもしれませんが 抑圧されていた矛盾が崩壊していく瞬間に立ち会えそうです。

私たちの幻想が剥がれていく経験です

多くの人が同時に体験できるのではないかと ドキドキワクワクしています。

 

そのことに嫌悪している旧体制派もたくさんいます。

カルマは立ち去りたがらないのです。

 

大いなる流れをサポートします。

鍵を握るのは 山本太郎氏とれいわ新選組の面々です。

次の選挙には必ず投票に行ってください。

このままがいいのか

お金に囚われない新しい調和の世界を見たいのか

経済に翻弄される世界は終焉を迎えます。

経済と共に滅びていくのか

新しい日本に変容するのか

このチャンスは逃せません。

逃してしまうと 更にダメージが拡がるからです。

どうぞ山本太郎氏の話に耳を傾けてください。

大西つねき氏の話を聞いて下さい。

あなたの考えは動くことでしょう。

大いなる流れの中に

私たちを取り巻く世界は エネルギーが対流しています。

常に一定の要素が対流しながらその中に無数の生命体が存在しています。

 

その流れの中で 流れを利用しながら 生命を存続させているのです。

大きな世界の中の 微細な生命体です。

人間は知能を発達させたので いろんなものをコントロールする手段を見つけて

随分いろんなことを自分たちの都合のよいように使い分けることができるようになりました。

だけど、見えているのは表面だけ ということも多かったのです。

最初は見えることしかわからず、何度も試行錯誤 実験していくうちに

深部まで知るようになるのです

人間は、いままで分かっていなかったいろんなことがわかるようになると、

まるで全部わかったかのような気分になったりしますが、

違うんです。

見えているのはほんの表面で

その後ろに広大な宇宙のエネルギーが控えてる

 

そのことをまるでなかったかのように扱ったとしても、

その存在が消えるわけでは

ありません。

私たちの目の前には

広大な宇宙を背負った今が 存在しています。

その世界に生かされているこの身体です

 

世界を汚さない 

世界を貪らない

世界の調和と平和を心がける

 

それができるためには 自分自身に余裕が無ければなりません。

無駄に不安や恐れを取り込むと それだけでも余裕はなくなるし、

無知であることでも不安や恐れは増大します。

不安や恐れから 脅しに弱くなり

不安や恐れから 間違ったリーダーについて行ってしまいます。

 

あなたの内側にあるセンサーは

あなたが冷静にならないと正常に作動しません

あなたが 感じることをもっと大事にするようになると

あなたのセンサーは 正常さを取り戻し始めます

 

感じるってなんだ? と思う方

瞑想をしてください。

あなたの中の雑音が瞑想中に排出され

あなたのセンサーは正常さをとりもどし始めます。

 

これはどれだけ顕在意識で思考してもできない調整なのです

 

あなたに必要なことは 特別になることではありません。

あなたはあなたにとってすでに特別な自分自身であることが明白なのです。

変わったことができることが特別なのではありません。

それは単なる個性です。

様々なDNAが存在しますので 変わっていていいんです。

一律である必要もありません。

様々な人が様々なことをできて、全体がバランスを取っているのです。

そういう世界で何千年も何億年も命を紡いできた種族です。

 

仲間で殺し合う必要はありません。

仲間で蹴落とし合う必要もありません。

智慧があるのですから

共食いをせずとも 共存する方法を見つけられるはずです。

 

この世界を

地獄にするのも天国にするのも

人間次第なのです

 

敵はいません。

対処する問題があるだけです。

協力して多くの命が喜びに輝く世界を作ることができる 

特殊な能力を持っている人間であることを思い出してください。

 

対流するエネルギーを 調和されると 永遠の流れは可能です。

食い尽くすような愚かなことはやめたいものです。

エネルギーは 押しやれば 押し返してきます。

時間差で戻って来ることもあります。

 

あなたの心を穏やかに保つには

瞑想が有効です。

愚かな事をしたくなくなってきます。

 

あなたが あなたらしくいることも

それは愚かな事ではありません。

あなたが あなたのまま 世界と共存してください

ゴリ押しするのではなく バランスを保ちます。

ちょっと工夫も必要です。

選挙

これまで あまり政治には興味がなく、誰に入れようか見渡してみても 

なかなか綺麗ごとばっかりだったり、反発心からのみ吠えているような感じだったり

ほんとに誠実な中身のみえる人って 見つけられなかったんですね。

 

利己や保身の人は 全然頼りにならず、

戦闘的な人は 協調できる世界を作れるような気がせず

誰が本当のことを言ってるのかわからず、

当選後は 手のひらを反すようなしらばっくれ方 とか

やっぱり嘘つきなの? なんて思っていると

誰に入れても どうせ何にも変わらないじゃないか

なんて思って、そのうち考えるのも面倒になって放置。

選挙そのものに興味が湧かなくなるんですね。

 

ニュースで 憲法を変えるとか、自衛隊が戦地に行くとか

税金を上げるとか、年金は無いとか

妙な話に 怪訝な顔をしつつも

気が付けばいろんな妙なことが決まっていって、

やだなぁ と思いながらも

自分にどうしようもない事はもう悩む気持ちにもなれず。

 

そんなこんな。。。

世の中なんて理不尽なものだね なんてことで片づけてたある日

悩みごとからは無縁の 悟りの人たちが 急に声を上げ始めたんです。

 

山本太郎さんいいよ。

この人は素晴らしい人柄だ。

 

悟りの人が褒めるからには 大事なことを気付いた人であるには違いないわけです。

彼らはエゴの人や嘘の人は簡単に見破ってしまいますので。

 

気になって 動画を見るとなるほど。

 

なるほど。

 

ですよね。

 

そうだそうだ。

 

本気でやる気か?

 

なんてことを思う。

 

出来ると思ってること自体、すごいエネルギーの持ち主です。

 

なんか本当にできる気がしてきたぞ。(笑)

みんなが支え合う世界です。

そう、思い遣り合って分け合う世界。

愛はもらうよりも与える方がずっと幸福だと知ってました?

 

この世界は つじつまが合うようにできていて、上手に分配すれば皆は養われる。

 

だけど、一部の富を独占するところは、末端からそれを吸い上げる仕組みを作ることに熱心で、

偏りやアンバランスを生み出してしまいます。

苦しさにあえいで怒りを持つ人々は、自分がそこに食い込もうと必死になって

搾取される側から する側になってやる! って ・・・

 

違うじゃん。

それじゃあ、何にも変わらない。。

 

怖れのために、蓄財しても 幸福になんかならないんだ。

分け合うということは愛です。

自分が愛でないのに、誰から愛をもらうのか??

誰も 愛なんて信じられない世界を

愛の世界に変えようよ なんてことを

本気でエゴに挑んでる。

 

でもたぶん、エゴは自分からは譲らないので

災害か何かで 持っているものを失ったりしないうちは 主導権を握る日本のトップもなかなか目覚めないだろう と思っていました。

一般国民もそうなんです。

でも、できる気がしてきた。

 

政策とか、言ってることは確かに かなり厳しいし、

いまあるものを分け与え合いましょう なんて言っても、

最初から持っていない人はともかく、

怖れを抱いて蓄財に執着している人にはなかなか届かない。

 

だけど、その所有なんて いつ泡のように消えるか わからないものだよ? ということも知ってる。

 

地球はどんどん揺さぶりをかけて来るし、自分だけ守ってもだめだ ということに気付き始める人も増えて行って

これは本当に世界観が変わるチャンスかもしれない と 思うのでした。

 

独り占めが国を亡ぼすのではなく、命あるものが守り合うことができる国 

そういう日本になってもらいたい と 思う 日本人の私 でした。

 

どうせ死ぬんだから というあきらめよりも

どうせ生きるんなら 幸せを増やそう と 思っていたいのでした。

 

この選挙は れいわ新選組を応援します。

 

自分だけが安全地域にいる現状がいいなんて言える人の方が少ない
みんなが安心して暮らせる日本になってもらいたい。

そのためには欲張ることはやめて 互いに愛を与え合う生き方に変えて老後を迎えたいんですね。

どうせ激動の時代なら 本当の調和に向かって進めたい

政治にはあまり興味を持てない私でしたが、今回は違うようです。

 

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↑ クリックすると動画が見れます。

 

日々徒然

今日は涼しくて過ごしやすい日でした。

部屋の中を風が通り抜けると 幸せな気分になります。

 

午後は仏画教室でした。

20190708仏画教室

5月から来られてる生徒さんの作品が高レベルでびっくり!

生徒作品 鬼子母神のサムネイル画像

これ、途中なんですが、小さい作品にも関わらず、ち密な描き込みに驚愕!

たぶん、誰も真似できない精密度レベル

大学の専攻が美術だったそうで、関心しきりです。

 

いろんな才能があるものだなぁ。。。 \(^o^)/

 

才能と言えば、、、 昨日の弁天大祭で、急遽 ロックバランシングアーティストの方のワークショップが始まり、

ロックバランシングに初チャレンジ

ロックバランシング初チャレンジ

どやっ!! smile

でも、

ベテランのすごさ、見てくださいよ

201978225029.jpロックバランシング溜作品

手前のやつです。講師作品。  

 神業かっ!!  

 

もっとやってみたくてウズウズしていますが、

やりだすと止まらない性格なので、今は我慢。

 

そのうち、河原や山でウロウロする戸村寿子が見かけられるかもな、危険な予感です。

いやいや、やることはいっぱいあるので ガマンガマン。

ジグソーパズル級の危険エリア。

 

この世は不思議で面白い事だらけです。

 

もう一つの今日の注目は れいわ新選組でした。

選挙演説が面白い。

衝撃的! 時代の変化を感じますよ。

 

書きたいことが一杯過ぎて書ききれない今日この頃です。

また、追々と。。

等身大観音菩薩と

無事帰宅した観音さまとツーショット

搬入完了

会場風景全体図は改めてご報告しますが

展示作品は こちらです

弁財天白描のサムネイル画像

弁天 観音 菩薩のサムネイル画像

聖観音のサムネイル画像

菩薩後ろ姿のサムネイル画像

勢至のサムネイル画像

勢至のサムネイル画像

続きはまた明日・・・

体験瞑想会

本日は体験瞑想会の日でしたいことがある。

 

体験瞑想会は より深い空の体験を味わっていただきやすくするために

少し時間を延長して 内容を充実いたしました。

それでちょっと、参加費を復活させていただきました。2000円かかります。

以前の無料体験会では物足りなかったところを充実させてより実感していただきやすく工夫しています。

効果はなかなか良好です。

 

この瞑想会はまだ伝授を受けたことがない方向けのご説明と

ELM瞑想を理解するためのお話と 十分な瞑想時間を取っております。

 

未経験者向けに 瞑想CDを使って瞑想いたしますが、

すでに瞑想を実践している方もご参加頂くこともできます。

日頃の瞑想がこれでいいのかわからない という方

日常は一人でする瞑想を たまには複数の人と一緒に瞑想してみたい  という方

教師に質問したいことがある方 など

お気軽にご参加ください。

 

7月の体験瞑想会の予定は 本日と

12日(金)19:00~21:30

19日(金)14:00~16:30

8月の体験瞑想会は

3日(土)10:00~12:30

9日(金)19:00~21:30

10日(土)10:00~12:30  です

 

そして、明日は圓應寺の弁天大祭に参加させてもらいます。

圓應寺さんは 福岡市中央区大手門にある浄土宗のお寺で

あの黒田官兵衛の妻 光 が建立した由緒あるお寺です。

このお寺がある大手門簀子地区は福岡大空襲で大打撃を受けたエリアでしたが、

あの弘法大師空海が作ったと言われる寺宝の弁財天様は戦火の中 焼け残り、今もお寺を見守っています。

明日は年に1度の御開帳の日なのです。

このお祭りにお呼ばれした次第です。

イベントコーナーで 私のトークコーナーがございまして、仏画のお話をいたします。

タイムスケジュールは こちらをご覧ください

圓應寺弁天大祭

 

今夜、搬入があるんですが、

ちょっと大きな絵を作りましたので展示する予定です

よかったら見に来てくださいね。 夜に写真をアップします

圓應寺マップ

怒り

怒りが出てくる時、私たちは何に対して腹が立つのか

自覚がありますか?

イラっとする時、

自我の意識はその対象が私を怒らせた という大前提に思考しますが、

本当にそうなんでしょうか?

 

なんて嫌なことをしてくるのか、

それはルール違反でしょ    とか

人が困ることをするのは悪い事でしょ。

人を苛立たせるのは心遣いがないからでしょ、失礼でしょ、

みんな我慢してるのにお前も我慢しろよ

社会人としての意識はないの?     など、

え?私の気持ちや立場は無視?ひどい!

私を大事に扱えよ。私を尊重しろよ。

ガッカリさせないで!

な-んて 

ここまで書くと、それがエゴだってことはかなりわかってくるんですが(笑)

 

多くの場合は、その途中で 正義の論理を引っ張り出して 

自分の正しさと相手の間違いを証明しようとしてしまいます。

 

これはエゴのマインド特徴的な性質です。

自分のエゴ というのは自覚することが簡単ではないので、

ついつい その考えが当たり前のことのように思えてきてしまいます。

 

これの分かりやすい形は、他人様の思考の様子を見ると よくわかります。

 

自分を正当化して 相手を悪者に言う人  なかなか面倒な人だな って思いますよね。

これは 自分がしていることがなかなか客観的に見えないので本人はなかなか自覚がありません。

感情に飲まれてしまっていることが多く とにかく鬱憤の捌け口を作ろうとしてしまいます。

「私は怒っていい!」 という理由が欲しいんです。

 

でも、これは 怒っちゃいけない って意識が基本に張り付いているからかもしれません。

大人な態度、平和な態度であろうとするあまり、自分に怒ることを禁じてしまうと そのエネルギーは出口を探して、

怒ってもいい正当な理由を探し出そうとするのです。

 

自己中な人や、正当化する人を見たら、ちょっと視線を自分に向けてみてください。

本当は悪い誰かがいるのではない

 

私も 自分だけが正しいと思ったことはないか?  と。

 

人を批難したり、裁いている時、

人は自分の正しさを握りしめています。

 

問題はそこじゃないよ。 これまで抑圧された我慢が出口をさがしてもがいている様子。

表面だけをとらえると、表面的な問題に翻弄されたり、頭を悩ましたりしてしまいますが、

本当の問題はそこではないんです。

 

鬱憤  何がそんなに抑圧されたんだろうか・・・

 

誰かが悪いという視点では 何も良くならないんです。

だって、本当の原因がずれているから。

 

何が起きているか 真の問題は何なのか?

 

自我と自我の関わりに摩擦はつきものです。

世界とのかかわりの中ではどうすれば摩擦が少なくなるかが大事なんですね。

我慢は摩擦ですから 我慢しても解決にはなりません。

逆に、怒りで摩擦のエネルギーを一方的に相手にぶつけると、

強い相手は反撃し、弱い相手にはカルマを背負わせてしまいます。

カルマのエネルギーは誰かが終わらすまで、あなたの世界に存在して

やがてあなたのところに戻ります。

これが因果応報の法則です。

 

それぞれがすでに抱えているカルマのエネルギーも、

飛び交う感情たちも この世に存在するエネルギーをお掃除するには

まず、自分の所に来ているカルマから終わらすしか方法がないんです。

 

怒りをすぐに手放せる人、器が大きくてあまり腹立てない人 というのは

この自分の所でカルマを終わらせるのが上手な人なんです。

 

嫌なことが起きて ちょっと悲しかったり、ちょっと腹立たしかったり、

ちょっと凹んだり、ちょっと苦しかったり、ちょっと痛かった  等の時

 

ああ、これで自分の担当のカルマがだいぶ減ったよね  と言ってすぐに手放します。

これはカルマが少なくなればなるほど 普通の事になっていきます。

引っ掛かりがどんどんなくなって、感情も制御可能なレベルに。

内側からカルマが減る なんていうのは なってみないとどんな感じがするかわからない  と思われることでしょうが、

 

これがどうして ホントに違うんですよ。

イライラすることが 本当になくなって来るんです。

 

人間だからイライラだってするだろうさ、

 

悟っても確かに、腹の立つこともあるにはありますが、

本当にカルマが減ってしまうと

それを全く引きずらなくなってしまいます。

 

だったら、カルマのお掃除が先決だね と、

意図的にカルマを一気に減らしたくもなりますが

 

人生のカルマを一気に消すことは、とてつもないネガティブを一度に体験する ということなので、

大男が6人がかりで押さえつけてもはねのけるくらいの苦しみ方をしてしまう 

のだそうで・・・

そう急がないでください。

一日にちょっとすつがいいですよ。

 

チェンマイに長期瞑想に行って  なんて方法もありますが、(笑)

簡単にチェンマイに行けない人は

おうちで一人でできるELM瞑想の実践が一番安全で効力があります。

 

アンガーマネージメントは 瞑想でできます。

 

悲しみや 罪悪感についても 同じ効果があります。

まずは瞑想をして落ち着いてくださいね。

 

必要なことが起きて、世界は調和に向かいます。

全体の都合は個にとっては不都合に感じられることもありましょうか、

流れはまた あなたを無視することもできないのです。

 

平和な心はやって来る

ELM瞑想に携わって8年経ちます

この瞑想で知ったことは これまでの世界観がひっくり返るようなことでした。

それまでにも宇宙の法則は学んでいたので、 思いが世界を作る ということも

引き寄せの法則も、鏡の法則も

全ては自分が源である ということも

知っていましたが、 自分の中から出てくる厄介な感情を制御することは難しかったんです。

なんでもないフリをしても、無いことにしても やっぱりそれは ありました。

あるだけならまだいいのですが、 

私のそれは自分自身の身をよじるほど 耐えがたい苦悩でもありました。

フラッシュバック

 

過去に傷ついた心の傷の残像

それは何十年も経って 大人になった私に 相変わらず痛みをもたらしていました。

恐ろしかったです。

 

ですが、その不安に満ちた恐怖の感情が 毎日の瞑想をし続けることによって徐々に出てこなくなりました。

いつしか、 パニックを起こしそうな状況で 冷静でいる自分を発見するようになったのでした。

不思議でした。 舞い上がる焦燥感は 出てこなくなりました。

そして、出来事の本当の姿が見えるようになったのでした。

もちろん、1,2ヶ月で全てが変わったわけじゃありません。

ものすごく深い傷は、普段も封印されていますので、 通常はあることすら忘れています。

だけど、自分が不安になる状況で、泣き出しそうになりながら、

いえ、泣きながら  冷ややかに 「これも流れだ、仕方がない」とはっきり自覚している自分がいたのでした。

そう、もう甘えや執着は終わり、

精神的に自立するのみ

 

かくして私は動じない私へと変貌したいったのでした。

不思議でした。

カルマが終わると こんなに 視界が変わるとは。

 

また、マスターのボブさんに会う度に 私はどうすればいいのかを理解していきました。

 

答えはあなたの中にあります。 ハートに従いなさい。 

すべての出来事はあなたを成長させます。

カルマは教師なんです。

 

カルマは 出て行って そして無くなるんです。

カルマの矢を投げ返してはいけません。それはあなたの所に戻って来てしまいます。

カルマをあなたの所で終わらせてください。

感じて 手放すのです。

大いなる流れを信頼してください。

 

敵を友として扱いなさい。

あなたの愛が癒しを起こします。

 

clover  clover  clover

私が作る世界に 私は何をもたらしているのか・・・

発信した意識が同じように外から返って来るのを見ると、自分出す波動に慎重になります。

カルマを手放して、徳を積む。

愛と慈悲の眼差し。 

良い悪いはない。 

自分は何を選択したいのか。。。

 

常に直面します。  私の表現したいもの。  私が 反映させたいもの   愛。

今、私はどのカードを出しているの?? と自問自答します。

 

私は 愛と平和を この世界に発信したい。

それは自分が発する波動なのです。

常に 常に。

上手くいかない時は 立ち止まって 見る

他の誰が何をしようと 私のスタンスは揺るぎません。

友人である自我の声や 身体の声と共に

この世界を慈しんで生きています。

 

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