2018年12月
プラムビレッジ
マインドフルネスの聖地 プラムビレッジのリトリートに参加しております
プラムビレッジはテイィクナットハン師が世界各地に作った僧院です。
若いお坊さんたちが沢山います。
ここタイのプラムビレッジでは毎年年末にアジア圏の瞑想者向けのリトリートを行っています。
今年の春からアトリエ霽月でも福岡サンガのみなさんが毎月集っています。
本格的なマインドフルネスリトリートに参加してみたかったのでやって参りました。
バンコクのスワンナプーム空港から車で3時間ほどの所にあります。
つい最近まで ティクナットハン師はこの施設におられたのですが、この秋ごろに故郷のベトナムへ帰られたそうです。
ここでは日本で言うと仏教の禅宗の教えのとおり瞑想的な生活がなされています。
本日初日のスケジュールは、
朝起きて 暗いうちから礼拝
朝の歩く瞑想、
朝食で 食べる瞑想、
ダルマシェアリング(グループワーク)
歌う瞑想と オリエンテーション
ランチの食べる瞑想
トータルリラクセーションという横臥の瞑想
ダルマシェアリング
エクササイズ
夕食の食べる瞑想
座る瞑想
就寝
でした。
もうずっとマインドフルにすごします
もっといろいろ書きたいのですが
22時には消灯で朝、4時半起きです。
また時間がある時書きますね
ではでは今日はこの辺で
おやすみなさいませ。
タイの時差は日本より2時間遅れです
マインドと体
私たち人間の 多くの人々は 記憶と共に生きています
過去の思いに囚われている 人もずいぶんおられることでしょう。
私たち人間の 大多数の人々は 思考の中で生きています。
いろんなイメージを作り上げることにずいぶん時間を取られているかもしれません。
私達が、思考を切り離して生活することはなかなか難しいです。
思考することなしに生きていくのは 裸でジャングルにいるようなものですから。
思考=マインド は 私たちを護ってくれるもの なんですよね。
衣服みたいに。
衣服を着ていないと 恥ずかしかったり、
周りに認められやすい恰好とか 周りにいじめられやすい恰好 とかも あるでしょう
でも必要以上の衣服って 邪魔になりませんか??
ヒラヒラした飾り、、華美になりすぎると邪魔で動きにくくなったりします。
自分を守ろうと鎧をつければつけるほど 重たくて行動が制限されたり、
身体に合わないものを着ていると窮屈だったり疲れたりもします。
丁度いい快適な衣服 と同じように
自由を奪わなくて 重荷にならない 思考って どんな感じだと思われますか?
私たちのマインドは 安心を得るために観念をまといます。
物事を測る基準です。
イメージを掴むのにも いろんな物差しが欲しくなります。
更にマインドを安心させるために危険を回避し、安全策を講じるために
行動したくなったり 思考したがります。
これは自我の意識の癖でもあります。
特に 実際の現実が思うようにいかないと不満になって 思考を駆使して 落ち着こうとするのです
無意識にもそうなりがちですよね。
でも、
そのマインド(思考)は 本当に あなたを護っているのでしょうか?
お前はそれじゃダメだ とささやきかけてくるマインドの中のルール
そのルールは一体なんのために誰が採用したルールか 考えてみたことがありますか?
ルールは ある時 人を生きやすくさせたかもしれません
ルールは ある時 利益を生んだかもしれません。
ルールは ある時 誰かを守ったかもしれません。
また、痛みを感じた人が それを再び味わうことのないよう作ったルールかもしれません。
その時に良かれと思ってそのルールが生み出されました。
ルールがあれば 守れる って信じたのでしょうね。
もちろん大いに役に立ったこともあったことでしょう。 誰かにとって。
でも、そのルールや基準は、今
あなたを捉えて 不自由にさせてはいないでしょうか?
あなたが採用しているルールを他人が採用していないことに怒りを持っていないでしょうか?
社会では 互いにいろんなルールを持ち込んで裁き合うことに熱中してしまう人が増えていきます
ルールが完璧だと信じているからでしょうか。
型にはまらないケースを見て憤りの感情を作って 気分を汚していることに気が付きますか?
その場を幸福にしていないのは 誰でしょう?
あなたから怒りを引き出す人は 悪人でしょうか?
あなたに怒りをもたらす出来事は この世から消すことができますか?
できると思ってまだ取り組んでおられる方には酷な話ですが
難しいです。
でも あなたの怒りを消すことはできます。
自然は 自然に あるがままに生きようとします。
人間もまた、その性質を発揮して
ある者はエゴを発揮し、ある者は道に迷い
ある者はカルマのエネルギーを吐き出し
雑多な姿でそれぞれに存在します。
マインドから見ると 収拾のつかない混沌に見えるかもしれません。
でも、自然の姿を裁いたり、隠しても そのエネルギーは消えたわけじゃないんです。
隠しても あるものはある。
この世界、
いえ、自分自身ですら思い通りにならないのに
人や世界を思い通りに変えることはできません。
思い通りにコントロールするには この宇宙は大きすぎます
例え 部分でも 部分は全体の一部なのです。
あなたのマインドは何を裁かなければならないでしょうか?
何のために?
本来の命は愛に育まれ自然に生きようとします。
あなたという生き物は あなたの意思と関わりなく 生きようとしています。
その力そのものが 愛 でもあるのです。
ただ、それをあなたの意識が 自然な在り方を阻止して、思い通りにしたがっているとしたら
これは自然との闘いになってしまいます。 自我と自然の闘い
摩擦のエネルギーです
摩擦が小さいうちは 簡単だと思っているかもしれません。
でも、無理はなさらないでください。
生命力は そんなにやわじゃありませんから
圧をかけたら反発力が返ってきます。
この体、 自然で出来ているんですね。
自然からの預かりものです。
自分自身も自然でできています。
自分の中の自然さと 仲直りしてくださいね
日々徒然
真我のお話が続いてきましたが、
いきなり現実出来な話題に戻ります (笑)
それにしても 師走 って どうしてこう慌ただしいんでしょうかね? (笑)
年末までに期限を切られた用事があれこれあるので 追い立てられるような気分になるのでしょうか。
期限がある用事は 普段から作品制作で直面しておりますが
師走は 周囲のムードの影響もあります
特に主婦の皆さんは 大掃除やお年始の準備など抱えていらっしゃる方は とても大変です。
頑張って乗り切ってください!
あれもこれも それも 済ませておきたい!!
やらねば!! なんて気負っている方 沢山おられることでしょう。
頑張る原動力は 義務感、使命感、プライド、罪悪感、などでしょうか
頑張るのは悪い事ではありません。 でも自分の気持ちが幸せでなくなる頑張り って なんなのか? って思うことはありませんか?
人間は欲張りなんじゃないか と 思います。
もっと緩やかに生きてもいいでしょうに
あれもこれも いろんなものを取り込んで 自分で多忙にしてしまうんですね
ええ、、とても自戒的に・・・ いや、正直ぼやいています。(笑)
人間を生きるのは そういうものかもしれません。
どんな聖者や悟りの先生にも 日常生活があり、好みや性格があります。
人としての習性や本能、反応、苦手なもの を持ち
全ての人間が 感じることをやめることはできません。
ただ、心の中の静かなエリアを知っているかどうか? だけの違いです。
本当の愛 ってなんだろう? ということを知っているだけのことです。
そんな目に見えない違いだけで 天と地ほどの 世界観の違いになります。
人間の本質・真我が どんなものか 知っていれば私たちはどう生きればいいかを
知ることができるからです。
もし、頑張るなら それは自分のために 喜びと幸せを増やすために 頑張ってみてください。
あなたが優しくなれる頑張り です。
それ以外の頑張りなんて 要らないのかもしれません。
現世を 風物を 楽しんでください
面白がる才能を身につける
この世界の いろんな存在や いろんな出来事
好ましいことも 好ましくないことも いろいろあると思います。
もし、それを 好きと嫌い で 分けてしまったら
この世界の何割くらいのことが嫌いに設定されてしまうでしょうか?
もし、 あなたが 好きと嫌いを区別することに それほどエネルギーを使わなくなったら
この世界には 好きな事と それほどでもないこと が大半をしめるようになって
嫌いなものは うんと少なくなってしまいます。
嫌いなもの って なんで出来ると思いますか?
一番の理由は 対象を理解しないこと なんです。
知らないこと
どんな思いを持っていたのか
真実よりも 自分の都合や憶測を採用してしまいがち です。
何か気に入らない出来事があった時に
もし立場が逆だったら、私はどう感じていたことでしょうか?
自分の立場しか知らないと 相手に腹が立ったりします。
何か気に入らないことがあった時に
ああ、自分も相手と同じことをしてしまったことがある と気が付くと
相手が今 どんな気持ちかわかる。
もし 相手の気持ちを理解できないことがあったとしても、
人に理解されない時に 悲しい気持ちになることを知っていたら
むやみに相手を責めようとは思えなくなる。
相手を許す ということは 自分自身の過ちや罪や傷つけてしまった人を癒すことと同じ。
自分が嫌な気持ちや 悲しい気持ち、腹立たしい気持ちになった経験は
人間というものを知るための体験をさせてもらっているのです。
感情に勢いが付きすぎている時
自分自身でも止められなくなってしまって 言いすぎて人を傷つけたり
意地をはったり、 ちょっと意地悪な気持ちになってしまったり、
本当は先にあの人が私を傷つけたんだけど、本人には自覚がなくて
やり返したら こちらが悪者にされた とか
どちらも 悲しいんですね。
だから、人の心の傷は どうやり返せばウサが晴れるのか? ではなくて
どうしたら 誰もが癒されて 許したくなるのか を探すんです。
自分の中の隠れていた愛を 探して使ってみましょうよ。
愛は連鎖して拡がるんです
傷は癒すと治ってしまうんです。
だけど、みなさん、
もし、許せない気持ちがある時、
無理に許さなければならない なんて 思わないでいいですよ。
誰だって許せないうちは許せないんです。
許したくても許せない時
それは、許せない気持ちを味わう時なんです。
しばらく胸の切なさと向き合ってその気持ちを受け止めてください。
そして もうこの気持ちとはさよならしたい と 思うようになったら
心置きなく その気持ちを切ってください。
いつまでも握りしめていても 苦しいのは自分なのですから。
苦しい時も 自分の姿を笑ってしまいましょう。
まぁいいや と思えたら もうこっちのものです♪((´∀`*))
それがなかなか・・・と言いたくなる方、
苦しみや感情を持て余しているなら ぜひ瞑想をされてください
瞑想があなたから ネガティブエネルギーを抜いてくれます。
そして、 瞑想は苦手 なんて思っている方も。
本当は瞑想が苦手な人なんていないんです。
うまくいかないと思っていらっしゃる方は 瞑想のことをよくわかっていないだけのこと。
瞑想のやり方や活かし方は アトリエ霽月(せいげつ)がお教えいたします。
目からウロコですよ
苦しみが抜ければ 自然に何でも面白くとらえられます。
ELM瞑想は これまでの瞑想と 全く違う体験があるかもしれません。
乞うご期待です。
真我と真実2 命の輝き
真我と真実
カルマの宿題 苦悩を手放す生き方

そして、瞑想があなたを輝かせることは まだ多くの方が知りません。 幸せの国ブータンでは 小学校で授業の前に子供たちが瞑想をしているそうです。 瞑想は心穏やかにし、争う気持ちや痛みを消してゆきます。
幾重にも重なる世界
能力の開発 心を開くこと
本日、第3日曜日は1日瞑想会の日でした。
今年最後の瞑想会です。
いろんな気付きのシェアなどがありました。
瞑想で 気づきを得たり、意識が変容するのを体験すると 瞑想のすごさを実感して ますます瞑想に興味が湧いてきます。
体験での気づきは 体験しないことには実感できないので 口頭でお伝えすることがなかなか難しく伝わらないことがもどかしい
というお声もありましたが、
無理に伝えようとしなくても 大丈夫
むしろ 伝えようとしない時に 無言のうちに伝わる という新たな体験も経験するようになります。
今日は瞑想会でも出てきた話題の一つを書いてみたいと思います。
瞑想を習慣化すると能力が上がる というのは本当です
蓄積されたストレスが減ってゆき、緊張しすぎた体が緩んでほぐれ、 実力を発揮することができるようになります。
意識が瞑想でクリアになると 集中力が増したり 持っている感覚がより敏感になっていくからです。
特にどの感覚が発達していくかは 個人差があります。
人は元々 それぞれに持っている長所が違います。
長所ってすぐ伸びるんですよ。
なんせ得意なことは苦労しなくてもできるので、本人が機嫌がいいだけでどんどん伸びていくんです。
やればやるほど面白い、楽しい、集中できる、ほめられる、気分がいい
じゃあ、欠点は無くなるのか???
そこが問題だ!と思っている方 ・・・
そこが問題 なんです。
自分自身にできる事とできないことがある ということも受け入れていくことも
悟りの一歩なのです。
瞑想で思い通りの世界をすべて実現する わけではないのです。
瞑想を重ねていきますと、あるがままでOKになっていきます。 思い通りにしなくても 満たされる毎日を過ごすようになるのです。
そもそも思い通りにしたいと躍起になることがなくなります。 そのままでもOK だと感じるようになるのです。
このリラックスと余裕が あなたの能力を最大限に発揮させるのです。
今まで自分を追い詰めてきた劣等感や罪悪感は 無意味 ということに気付き始めるのです
誰かみたいに生きる必要がない。
あなた自身を生きます。
人間のマインドは ついつい欠点をどうにかしたい ということに気を取られてしまいます。
周りと比べてできない という劣等感は強い感情です。
それをなんとかしないと愛されないのではないか?? という幻想を持っています。
それは子供の頃 お母さんが残念そうにしたり、そんなんじゃだめ!って言われたり 先生に注意されたり、
お友達からからかわれて恥ずかしい思いをしたり、 という反応が体に残っていて
うまくできない = 愛されない という不安につながってしまうからです。
コンプレックスは感情の中でも一番自我を振り回す厄介者でしょう。
愛されないかもしれない という幻想は あなたの頭の中にしか存在しないにも関わらず、
その思いが現実を作り出す という面倒な作用を起こしてしまいます。
もし、あなたの欠点が許されない と 感じているとしたらそれは
あなたがその欠点を許さない ということなんです。
もしあなたの隣に その欠点を持った人が来たら あなたはそれを許さない ということ
あなた自身の中に その欠点がある人がいる その時
あなたはその個性を許してあげてください。
そうすれば 人もあなたをそのままで愛することができるようになります。
まだ世界は100%の人が悟っているわけではないので100%の人に愛されるということはあり得ません。
誰も愛せない人だっています。 それもそのままであるがままでいさせてあげましょう。
あるがままで許される世界は あなた自身が作るもの なのです。