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2018年9月

小旅行

最近はあまり遠出をしなかったのですが、 久々の京都

用事と瞑想のフォローアップのため 1泊で行って参ります。

このブログはアトリエのパソコンでしか入力できないので (^_^;)

次のブログは日曜日か月曜日になります

京都の様子は facebookにアップする予定です。

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角りわ子さん 京都個展に訪問予定です 

 

来月の無料体験瞑想会10月6日土曜日 ご参加募集中です。

既に伝授を受けた方で ご質問がある方もご参加くださいませ clover

大丈夫

人生が幻である ということがわかって、安堵したり 落胆したり

人々の反応にも色々あるでしょう。

 

ただの幻だから 深刻になることもない、気楽にやろう と 思えたなら大いにOKです。

 

でも、思いつめて一生懸命幻想と戦ってきた自我は 幻想なんて そんな・・・

そんなこと受け入れられません。

じゃあ、いままでの人生はなんだったと言うんだ

自我は 存在意義を見失うと とたんに狼狽えてしまいます。

自我の死活問題なのです。

築き上げてきた自分自身の存在を肯定する理由を失ってしまうと 

どうしていいかわからなくなり、

自分にOKを出せなくなり 自我が自爆してしまいます。

誰かを悪者にするのも 自分をOKにするためにはやむを得ません。

自我は 存在意義のために いろんな言い訳をして意識を誤魔化してしまう という芸当をやってしまうのです。

 

でも、誤魔化せているのは自分自身の意識のみであることがほとんどです。

外側からみれば、 ほとんど 真実が見えています。

 

そういう方はよく見かけませんか?

でも、本人が指摘されたくないことは 大人たちは黙っています。

指摘すると自我が抵抗して荒れてしまいますから 余計に面倒なことになってくるからです。

でも、そこに摩擦や歪みがあるほど居心地が悪く周囲と揉めます。

 

また、自分さえ我慢すればという考えも 自分を犠牲にしてしまうので

押し込められた摩擦のエネルギーは 自分の身体を害しはじめます。

 

自分をダメだと思い込むのは一番もったいない。

ダメだと決めているのは自分ですし、 どの人間も足らない部分があるんです。

 

人間の価値は足りてる足りてない で測るものではありません。

どんなに苦手なことが多くても、得意なことは必ずあるのです。

 

 

歪みやストレスの少ない生き方 というのは より自然体で自然に寄り添った生き方なのですが

生まれた時から都会しかしらない世代は 自然に戻るのも簡単なことではありませんね。coldsweats01

私もずっとそうです。 

田舎には田舎の素晴らしいところがあり、

都会には都会のいいところがあります。

また どちらも 欠点もあります。 

 

何が良いか というのは 形では示せないんです。

どの程度ならよいのか は ケースバイケースで 

自分自身と環境とのバランスのとり方で決まります

 

自分自身もまた 個々に個性と持ち味が違っていますので 決定的な正解というのはなく

本人の中にしか正解がないものなのです。

 

もし、あなたの中に強く抵抗する自我がいて 真実を直視したくないなら

自我にこう言ってあげてください。

 

恐れなくていいんです。

あなたは そのままで価値があるんです。

意味付けに意味はありません 

あなたは そのままでOKなんです。 生きてるって素晴らしいことなんです。

あなたは どんな選択をしても 愛されています。

神は全ての存在を愛しています。

辛かった過去は もう過ぎ去って ここにはありません。

痛みのある感情は癒しましょう

そして

あなたが人を許すことができたなら あなたもまた 許されます

あなたが人を愛することができたなら あなたもまた 愛されるようになります。

桜

桜は 誰かが見ていても見ていなくても ただ 咲きます。

あなたもまた 咲くのです。

 

 

心の平安

人生にいろんな悩みや苦しみがあって それがどうにもならない時

悟ると苦しみから解放される と聞いて 悟りというものに興味を持ち始めます。

慈悲深いあの方のように、

仏さまのように 眉一つ動かさず 静かな微笑みを湛えているような

そんな穏やかな境地に至ってみたい という憧れ。

 

それで仏教に入門しますと そこでいろんな作法や心の在りようを学びます。

罪をつくらないこと(カルマをつくらないこと)

徳を積むこと(善行をおこなうこと)

心を戒めること(欲に溺れないこと)

 で、 自分を律しようとしますが、

 

これがなかなか 思い通りにはいかないのでございます。

 

信心することがまた苦悩。 なんて自分なんだ! と悩んだのは

浄土真宗の開祖親鸞上人

 

ええ、人間の欲望というのは 本来 種の存続のためにあるものですから 

完全に人間から欲望が消えてしまったらもう肉体を持つ必要がなくなっちゃうんですね

 

で、何が問題かと言いますと 欲望の暴走 や 野放しの欲望や感情 です。

それらの感情に意識が振り回されてしまうことが苦しみ となります。

 

この物質界に肉体を持って生きている以上、いろんな制限を生きることは必須なわけですが、

面白い人生とは その制限の中でどれだけの表現の可能性にチャレンジできるか というところや

この世界の あらゆる現象のハーモニーを楽しむところにあるのです。

 

ですから 思い通りにならなかったり 制限がある という大前提のもとに

この障害物人生ゲームを楽しむか です。

悟りは 人生ゲームの駒である個人の意識(自我)から解脱して ゲーム全体を傍観するギャラリーの位置にあります。

私はただ観察する意識だった。 この肉体はかりそめの姿にしかすぎない。 という気づきが悟りです。

 

大海で嵐に遭って 木の葉のように翻弄される船の上の遭難者  と思っていたら

私は海そのものだった。  

でも、肉体は嵐の中にいるんですが、 とりあえず沈没しないように対策は立てますが

沈没したらしたで仕方ない。

本当に海に帰っちゃうだけのこと。

 

タイやブータンの人々は 一般人でも このような死生観を持っています。

今生はかりそめの姿。 人生は旅のようなもの。 終わればあちら(彼岸)に帰る

できるかぎりいい旅にしよう。 

人を慈しみ、温かいかかわりを持って いい人生だったね と言えるように

みんなと仲良く 腹立ちを撒き散らかさず 人を許して 穏やかに生きよう  と。

いつも 顔に笑みを湛えて。 今ある幸せを大事に。。

 

全ての移ろいゆくものに執着せず あるがままを受け止めて 不満を握りしめず、

親切にあろうとしよう  と。

 

許し難きを許し  愛の眼差しを持って どれだけの人を愛せたか。。。

 

その時 その心はもう救われているのですね。

平和に生きたい方へ

手放し難い感情に苦しくなったら 瞑想者の仲間入りをお薦めします。

こころより皆様の幸せを願っています。

チェンマイの蓮  チェンマイの通りがかりの家の前に咲いていた蓮です

一輪の花のように咲く人生 もうすでに咲いているんですよ。 ありのままを受け止めてくださいね

 

 

涙  

あなたが最後に涙したのはいつですか?

それは苦しい涙?悲しい涙? それとも嬉しい涙? あくびの時も涙がでますね(笑)

 

涙は緊張が緩んだ時に流れます。

 

もうこれ以上受容キャパが無くなって もう もう 耐えられない  と

ワッと泣き出す。 悲しみや怒りや 戸惑いや混乱 言葉にならない感情が一気に溢れ出たり。。

 

これまで張り詰めた緊張が解けた時 涙があふれ出ます。

頑張って持ちこたえてきた身体の緊張が解ける時です。

エネルギーを使った整体をした後にもよく起こりますよ。

そういう時、ご本人は 「私、なぜ涙が出てるのでしょうか?」と笑いながらおっしゃいます。

悲しくないけど涙が出る。

身体がほっとしたんですね。

 

私は 人様の感情に共鳴して涙が出ることがしばしばあります。

前後の脈略もわからず、ただ泣いている動画を瞬間的に見ただけでも その波動に煽られて泣くことがあります。

涙もろい というやつでしょう(笑) 泣いているのを見ると泣けてきます(笑)

これは私の感情ではありません。波動に共鳴するだけです。

 

瞑想の後も、あくびで涙が出ますね。

ドライアイの方が瞑想を始めてから涙が沢山出るようになった と喜ばれていました。

身体が潤うんです。

 

涙は浄化です。

たとえ、ひどい状況 だったとしても

自分の愚かさに愛想が尽きたという気分でも

嫉妬や恨みの感情に呑まれた時なんかでも

あなたは 涙に洗われているのです。

 

恥ずかしいことではありません。 沢山の浄化をされてください。

全ての魂の根本の真我は清らかなんです。

 

エゴが落ちてしまった時、あなたはとても清らかな波動だけを残すのです。

慈悲となって。

 

あなたの涙は  あなたのカルマを洗い流してくれます

蓮葉の露

健康な心と体

仏教の教えには この世界(宇宙)には 三千もの世界があって それぞれに仏陀がいる というお話があります。

三千 という数は とても多いということの象徴です

これは 一人一人の人間の持っている世界観が違っていて、人の数ほどの世界のイメージがあり、

それぞれの心の中に 仏の要素が存在している という意味です。

その仏は 表面に現れている場合と 心の奥深く 見えないところに要る場合があります。

 

私たちが悩みや苦しみ、エゴや欲に埋没している時、仏を見失っています。

仏とは 慈しみ 慈悲の心です。

この心は 深い苦悩を知らない者(前世でもその経験がない者)にはわかりません。

 

もし、慈悲を持たない人がいたなら、 その人の魂はまだ苦悩を経験したことがない

あるいは苦悩を乗り越えることから逃げてしまった人 だと思ってください。

心がまだ成長していない あるいは 強さを持っていない ということです。

 

真の悟りは 自我の感情を手放しています。

 

たとえ、自分の中の自我に怒りが湧こうが それをただ眺めています。

その怒りは 真我のものではないからです。

 

お天気が悪いとき、外に出るのをやめて家で静かに過ごすのと同じで、

自分の自我が荒れている時は むやみにそれを外にまき散らしません。

これが悟ったマインドがする感情の交通整理です。

怒りで誰も傷つけることなく 一人でそれを解放しています。

 

自我の感情を外に出す方法は 色々あります。

一番平和的な方法は 瞑想です。

自然な形では 泣きます

人為的には

心理セラピーや、感情解放のワーク(泣く)、運動エネルギーにして出す、何かに没頭する、リラクセーション

整体などで体を緩める という方法もあります。

(整体の場合は心が固まっていると緩めてもまたすぐ身体も硬くなります)

 

怒りや悲しみを内に秘めていると、筋肉が硬直してしまい、身体の不調の原因になります。

血行が悪くなって、デトックスしにくくなり、免疫力や自己治癒力が落ちてしまいます。

自然体なら 怪我もすぐ治り、病原菌に打ち勝って、どんどん免疫力が上がっていくのですが、

リラックスできないままでいると 疲れが取れなくなってしまうのです。

寝ても筋肉が休息してくれないので 睡眠時間が長くても疲れたままになってしまいます。

 

身体と心は一体 心によって体が緊張したり緩んだり

また。身体の不具合によって心の安定が乱れます。

 

運動をして体を整え、 瞑想で心をお掃除して よく眠りましょう。

睡眠に大事なのは時間より質です。

瞑想は睡眠を大きく補いますし、より質の良い睡眠がとれるようになります。

 

あなたが、若々しく健康に 心晴れやかに毎日を過ごしたいとお望みなら

ぜひELM瞑想を習慣に取り入れてください。

年齢より10歳若く見える のも夢じゃありません。

 

瞑想歴50年のボブ・フィックス氏のお母様は実年齢より20歳以上若く見えます。

ELM瞑想のマスター ボブ・フィックス氏70歳(左から2番目)と お母様のクララさん100歳(中央の白髪のご婦人)

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肉体年齢の若さ驚異的ですね!お母様の背すじもまっすぐなんです。 もう本当にlovelyで素敵な方々なのです

私も10歳くらい若く見える が 目標なんですが、

目指せマイナス20歳! フィックス家の人々に感謝です。shine

『私』はいない 

スピリチュアルに関心の高い人々の間で『私はいない』  という 非二元の話が 注目されたことがありました。

非二元の悟りを体験した美しい覚者の方が 各地で講演会やリトリートをされたのを覚えている方もいらっしゃるでしょう。

どんな質問にも ただ、「私はいないんです。あなたもいない」とお答えになる。

参加された多くの方が 狐につままれたような顔をして帰りました。

 

「余計わからなくなって、ムシャクシャする」と思った方もいらっしゃったようです coldsweats01

私はいない は 普段の私たちの意識ではとらえられない感覚で とても難解だったため

わからずに過ぎ去った という感覚をお持ちの方も多かったと思います。

私も長らく真意をとらえられずにいました。

 

非二元の 理屈はわかります。 ワンネスというのも知っています。

自分がワンネスとして生きている自覚もあります。

でも、私はいない  今、考えてるこれは誰? ?よくわからん・・・

となってしまいます(笑)

 

私は youtubeで動画を拝見しましたが やはりモヤモヤしただけでその時はおっしゃることの意味がよくわかりませんでした。

なぜ その方のお話がそんなにモヤモヤするかというと 解説がないから。(笑)

モヤモヤした人たちの放置プレイ。 みたいなことになってしまったようです。

(最近のご活動は見ていないのですが )

ただ 問題提起という形になったようでした。

 

この 私はいない は 「そもそも 私 という実体はなかった」 ということなんですね

自我が 私 と思っているのは 観念という幻想の一種 であるから 実体ではない

幻のようなものを現実と認識している人意識が自我 なんです。  

このことに気付いて幻想を手放した意識が 悟った という状態で

これまでの自我とは 視点がことなる状態です。

 

と、言葉で言ってもなかなかピンとこないかもしれませんが。

 

禅問答ですね。

 

自我の意識と 世界観が変わる ということです。

コペルニクス的転回 なんです。天動説から地動説に変わった 世界観の転換

「えっ??」 coldsweats02

誰もが頭を抱えるほどの常識の転回が・・・!!

 

物質界、見ている現象は同じものを見ていますが とらえるイメージがまるで違うんです。

 

私たちの自我は 自分という存在をとても意識しています。

私という人間、私の生まれ、生い立ち、私のストーリー、私の思い出、私の心の傷、私の生きる意味、私の希望、それから・・・etc.

一生懸命 『私』というイメージをより良いものにしておきたかったり、『私』という位置を有利なものにしておきたかったり、『私の未来』を安心できるものにしておきたかったり、『私の生きる意味』を持っておきたかったり。

でも、そのことに 実体はありません。ただのイメージなので それはどうにかいじればどうとでもOKになるんです。

ポジティブ解釈ってことです。

ネガティブな方は、自我の意識が自分という存在のマイナス面だけにスポットを当ててダメ出ししているだけの話です。

 

ポジティブもネガティブも 全部 意識が生み出す幻想にしかすぎません。

ポジティブに生きる ネガティブに生きる というのは 心のイメージが表現された状態 でしかありません。

 

真実は 今この瞬間の状態がある ということだけ。 過去の状態は 今にはなく、未来もまだ存在していません。

私たちが今この時 ここにこの状態で存在していることだけが 真実で この真実は 刻々と変化していて常に同じ状態ではありません。

私たちの真実は ずっと変化し続ける実体のない流動性の物質の状態

その一部に意識を宿らせて観察しているのが私たちの意識です。

 

意識は 身体から抜けると、個体のイメージを手放して 全体の意識(神)と 同化し

また 新たな肉体に宿り、永遠の命を織り成します。

 

自我の意識は肉体の持つ夢のようなものです。

そこで いろんなとらわれを取り込んでしまって 苦悩するのは、

過去の記憶に釘を打たれて、見えない釘に動きを封じられているようなもの なのです。

それから自由になるには、 それが幻想であり、実際には実体のないものだ と 理解することと

心に刺さった釘の傷を癒すこと なのです。

傷は、期待が裏切られることでもつきます。

そもそも 期待自体、権利でもなんでもありません。

 

期待しても叶わないことがある という現実を受け止めることが 魂の成長でもあります。

期待しても思い通りにはならない世界で生きています。

 

でも、私たちはこの世界に養われています

世界はいろんな生命を養いつつ、悠久の流れを紡いでいます。

個々の人間や生命体はその一部にしかすぎません。

 

宇宙の営みの ほんの一瞬の夢 です。

あるがままを生きるだけで十分なのです。

滅びるものあれば 創造されるものあり。

イメージは泡のように消えます。

 

残りの人生は どう生きても良いのです。

重荷など 抱えることはありません。

ただ、波動の法則により、

今のあなたの波動が周囲に反映します。

意識は表層だけではないですから 深層心理は重要ポイントです。

見たいものを表現しましょう。

ご自身の無意識の意識を観察してください。

 

うまく表現ができないと思う方は ぜひELM瞑想でカルマを解放してください。

深層心理をお掃除します。

カルマで隠れていた真我の意識が浮上してきます。

 

ただ、宿った命を謳歌するだけで十分 

あなたの命を楽しんでください。

楽しめない  ではなく 今を楽しむのです。 

もしかしたら、苦しんだり悲しんだりも 人生の機微 楽しみの一種なのかもしれません

命という奇跡が あなたの中で起きています。


歪んだ樹

歪みには原因があります。 流れとバランスを取ったんですね。

命の妙です。

現れ 

この世界のダイナミックさをみてましょう。

今この時 世界にあるもの 

そう、私たちが見ているそのものです。

意味付けは置いといて ただ在るものだけをみてましょう。

現れ = 現象 = 状態

この世界は常に変化をして一時たりとて同じ状態では存在していません。

ずーっと変化し続け 流れ動いている世界の中にいます。

この体も、生体反応、新陳代謝で常に細胞が入れ替わって活動しています。

 

この世界にあるもの

善いも悪いもなにもかも。 

原子、分子、エネルギー、見えるものも見えないものも 

この世界を構成する要素は 大きな対流の中にいます。

そしてこの体はその中の小さな対流。 

 

 

今、ここ 手元にあるコップ1杯の水 を 見てみましょう。

冷たく冷えて美味しそうです。

コップの水

水 と呼ばれるもの あなたがそれを飲むと、ひと時 あなたの体を巡り、あなたから出て行って 

汗となったものは大気と同化し 

また、おしっことなって外に出たものは、下水道を通って流れつくのが下水処理場、

そこで汚れをとった水は川や海に戻ります。

 

蒸発した水分は、空気中を漂い、空へ上り、冷やされて水蒸気の粒となり、

雲として空を渡って降った雨が 山野を潤し、植物を介してまた空に昇ったり、

あるいは土の中を通って 地下水から汲まれるみずになったり、

地表に集まって川となって海に出たり、

途中で浄水場に引かれればまた水道の水になったり、

あらゆるところで 形に現れたり姿を消したり 分散したり 集まったり を繰り返しながら 

今、その一部が 目の前のテーブルの上で コップ1杯の水 という状態になっています。

水はいろんな姿に変身しています。

どこからが水でしょうか?見た目は変わっても水でしょうか。

人間の90%は水分だそうですね。

 

私、あるいは あなた も、 流動する物質が集まって現れた状態 で、

それは常に変化するこの世界の一部として作られている現象 です。

流れはいろんな所へ渡って、たとえとても長い時間をかけたとしても。常に変化し続けています。

私たちは何度もこの世界を渡り、世界というものを経験し、体感し、知ってゆくのです。

記憶に残ろうが残るまいが 私たちはあらゆる場所にいたことがあるし、あらゆるものになったことがあるのかもしれません。もしかしたら、今の私の身体は あなただったことがあるかも。

 

どこからどこまでが私でしょうか? 物質としては分けめがありません。

それで この世界全体が 私の要素 だとも言えますが、

それは

もし私というものがいたら  の話です。

意識はどこからやってきたのでしょうか。

そしてどこへゆくのでしょう。

記憶 は消え 残したエネルギーと波動の痕跡が 次世代に流れ続けます。

あなたが表現するものがこの世界に波及し、

その波動の残った世界に 再び生まれるのでしょうか。

無垢な魂として。

光 日輪

世界は生きとし生けるものを愛し慈しんでいます。

日々徒然

爪とぎ

バリバリバリ、 ニャンコは 気に入らない時やムッとした時 爪とぎ行為をしてしまうようです。

そういう習性。 

むしゃくしゃするのでイライラのエネルギーを発散しているようです。

 

私が猫なら 今 爪とぎをしたことでしょう。

先ほどかなり書き進めていたブログの記事が パソコンの電源が落ちて 消滅してしまいました。

Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

ちょうど、普段言葉にしにくかったことがするする出てきて シメシメと思っていた矢先です。

三分の二 くらい書き進めたところで電源が落ちました。

落としたのは私です。

パソコンの裏側のコードがグルグルしたエリアに 飼い猫みなちゃんが入り込んだので様子を見に手を止めて

コードを動かした瞬間にコンセントが外れました。(ノд-。)

オーマイガッ!!!shock

人間ですが爪とぎをしたい気分です。。。

 

抽象的なことを文章にしている時は、

抽象的概念とかそれらの持つエネルギーとかを読みながら言葉に変換しているので、

一度それが途切れると 再度集中するのが難しい気がします。

(-_-;)

覚えていない と言いますか その瞬間のエネルギーがどこか行って散ってしまうんですね。

エネルギーのリーディングみたいなことをしています。

 

ちょっと 今日は機を逃してしまいました。苦笑

ある種の?集中が途切れてしまいました。

こういうことは時々あります。

それはもうしょうがない。

 

割と すごく重要なことを書いていると起きる気がするかも?

特に誰かに宛てて深刻な手紙を書く時には頻繁に起きてました。

送信した瞬間にそれが消滅する とか、 意味の分からない理由で起きることも。

そういう時は 私ではない意識の影響を感じたりします。気のせいかもですが(^_^;)

守護霊とかのせいにしていたりします。(今日のは変なエネルギーじゃなかったのになぜ?)

今回のお話は なぜ止められたのかは不明ですが 

とりあえず、また今度にしよう。

 

餌を待たされて 取っ組み合ってるニャンコに 餌をやることにします。

いや、餌の時間まで まだ30分あるのですが。(笑)

狩りモードなんでしょうか?(笑)

 

人間も大半は気分に支配されています。

思考は後付けのことも多いですよね。

摩擦からの解放

解放解放って言うけれど、、好きにしたらひどいことになるのでは?  

と思ってしまう方も少なくないと思います。

私も最初はそうでした。 私が嫌々でも引き受けていることを手放したら

困る人が出るじゃないですか。だから辞めたくてもやめられない  と。

 

依存関係で構築された構造は 解消するときに摩擦が起きます。

「行かないで!」

でも、その関係を維持するには摩擦が起き続けます。

「しんどい、キツい、窮屈、イライラ」 

いずれにしろ摩擦を含んだ関係なのです。

流れは一時の摩擦で済ましてしまおうとします。

魂は 依存を卒業したい

 

摩擦のある関係は崩れやすいものです。不安定で居心地が悪い。

最初は望んだことかもしれません。最初はそれが心地よかったのかも

でも、依存という関係は摩擦を起こし始めます。 縛り合う関係です。

 

摩擦が大きければ大きいほど 崩れやすくなりますし

摩擦の圧が溜まるほど、居心地は悪いものになっていきます。

地面の圧が高まって 起きる地震のようなものです。

 

摩擦はあなたが悪いわけではありません。 

相手が悪いわけでもありません。

誰も悪いわけではありません。

問題は ルールから外れること ではないんです。

頭の中のルール、社会のルール、コミュニティの規則は、

知ってるだけでいいんです。 

社会のルールは知らないと外側に摩擦をおこしてしまいますが、

そのルールにとらわれてしまう必要まではないのです。

もちろん支配される必要もない。

 

それに合わせたり合わせなかったりするのは選べます。

 

ちょっとまって、、摩擦を起こしたらダメじゃん? と思うかもしれません

摩擦は ルールに合わせていても起こります。

人間がいるかぎり何らかの摩擦が起きています。

人間がいなくても起きています。

それはエネルギーの流れのぶつかり合い。

 

周囲の基準を知っていて、あるいは知らずに  あえて自分の進みたい方向、選びたいものを

自由に選びます。 摩擦はそこここで常に起きています。

バランスを取りながら摩擦をすり抜ける、

バランスを取りながら 摩擦を鎮めることができます。

 

自分の選択への反響も含めて受け止めて、そして自分で立っているんです。

周りは意外と適応力を持っています。

私の選択は私のもの。 私の未来は私のもの(この言い方は非二元にはそぐいませんがあえて言います。)

 

この生き方は まわりに依存していると選べません。

依存は 基準を周りにせざるを得ない原因の一つです。

 

周りと摩擦を起こさないよう やりたい放題はしない  という場合

この時にあるのが依存なら、とても息苦しいですが、

依存ではなく、やさしさから摩擦を起こさずにいるなら、

そこに摩擦は起きません。

自らの意思でそれを選択している時、その運命を受け入れることができるからです。

自分の選択に責任を取る覚悟を持つからです。

 

依存を切る時、癒着していた部分は切り離されると痛みがあります。

目に見えない癒着にも痛みはあります。

 

でも、それは自由を手にする一歩です。

 

依存がなくなると、身が軽くなります。相手の運命まで背負わなくていいからです。

自由な選択をすることができます。

依存を切る時、相手も痛みを感じるかもしれません。

その時は

優しさを持って 周りがショックを受けないように 説明することもできます。

「これまで支え合う関係でいてくれてありがとう。でも、もう自立しようと思うんです。」

 

優しさと感謝、敬意 が 痛みに癒しを与えます。

 

この世界でのバランスを取るには 周囲を無視することはできません。

旅をするには風を読むことも必要だからです。

でも恐れないで あなたを見守る世界を信頼してください。

 

どんな体験もOKなのです。

成功だけが良い事 ではないんです。

全ての出来事が あなたの魂を成長させます。

あなたに 受け止める力と 真実を知る能力を育ててくれるからです。

 

この世は 自我の思い通りにはならない世界ですが 

愛に満ちた世界です。 あなたの発するメッセージ(波動)そのものを映し出す世界です。

あなたの真我 そのものなんです。

 

反映させる波動を選んでみましょう。

白い花畑

出てくるものが ネガティブばかりな方は まずは内面のお掃除からです

ELM瞑想はあなたの内面をパワフルにお掃除します。

ぜひご利用ください。

とらわれない心は あなたにも実現できます。

案ずるよりも産むがやすし です。

非二元 その2

難解に思われる非二元のお話は 溝口あゆかさんが とても巧みに言葉で表現されます。

ご興味をお持ちの方は ぜひご覧ください。

 

溝口あゆかさんのブログ

 

私たち人間が 非二元を実感することは 難しい事ではありませんが

自我が非二元を理解することは少々難しいです。

私はいない という話ですから 「私は誰?」となってしまいます。

私とは 自我の私というイメージなんですが、

じゃ、今のこの現実は何?

私の人生は何?  と。

頭で考えれば考えるほど、出口のない迷路になってしまいます。

自我の思考範囲ではとらえられない、マインドからするとぶっ飛んだ領域の感覚 といえるでしょう。

自我の観念を手放してしまわないことには そこにチャンネルを合わせられないのです。観念の枠がその外に出してくれませんから。

 

自分の枠を手放すと 感じることができますが、 この枠を手放すのに自我がものすごく抵抗するんです。

恐いんですね 枠を外すのは。未知の領域は危険かもしれない と 恐れているし、

自分を守ってきた基準を外すなんて不安な事なかなかできない って思ってしまうのです。

例えば

善いも悪いもありません  と言うと、

犯罪は悪いやろ!許せんことやろ!したらあかんやろ! とマインドは言います。

その枠を外しちゃダメ! と抵抗します。

 

この世界に 犯罪とか 好ましくない事は起きます。この世界に 闇があります。 

それは幸せとは程遠い波動のもので 誰もそんな出来事と仲良しにはなりたくありません。

でも、人間がそれをやってしまうことがあります。

いろんな歪みに圧迫されつつ 人生をカルマの方向に向けてしまうことも起きるのです。

悲しい出来事です。悲惨です。 人間の持つ歪みと狂気は 落とし穴のようなものです。

よくわからずにそちらに行く人がいます。

内側のカルマが爆発的に発動する時 人々は狂気を帯びます。 

苦悩、怒り、憎しみ

その出来事がどういうことかを本当に体験して知っていれば犯罪をしようとは思わないし、戦争も起こそうと思わない。

だけど、実際の体験をしらないまま そこに入って行ってしまう人もいるのです。

悪夢に浮かされているような状態で。

 

私 という認識は、映画 とか 夢 のようなもので ストーリーの中ではそのストーリーにしっかり同化して登場人物になりきっている状態です。

テレビでドラマを見ていて主人公の気持ちになった気分でドキドキハラハラしている時と同じです。

自分の思考の中のドラマに取り込まれています。

ドラマの展開に心を奪われ 来週の展開が気になってしかたありません。

だって、マインドはドラマが大好きなのです。

ドキドキハラハラに気を取られ、夢中になります。

(そうなっていない人はそのままでOKです)

 

あ、夢か と分かってしまえば夢は夢なんですが、 その夢の最中はその時の夢の状況の中で必死です

でも、夢の中でも それが覚めるとわかれば余裕が出てきます。

 

今のこの夢(人生)をもっと楽しもう とも思えます。

 

私たちはイメージを操ることができる生き物ですが、

逆にイメージに縛り付けられやすくもあるのです。

苦悩の思いにはとどまりたくはないですね。

でもとどまっていたい心もあるので それはどちらでもいいのですが。。

 

自我は 無意識に自分を楽にさせようとして認識をいじって真実を歪めてしまうので、すごい面倒くさいことになってしまいます。

つまり、全ての出来事は自己責任 で 終わらせるのが嫌なので 悪者を作って 自分を被害者にしておきたかったりします。 これは自我の機能の一つなんです。

自我の価値観を護る防衛機制です。

その方が自我にとっては楽なんですね。

 

でも、そのことに気付くと、被害者の幻想は終わります。

本当は誰も悪くないんです。 たまたま 歪みや摩擦が生じただけのことですし。

 

対処は 歪みの修正と 傷ついたところを手当てして そして癒すこと。

そして 今のあるがままの自分を愛してください。 そのままで 十分素敵じゃないですか。

五体満足、 いえ、不満足だったとしても この世界を楽しんでください。 生きる事を楽しんで。

息をすることを。体があることを。何かを感じることを 五感を 四感でも 三感でも 味わうことを 堪能してください。

退屈している暇はありません。活動するようにできてます。 感じることも活動です。

好きでそこにいるならそのままでいいじゃありませんか。

マインドの奴隷になることもありません。 いつでも自由に生きられるんです。選択するのはあなたです。

 

いずれは すべて泡のように消えます。うつろいゆく現象 肉体とその思いも消えていきます。

 

残すものがカルマだと 子孫はカルマの処理に苦労するでしょう。それもよし。

(子孫に生まれるのは自分です)

残す記憶が 愛だと 子孫は幸せを享受します

(子孫に生まれるのは自分です)

苦しい夢なら覚めてしまいましょう。

 

心のとらわれは 手放して自由になってください。 恨みや怒り、しばし味わったら 手放してみてください。

難しい方はELM瞑想を伝授いたします。

ELM瞑想は 空と一体になる時間です。

 

初心者の方にはちょっと難しいお話だったでしょうか?

 

またいろんな視点で書いてゆきます。

駄文にお付き合い下さり ありがとうございます。

自由な魂への入り口となりますように。。

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