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2018年8月

自分の平和は自分で守る

いろんな不満を持っている時、

そこにあるのは 自分はもっと大事にされるべき という思い。

 

自分が不満を口に出せないで いるのは 相手の気持ちを思っての事 ではなく、

言葉に出す勇気がないから。

 

それで 相手が自分の気持ちをわかってくれていない という不満を持っている時、

自分は 相手の気持ちをわかってはいない。

 

相手にだけ 自分の気持ちをわかってもらいたい という思いばっかりが 大きくなって

我慢している自分は犠牲になってると思ってしまう。

 

相手が聞いてくれない と不満に思っている時、

自分は相手の話を受け止めてはいない。

 

自分の気持ちがいっぱいいっぱいいっぱいになって 他に何も見えない

 

これは自分が悪い というわけでもなく、

この溢れかえる苦しい思いが カルマ と呼ばれるものなのです。

 

怒り、悲しみ、罪悪感、不安、怖れ

 

そういうカルマのエネルギーの 不満を相手にぶつけても 幸せは手に入らない。

相手も同じように苦しい思いでいっぱいになっていて 受け止める余裕がないからです。

 

だから 自分のカルマは自分で片づける。

でも、これは考えや意識ではどうにもならないんです。

カルマはエネルギーだから 重たいエネルギーを手放して 楽になるのです。

 

内側に詰まっているカルマを 人にぶつけると 相手はそのカルマをもらってしまう。

その人がカルマの解放の仕方を知らないと その人の心はカルマのエネルギーを受け取って重たくなってしまう。

だから人にカルマの感情をぶつけないであげてください。

 

そんなことをしなくても カルマのエネルギーは手放せるんです。

苦しい思いは瞑想で消えてゆきます。

 

いろんなセラピーも効果があります。

EFT療法でも苦しい感情は手放せます。

瞑想は毎日あなたの思いを浄化します。

心に重たさを感じても あなたはいくらでも清らかになれるのです。

 

だから  不安にならないで イライラしなくて大丈夫。 

カルマは解放してしまえば 消えてなくなります。

あなたはいつでも真我の意識に戻ることができる。

最初の そして 永遠の真我の意識には 不安も怖れも 濁りもないのです。

白蓮

 

才能のありか

「私には特筆する特技がなにもない」 と思っている人もいるかもしれません。

それは その人がこれまで 一番得意なことに時間を使う機会を持てなかっただけのことで、いったん、得意なこと

を自覚すると、その才能を開くのにはさほどの時間を必要としないでしょう。

 

でも、あくまでも最初は誰もが初心者なので どんなに才能の芽があったとしても いきなりプロの技ができるわけではないんです。(笑)

練習してこその能力の開発です。 練習が嫌いだと伸びません。

好きなことは飽きない、嫌なことは続かない。いくらやってもさほど疲れない  というのも才能を見分ける要素でしょうか。 

 

ですが マインドはまだできていないそれを なかなか認めないんです。

 

なぜ才能が簡単に見つけられないか? というもう一つの理由は、

人間のマインドは 足らないものを見つけることの方が得意で、足らないものに注目してしまうんですね

そのため、当たり前にできてしまうことをできているならいいや とスルーしてしまいがちです。

これが得意? それよりも足らないところを何とかしなさいよ。 とか言われてしまったりして 

意識は苦手な事や自信を無くす方に流れてしまいます。

 

まだ成長する前の才能を軽んじて あなたのそんな才能なんてどうでもいいから  

などという扱いをしてしまうのです。 これは外部のカルマの感情の問題です。

何かを責めている人は自分の苦手のことは忘れています。

いや、むしろ隠したいので 他人の欠点を掘り起こしたくなるのでしょう。

 

カルマに意識をひっぱられるのも煩悩ですね。

カルマによってあなたの才能が雲隠れしてしまうんです。

 

 

何が得意か は 一人一人違いますので 憧れることなんでも できるようになるわけではないんです。

やってみて初めて得意か苦手かわかってきますし、すぐには判断できないかもしれません。

でも、得意な事は 他の人より苦になりません。

とっかかりは、石の上にも3年。(笑) とりあえず しばらくは続けて見なければ芽は育たないですから。

 

本人が持ち味を自覚しているかどうかは別問題です。

自分では自分の特徴をコンプレックスとしてとらえている人も多いです。

自分らしさ とは 自分の特徴を活かせた時 それがあなたの自信となり 心の安定になっていきます。

あなたらしさを嫌わないでくださいね。

あなたはそのままで あなたらしい。

あなたを活かせる場所、あなたが活かせる仕事、あなたが喜べること、

あなたを受け止めてくれる仲間  を見つけてください。

もちろん、あなたも仲間を  否定しないで 受け止めてくださいね。

スキャーリー

感受性 という才能

いろんなことが気になる。

大きな声や大きな音、強い刺激は苦手

人が多すぎると人当たりしてしまう。

精神的にも身体的にも デリケートな方

敏感な体質だったり、繊細なところがあると思われる方 

この性質は時には悩みの種になりますが、

この性質はとても役に立つものでもあります。

 

感受性が高い と表現しますが、

五感のいずれかが発達している人は 概ね身体の感覚や第六感も とても感度が高い人が多いんです。

 

第六感、エネルギーや波動を感知する能力です

 

ちょっとこのお話をしてみましょう。

 

人間の感性、五感 見る・聴く・匂う・味・触感 の次にある能力で、エネルギーや波動 を感じ取る 第六感

この能力は人間以外の生き物には通常備わっているので、 ある意味特別ではなく、

本来生き物が持っている能力で人間は退化しつつある能力 なんです。

 本当は人間も皆が持っているのですが、

現代人はそれを使わなくなっているので 感じ取る感覚が鈍くなっています。

使わない筋肉がやせ細るのと同じで 使わない機能は退化していくんですね。

 

 

でも、もしあなたが 第六感以外の五感が 敏感な方でしたら、ほぼ確実に第六感も高い感度の能力を持っています。

おおかたの人々はこのことを自覚していません。

「霊感とかないし。予知とかできないし。わかりたいことがわかるわけでもない」なんて思ってます。

 

瞑想のお仕事で 多くの方と知り合いましたが、これは相当な確率で 

五感が敏感な方は第六感、波動を読み取る能力を持っています。 波動に反応するんですね。

ご本人にはそのことに気付いていらっしゃらないことが多く、それを特別な事ととらえていません。

みんなそんなものだ と思い込んでいます。 鈍感ではないけど普通 くらいに思っています。

 

その所がずば抜けて発達していたり、他の機能とリンクしている場合に 霊能 という形に現れたり、

超能力的に 他の人にはできないことができたりします。

 

でも、感性という才能を使っている人たちは 普通に大勢いらっしゃるんです。 

感性を使う仕事とは、

美術・音楽・デザイン・ファッション・コーディネーター など センスを生かす仕事、

また 看護・介護・保育・教育・カウンセリング など 

人をケアする仕事などでは 人の気持ちを読み取る能力がとても重要で役立っています。

感じ取る能力 感覚です。

普段はそれは とても自然にいつも使われていて

特別な事とは認識されていません。

なぜなら、当人にとって 当たり前にわかることだからですが、

これは読み分ける感度のある人と無い人があるのです。

無いことが劣っていわけではありません。それ以外の別の能力を持っているだけのことです。

 

日本人はこの感受性の高い人の割合がとっても高い民族なんです。

 

5人に一人はチャネラー  なんですね。

ホントですよ(笑)

 

感性を使った繊細な読み分け能力はいろんなところで活かされます。

職人 と呼ばれる人々も お仕事の技術を極めていきますと、最後は感覚が研ぎ澄まされ、自分の仕事を体で体感して 他の人にはわからないような小さな差異も判断できるようになっていきます。

指先の感覚・重さ・間隔・目分量が計測器を上回ることすらあります。

このような体感・感覚をどのように使いこなすか   

人間の能力の可能性は想像以上に無限大です。

 

繊細さだけでなく、全ての人にそれぞれ 違ったすばらしい才能が隠れています。

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カルマの正体 痛む傷

心穏やかにありたいと願っていながら、何気ない日常の一コマで つい イラっと気に障ることがあったりする

そんなご経験があなたにもおありでしょうか?

たぶん99%くらいの方がそんなことを感じたことがあるのではないでしょうか?

もし、イラっとしたご経験がない方がいらっしゃったら、 それは天使のような方ですね。

 

私たち 普通の人間にとって

最初の意識は、 イラっとさせる相手のせいで 自分が苛立つのだと思い、相手にそれをさせないようにしたい、

もしくは その相手を遠ざけたい と思うことでしょう。

本能ですから当然です。

でも、諸事情で そんなに簡単に事は解決しないことも多々。

 

そしてまた 解決しないことに更に苛立ちを募らせていくのです。

苛立ちを越えると キャパと耐性が成長しますが、苛立ったままだとストレスが溜まります。

摩擦のエネルギーです

 

スピリチュアルを学び始めると、

自分の波動が 周囲に反映する 『相手は自分の鏡』 という波動の法則というものを知って、

自分を整えることに取り組みます

自分がすることは 人もする。  自分にあるものを 人の中に見る。 ということを体感していくのですが

それが腑に落ちていない時は どうしても相手が悪いように見えます。

私が嫌だと思うことをする相手を見て、 これは私はちゃんとやってるのにこの人はちゃんとできないのは

この人の質が悪いからだ! やっぱりこの人はダメだ  私じゃない この人だ! と相手を責めることに夢中になってしまいます。

 

相手は自分の鏡  という法則の本質をわかっていません。

 

鏡に映されるもの、それは自分の表面的な行動 ではなく、

自分の深層心理、自分の無意識の思いを映しています。

私が否定するものがある ということの鏡  私が嫌悪するものを反映した鏡なのです。

 

自我はここで 一度 「?」 となるでしょう。「何を言っているの?」

「私は 清く正しく生きています」 と自我は言いたい。 「清く正しくないのはあの人」「ほらみてごらんなさい、あのみっともない言動 恥ずかしくないのかしら?(怒)」「人としてどうかと思う(軽蔑)」「ちゃんとできないのかしら?わたしはできるわよ(慢心)」

正しさ を掲げた エゴです。

自分がする行動や要素は 無意識のうちに 記憶から抹消してしまいます。

→ 私はやってない。(記憶にない)

 

でも、それをやっている人たちの行動は よ~く見えています。

「いい加減に陰口をやめたらいいのに。」なんて思いながら その人の文句を本人の居ないところで話す。

こういう人ほど、人から何と言われているかをとても気にします。

 

目にする人の行動、目につく人の行動は

自分がそれをやっていることに気付くための機会ですので

自分がその要素を持っていれば持っているほど、同じ種類の人を見ます。

 

じゃあ、どうすればいいの?

私がやめればそういう人がいなくなるの? でもこの人はそれを続けるじゃない。こんな人いなくならないわ!

だからわたしはやっぱりこの世が悩ましいのよ。私がやめたって嫌なものから逃れられない。

 

いえいえ、これも根本的なところが違うんです。

 

あなたが嫌がっている出来事は 相変わらずこの世に存在します。

あなたもそういう要素がある同じ人間です。誰もがそういう部分を持っています。

そう、煩悩とか カルマ とか

多かれ少なかれ みんなが持っています。人間として。生き物として。

 

 「にんげんだもの  みつを」  ということ (笑)

 

人間の要素を 嫌っていることが カルマの感情 なんですね。

かつて その要素で傷ついたことがあったのかもしれません。

痛みとか怖れがあるので 嫌だ と思ってしまうのです。

 

 

嫌うこと というのは 自分を嫌う と 同じことなんですね。 自分の世界を嫌う=自分を嫌う

嫌いという感情は 内側にある摩擦を感じているのです。

 

 つまり カルマの感情なのです。

 

瞑想は このカルマの摩擦を解放して内側から無くしていきます。

自然にイライラ しなくなるんですね。

あなたの心の傷が癒えていくのです。

内側にこもる摩擦のエネルギーは 手放し、委ねてください。

それはあなたのものではありません。

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傷は修復されます。

癒された傷はあなたを悩ませません。

ただ清らかに咲く 蓮のように 

穏やかな波動をたたえて存在することは 可能なんです。

足し算ではなく 引き算で 清らかな真我が残ります。

 

 

魂と肉体

人間を生物として見ている と少し前のブログに書きました。

 

この肉体もその生物の身体です。 人間という生き物。

この体が作られる仕組み というのはすごいと思いませんか?

これは自然が創造したものなんですよ。 自然の力というのは計り知れないですよね!

 

なぜこの形なんだろう? なぜこの仕組みなんだろう?

どんな必要があったのか?

全部 根拠がありますよね。 必要のない現れなんてないんです。

時に何かが抜け落ちたとしても 不便なだけで 存在価値には変わりありません。

ちょっと足らないところがあるので生きる事を辞退する魂などいないのです。

そこで懸命に生きる魂は感動的です。

スミレ

 

私たちは 自分の身体の全ての現象と成り立ちを 知っているわけではありません。

むしろ 知らないことだらけで、謎だらけで、とってもとっても不思議です。

自分 という生き物を観察してみますと、

すばらしく精密で精巧であると同時に

効率的ではないこともままあります。

人間という生き物、

時に怠慢です。coldsweats01

エゴは視野が狭く、無駄なこともします。

 

自分を通して 人間と言う生き物を見つめています。

心の中、深い心の奥は目では見えませんが 心の目=感受性 で感じ取ることができます。

 

他人 という自分と同じ生き物に目を向けてみますと、

自分に体験のある感情は 共感することも可能です。

自分自身が 体験が多いほど多くの人と多くのシチュエーションで共感できるようになります。

そう、わかる という感覚。

 

ペットを飼ってみると、人間以外の言語や理論を持たない動物にも 

感情 や 思い や 意向 や 愛 などがある ということがわかります。

彼らは智慧も習得していきますね。

そういう発見もなかなか感動的なのです。

この猫たちは 私たち飼い主人間の波動を読んでる!!

言葉や態度に出さないものまで 感じ取っているのです。

そう、人間の子供がそれをできないわけがありません。

 

大人は前頭葉の思考を使うようになってから 感じ取る能力を忘れてしまっています。

ねばならない に自分を押し込めて感じることを封じてしまった大人

頭脳と引き換えに感性を捨ててしまった とも言えます。

いつからそれを忘れてしまったことでしょうか。

 

人は 自分が知っている経験は今生に限らず、この魂がかつて体験したことはその感情に共鳴共感することができます。

かつて いろんな時代に いろんな思いを体験して いろんな感情を味わってきたことでしょう。

そんな人はとても人の心によく共感することができます。

思い出してください。

あなたは共感することができるのです。

感じて見てください。

私たち魂は とてもとても やわらかく優しい生き物だったのです。

外敵から守るために来てしまった見えない鎧は 脱いでも大丈夫ですよ。

 

だって、 愛より強いものはないのですから。

日輪

 

メッセージ

信頼のおけるヒーラーさんの紹介でとてもとてもとても気になっていた映画 『メッセージ』 

2017年公開だったのですがロードショーは見逃してしまい、ようやく今になってアマゾンプライムビデオで観ました。

 

どんな映画か?って ・・・そ、それはこれから観る人のために言えない!!

いいから 見てみてください。(笑)

SFですが たいへん 深い内容です。

ミステリーのように進んでいって 最後に謎が解かれるのです。

 

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もし 私たちが 純粋な意識をもっていたら 愛を持っていたら 世界は愛の世界となり (天国)

カルマの感情に呑まれたら 痛みや苦悩を体験するでしょう。 (地獄・畜生道・修羅界)

私たちの作り出している世界とは。。。

 

私たちは 出来事によって 己を知らされる

何を信じているのかを 知らされるのですね。

 

愛とは とても 勇気のあるものです。

仏画教室

本日はアトリエでの仏画教室の日です。

 

11年前仏画教室を始めました 

それ以来メンバーや場所が変わることもありながらも 教室は続いております。

なんともう12年も経っているんですね。

私 野津寿子は、元々 日本の仏画の制作と修復が専門だったのですが

アジア美術館でブータン人のリンチェンのチベットタンカワークショップで出来たご縁で

チベットタンカをもう少し続けたい という皆さんが集って始まったサークルでした。

アジ美 shakyamuni

その後、東区のカルチャーセンターに日本式の仏画を教えに行くようになり、

今はタンカサークルと日本式仏画教室が 一緒になって 

福岡仏画の会・アトリエ霽月仏画教室 として続いています。

 

その中で 仏画を学びに来る沢山の方々 仏教や仏画に興味があるお仲間とご縁が繋がりました。

白描仏画

仏画は、

新しく習いたいといらっしゃる方が最初に直面するのが 意外と難しい ということです。

これは普段使い慣れない 筆と墨で線を描くこと、です。

思い通りの線が引けるようになるまで しばらく苦心されます。

これは練習が命でして 何度も何度も 線を描いているうちに手が筆遣いを覚えてきます。

すぐに上手に描けないことで ガッカリして辞めてしまわれる方もいらっしゃいますが coldsweats01

誰も慣れないことは最初はとまどいます。でも、しばらくの辛抱です。 

私もかつて習い始めた当初、すんなり線が引けるようになったのは 毎日描き続けて、何ヶ月か経った頃でした。

ある時を境に緊張しすぎずに思い通りにすーっと線がひけるようになるのです。

筆で線を引くのは マウスでモニターに絵を描くのより 簡単です(笑)

そして

どんな方が長く続くか? と言いますと、最初からうまく描ける人 よりも 

ただ仏画を描く時間を楽しんでおられる方で、いつのまにか何年か経ち プロでも通用するような細やかな表現ができるようになられます。

これはもう 教える者としましては 感動です。

孔雀明王のサムネイル画像

渡海文殊 水城

 

スマホのたて長写真どうしても横位置になってしまいます。すみません。(^_^;)

この2枚はお二人の生徒さんの作品です。仏画を習い始めて5年以上にもなるとこんなに上達されるんです。

素敵な感動をいただいています。

 

私自身、描く時間が工房に勤めていたころよりもずっと少なくなっていますので時間が取れず

時折 思い通りに表現できないジレンマを感じることもあり、生徒さんの感じておられるもどかしさはとてもよくわかります。

でも、 それでも描き続ける勇気を 生徒さんにいただくのです。

すぐにできてしまったら 達成感はそんなにないかもしれません。

難しいからこそ面白いこともあるのです。

 

仏画は上手に描こうと思ったら描けません。

欲が出るとそれが絵に出てしまうのです。

上手く描こうという気持ちを手放し ただ仏様が現れてくださるまで待つのです。

絵と向き合います。

 

もし より心静かに仏さまを感じたい方は 瞑想をすることをお勧めします。

心安らかになることと、欲を手放すこと  

そして 視野が広がること  が 瞑想で可能になります。

エゴが欲しがる価値と特別さ

自我は 自分自身に価値を感じたいと思っています。

満たされるというイメージが欲しいんですね。

これはどの人の自我にもあります。

真我が満たされている時、

生きていることそのものが幸福と充実感に満たされている時 

それ以上に何か欲しがる必要はありません。

でも、何かしら物足らなさのイメージを持ち始めると 何か満たすもの を探し始めます。

これは、マインドが常に何かをプラスしたい という働きを持っているためです。

欲 ですね。 欲すること。 欲

肉体に備わった機能です。

満たされてる時のただの退屈であれば、楽しめる事や刺激があれば楽しくなりますが、

心の内に 愛に満たされない不満や 乗り越えられない苦しみを持っていますと 他のものでは補えない欠乏感を持ったままになってしまいます。トラウマ カルマ です

怖れや不安が伴います。

 

この世界の多くの魂は いろんな欠乏感というカルマを持っています。

いろんなことにこだわっていますが 本質が求めているものは 愛なんです。

満たされない愛の代わりに 何かでそれを埋めようとしてしまいます。

このことは無意識の領域で起こります。

 

ただ、

今、困難に直面している時は、それどころじゃないですし、目の前に取り組むことでエネルギーを使っているので そのようなことは考えません。

ただ集中して目の前の問題に取り組むことに没頭します。

 

それが一段落して 障害がなくなった時、最初に満たされなかった感覚だけが解決せずに残ってしまうと 空虚感を持て余してしまいます。

 

何をしても充実感を得られない時、自我は困ってしまって、何か集中するもの または

見失ってしまった 自分探し を始めるのです

 

自分探し

その一つが アイデンティティです。

自分は 人から認められるからOK  とか

自分は こんな特技があるからOK  とか

自分は 人の役に立っているからOK とか

自分は 人より優れている とか 地位が高い とか 価値がある という

価値のイメージを持っていたいのが 自我(エゴ)です。

 

真実 というのは ただ、真実しかありません。けっこうシンプルなんです。

でも 人間は装飾された好ましいイメージを欲しがります。

 

真実とは

命は 生まれて生を体験して そしてその一生を終えて魂の故郷に戻ります。

その繰り返しで命が紡がれている。全ての命は 一つの命の流れなのです

それが命ですから 一つの肉体は命の一部にすぎません。

そこで特別さがあろうがなかろうが 世界はただ笑って見守っていることでしょう。

 

悟る   真実を知る  真実を観る ということですが

本当に悟ると特別さを崇高したり自分が特別な存在という表現をしません 全ては一つで分けられないもの だからです。

 

人間のエゴ という意識は 争ってまで特別さを手に入れようとしたり、豊かさをむさぼることに夢中になってしまったりします。

 

過ぎたるは及ばざるがごとし と言いますが、

取りすぎて過剰になったり、周りとのエネルギーバランスが崩れてしまうと

世界が調和できなくなって とても不安定な状態になるんですね。

 

欲望に目がくらんだり、欠乏感というカルマを握りしめたままでいきているのは

自分自身が癌細胞のように周りのエネルギーを奪って全体の調和を壊してしまう ということなんですね。

 

本当に真我が目覚めること は 全体と調和する平安、 エゴの暴力や執着が消えていく ということです。

もし、コントロール欲のエネルギーを感じたら 一度手放してみてくださいね。

 

あなたの中が愛になれば 世界は調和するしかなくなるのです。

そう、あなたの周りから。

 

サボテンの花 白

ただ あるがままを咲いてください。

摩擦を愛に変える

この世界を生きている私たち 

気が付くと自我の意識が芽生え、身に付けたいろんな判断基準で世界を測っています。

価値 という評価を設けて 物事を測るんですが、それは 普遍的なものではなく、

価値基準の下に評価がなされます。

価値基準がなければ それも無意味なものになりますが、

好ましい好ましくない という基準の根本は 心地よさ なのではないでしょうか。

 

私たちが心地よいと感じるのは、愛のエネルギー。そして エネルギーの調和した状態です。

それらは 温かく、癒しに満ちていますし、 安定感のある状態です。

そう、ゆりかごのような。。

エゴではなく真我や魂が求めているのは そこです。

  愛

ここで表現される愛は 真我の愛 神の愛 包み込み受容する愛のことを言います。

男女の情愛はこの限りではありません。

男女の情愛は 本能や欲に起因して生じ、その体験で魂が成長して受容できるキャパが拡がった時に真我の愛 へと進化するのです。

 

神 や 波動が高い と言われるマスターは 大きな波動を持っています。

波動が高いことそのものが 浄化なんですね。

会うだけで癒される という話は 波動の影響力が大きい ということですね。

マスターの中に 完全なる愛の存在 と言える方々がいらっしゃいます。

これらの方々には 愛 しかありません。

意識が大きなキャパを持っていると エゴは小さすぎて見えなくなってしまいます。

 

お釈迦様や、 イエス・キリスト 

ダライ・ラマ

ティク・ナット・ハン禅師 

エック・ハルト・トール氏 

サイババ

カルキ・バガヴァン

ELM瞑想のボブ・フィックスさんも そういうマスターの一人です。

ボブはとてもフレンドリーで 無邪気な人なんです。heart01

 

高波動のマスターほど 存在だけで 人を癒す力を持っています。

波動が人を癒すのです。 心が柔らかくなるんですね。

 

でも、高波動のマスターは決して自分が特別な存在とは言いません。

それぞれの存在が特別であり、 また、特別なものはいない ということを知っているからです。

 

個々の存在は全体の一部で それぞれに世界の一部を担っている大切な存在です

私たちの身体を世界だと見立てて 一人一人が一つ一つの細胞だとしたら、

その細胞は要らないものとして排除されることは身体と言う世界にとっては痛みです。

必要があってそこにいます。世界と繋がっているのです。

 

我々人間の多くは、マスターたちの教えに触れて、啓発していきますが、

啓発を体験するまでは まだエゴやカルマが反応しています。

マインドがまだカルマにとらわれているので、実は知能の高い人ほど 悟りに突破するのが難しかったりします。

自我やマインド が強ければ強いほど 悟りの前に立ちはだかる壁も硬くなってしまいます。

 

弟子たちはまだその段階です。生きているうちは完全にエゴが消えているわけではありません。

人間は肉体を持っている限り、無意識に エゴに呑まれてしまうこともままあるのです。

困ったことにマインドはそのことになかなか気づかないのです。

自分が正しいことをしていると思ってしまいます。

 

正しさにとらわれたり、権威に傾倒するのはエゴの癖なのです。

 

マインドの判断は知らず知らずのうちに介入してしまいます。

あれはダメこれはいけない と 判断したり、裁きたくなるのです。

 

啓発していないマインドにはカルマの感情がついつい乗っかってしまいます。

カルマはいろんなものに化けますね。神のふりもしますし 聖者のふりもします。

規律にこだわり、戒律を増やしたくなり、合わないものを排除したくなります。

考えやルールに合わないものと摩擦を起こすからです。

 

真実の愛は 摩擦を癒して溶かしてしまいます。

誰もそれに抵抗できないのです。

愛には摩擦が起きないからです。

 

あなた以外の聖者になる必要はありません。

あなたはあなた自身の真我がを見つけるだけです。

もし、あなたの中に摩擦が起きているなら、それを取り除いていくうちに真我は現れます。

 

摩擦であるカルマを愛に昇華してみませんか?

真の瞑想は それを可能にしていきます。

あなたが望むならば、 あなたは 大きな愛になることも可能です。

あなたにどんなカルマがあろうとも

あなたが愛になることを望み続ける限り、

あなたは愛になれるのです。

なぜなら、私たちの本質に愛があるからです。

 

愛は支配やコントロールをしません。

ただ、限りない慈愛の目で見守っています。

永遠に。 

愛 ピンク

あなたのギフトとは? 

ギフト 日本語で言うと 『才能』のことです。

あなたにはどんな才能、ギフトがあると思いますか?

何のとりえもない なんて言ってしまう人がいますが、 

それは何を基準にそんな風に思っちゃったのでしょうか coldsweats02

誰にもそれぞれの性質があって それぞれに得手不得手があるのです。

あなたには他の人にない良いところがあります。

それに気づいてないだけです。

ちょっと寂しいことですね。weep

 

そりゃ、苦手はあるでしょう。慣れていないこと 好きじゃないこと。

最初は誰もに何もできない状態で生まれてきます。

人にできて自分は苦手な事 なんて山ほどあるんです。

みんなそうですね。(笑)

 

器用ですぐになんでもこなせる人には それはそれで人知れない苦手もあります。

これぞ!というものが定着しなかったり、すぐに手放してしまったり。

 

好きで、ずっとやり続けていくうちに ベテランになっていくんです。

得意なことは あまり苦にならずに 長い事それをやっていられることです。

そう、あなたにとっては なんでもない あの事です。

 

それは最初は普通に見えるかもしれません。

だれも最初からすごい才能が自由自在に使えるわけではないです。

それは育って より発揮されるんです。 練習は必要ですよ。

好きなことは 楽しみと練習が一緒になってるんです。

 

あなたのギフトはどんなギフト(才能)でしょうか?

 

どの要素も 磨けば磨くほど すごい能力を発揮するんです。

 

見過ごされて今はあまり使われていない能力 もっと使いませんか?

 

大切なのは ギフトに気付くことです。

特別なものとは限りません。普通のことはとても大事なんです。

ギフトを見つける

 

 

 

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