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2018年7月

日々徒然

先日から 書きかけてなかなかまとまりがつかなかった表現 (文章)

1時間余り費やして書き上げ キレイにまとまった と大満足で 画像を添付しようとしたところ、

なぜかパソコンがフリーズしてしまい、Σ( ̄ロ ̄lll)

 

 長らく待ちましたが復活ならず  

   操作中に アプリが閉じてしまいました。 lililiorz 

 

  なぜ・・・ ・・・(-_-;)  

 

同じ内容をもう一回書き出せる気がしないので 本日は断念いたします (ノд-。)

 

代わりに 私の同期の瞑想教師さんがとてもすばらしく表現されているので 

 ボブさんの通訳係 丹野太介さんのブログをご紹介いたします。

あ、サイドバーにリンクを貼ればいいかもですね。

チャレンジしてみよう。

 

とりあえず、本日はこちらをごらんください(画像をクリックしてください)

だいちゃんブログ画像だいちゃんブログ

 

 

 

激流

西日本豪雨が街を襲ってからまだそれほど経っていませんが、逆走台風12号が通り過ぎようとしています。

今年は本当に災害が頻発する年となっていますね。

昨年から 瞑想マスターの ボブ・フィックス氏が これからしばらくは大きな揺さぶりと変化が続く と言っておられらたのですが、かなりリアルな感じになっています。

私たち瞑想教師は 研修で何度もその話を聞いていたので あまり驚きはしないのですが

これほどまでに? という所感です。

地震だけじゃなかったんですね。豪雨の洪水で街が丸ごと水没したり 多くの方が財産や命を失っています。

 

瞑想的には 魂そのものは滅びない ということが分かっているので 肉体を失うことにはそれほど恐怖感は持たないのですが

それでも肉体にいる間はその生を懸命に生きねばなりません。

無駄に命を散らす必要はないのです。

ただ、運命として 早めに肉体を持たない世界に帰らねばならない時は それも受け止めます。

 

残される側は 悲しみを体験しますが

この世を旅立つ魂を引きとどめたり、執着を持って旅立たせないようにしてはなりません。

残された生きる者はいずれ後から先立つ者に続きます。いつか必ず魂の故郷に帰り、再会するのです。

 

現世を生きる間 私たちがすべきことは 生を全うすることです。

 

生きるということは 生きていることを精一杯生ききる ということです。

自我は、今までの慣れ親しんだ環境を失ったり 生き甲斐を見失ってしまったりしますと

どうしていいかわからず 生きる気力を萎えさせてしまったりします。

悲しみという痛みは 私たちにダメージを与えますが そこで大きくカルマを解放してしまうのです。

先立つ方々が多くのカルマを持って行って下さったのです。

その悲しみを乗り越え、感謝と共に 生きている私たちは精一杯残りの生を生ききるのです。

 

私たちは 試練に出会い カルマを手放し 本当に大事なものを見つけてゆくのです。

私たち人間は この体を使い 精一杯のたくさんの福や徳を積んでまいります。

それが私たちの幸福 私たちの子孫の幸福へと繋がっていきいます。

私たちが再び生まれるこの地球に沢山の福徳を残してください。

私たちが残すものを選んでください。

温かい思いと愛を 残すのは 私たち自身です。

 

豊かさとは 物質がもたらすものではありません。

あなたの思いが豊かな愛であることです。

あなたが放つ愛は 受け取る愛となって あなた自身が満たされるでしょう。

温かい炎と光

つじつま

猛暑が続いていますね。 みなさまいかがお過ごしでしょうか?

どこに行っても 知らない人同士でも 「暑いですね~A^_^;)」という言葉が出てきちゃいますね。

知らない人とでも 共感しあえるこの気候!

冷房がかかった部屋にいる時はいいのですが 部屋から出ると・・・ (;´+ω+)

 

もう、意味もなく 「フフフ」と笑ってしまう。。 笑うしかない。

もうブログの文章が 途切れがち・・・に・・・

 

裸のインコ

このお写真のお方☝ 先天的に毛が生えなかったインコさんなんですが、

優しい飼い主さんに巡り会い 超ハッピーに生きています。

こういう暑い時は お得な体質ですね。外にさえ出なければ 夏はハッピー♪

でも外はそのまま出ちゃいますとダメです。 ヤキトリになってしまうかもです。

 

暑い話題はこのくらいにして、

なかなかブログが進まないので

今日は 世間話の日にします(笑)

 

ネットを見ている時に いろんなところに広告が出ていて

「痩せすぎて怖い!」 とか 「これを飲むだけでこんなに痩せてしまいました!気を付けて」

「飲むだけで食事は今まで通り」 とか 書いてある痩せるサプリ

また 私の年齢のせいか アンチエイジングの美容商品の広告

50代なのに20代にしか見えない! とか書いてある広告の写真の嘘臭さと言ったら!

独りでパソコンの前にいるにも関わらず「ないわ~」と苦笑してしまいます。

しかし、待てよ。。。

ELM瞑想の誰でも空に入れる とか やっているうちに悟る とかも そんな風に聞こえるんだろうか⁉

 

艱難辛苦の苦行の末に悟りを得た高僧などは 「誰でも簡単に空?ないわ~」と思うのだろうか?

でもでも 悟り自体は 悟りを得た人ならば 高僧だから悟るというわけじゃない ということなど

簡単に理解できるはずなので やはりELM瞑想とやせ薬を同じ扱いにしちゃいけませんね。

 

そうそう、悟りは簡単 と言っても それは もともと簡単なところにあるもので、

自我が強すぎるとそのわずかな隔たりがものすごく高い障壁や 途方もなく深い谷に見えるだけの話なのです。

 

悟りなどというものは絵空事などではなく、

カルマの感情に飲まれなくなれば 誰でもなることなのです。

カルマがくっついている間はなかなか取れそうにもない感じがして 悟りなどは自分とは無縁

のように感じるかもですが、いえいえどうして、ぜんぜん 難しい事ではないのです。

 

ただ、必要なプロセス(カルマと言うゴミ出し)が済まないうちに起きることはないと思います。

ものすごい強い自我の人だって、ものすごい勢いでカルマが外に出ちゃいますと 急転直下に悟りに到達しちゃうこともあるのですから。

 

カルマが落ちる というのは 目からうろこが落ちるようなものなのです。

ある日 突然 条件が揃ってカルマの感情を出し切ったあと 舞い降りてくるようにやって来る。

 

ですから 出来事に抵抗しないで 過ぎ去らせていくと 自然にも到達するものなのです。

 

ただ、人間は自我が選り好みしますので、その体験をどうしても避けようとしてしまうのです。

 

その抵抗を緩めて、速やかに過ぎ去らせる 加速装置のようなELM瞑想

一気にクリアリングが進み 自然発生的な気付きを得ていきます。

 

無駄な怖れや パニックで流れに乗れない ということがなくなる。

私たちが 自我の怖れに振り回されることなく、自我を見つめる冷静な意識であることに 徐々に気付いていくのです。

 

世間話のつもりが ちょっと難しくなっちゃったでしょうか。

 

きっとあなたもそのうちわかります。

全ては完璧なのですから。

 

要らない幻想を手放して 今 この瞬間に幸せになりましょう。shineheart01

 

大いなる存在

人は生まれて そして死んでゆきます。 

人のみならず全ての命がその運命を持っています。

人以外の生き物は その命を 本能というプログラムのまま生きますが

人はその人生を自分で創作することができます。

 

個人の意識 自我は 思考し あらゆる可能性に対してチャレンジしたりしなかったりします。

この選択は 魂が持つ人生設計図 宿命に導かれますが、その中でも人はその中のいくつかの選択肢を選びながら人生という旅を進んでいきます。

 

この人生の設計図には 私たちの試練や摩擦、葛藤など カルマの要素が描かれており

そのカルマの体験によって私たちの魂は磨かれて成長し大きな理解と許容・包容力を得るようになります。

 

障害物は乗り越えるために用意されます。

自らが準備してやって来ているのです。

 

何も問題が見当たらない環境でも この課題は発動します。

青春の悩み

このままでいいのか? こんなのでいいのか? 受け入れられない。 割り切れない。

護られている事への抵抗。

 

そう、素だって自立したくなるのです。

 

親は子供を守りたい という執着を手放す試練と向き合います。

 

こういう体験がある人もあればない人もあります。

 

いろんな形の試練があります。

あなたが対峙している試練は あなたのためにある試練です。

 

その中で あなたは自分の信念を探し、あなたの生き方を自分で見つけていきます。

この姿勢が整うまで試練は続きます。

 

この世界は私たちを 最終的に 愛の理解へと導きます。

全体と調和して より神に近くなるようなものです。

 

私は特定の宗教団体に所属していないので神については自分なりの理解を持っています。

神と仏は少しテーマの違う波動を持って大いなる存在の一部です。

私たちの魂の故郷であり そこから生まれ そこに帰っていくところ

意識の故郷です。

 

そちらの領域には、   死んで身体から抜ければ、成仏して神(と呼ばれているもの)と同化します

自分の行き先を見失っている時は死への恐れを持っていますが、

瞑想などをして我の意識からはなれると、この肉体にいるままでもそちらを感じ取ることができます。

 

この辺りの理解は 人間世界の学歴や知能の高さとは関係がありません。

神や仏を感じることができるかどうか、感じることをやってみたことがあるかどうか で この意識は発生します。

 

その神や仏は 既成宗教のそれらと同じには考えないでください。

あなたを見守る意識の故郷としての神、仏、守護 の意識です。

 

 

あなたは見守られ 愛されています。 この世界に。神々に。神仏に。

 

そしてあなたが それらの大いなる意識の存在を感じ始め 

あなたの願いの届け方を知り始めると

大いなる存在はダイナミックに動き始めるのです。

 

まるで微笑むように あなたの信頼に応える。

 

そなたの思い受け取ったぞ と。

 

これらのやり取りに物質的な実態はありません。

ただ、あなたの内部にその実感が芽生え始めるのです。

 

温かい愛と共に

 

天の梯子

考えるのをやめて感じる

最近 嬉しいことがありましたか?

最近 悲しいことがありましたか?

最近 腹の立つことがありましたか?

あなたがとても幸福を感じた時はいつですか?

 

あなたが何かを感じた時は その感覚や感情をしばらく味わってみてください。

それはどんな感覚でしょうか?

 

今 あなたは どんな感じがしていますか?

 

あなたの中にあるのは どんな感覚でしょうか? 何か感情が絡まっていますか?

 

いま、あなたの中に違和感はありますか?

ないかもしれません。 違和感がなければ、それは心地いい ということです。

 

あなたの腕はどんな感じですか? 何かを感じていますか?

腕を意識すると何かありますか?

何も感じないとしたら それは状態が良いということです。

 

あなたの脚はどうでしょう。 足、脚 になにか感覚がありますか?

 

あなたの肩や首はどうですか? こっていたりしませんか?

大人の多くの方々は肩がこっていらっしゃいます。

姿勢が前かがみだとよく起こります。

ちょっと首をまわしてみましょう。

痛くありませんか? 気持ちいいですか?

 

あなたの胸の辺りはどんな感じですか? 胸がいっぱいではありませんか?

何か詰まっていますか? それはどんなイメージですか?

あなたのハートにはどんな感覚が詰まっていますか?

何もつまっていないと感じたなら あなたは自由です。

 

人間は考えにとらわれると感じることを忘れてしまいます。

感じることを怖がって考えてしまうのかもしれません。

 

あなたの身体とハートの感覚をもっともっと感じて見てください。

あなたの身体はあなたに様々なメッセージを送ってきます。

 

現代人である私たちは 忙しさに追われてしまうと 身体の感覚に鈍感になりがちです。

思考や義務や規則に覆われて 本来の生きる命とエネルギーを感じる暇をなくしてしまっていることも多々あります。

 

そんなに抱え込まなくても なるようになっていくのですが

自我の思考はそれじゃだダメだと言うかもしれません。周りの声が許さない と言っていますか?

でも、身体は自然体に生きる事を望みます。

私たちの身体は自然現象でできています。

命が育む自然の作用で出来ている身体。

心の負担で重たくしてしまっていたら、それは

あなたが余計な重たい荷物をもったまま行動しているのと一緒です。

 

こころのとらわれを取り払ってみませんか?

身体まで軽くなります。

心は身体にも足かせをしてしまうのです。

そんなものは要りません。

手放してよいのです。

 

もう十分だ と 思ったら 手放してみてください。

そう、そっと 心の中で手放すのです。

 

私はもうそれを握りしめていないよ そう思うだけで手放せるのです。

 

意識の重石に実態はありません。あなたの身体が軽くなるように。

幻想の重石を下すのです。

のしかかって来そうになったら すぐに心の中でこう言ってください

「それ、もういらないんだ。」

誰がなんと言おうと構いません。

あなたはあなたの思うように生きていいのです。

あなたを縛れるのはあなた自身しかいないのです。それは自分ではしません。

 

あなたは 自由です。

 

もし物理的にあなたを閉じ込める人がいたら、そこからは逃げてくださいね。

誰もそんな権利はないのです。

 

それに 万が一物理的に閉じ込められたとしても、心まで縛れません。

私たちの心はいつでも自由に広がることができます。

 

瞑想の意識の世界では 私たちはどこまでも拡大していけます。 小さな体には入っていません。

そんな体感を得てからは 閉じ込められる幻想は持てなくなるのです。

 

世界の中の一粒の私は この意識を中心とする大きな世界、大きな宇宙でできているのです。

宇宙

 

 

防衛機制

エゴというものは いろんなものを 思い通りにしておきたい という願望を持っています。

それが 心地よい もしっくはは安心からです。

 

物質的に思い通りにならない時、外界を動かせない時は

安心できるとらえ方を見つけて 安心しようとします。

これが心理学の防衛機制 というものです。

防衛機制は、すっぱいブドウ というお話が有名です

1匹のキツネが森を歩いていました。ふと見ると美味しそうな葡萄の実がなっているのを見つけましが、キツネは実がなっていることろに登れずがそれを食べることができませんでした。キツネは「フン、あのブドウは酸っぱいに違いない」とつぶやいてそこを立ち去った

というお話です。 物事を自分の都合のいいように解釈して、残念な気持ちをごまかします。

 

誤魔化す と書きました。 これは善意に解釈する と似ていてるけど違うエネルギーです。

 

スピリチュアルに関心の深い方は 意識の周波数を落とさないためにこれと似た手法を使います。

これでよかった と思うこと です。

行けなかったけど、今回は行かない方がよかったから行けなかったんだ。

うまくいかなかったけど、これはうまくいかない体験を学ぶ時だったんだ

事故っちゃったけど、この程度の損害でまだよかった。カルマが沢山落ちてよかったね。 など

 

でも このスピリチュアル的善意に解釈 と 酸っぱいブドウ はちょっとエネルギーに違いがあるんです。

何が違うか お分かりになりますか?

 

酸っぱいブドウは 「なんだ、ちくしょう」という悔しさが残っています。

スピリチュアル的善意に解釈は そこに安心とか信頼を持ってきます。

 

波動がちがうんですね。

 

ですから 酸っぱいブドウをやり過ごしたキツネさんは 

おサルさんや小鳥が葡萄を食べているのを見ると悔しがりますが、

スピリチュアル的善意に解釈の人は 嫉妬も持ち込まないんです。

 

私たちが近い未来に受け取るものは 今出している波動に左右されます。

喜びの波動 幸せの波動が 嬉しい出来事を引き寄せ

不安や恐怖や嫉妬 は その対象を引き寄せます。

 

否定は 否定の対象を引き寄せてしまうんです。

 

ですから、この世にはいろんな要素が存在していますが、

自分の好ましいものや喜べる対象に心を寄せて、

好ましくないものは 否定もせずにスルーしてください。

存在を許すのです。 そうすれば否定の対象として あなたの前に迫ってはこないのです。

絡む感情がその存在と摩擦を起こし、そこに留めてしまうのです。

この世界は実に多彩な世界です。いろんなものが存在する世界です。

それぞれの世界観を生きています。

自分が否定されると不快なように 誰も否定されたくはないのです。

 

自分が自分を否定してしまいそうになる時、

防衛機制は その責任を誰かに押し付けてしまいます。

「あいつのせいで」 この責任転嫁は 自分の心を守るために起きています。

自我の性質がそうなっているのです。 誰かのせいにしないと 自分が傷付いて耐えられないから。

 

でも、その痛みを耐えて 傷が癒えた時は、あなたはもっともっと 強い人になるのです。

 

ただ、真実を受け止めて 越えてください。

 

そう、あなたは そのままでいいのです。

 

思考を操作しなくても  思考は操作してもしなくても 真実は変わらないのですから。

 

ただ、真実をそのままに受けとることができれば、あなたの中に摩擦はおきなくなります。

いいじゃないですか。 人間は完璧な生き物ではないし、完璧になることは不可能なのです。

不完全でも、支え合って 愛し合って生きると そこは幸福な場所になります。

防衛機制は 他人のために使うと 癒しの道具になりますよ。

 

落ち込むことないよ。

これも悪くないよ。

たまにはそういうこともあるよ。

みんな一緒だよ。

すずめたち

思い込みからニュートラルに

私たちが生まれてきて 私たちを取り巻く世界という環境の中で どう生きればいいか

その正解 というものは 実はありません。

神は

どう生きてもいいので やってごらん と、言っています。

 

もしかしたら

そんなに、苦しい道をいかなくてもいいのに  と思ってるかもしれません。

たぶん観音様などは そう思っておられるでしょう。

 

でも、苦しい道を行きたいなら 行ってもいいよ  と。

あるがままにさせておく愛です。

 

私たち人間は 神様ほど多くのことを知らないので 

上手くいくはずだと思い込んで 歩きづらい道や、先がない道を行ってしまったりします。

 

おや? これは違うぞ と気づくまではその道を進もうとするんです。

今更引き返せるか!ととことん行ってしまって なんとかなる なんてことはありません。

法則通りの結果を受け取ります。

ある人は ひどい挫折だったり、喪失感だったり。

 

でも、それまでその道にしがみついていたのは自分でした。

こんなはずじゃなかった と 人は言います。

神様は本人が自発的に諦められるまで待ってくれます。

 

私たちは法則通りのいろんな摩擦の体験をしながら この世界の法則を知っていくんですね。

体験的に。

 

気が付いたとて、もう取り返しがつかないじゃないか!今生の時間はもうやり直しほど遺されていない!  

なんて嘆かなくてもいいんです。

自我の思うとり返しがつく というのは 取り返してもまた終わりの来るものです。

結局同じ場所に戻って、 この方向性は違う と気付き始めます。

ほんものの幸福な人生 というものは 意識が目覚めさえすれば 明日からでも新しい生き方ができるのです。

なぜなら、物質の状況には左右されませんから。

 

もし あなたが 困難と闘っているなら 戦うのをやめてみてください。

戦いの中には答えはないんです。

ただ、戦うことが無駄だった という気付きはあります。 外部と自我が戦っても 永遠の幸福は手に入りません。 エゴを満たすために失う代償が多すぎるのです。

 

取り合い

あっちに引っ張られるか こっちに引っ張るか 取り合いをしていたら それは永遠に取り合いが続いてしまうので

私たちは取り合うのを止めます。

 

自然は エネルギーを均衡させようと働きます。

無理なエネルギーの歪みは元に戻ろうとします。

もし、あなたが無理な搾取 とか 奪う ということをしますと 環境はあなたから取り戻しにかかります。

奪わないでいいのです。

 

面白いことに この世界は 全体が増える ということが起こります。

あなたが世界に喜びを与えると 世界は活性化して エネルギーが増えたようになるのです。

集まって来るんですね。喜びは磁石のような吸引力を持っています。

喜びを引き寄せるのは喜びの波動です。

 

喜んで与えると 喜びは増えて返ってきます。

エネルギーはお金だけじゃないです。

お金は単なるツールですから、それほど重要ではない。

 

あなたの喜びのエネルギーは あなたから タダで出てきます。

そのエネルギーを全体に回すだけで世界は豊かさに共振して増えてこちらにリターンするんですね。

取り合うエネルギーはもう卒業時期がきました。あなたは、あなたの愛と豊かな思いを手にします。

あなた自身の豊かさを育てましょう。♪

白のビーチ

 

優しさは強さ

出会いは偶然なんです。

あるTV番組を見ました。 北欧ノルウェー北部の島、ロングイェールビーンという極寒の町のドキュメンタリーでした。

 

その町は半年間は夜で、半年間は白夜です。そして とてもとても寒い北極に限りなく近いところ。

日本の俳優さんがそこを訪れて、町の人々がどんな暮らしをしているか 密着取材していました。

 

その街には 世界各地から人が集まって来て働いています。炭鉱があるからです。

ここ福岡県にもかつて筑豊炭田があり、多くの炭鉱労働者が全国から集まって来た歴史があります。

 

そのフィンランドのロングイェールビーンという町は炭鉱があったために ノルウェーの法律からは治外法権になっているのだそうです。

外国人は 就労ビザが無くても働くことができるので様々な国の労働者が集まるそうです。タイやフィリピンなどアジアの国の人もいました。現在は日本人もいるそうです。

その町の人々は国籍を越えて、人種を越えて、寄り添って家族的な関係を築いていました。

そのように様々な人々を繋ぐ人 大きな愛を持った人がいるんですね。

新しく来た人をとても温かい笑顔で受け入れ、家族、隣人として愛を持って接していました。

密着取材でリポーターの俳優さんに町を紹介していた人はクロアチアから戦火を逃れたセルビア人の炭鉱労働者でした。

一家のご主人はとってもフレンドリーで 見知らぬ東洋人を 「やあマイフレンド!」と呼び、会う度に思いっきりハグしていました。(寒いからハグしたくなるのでしょうか)

彼はクロアチアの紛争で兄も両親も亡くしていました。自分の家族は子供が幼かったため、戦火を逃れこの極寒の地にたどり着いたとのことでした。

働いて家族を養い一緒に生活をするために。

その幼かった子供が今は高校生。

炭鉱で働くその男性は、1週間炭鉱で働いて1週間休み というシフトで働いているのだそうですが、

町にいる時は 沢山の国籍の違う友人たちと楽しく時間を過ごします。

住んでいる人々は 「ここにあるのは、愛する家族と家庭、生活と経済、幸福。全てがある」と言います。

様々な事情で生まれた国を出て そこにたどり着き、その地で幸福を育むのです。

 

そして自分の辛かった経験を慈悲の心にかえて、隣人を慈しむ。

その愛は暖炉よりも温かいのでしょう。

 

欲しいものがすべて揃うことはどんなに豊かで幸福なことかわかりませんが、ありすぎると目が慣れてしまいます。

今、当たり前にあるものは 永遠ではないんですね。

その価値は失ってみないとなかなか実感できないのかもしれません。

空気やお水のように?家族も?

お腹いっぱいの時はどんなご馳走も魅力ではありませんから。

 

私たちを取り囲む試練は 私たちが持つ愛の能力を育てます。

私たち自身が自発的にあふれさせる愛です。

 

もしその愛があなたから溢れてきたら、 その愛はあなたの心の痛手を癒し、

他者を癒し、 世界を癒すでしょう。

 

天国はどのような場所にも あなた自身が作り出すことができるものなのです。

 

心の扉を開いて世界を見ると あなたは世界をそのままに見ることができ、

そして愛の使い方を知ることができます。

 

カルマで覆われた曇った窓からは カルマの汚れや模様ばかり目につくでしょう。

でもその窓を拭いたり、 その窓を開けてしまえば

世界はそのままに見えるのです。

 

小鳥がさえずるように あなたも 愛を歌い、愛の中に生きることができます。

あなた自身が愛の歌を歌えばよいのです。

共感はそこから始まります。

 

どうしたらいいかわからない方は アトリエ霽月に一度おこしください。

まずは安心を実感していただきたいのです。

 

現在瞑想を実践している方も 時々 お顔をお見せくださいね。

心から歓迎いたします。

愛ある対話はあなたを癒します。

蓮葉

更に愛が育ちますように。。

慈悲の波動

慈悲 という言葉は 観音菩薩さまが 人間が苦悩するのを見て救ってやりたいと願う心 を意味する仏教用語 ですが

 

この観音菩薩さまの心 というのは 人間の中にあるんですね。

 

宗教的には 菩薩様と愚かな人間とを一緒にするなんて 以ての外だ!と 怒られたお坊様がおられたんですが、 ここで書くことはどこの宗派にも属さないお話ですので 特定の宗教の教義を信仰していらっしゃって、私の書く文章に違和感を感じる方は スルーしてくださいませ。

という今更な弁明で すみません。

 

宗教観はちょっと脇に置いておきまして 

天国も地獄も 神も仏も悪魔も 全部人間の心の内にあるんです。

この世界に と言うよりは 人間の心の中にあるんです。

 

この世が地獄だ と感じられる方は その波動を生きておられる。

確かに無慈悲と思われる残酷な出来事 というのは存在していますが、

それらは 物質の現象で、 ただ それだけであって そこには悪魔は存在しないんです。

 

人間の苦悩が 地獄を生み出すんですね。 もしくは ネガティブエネルギーの発散による破壊。

これはネガティブ波動の凝縮を解消するための破壊で、 その原因は その場やその人物のみの原因で生じるものではなかったりします。

 

活断層がずれるためには長い間蓄積されたエネルギーの軋轢が限界に来るまで溜まる必要があるように、

なんらかの破綻が起きる時には 何らかの歪みの蓄積が起きていた ということになるんです。

そうでなければそれは起きないんです。

 

人間がひどいことをするときは 自我のエネルギーの歪みの凝縮が起きています。

 

これを解消するには 他者が他者を裁いても何の解決にもならないんです。

自分が自分を裁いても解決にならない

 

癒して緩める、もしくは エネルギーを逃す 解放するしかないのです。

 

これは エネルギーの流れの法則性で

圧がかかりすぎれば風船が割れるのと同じです。

 

一旦 ガス抜きが必要なので 誰かがカルマの解放をしていたら、しばらくそっとしておきましょう。

そうそう、あなたがとばっちりを受けないように 雨や嵐の時は 雨のかからないところに批難します。

土砂崩れが起きそうな時は 速やかに避難しましょう。

 

本来の動物的勘が働けば 早く察知できるのですが。。

 

心をニュートラルにすること それが瞑想の目指すところです。

空(くう)の領域。 啓発した意識は無思考で感覚で世界をキャッチします。

それは無感情などではなく 微細で豊かな感覚の場です。

チャクラ

慈悲の波動は 苦しみの体験があり それを越えて成熟した時に 生じます。

 

つまり カルマの解放を経なければ 到達しません。

カルマの解放は あなたを磨き育てます。

世界を眺める神の目線

暑い日が続きますね。

新しいスマホは待ち受け画面に温度が出てきて そこにこう書いてあります。

猛暑  coldsweats02、命に係わる天候です。 

被災された方のご苦労は計り知れないです。お見舞い申し上げます。

 

facebookの投稿で 高校の同級生が被災地に製氷機を送ると奔走している様子を上げていらして

頭が下がりました。

 

政治家の方々も 足の引っ張り合いなんかしてる場合じゃないですね。

庶民に何ができるか考える今日この頃です。せめて寄付でも と。。

みなさま くれぐれもご無理なさらず 慎重に行動されてくださいますよう。

 

私たちを取り巻く世界では いろんな物理的現象が起きては去り いたします。

 

現実というバーチャルリアリティゲームのように。

脳内ではそのドラマをとらえているんです。

 

記憶というプログラムに従って そのストーリーは展開してゆきます。

 

え? 現実は 記憶とは関係なしに勝手に起きてくるじゃないか と思われます?

いえいえ、実はそうではなく、意識のプログラムが そのストーリーに従ってドラマを展開する

リアリティバーチャルゲーム が 人生なのです。

 

泣いても笑っても おおかたの宿命が設定されているので 用心してもしなくても それなりのことは起きるんですね。

いえ、もちろんストーリーの変更は可能なんです。

 

宿命的な大きないイベントは避けられないのですが、

(と言っても 何が起きるか 今の時点では私たちにはわかりません。起きてからだと「なるこどな」と思うのみで)

大きなイベント(誕生、大きな怪我や病気、別れと出会い、挫折、そして天に帰る時) 以外の小さな出来事は、今のあなたが作っているんです。

 

そう、どんな思いで暮らしているか  です。

私たちには それぞれの思いに合う出来事を引き寄せる力があるのです。

 

それは 願い のことではありません。 今 あなたが感じていることです。

苦悩 とか 不安は 出来事を引き寄せます。

喜びや幸せも 出来事を引き寄せます。

 

不安を持たない というのは 予防をしない というのとはちょっと違います。

対策や準備は してもいいのですが、不安を持ち続けないことです。

対策をすることのメリットは それで安心して不安を手放せる ということです。

 

それに、 

不安と予感は 別物です。

不安を持っていると 本来の予感は不安の波動にかき消されてわかりません。

 

ですから、瞑想をして 心を静めてアンテナの性能を上げるのです。 ノイズの除去です。

 

危機一髪の場面では 予感は大活躍します。

 

それと、

試練や学びは 亡くなった人にあたえられるものではなく、残された人に与えられるものです。

亡くなる方は カルマを一手に引き受けて もしくはお役目を終えて 先に帰られたのです。 魂の故郷に。

 

誰がいつ先に帰るかは 生きてるうちは誰もわからないものです。長い短いが問題ではありません。

生きている今こそを 大切に生きてください。

大切なことを思い出すゲーム

この世は 幸福を見つけるゲームです。幸福そうな形を得るのではなく 真我が感じる存在の喜び。

悟り とも呼ばれています。

そこでは輝きがたくさん見えます。 どんな状況にいるか は問題ではないのです。

欲や執着、思い通りにならない葛藤を抱えているうちはなかなか見つかりません。 

なぜなら  悟りは 様々な思い という荷を 下ろした状態だから。

苦しみを手放した時 現れる すでに持っている輝き なのです。

 

世界はこの境地を私たちに思い出させるために 様々な流れを起こします。

意図的に? 

いえ、それは必然です。

私たちが摩擦を手放すまで 摩擦はそこにあります。

 

まずは瞑想で 脱力してくださいね。 肩の力を抜いて。

ひまわり

花は自然に開きます

 

 

 

 

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